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女神の護符  作者: のはな
第二章
19/83

3.イーゴリの匂い


ヴェーラと喧嘩をしてから早3日。

未だに冷戦状態の続くヴェーラの冷たい態度に、ケンジは疲弊していた。

その日も、朝から謝ろうと思いヴェーラの近くでうろついたのだが…。

ヴェーラも気まずいのか、二人きりの執務ではチラリとケンジに視線をやり直ぐに避けて出ていかれてしまった。


(あ…別の部屋で書類かな…)


なんとなく、イーゴリの執務室かと思う。

保護者のようにヴェーラには甘い騎士団長は、書類作成に来たヴェーラを歓迎し、ニコニコ笑って「好きなだけここにいろ」と肩でも叩いていることだろう。


このまま、ずっと避けられてしまうのだろうか?


イーゴリに相談するわけにもいかず、ケンジはその日珍しく午前訓練のないスケジュールをひたすら書類作成と整理に追われて過ごした。


ヴェーラと仲良くしたい。

ただの同僚を超えたそんな気持ちを嘲笑うかのように、時間だけが過ぎていく。

働き始めて早3ヶ月。

ケンジは初めて、早く仕事を終えて帰りたいとすら思った。


唯一の安らぎは、中庭で昼食のサンドイッチを食べ、そこへつまみ食いに来た少年騎士のオレグと他愛もない会話をすること。


「はぁ…オレグくんがいてくれなきゃ、俺の胃が死んでるよ」

「はぁ…」


純朴な16歳は先ほどで騎士専門の食堂で食事を済ませてきていた。しかし、ケンジのサンドイッチは別腹と言わんばかりの食いっぷり。


「美味しいです」ともぐもぐ口を動かし、喧嘩しているヴェーラへの思いをグチグチと語るケンジの独り言をひたすら聞いている。


「大変ですね。謝り損ねなら、手紙でも書いたらどうです?」

「んん…なるほど。あり、かも?」


なんでこんなことに悩むんだと言わんばかりのきょとん顔で言われ、咳き込んで考えた。



オレグはサンドイッチを平らげ、指についたパンくずをぺろりと舐めた。


(…なんか、エロい仕草するよな)


年齢のわりに妙に色気のある舌の動かし方や仕草に、ケンジはつい目を逸らす。



「……ヴェーラさんは美人ですよね」


不意に真顔で言われて、ケンジはパンを噛んだまま固まった。


「ちょっと、その辺りのレベルで見かけないくらいの美人ですし。俺の好みです」


あまりにも率直な告白に、ケンジは慌てて咳き込む。


「けほっ、けほっ!? な、何をさらっと言ってんだよ!」


オレグは気にもせず、肩をすくめて淡々と続けた。


「でも、駄目です」


「……は? なんで?」


「イーゴリ様がいますから」


あまりにきっぱりとした口調に、ケンジは呆気にとられる。


「過保護だからって意味で……?」


「いえ。そういうのじゃない」


オレグは顎に指を添えて、獣のように目を細めた。


「……イーゴリ様の“匂い”です」


「……はいぃ!?」


ケンジは素っ頓狂な声をあげる。


「うまく説明できませんけど、ヴェーラさんからはイーゴリ様の匂いがします。

……強い獣が雌に印をつけるみたいに。

だから、もし俺が手を出したら――危険だって本能が言ってる」


ケンジは青ざめた顔で、16歳の少年を凝視した。

(やば……野生動物かよ、この子……!)


けれど、その言葉が耳に残る。

――獣が雌に印をつける。


(恋人でもないのに……マーキング、みたいなものか?)


彼は少し息を詰めた。

イーゴリとヴェーラは親戚同士。

長く同じ屋根の下に暮らし、彼は彼女を「保護者」として扱っている――はずだった。


だが、ただの保護者が、他の男を“排除”するような目で見るだろうか。

それを意識した途端、背筋がうすら寒くなる。


「つまり……誰か男がヴェーラさんに手を出したら……やばいってこと?」


オレグはしばし考え、軽く息を吐いた。


「そうですね」


短く同意しながら、彼は少しだけ言葉を探すように視線を上げた。


「……イーゴリ様は、軽率な男なら警戒し、排除しようとするでしょうね。

ケンジさんみたいに信頼してたら別ですけど」


「俺、信頼されてんの!?」


思わず裏返った声が出て、オレグがわずかに口元を緩める。


「でも……獣は、自分の“種”を好みの雌に植え付けますから。

――どの男でも嫌なんじゃないでしょうか」


その言葉に、ケンジの顔が真っ赤になった。

直接的な表現がオレグらしくて、逆に刺さる。


(……そんなふうに、思ってるのか?)


ヴェーラを常に守り、支え、時に叱りながらも優しいイーゴリ。

彼のどこにそんな執着が潜んでいるのか――ケンジには、まだ分からなかった。


けれど、もし本当にオレグの言うとおりなら。

あの“保護”の下にあるのは、ただの情ではなく――もっと危うい衝動だ。


同じ屋根の下で暮らす二人。

その均衡は、あまりにも薄氷だった。




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