3.勤務1日目〜髪をおろしたら〜
執務室の重厚な扉をノックすると、中からイーゴリの快活な声が返ってきた。
分厚い書類の山を机に積み上げ、豪放に笑う第二騎士団団長。
その傍らには、常にヴェーラが控えている。
午前の仕事は書類整理だった。
慣れぬ文官の仕事に目を白黒させつつも、ケンジは飛び級で大学を出た才気でパターンを見抜いていく。
「これ、二重に記載されてますよね。数字が合わなくなります」
さりげなく指摘すれば、ヴェーラが淡く頷いた。顔色一つ変えぬまま、評価だけを瞳に宿して。
イーゴリは「ははは!そうだな!」と、無邪気に笑ってケンジの肩を叩く。
午後は訓練場。剣を振るう百五十人の兵士たちの記録係を任され、ケンジは一瞬絶望する。
「えっ!?これ全部ですか!?」
だがやがて規則性を見抜き、隊列や手順を整理して表にまとめ始める。
汗だくになりながらも、最後には驚くほど正確に記録を終えていた。
「やるじゃないか、ケンジ!」
イーゴリは豪快に笑い、ヴェーラは淡々と記録を受け取る。
その二人はまるで影と光のように息が合っていて、ケンジはふと「苗字が同じだから、兄妹なのか?」と思った。
しかし、それにしてはあまりにも似ていない。
イーゴリの髪は褐色で瞳の色は栗色で黄金。
身体も大柄だし、顔つきもヴェーラのような洗礼された人形のようではない。堀が深く整っているが武骨ともいえる。
体の線が細く可憐な印象を受けるヴェーラから、イーゴリとの共通点を探そうと目で追う。
が、途中でハッとした。
(いやいや…ジロジロ見すぎた!)
今日会ったばかりだというのに、ヴェーラを意識しすぎており、自分でも困ってしまった。
(この2人…恋人どうしってわけではなさそうだけど…)
だが、イーゴリがことあるごとにヴェーラへ声を掛け、彼女も淡々と応じる様子は「絶大な信頼」に見えた。
ケンジは心の中で「すごいな、この人」とヴェーラの仕事ぶりに感心した。
※
執務を終え、重々しい扉を後にしたケンジは、ふぅと息を吐きながら廊下を歩いていた。
慣れない仕事に神経を張り詰めていたせいで、心地よい疲労感が全身を包んでいる。
その時――前を歩く人物に気が付いた。
「……あれ、ヴェーラさん?」
彼女は誰かを待っているのか、そのまま館のホール入り口にとまった。
昼間はきっちりとまとめられていた髪が、肩の少し下まで流れるように下ろされている。
夕陽の光を受けてさらさらと揺れるその髪は、飾り気のない普段着――白いシャツにズボン姿ながら、不思議なほど映えて見えた。
普段のきりっとした姿との落差に、ケンジは思わず目を奪われる。
(うわ……髪下ろすと、こんなに可愛いんだ……!)
気づけば見惚れて足を止めてしまっていた。
そこへ後ろから、聞き慣れた低い声が響く。
「おう、新任か」
「……誰ですか?」
振り返った瞬間、ケンジの目はさらに大きく見開かれた。
そこに立っていたのは、髪を下ろしたイーゴリだった。
普段はきっちりと立てている髪が、耳のあたりで整えられ、さらさらと流れている。
重厚で威圧感のある団長の姿とは似ても似つかない――
一見すれば爽やかな好青年、美男子とすら言えるほどの容姿だった。
「イ、イーゴリ様!? 若く見えますね……!」
驚きのあまり、ケンジは素直な感想を口にしてしまう。
「充分若いぞ。二十三だ」
「俺と三つ違い!? 」
目をひん剥いたケンジは、自分の耳を疑った。
「お前等東洋人は童顔だな」
イーゴリはにやりと笑って金色の目を細め、見下ろしてくる。
身長も190センチ近くあるため、170センチ代のケンジとは大人と子供くらいの体格の差がある。
いや…これでも、祖国では平均身長なのだが。
「団長が老けす……いえ、なんでもないです!」
「……ほう?」
イーゴリの目が楽しげに細まり、手がすっと上がる。
「ま、まってください! そのデコピンはやめて! 絶対痛いやつですって! 額壊れると思います!」
「はっはっはっ! お望み通り割ってやろう!」
豪快に笑いながら、イーゴリはケンジの頭をがっしと掴み、額へ指先をぐいと近づける。
「いやいや望んでない! 俺一言も望んでないですからぁぁぁ!」
必死にもがくケンジを片手で押さえつけながら、イーゴリはますます愉快そうに笑った。
※
ひとしきりケンジをからかったあと、イーゴリは大きな手を放し、豪快に笑い声を響かせながら歩き出す。
ケンジは頭を押さえながら、涙目でその背中を追った。
ホールに差しかかると、そこにはヴェーラが静かに待っていた。
髪を下ろした姿のまま、柱の影に立つ彼女に気づいたイーゴリは、まるでそれが当然であるかのように声をかける。
「待たせたな」
ヴェーラは小さくうなずき、イーゴリの隣に並ぶ。
二人は何事もなかったかのように、当たり前のように歩き出した。
(え……え? な、なんでそんな自然に並んでるんですか? さっきまで団長の隣にいたのもヴェーラさんだし……仕事中もずっと一緒だし……っていうか、一緒に帰るの!?)
思考が追いつかず混乱するケンジを振り返り、イーゴリは苦笑する。
「おい、そんな顔をするな。親戚関係だ。一緒に住んでいるし……まあ、腐れ縁というやつだな」
イーゴリの説明に、ケンジはまだ半信半疑の顔でついていく。
横を歩くヴェーラは相変わらず無表情で、まるで慣れきっているかのようにイーゴリの歩幅に自然と合わせていた。
(やっぱり……自然すぎるんだよな、この二人……)
耐えきれず、ケンジはおそるおそる口を開いた。
「……あの、団長。ひとつ言っていいですか?」
「ん?」
「ヴェーラさんに構いすぎじゃないですか? 今日だって執務室で何回も声かけてましたよね。あれ、仕事中じゃなかったんですか?」
イーゴリは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに肩を揺らして豪快に笑いだした。
「はっはっは! ケンジ、お前、俺がヴェーラを口説いてると思ってるのか!」
「ち、ちがっ……そういうんじゃないですけど!」
「残念ながら俺は、少年愛の趣味はないからな! ヴェーラはほぼ胸…」
そう言い終わる前に、ヴェーラは無表情のままバシッとイーゴリの肩を叩いた。
さらに何度か肩を叩き続ける。
「おっ。ん? お? 怒ったか?」と、殴られるテンポに合わせて声を出し、イーゴリは嬉しそうにからかう。
目をかすかに釣り上げてイーゴリを睨むヴェーラは、いつもの無機質な表情と比べかわいらしかった。
「ヴェーラ!怒るな、怒るな。今日は俺が飯作ってやるから」
「いつものポークソテーなんていらない」
そのやり取りを見て、ケンジはさらに混乱した。
(……あまりに仲良すぎるだろ!でも、これが信頼関係ってやつか……)
しかし、23歳でこの威圧感……。
大学を飛び級で卒業し、頭脳に自信はあるはずの自分でも、この堂々とした佇まいと端正な顔立ち、鍛え上げられた体を見ると、圧倒されずにはいられない。
大人の男として、存在感と余裕を兼ね備えたイーゴリは、ただ年齢を聞いただけで、ケンジの中で羨望の対象となった。
新参者の自分でも、この二人の間に加わり、ここでやっていける――
その思いを胸に、ケンジは歩調を整えて、二人の後ろを静かに歩き出した。




