2.ケンジの恋心
ヴェーラの挑戦
模擬戦後、ヴェーラは一つの挑戦をしていた。
彼女は、書記官として第二騎士団で働いているが、実務経験が1年を経過したことによりスキルアップすることにしたのだ。
一般的な書記官を下位とすれば、上級の資格が存在する。
それが、上級書記官である。
上級書記官は1級から3級まで存在し、最も位が高い1級は全体の数パーセントしか存在しない。王宮で働く書記官の多くは上級書記官であり、業務内容は一般的な書類作成に限らず法律に関したあらゆる業務に精通するエキスパートであった。
ヴェーラはまずは、3級の上級書記官の資格を得るために模擬戦後は王宮の研修を数日間に渡って受け、1ヶ月後の試験に向けて受験勉強をしていた。
しかし、その内容は2年の実務経験のスキルを総動員させても、難解なものばかりだ。
上司であるイーゴリに受験を許され、期待されている以上受験に失敗するわけにはいかない。
その大きなプレッシャーとなれない勉強で疲弊し、久々に職場の第二騎士団に戻ってくるなり言われた言葉。
『ヴェーラさん・・・疲れてます?』
よりによって、イーゴリの前でケンジに言われたせいで、ギリギリで保っていた気持ちがぷつりと切れかけて反応してしまった。
イーゴリは、上級書記官の受験をしたいと言ったときにすぐに怪訝な顔をしてそれを隠そうとはしなかった。
上級書記官に課せられるような業務内容をヴェーラには期待しておらず、日々の業務ですでに疲弊しているにもかかわらずなぜそのような茨の道を歩むのかと、合理的な考えがめぐっているのが分かった。
それでも挑戦してみたいとお願いしたことで、渋々承諾を得たのだ。
研修や勉強の時点ですでに疲弊していることを、悟られたくはなかった。
『・・・私に上級書記官は無理ということでしょうか!?』
八つ当たりのように、優しい同僚に言ってしまった。
戸惑った顔の東洋人は言い返せず、顔を真っ赤にして固まっていた。
後ろにいるイーゴリの顔は怖くて見れず、そのまま逃げるようにその場を後にした。
外の廊下へでて走る中、深い後悔がヴェーラを襲った。
※
「団長。ケンジさんが・・・ちょっと」
夕方の騎馬訓練にて、木枯らしが吹くなかでオレグが苦々しく言ってきた。
普段は無表情で他人の感情にも無関心な少年が、気に病むほどの落ち込みぶりをみたからである。
整列する騎馬兵の状態を一人一人確認する係のはずの書記官が、青い顔でぼそぼそと「はい、つぎ」「あ、そっちじゃなくて」と誘導もせずボードをもってふらふらしている。
ケンジのわかりやすい落ち込み具合に、ヴェーラとの一件を見ていたイーゴリも苦笑する。
「・・・やべぇな。股も裂けたが、心も裂けたか?」
通常は破天荒な下ネタを繰り返し、人を振り回す側のイーゴリが心配するほどだ。
心も裂けたという表現に「ええ・・・」とオレグも同調する。
ケンジのひどい状態に対して、他の騎士達のフォローに回るヴェーラは完全に無視を決め込んでいる。冷戦状態である。
そんな部下二人を、本日はたまたま王宮から第二騎士団の仕事に集中してくれているウラジミール上級書記官がなんとかバランスをとろうとフォローしている。
「ひどいな」
「ええ、本当に。喧嘩してもいいですが、迷惑はかけて欲しくはありませんな」
ウラジミールは申し訳なさそうにつぶやいた。
特にケンジは仕事でそこまで感情的になるタイプではない事は、この2ヶ月間働いてきてわかっている。
なんとかそれぞれの業務をこなし、訓練に対する影響か無い形で働いてくれているが・・・。
曇り空の下、乾いた風が砂塵を巻き上げていた。
騎士たちの訓練場では、掛け声と金属の音が響く。
中央に立つイーゴリは、無表情で全体を見渡していた。
目線の先 -ケンジが馬上からヴェーラへ何かを指示している。
彼女は資料を片手に真剣に頷き、その横顔が風に揺れる。
イーゴリは腕を組み、微動だにせず眺めていた。
どこか遠くを見ているような目。
まるで、そこに過去の記憶が重なっているようだった。
誰も、彼の胸の内を知らない。
ただ一人 -ウラジミールが横に並び、視線だけをそちらへ送る。
「……団長」
「なんだ」
「……気になるのかもしれません」
ケンジはヴェーラを女として意識している。
そんな野暮な言葉は使わず、その一言で表現した。
イーゴリの眉がわずかに動いた。
しかし、答えは一言だけだった。
「そうか」
それきり。
顔はその後も変わらず、二人を見ようともせず自分の騎士団だけを見据えた。
彼は何も言わず、前へ歩み出た。
整列する騎士たちの前に立ち、声を張る。
「全員、構え!」
その声はよく聞こえた。
秋風が吹き抜ける中、統制された動きで一斉に剣が上がる。
命令を下すイーゴリの背中は、誰よりも堂々としていて、
誰よりも -孤独だった。




