プロローグ 湯煙前夜 ― 第二騎士団、出陣前の惨劇 ―
ちょっとこの回から、ギャグ?に戻りつつ、王太子が絡む「温泉外編」となります。
ひさびさに出てきたケンジやオレグ達(笑)
ケンジが第二騎士団に書記官として入団し、約半年が経った。
季節は、王国にとって実り深い秋を過ぎている。
熟れた葉が落ち、景色はすでに寒空の冬を迎えていた。
王国は大陸の北欧に位置する。
冬の寒さは厳しく、それ以外の季節は淡く短い。
一年の大半を雪に覆われるこの国に、いよいよ氷と雪の季節が主役となっていた。
年の瀬が迫る中、ケンジはいつものように第二騎士団の館で書記官の制服に着替えていた。
この団には書記官が三人しかいない。
もちろん、専用の更衣室などない。
甲冑や剣が無造作に置かれた騎士たちの更衣室は、汗と油の匂いで満ちている。
(・・・小さい部屋でもいいから、別々にしてくれないかなぁ)
大柄な騎士達が騒ぎ、汗や油まみれになった服や靴も散乱している。
その何処か獣臭い部屋に、ため息が出た。
身体が資本の男達と、頭脳担当の自分。
どこまでも相容れない距離を感じる。
本日も、肩身の狭い着替えだった。
「おはようございます。ケンジさん」
私服姿の少年が、着替え終わったケンジに淡々と挨拶した。
オレグ・ヴォルコフ。
十六歳の少年騎士は、本日も淡々とした表情で出勤している。
亜麻色の短い髪には、降り始めた雪が濡れとして残っていた。
手編みらしい青いマフラーを、コートの上から首にぐるぐる巻きにしている。
「おはよう、オレグくん」
「……早いですね。俺たち、早番ですよ」
「もう一時間前に来るのが習慣になっちゃってね。新人の頃からだから、このサイクル」
苦笑すると、オレグは灰色の目でじっと見つめたままうなずいた。
彼は時間どおりの男だ。
遅刻も残業もせず、命令通りに動く。
しかし、誰よりも武功を挙げるため、それが格好よく見える。
『イーゴリ様が早く来いとか、残れというなら従います』
と、過去に淡々と述べ、先輩騎士の小言も鋼のメンタルでスルーするマイペースぶりだ。
「……最近、ケンジさんのそういう姿勢は見習いたいと思っています」
「おお、なんか照れるなぁ」
「でも、目覚まし時計かけたら、ぶん投げて壊しました」
「どうやって起きてんの!?」
思わず目をひんむき、とんでもない寝起きの悪さに突っ込んだ時だった。
どやどやと、一人の騎士が「おいーーー!!」と目をらんらんとさせて更衣室へ滑り込んできた。
名前は知らない。
二十代前半の男で、いつも何らかの話題を提供する。
通称「情報通」である。
彼はメモを片手に、早番の騎士達に叫んだ。
「今、団長から聞いたんだけどよ!!
俺たち明日から北方で蛮族の制圧に行くってよ!!
通称『温泉街』だぜ!!」
意味の分からない報告に、ケンジとオレグはぽかんとした。
※
温泉街――
そこは、王国でもひときわ異彩を放つ街だった。
北方の山岳地帯に抱かれ、霧のような湯煙が街全体を包み込む。
石畳の道には赤い灯籠が並び、異国の音楽と香が夜風に混ざる。
百年前、この地を治めた「ヴォストーク家」の祖
――東洋の将ショウ・サイジョウが、
かつて仕えた初代女王の命により、故郷の文化を再現したのが始まりだと伝えられている。
以後、百軒を超える温泉宿と花街が立ち並び、王国中の人々に“夢と放縦の街”として知られるようになった。
酒、湯、女。
この三つがそろえば、どんな男も理性を捨てる。
――少なくとも、第二騎士団の面々にとっては、戦場よりも恐ろしい任務地だった。
「おう。知っての通り、明日から遠征だ。
温泉街に、蛮族が悪さをしてるらしいからな」
執務室にて、第二騎士団の団長は上機嫌で腕を組んで応えた。
緊張感はほぼなく、ほかの騎士と同様に含み笑いまで起こして「いやぁ、早く行かねぇとなぁ」と困ったふりをしている。
机には、わかりやすいパンフレット。
異国情緒あふれる温泉につかる裸の男女、美女ばかりの宴席、お酒のカタログ…
白い目で固まりながら、ケンジは察した。
これって…
「……これ、遠征じゃなくて社員旅行ですよね!?」
イーゴリは満面の笑みで親指を立てる。
「まぁ、戦場にもいろんな形があるってことだ」
「温泉と酒と女が揃ってる戦場は聞いたことありません!!」
「頭の固い奴だなぁ。心の防具も鍛えとけ」
そして、同じく白い目で隣に立っているヴェーラの目の前で言った。
「ついでに童貞も卒業しろ。筆下ろしをさせてやるからな!!」
静寂のあと――
ケンジは抱えていた巨大な分厚いファイルでイーゴリの頭をしこたま殴り、ハァハァと肩で息をしていた。
怒りでもはや、無礼講である。
「行きません。ついでに、ここも辞めていいですか?」
「……ケンジさん、落ち着いてください。お気持ちはとても分かりますが……」
ヴェーラはかつてないほどイーゴリに呆れつつ、常識人のケンジをなだめていた。
静かに怒る彼ほど怖いものはない。
机に沈むイーゴリを横目に、ただ傍観していたオレグが垂直に手を挙げた。
「団長。質問です」
灰色の瞳が真面目に光る。
パンフレットを見つめながら、彼は言った。
「遠足と同じで……バナナはおやつに入りますか?」
「お前、往年のギャグかましたな!?!?」
「お前だけだオレグゥゥゥ! 俺の味方はお前しかいねぇぇぇ!!」
イーゴリは泣きながらオレグに抱きつく。
信じられない環境に、ついにケンジがキレ散らかした。
「おいおいおい!? なんなんだよここは!? 討伐と見せかけて花街のある温泉街に行くとか!?!?」
血走った目で机を叩き、きえええーーー!!と髪をかきむしる。
「だいたいなぁぁぁ!! 更衣室の環境からしてクソなんだよ!! 臭いし! 騎士どもから筋肉ハラスメント受け放題で!!
“筋肉ねぇのか”とか毎日言われて、こっちは神経すり減らしてんだよ!!!」
「筋肉はお前を裏切らんぞ!!筋トレしろ!!」
「黙れっっクズ!!!」
脳筋とインテリの悪魔合体を果たした上司に、ケンジは魂の絶叫をぶつけた。
「環境改善を要求します!!! 俺とヴェーラさんの書記官用の更衣室を用意しろっっ!!!」
※
静まり返る執務室。
イーゴリはしばし考え込み――やがて、にやりと笑った。
「へぇ〜、意識高ぇなケンジ。じゃあヴェーラの環境にも文句あんのか?」
イーゴリはあくびをかみ殺しながら、机の上の書類を指でトントンと揃えた。
余裕のイーゴリの表情は、ちらりと意味深にヴェーラに視線を送った。
視線を送られたヴェーラは苦笑している。
不思議な事に、その目に不満は無さそうである。
「文句あんのか?ヴェーラ?」
「…いえ、特には」
ほらな?と言わんばかりに、イーゴリはケンジに意地悪に絡む。
「特に無えらしいぞ?」
「…まさか、もう専用の部屋がヴェーラさんだけにあるんですか!?」
「専用だぁ?まぁな。ーーーここだよ」
イーゴリが当然のように執務室を親指で指した。
そして、そのまま広い部屋の片隅――ちいさなカーテンと衝立だけで仕切られた一角を指で示す。
にやりと悪魔が微笑み、ケンジに勝ち誇った。
ケンジの脳裏に、“執務机の向こうで制服を脱ぐヴェーラ”と、“にやけ顔でコーヒーを飲むイーゴリ”が同時再生された。
現実に戻るやいなや、叫ぶ。
「それっ!! 完全なのぞき行為じゃないですかぁぁぁぁぁ!!!」
「なに言ってんだ。カーテンで仕切ってるだろ。俺、見ねぇよ?」
「いや! カーテン越しとか関係ないんですって!!」
イーゴリはふんと鼻を鳴らし、腕を組んだ。
そして、わざとらしくヴェーラの体を上から下までゆっくり見やる。
「安心しろ。俺は“発育不全”には興味ねぇからな」
イーゴリは涼しい顔で胸の前を手のひらで水平にスッと撫で、
そのまま両腕で真っすぐな丸太を抱くような動きをしてみせた。
「こういう感じだろ? 寸胴で、まな板。抱き心地ゼロ。柱か?」
そのまま高らかに爆笑したイーゴリは、しつこいくらいに煽り続けた。
「まな板ありえねぇぇぇぇ!!!」
「抱いても反応ねぇぞ! スプリングゼロだ!!!」
涙を浮かべて机を叩いて笑う団長の姿は、もはや悪魔を通り越して動物だった。
ヴェーラの肩が、静かに――しかし確実に震えた。
その小さな震えは、地鳴りの前触れだった。
オレグが一歩、無言で下がる。
ケンジが息を呑む。
イーゴリだけが、まだ笑っていた。
「……そうですか。抱き心地ゼロ、ね」
にっこりと笑ったその瞬間、
書類バインダーが音速でイーゴリの後頭部にクリーンヒットした。
「ぐはぁっ!!?」
本日二回目の書記官からのファイル攻撃。
しかも角。
殺傷能力が高すぎて、ケンジが思わず悲鳴を上げる。
「凹凸のある子が大好きですもんね?
――ってか、さっさと死ねばいいのに。さよなら!!!」
凍てついた笑みを残し、ヴェーラはドアをバタん!!!と閉めて去った。
静まり返る執務室。
誰もが言葉を失い、紙の散乱する音だけが聞こえる。
ヴェーラの去ったドアを呆然と見つめるケンジと、ファイルを頭に乗せて沈黙するイーゴリ。
そんな中、場の空気をまったく読まない声がぽつりと響いた。
「あの……温泉街行って、とにかく楽しみませんか?」
少年オレグだけが、巻き込まれた感満載の顔で、大人たちをなぐさめるように言った。
沈黙。
「……オレグ。お前が一番たくましいよ」
ケンジは涙目でつぶやいた。
次回から、温泉街編本編となります(笑)
ケンジの突っ込みなどは本当にひさびさに書けて、楽しかったです。
「情報通」の名前はなんとなくありますが、しばらくはこの通り名で呼ぶかと。
第二騎士団は割と面白い人財がいて、クセがつよいイメージです(笑)
いつか機会があれば、そんな多くの団員も書きたいです。
そして、次回の温泉街編は暴走ハイテンション予定です。




