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女神の護符  作者: のはな
第一章
12/83

11.模擬線序盤〜女子会〜


模擬戦の日、2人は約束した場所で待ち合わせていた。


「あ。ヴェーラさーーん! 久しぶり!」


拍子抜けするほど明るい声が、見張り台の頂上まで駆け上がったヴェーラを迎えた。


模擬戦の舞台は王都の外れに広がる荒野。

周囲には木材で組まれた見張り台が等間隔に並び、そこから戦場全体を一望できるようになっている。

ヴェーラは息を切らしながら階段を登りきり、声の主へと歩み寄った。


頂上に立つのは、燃えるような赤髪を高く結い上げた少女――ナターリヤ。

第一騎士団の鎧を着こなし、男の騎士たちに混じっても引けを取らない堂々たる姿だった。


遠くからどす黒い雲が押し寄せ、灰色の影が荒野を覆い始めている。

湿った風が二人の髪を揺らし、これから始まる戦いへの緊張感をさらに煽り立てていた。


「ナターリヤさん……」


駆け寄ったヴェーラが名を呼ぶと、彼女は鮮やかな緑の瞳を細めて笑った。


ナターリヤは美しかった。

ヴェーラが柳のようにしなやかで上品な雰囲気をまとうなら、彼女は鍛え抜かれた野生の鹿。生命力に満ちあふれ、呼吸をするだけで周囲を活気づける。

陽光を浴びて輝く赤髪、野外での鍛錬を刻む健康的な肌、引き締まった四肢。どれもが力強く、生命そのものの躍動を体現していた。


眩しい笑みを見せられ、ヴェーラは思わず立ち止まる。

自分とは対照的――けれど、目を離せない。


「ごめんなさい、遅くなって。ちょっと最後の仕上げをしていて」


イーゴリに頼まれた書類をまとめて渡すのに手間取り、約束の時間を大きく過ぎてしまっていた。


「いいの、いいの! 気にしないで! 私なんて先に来て、ご飯食べちゃったくらいだから!」

ナターリヤは快活に笑い、甲冑の金具が軽やかに鳴った。


見張り台の途中には腰掛け用の板が張り出してあり、そこに布を広げてパンや果実水を並べていた。

重たい鎧をものともせず、彼女は慣れた手つきでひょいと登る。


「ほら、手」

差し出された長い指の少し大きな手。

ヴェーラは一瞬ためらったが、その温もりを握り返すと力強く引き上げられた。


「ありがとう」

礼を言い腰を下ろすと、ふわりと風が吹き抜け、二人の髪を揺らした。


ヴェーラは、彼女の隣に立つとどうしても自分の体格を意識してしまう。

背丈も華奢な体型も、普段は気にならないのに――ナターリヤと並ぶと「子供じみて見えるのでは」と胸がざわついた。


それは、ある記憶のせいだった。

訓練場の片隅で、イーゴリとナターリヤが肩を並べ談笑している姿。

飄々と笑う団長と、快活な赤髪の少女。誰が見ても釣り合う二人の光景が、ヴェーラの胸を締めつけた。


――思い出しただけで、言葉が喉に詰まる。




「いやぁー壮観壮観! みんな綺麗に並んじゃって! さっき、ヴェーラさんが来る前に兄様もイーゴリもカッコよく演説してたわよ!」

ナターリヤは食べかけのパンを頬張りながら、あっけらかんと笑った。


天真爛漫に食べすすめる彼女を横目に、ヴェーラはゆっくりとパンをちぎって口に運ぶ。自然と頬がゆるむ。


高台から見下ろせば、騎士団は東軍と西軍に分かれ布陣している。

第一騎士団は陣形を崩さず、ゆっくりと進軍していた。


「演説ですか」

「模擬とはいえ、相当気合い入ってるわね」

「……男の人は、いつもこういうことに燃えますから」

「そうそう。女は黙ってろってね。あれ、ムカつくよね!!」


思わずヴェーラは吹き出した。

イーゴリのことは気がかりだったが、ナターリヤの率直な言葉が胸を軽くした。


(……素直。こういうところ、好き)


イーゴリは女を戦場から遠ざける主義で、今回もヴェーラの同行は許されなかった。

ナターリヤも参戦を望んだが、兄には嫌な顔をされ、レオニードには「やめておけ」と突き放されたという。


「あーあ……ムカつくから、ここから野次でも飛ばしてやろうかしら」

「ふふっ」


「ヴェーラさんも!イーゴリのセクハラに一発文句の野次、一緒に飛ばそうよ!」

「本当そうですよね。ほとんど冗談とは言え、聞こえないふりするの大変なんですから」


呆れた顔でズバリと言い切るヴェーラに、ナターリヤは声をあげて笑った。


剣戟の音が荒野に響き、両軍が正面衝突する。

雨がパラパラと降り始め、灰色の空がますます低く垂れ込めた。

ヴェーラは用意した雨具をナターリヤに手渡しながら、戦況を見つめる。


イーゴリは大声で挑発を繰り返し、あえて道化を演じるように振る舞っていた。

反対にアレクサンドルは後方で陣を操り、静かに完璧な采配を見せている。


ヴェーラには分かる。

イーゴリは本来、合理的で冷静な人間だ。

だが、演じ続けているうちに――本当に血気盛んな団長へと変わりつつある。


(……頑張って。イーゴリ)



出陣前にもそう声をかけたとき、彼は高揚した瞳で「当たり前だろ!」と返した。



「ヴェーラさん、ごめん!」

「なんですか?」

「応援したいのが一人だけいるの! 叫んでいい!?」

「あ、うん」


所属する騎士団は違う。それでもヴェーラは構わないと頷いた。


「レオニードーーー!! がんばれーーーー!」


ナターリヤの声が荒野に響き渡り、膠着していた戦場に鋭い一撃を与えたかのように空気を震わせた。

一瞬、戦場の喧噪が止んだかのように思えた。


その名を呼ばれた瞬間、最前列にいた巨躯の騎士が振り返る。


黒尽くめの鎧をまとい、鉾を構えたまま微動だにしなかった“極北の獅子”レオニード。

彼の黒い瞳が高台の一点をとらえる。

わずかに眉が動いた。


それだけ――それだけなのに、兵たちの緊張が波紋のように広がる。


(……届いた)


ナターリヤは胸を張り、にかっと笑った。

彼女の無邪気な声援が、冷徹な獅子にわずかな温度を与えたのだ。


二人の確かな絆のようなものを見て、ヴェーラは微笑む。


「勝ったら山盛りのお肉を奢ってあげるって約束したのよ! 絶対にやり遂げるわ、あいつ!」

「……お肉、ですか」


ヴェーラは苦笑をこぼす。


そういえば以前、騎士団の食堂で無表情のまま鳥の丸焼きをひたすら食べ続けるレオニードを見たことがあった。

戦場での冷徹さとは違い、どこかぼんやりした様子で――本来は天然なのかもしれない。


ナターリヤは胸を張って続ける。

「ヴェーラさんは? 何か約束してあげた!? イーゴリに!」

「いえ、特には……」

言葉を濁すと、彼女は大げさに目を見開いた。


「ええー!? あいつにキスでもしてあげたら絶対喜ぶのに!」

「……無理です」

即答したヴェーラの頬が赤くなる。


「多分、この後は第二騎士団の皆を引き連れて……娼館にでも行くんじゃないでしょうか」


「うーわー、最低っ」


ナターリヤのあからさまな嫌悪に、ヴェーラも同意してうなづいた。

最低だ。だが、あまりに恒例すぎてもはや何とも思わなくなってきた。


「昔から、助平なところは病的ですから」


自嘲気味に呟くと、ナターリヤはちらりとヴェーラの横顔を見つめた。

その美しさと同時に、時々イーゴリが向ける独特の視線を思い出す。

ため息混じりに言葉がもれる。


「……こじれてるなぁ」


本命童貞。

そう表すしかない、どうしようもない男。



――そのとき。

戦場が大きく動いた。


前線での小競り合いが一気に広がり、鉄と鉄がぶつかる轟音が荒野を揺るがす。

雨が強くなり、土と血と汗の匂いが風に混じった。


「っ……!」

ヴェーラとナターリヤが同時に息を呑む。


西軍の最前列から、漆黒の馬にまたがる巨躯が躍り出た。

鉾を構えたその男――“極北の獅子”レオニードが、ついに駆け出したのだ。



「ついに来たか……!」


荒野を震わせる雷鳴のような鬨の声。

イーゴリは余裕を装った笑みを浮かべながら呟いた。


その視線の先には、西軍の先頭に立つ巨体の騎士――“極北の獅子”レオニード。

漆黒の馬を駆るその姿は、嵐をも従える暴風のようで、陽光を反射した鉾の刃が眩く煌めく。


「止めろ!」


イーゴリの号令と同時に、第二騎士団の重騎兵が分厚い盾を前に突き出し、壁を築いた。

雨上がりの泥濘を踏みしめながら、騎士たちは声を張り上げて前に進む。


――だが、レオニードの威容を前にして、ケンジの心臓は凍りついた。


(……っ! な、なんだ、この圧力は……!?)


わずか二ヶ月前にこの職に就いたばかり

模擬戦といえど、彼にとっては初めて「最前線に立つ」経験だった。


殺気の奔流は皮膚を突き破り、骨にまで響く。視界の端が暗くなり、思わず足が竦みそうになる。

必死に歯を食いしばり、拳を握りしめて踏みとどまった。


その横で、灰色の瞳をした若き狼が身を震わせる。

オレグ。

言葉一つなく、ただ鉾を構えて馬腹を蹴り、飛び出さんばかりに前傾する。


「……っ!」


獲物を前にした獣のように、呼吸は荒く、全身の筋肉が震えている。


「まだだ」


イーゴリの声が稲光のように響き渡った。

飄々とした笑みを崩さぬまま、その眼差しは冷徹で、オレグの焦りを正面から断ち切る。


「今じゃ潰される。まだ仕掛けるな」


オレグの拳がわずかに震える。

それでも、団長の声に従い、喉奥から低い息を吐き出す。

灰色の瞳には、待ちきれぬ衝動と「次こそは」という強い決意が宿っていた。


イーゴリはそんな弟子の様子を愉快そうに眺めつつ、顎を指で撫でた。


「……さて、獅子をどう料理してやるか。泥臭ぇが効き目はある。捕まえて、しっかり見世物にしてやるさ」


吹き上がる風が泥の匂いを運び、戦場の空気を一層重苦しくする。

第二騎士団の運命を賭けた仕掛けは、まだ誰にも知られていなかった。




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