温泉街編3.温泉の地獄と極楽の間で
ようやくミハイル殿下登場です。
模擬戦のエピローグ
で、初登場。
そこから、イーゴリに絡むことなく何話もちょこちょこ出てきてはいたのですが(笑)
運び込んだ寝台に身体を横たわらせ、ポリーナは何度か乾いた咳を出していた。
連れてこられた異国情緒あふれる街なみ。
雪見障子から外を見ると、自然を模した中庭とそばの露天風呂から湯気が立ち込めている。
いつの間にか少し眠っていたようだ。
少し汗をかいた身体を起き上がらせ、サイドテーブルに置かれた水差しから一杯の水を汲んだ。
咳き込んだ王女の気配に気づき、仕えの侍女はすぐにコップを差し出す。
「…お兄様は…?」
青い顔でその場にいない兄を心配し、ポリーナは言った。
長旅で疲れているのは兄も同じはずで、着いた時は確かに部屋で配置等を指示していたはずだ。
先に外の温泉にでも入っているのだろうかと、思った時だった。
「今はお身体を休めてください」
ポリーナの質問には答えず、若く美しい騎士がそっと寝台の横に膝まづいていた。
紺碧の瞳と、兄やポリーナよりも華やかで煌めく金髪。
顔を彩る目や鼻眉の位置まで、完璧な均衡を保ち、造形されている。
侍女からガウンを受け取り、男は薄い寝間着一枚のポリーナの肩にそれを羽織らせた。
兄の行方を捜し何度か部屋を見渡すが、おそらく口止めされているのだろう。
ポリーナは弱々しくも、慈愛に満ちた笑みを二人の従者に浮かべて安心させる。
ここでワガママを言って兄を求めても、二人は困るだけで可哀想だ。
「…ごめんなさい。ちょっと気になっただけなの。ありがとう…気にかけてくれて」
お水を一杯飲み干すと、侍女は気を使うように「冷たいものに変えてきます」と部屋を出た。
騎士と二人きりになり、途端にポリーナの心臓は跳ね上がる。
男がこちらを熱っぽく見つめ、寝台に腰掛けてポリーナの頬に手を当ててきたからだった。
その距離の詰め方にまだ慣れない。
彼は、ひやりとした手で額の温度を測ると小さく「熱が上がったか…?」と体の心配をした。
流行り病にかかってから、熱は上がったり下がったりを繰り返している。
ポリーナの身体は衰弱し、肺の機能も落ちているせいか、少し動くだけで直ぐに息が上がり疲れてしまう。
目が合うと、初心なポリーナは恥ずかしそうに頬を赤くして微笑む。
反射的に我慢が効かず、騎士は抱きすくめるなり王女の唇を口で塞いだ。
久々の抱擁とキスに頭が沸騰し、衝動的にポリーナの口の中へ舌を絡ませる。
息を呑む彼女の反応に興奮し、吐息すら呑み込みながらさらに何度も中を貪った。
ようやく口を離すと、強く抱きしめてしばらく息を整えないと止まれなくなるほどだった。
「…っ…ポリーナ」
ミハイルが居ない時間は限られている。
心から彼女が欲しいと、体中が叫んでいた。
熱い身体で抱きすくめられ、ポリーナは高なる彼の心臓の音に、自分の身体も共鳴して脈打っているのがわかった。
余裕のない彼の顔を見たのは初めてで、抱きしめ返す。
「人が…」
「分かってる…」
離れなければ…
第一騎士団の団長、アレクサンドル・モーリャ。
彼はしばらく、身体を離すことができなかった。
※
イワンは確かに「殿下のいる宿へお越しいただきたい」そう言った。
しかし、それはこちらの反応を見るための一芝居だったのだろうか。
近づいてくる影の主を、ふすまの先で見つけたウラジミールの眼が、狼狽を隠せない。
まとう空気が、瞬時に変わったのがわかる。
少年騎士のオレグすら、現れた男の姿に身構えた。
「おいーーーケンジーーーー…!いい加減覚悟を決めて、俺の酒をもっと飲めぇぇ…!」
温泉のせいで体は温まり、良い感じ酒が回っているのか。
イーゴリの体からは、キレがなくなっていた。
悪魔のような上司のセクハラと、パワハラ、モラハラ…酒の強要。
世が世ならとっくに捕まっている蛮行を受けながら、同じく湯につかるケンジもぐったりしている。
上半身だけ露天風呂の岩肌に預け、綺麗なお姉さんに体を触られても振り払う元気もない。
「…童貞を捨てるタイミングくらい、自分で決めさせてくださ…うっ、気持ち悪ぃ…」
「おい。吐くなら、外でやれ!湯の中でしたら、殺すぞ!!」
様々な酒の種類を食事もとらずに摂取したせいか、胃の中がひっくり返りそうになった。
人をおもちゃにしておいて、殺すとはいかがなものか。
(こ…この糞上司!覚えてやがれ!)
大荒れの心でイーゴリを睨みつけたが、彼は悪びれもせず「汚ねぇなぁ!」と叫ぶ。
商売女の肩を抱き、湯に浮いた盆から酒をさらに注いだ。
「ったく、お前がノリが悪いせぇで酒がまずくなるじゃねぇか!もっと、殻を破れっ殻を!!市長様が用意してくださった、最高の接待の場だぞ!?」
普段の三倍以上の防着武人な発言を繰り返し、くだをまいて
酒を一気飲みする。
へらへら笑いながら両手で女を抱きかかえ「なぁ?そうだろ?」と王のようにふんぞり返っていた。
「…つまりだ!この俺の言うことはすなわち、王国のだな…?なんだ?…そう!王国だ!!」
最後は謎の力技でごまかし、大笑いした。
「酔っ払いじゃないですか!?ただの!!」
「うっせえぇぇぇ!!てめぇの4倍は飲んでんだぞ!?もっと俺を称えろ!!この俺の献身ぶりにぃぃぃぃーーー!!」
再び頭を押さえられ、湯の中へ沈められそうになった時だった。
「ーーーー ほう。貴様の発言は、王国そのものか」
※
聞きなれない声が、やけに静かになったその場を支配していた。
低く、よく通る声色は不思議と心地良さすらある。
後にそれは、人の心をつかむたすめの訓練された発声方法であったと知る。
ケンジは窪んだ湯の中で、湯けむりに浮かぶ男の立ち姿を見上げる形となった。
紅色の深みのある上着には、美しく贅の限りを尽くした金糸の刺繍が襟ぐりや袖口にふんだんにあしらわれていた。
そして、片肩に飾り紐がけられた外套は黒く、見事な色のコントラストを放っている。
それを均整の取れた肉体でまとい、すらりと伸びた足は体の半分以上を占めているように思えるほど長い。
細身の衣の下に隠された筋肉は、研磨された刃のようにしなやかで無駄がなかった。
その身体には、玉座よりも剣の重みが似合うと誰もが思った。
品性のある色香をまとい、肩の長さまで伸びた金色のくせ毛を揺らす。
男はイーゴリだけを見下ろしていた。
美しいがどこか濁った美酒のような雰囲気をまとう男の顔は、微笑みを浮かべている。
深い緑色の瞳は、凍てつく氷と同じ温度でイーゴリを映す。
目の前の騎士団長が自分の見越した男であるのか、算段するような目つきであった。
男の正体がわからずケンジは呆けていた。
しかし、イーゴリの顔つきを見て、一瞬にして冷たい刃の切っ先が喉元につきたてられたような緊張が走った。
めったに狼狽しないイーゴリの顔が、引きつったまま動けずにいる。
初めて見る騎士団長の冷や汗と、圧倒されるような気負い。
「ミハイル……王太子」
その名を耳にした瞬間、ケンジの思考が止まった。
湯の音さえ遠くに感じる。
(王太子……!?)
全身が硬直し、息を呑む音すら憚られた。
見上げることも失礼に感じ、慌てて湯の中で片膝をつき跪く。
ミハイルはケンジなど興味がないのか、特に反応はなかった。
彼は、イーゴリだけを見つめ観察している。
「イーゴリ・メドジェーヴェフだな?」
名前を確認され、イーゴリは王太子ミハイルの声に引き上げられるような感覚すら起こした。
イーゴリはミハイルについて、冷酷で恐ろしいほどに冷たい瞳であったことだけを記憶していた。
しかし、目の前の男はそれだけではない。
2年前に団長の就任式で出会った頃より、王太子のまとう王者としての気配は色濃くなっていた。
その場の人間をすべて制するような領域にまで、達している…ーーー。
「貴様の事は、先日の模擬戦から気になっておったのだ。ここで会えたのは、偶然とはいえ 俺にとっても幸運だった」
喉を鳴らし、ククっとくぐもった笑いがこぼれた。
微笑むとさらに圧がかかったように場を支配し、誰もが動けずにミハイルに注目を集めてしまう。
ミハイルの顔の造形は美しかったが、笑うとどこか歪みが出て揺らぎがある。
ケンジはそれは王太子の目が原因であると感じた。
彼の眼は笑っておらず、イーゴリを見抜いたまま決して視線を逸らさない。
「しかし…そんな不埒な恰好の貴様に声をかける事になるとはな?…なかなか面白いやつではないか」
半裸で温泉につかり、両手に女を抱きかかえたままでいる好色な騎士団長。
間抜けにもほどがあると言いたげに肩を揺らし、ミハイルは大冝座に笑い出した。
大声で笑う声が響き渡る中、イーゴリが動き出したのすぐであった。
※
「いやぁ……!これはこれは、失礼仕りましたぁ…っ」
ミハイルの笑い声に合わせるかのごとく、イーゴリが顔を手で覆い高笑いをかぶせてきたのである。
2人の女の肩を抱えて抱き寄せていたが、さらにケンジの近くにいた女まで抱えだす。
ミハイルの圧にかかって動けなくなっていた女たちの険しい顔をしげしげと見つめ、何か耳打ちした。
「ミハイル殿下もお人が悪い!!……そうなのです!私は、この通り一晩で何人も女を抱かなければ寝れぬ…絶倫でございましてぇ……!!」
周りとの違いをわざと見せつけるように、イーゴリはミハイルに跪かない。
大胆不敵に笑い、大柄な身体を悠々と起き上がらせて岩肌にそのまま背中を預けてさらにふんぞり返る。
おおよそ正気とは思えないその態度。
ケンジの前で、イーゴリは王族を相手にしているとは思えないほど、いつも通りだった。
そして、ミハイルが称えた模擬戦のイーゴリを再現するかのように、笑った。
大観衆と第二騎士団の前で見せた、神すら恐れぬ不敵な笑み。
狡猾で冷え立つ笑みは、ミハイルの支配に真っ向勝負する。
研ぎ澄まされた刃の上を歩くようなイーゴリの行動に、ケンジは目をそらせなくなる。
人を操る事にあまりにも長けている男は、濡れた手をミハイルに差し出した。
「ここは、極楽浄土ですぞ!どうです…!?殿下も裸になって、共に味わいませんか!?」
高笑いを響き渡らせ、イーゴリは断れるものなら断ってみせろと誘う。
そこには、絶対の自信が漲っていた。
ケンジは、湯の向こうに立つミハイルの笑みを見た。
笑っているのに、背筋が凍る。
王太子と第二騎士団長。
どちらが場を支配しているのか、一瞬わからなくなった。
次回は、少しヴェーラやケンジ視点でも話が進みそうです。
よろしくお願いします




