いっぱい
セィムの頭が、沸騰してる。
──……ちゅう、してもらった。
救国のシァルさまに。
万年窓口な自分が。
ふあっふあの、やわらかな、くちびるで。
シァルさまの、とろけそうな香りにつつまれて。
ちゅう……!
狂喜と混乱に号泣しそうな目と、ぐらんぐらんする頭と、燃える頬と、燃えるまなじりで、セィムはシァルの大邸宅に足を踏みいれた。
「セィムの寝室は、俺のの隣ね」
微笑みながら、シァルが自室の隣の扉を開けてくれる。
「荷物を整理するの、手伝おうか」
やさしく聞いてくれるシァルに、首をふる。
「だ、だいじょうぶ。ありがとう」
下着とかシァルにさわられたら、ほんとに、憤死する──!
「じゃあ、居間にいるから、手伝いがいるときは呼んで」
『ちゅう、は……?』
聞きたくなって、耳まで燃えた。
……な、なななななな何を考えた──!?
心の臓が破裂しそうに、熱い。
血の管が脈打つ音が、耳元でうなる。
ぎゅうぎゅう、胸が、苦しくなる。
病気なのかと一瞬、疑ったセィムは、首をふる。
恋に落ちる、音がする。
吸う息まで、熱い。
燃える頬を包むてのひらまで、熱い。
切なく、くるしく、駆ける鼓動を抱えたセィムは、荷をほどきはじめた。
奢侈な装飾を削ぎ落とした洗練が香る部屋に、持ってきた服がみすぼらしく見えて、肩が落ちる。
「……ほんとうにここで暮らすのかな」
『伴侶になってほしい』シァルが言ってくれてからずっと、ありえない夢のなかにいるみたいだ。
ぽわぽわした頭と手と、どきどきする胸で、少ない荷をしまい終えたセィムは階下に降りる。すぐに気づいたシァルが、邸内にある魔道具や設備を教えてくれた。
シァルが暮らす大邸宅には、恐ろしいことに鍋も調味料も食材も何もなかった。
「あ、あの、シァルさま、何を食べて……?」
そうっと聞いたセィムに、シァルはふくれた。
「さまも禁止。言ったら二度と、ちゅうしてあげない」
死刑宣告されたように、セィムは跳びあがる。
「は、はい!い、今のは敬語じゃないから……!」
叫んだセィムに微笑んだシァルは、頭をなでてくれた。
ごつごつのてのひらが、やさしい。
「俺の食事は、選王宮の料理人が配達してくれるんだ」
さすが救国の英傑、選王と同じものを召しあがってる。
「じゃあ……シァル、は、それで。俺は勝手に料理していい?」
この輝かしいシァルさまを呼びすてるだなんて、くだけた口をきくだなんて、心の臓にめちゃくちゃわるい。
『シァル』口にすると、鼓動が跳ねる。
頬が、燃える。
「俺にも食べさせてくれるなら」
指をからめて握ってくれるシァルが、まぶしすぎて、つらい。
「きゅ、救国の英傑が召し……食べるようなもの、作れないけど……!」
敬語を使ったら、もう二度と、ちゅうしてくれない。
──今のは、だめだっただろうか。
泣きだしそうな目で見あげるセィムの頬に、やわらかな唇が降ってくる。
「セィムが作ったごはん、食べさせて」
ちゅ
あまい音が、やわらかなぬくもりが、頬にふれて、はなれてく。
最新鋭の設備なのに全く使われた形跡のない台所で、ぽわぽわ頭のセィムは料理をはじめた。
救国の英傑が自分の手料理を食べてくれると思うだけで、野菜と肉を香草で煮ただけの簡単な家庭料理を作る指が、ふるえてる。
「いい匂いだ」
とろけるように微笑んだシァルは、セィムの手料理を食べてくれた。
シァルの空の瞳がまるくなる。
「うまい」
とろけるように笑ってくれるシァルに、セィムの鼓動は大きく跳ねた。
恋に落ちる、音がする。
瞳が、うるんで。
あなたが、輝いて。
心が、あなたでいっぱいに、なってゆく。