……え……?
「セィムちゃんを、よくねぎらうように」
宰相閣下のお言葉に、国務院の皆といっしょに、ロイはうやうやしく手を胸にあてる。
「いつも頑張ってくれているので窓口手当をつけているのですが、さらに功労手当も付与しようと思います。
皆で感謝します!」
国務院の皆が、ぶんぶんうなずいてる。
宰相閣下は、たおやかにしか見えない眉をあげて、微笑んだ。
「セィムちゃんが休暇をとるときは、僕に通達するように。絶対に監査に来ないから」
……ひきつった。
うん、それは、だめな、あれでは?
ロイは総務部長として、渾身の笑みを浮かべる。
「宰相閣下といえど、職員の個人情報をお知らせするわけには参りません」
言ってやった……!
氷魔法で刺されそうだけど!
セィムのためなら、踏ん張るよ──!
見てて、セィム……! って、いないんだよぉおお……!
「…………は!? 僕は直属の上司なんだけど!」
はい、激おこいただきました。
冷たいです、宰相閣下。
会話の途中で、氷つぶてを投げつけるみたいに冷気を噴出させないでください。
びしびしする。
「お言葉ですが、直属の上司はわたくしです、宰相閣下」
ふん!
ロイは、思いきり胸を張った。
セィムを一番そばで見ているのは、この俺だ──!
「いやいやいやロイ部長、直属の上司は俺です」
手をあげた部下の課長を、視線で刺した。
黙った。
よろしい。
宰相閣下とバチバチしそうなロイの後ろで、甲冑の騎士たちが音をたてる。
誰かが報せを持ってきたらしい。
「あ、あの、宰相閣下、おそれながら申しあげます。
選王陛下から『はやくお戻りになるように』と、催促が」
たおやかな眉をあげた宰相は、護衛騎士の進言に吐息した。
「……仕方ないなあ。わがままなんだから」
ため息をつくくせに『求められてうれしい♡』と氷のかんばせに大書きしている。
こんな顔を見られるのも、宰相閣下がお仕えするのも選王陛下だけだとはいえ、氷細工の閣下が、本日は崩れすぎだ。
「国務院に監査に来ている宰相を呼びつけるだなんて、選王はちょっと職権乱用ぎみかな」
『……あなたが甘やかし放題だからでは?』
突っこんだら氷魔法で刺されることはわかりきっているので、黙った。
「……まあ、セィムちゃんが出勤の日しか宰相が来ないとなったら、抜き打ちの意味がなくなるから、仕方ないか……」
吐息した宰相の視線が、刺さる。
「まともなお茶を淹れられるようになりなさい」
『俺か──!』
仰け反ったロイは、うやうやしく手を胸にあてた。
「か、かしこまりました。尽力いたします」
『……なんで俺が。部長なんだけど』思いかけたロイは停止する。
そうか『ちゃんとしたお茶を淹れるように、宰相閣下から指導されたんだ。教えてくれ、セィム』と言えば、セィムと職務中にいちゃいちゃできるな……!
──よくやった、宰相閣下!
本日いちばんの指導だ!
皆も聞いたな!
よし!
そして『はやく帰って!』
国務院の職員一丸となって、目力を発揮する。
受けた宰相は、職員が総出でロイの後ろでまとめなおしてくれた書類にざっと目を通した。
……それだけで、ぜんぶが頭に入るらしい。
頭の出来がちがう、というのは、こういう人のことを言うのだと思う。
「よろしい。まあ国務院はよくがんばっているよ。この調子でね。嘆願も目を通しておく」
「ありがとうございます!」
国務院の職員一同でお見送りした。
真白な宰相閣下の馬車が見えなくなって、ようやく皆の肩から力が抜ける。
10年くらい、皆で一気に老けたと思う。
「よし、皆、よくがんばってくれた。
今月最大の嵐、宰相閣下がお帰りになった。
セィムのありがたみを噛みしめつつ、あとはもういつもどおり……」
ロイの励ましは、悲鳴に裂かれた。
「うぎゃあぁアァア──! とうちゃんが、いなくなったぁあアァ──!」
耳をつんざく大音量に、国務院の職員全員が固まった。
「……ま、迷子……?」
「迷子がなぜ、国務院に?」
あわあわ応対に出た新人が、ちっちゃい男の子にギャン泣きされてる。
「セィムにいちゃが、まいごになったら、いつでもおいでって、いってくれたもん!
とうちゃん、さがしてくれるってェエ──!」
…………うん、セィム。
きみはお堅いお役所国務院の窓口で、迷子のおとうさんまで捜してあげていたのか。
「今日飲むお薬は、どれだったかのう、セィムちゃん」
……おじいちゃんの投薬管理までしていたのか、セィム。
「あのう、セィムさんが、いつも窓口業務をしながら、してくださっている事務仕事すべてができていないので、本日の業務予定が、全く終わりません……」
真っ青な職員が、カタカタしてる。
「あぁあァアアア──! 税金を払わなきいけないのはわかってます、でも、お金が、お金がないんですぅううう──!」
わかったから泣き叫ぶのをやめてくれないかな、おにいさん!
国務院の皆で、泣きました。
終業の鐘が、待っても待っても鳴らないよう……!
こんなに、こんなに1日って、長かったのか──!
「帰ってきて、セィムぅうう──!」
選王都郊外にお住まいのシァルのご両親に
「国務院で窓口業務を担当しております、セィムと申します。
息子さんと、伴侶になりたいです!」
耳まで燃えて叫んだセィムは、生涯の山を登頂した気分だった。
「まあまあ」
「へぇえ」
『こういう男がすきなのか』の視線に刺されたシァルが真っ赤になっていて、めちゃくちゃかわいかった。
「めいっぱい、愛してあげてください」
微笑んでくれたから
「もちろんです! 俺以上にシァルを愛してる人は、いませんから!」
叫んで、シァルを抱きしめたら、真っ赤なシァルが泣きだした。
皆でなぐさめて、いっしょにご飯を食べた。
夢みたいに、しあわせだった。
選王都に帰ってきて、夕市で野菜やお肉を買って帰ろうとしたら、魔法使いユリ特製の、髪と瞳の色を変え、目立たなくする魔道具眼鏡を装着したシァルがセィムを引っ張ってきたのは、国務院だった。
扉から中をのぞくように、シァルに促されたセィムは、大混乱の国務院と皆の悲鳴に息をのむ。
「…………え…………?」
ぽかんとしているのだろうセィムの顔をのぞきこんだシァルは笑った。
「セィムがどんなに頼りにされてるか、わかった?」
まるですべてをわかっていたかのような、やさしい声だった。
セィムは、目の前で展開されている叫喚の国務院に、息をのむ。
「……で、でも、16年も、新人が担当する窓口で……」
「ちゃんと窓口手当をもらってたでしょう? そんなの、ふつうつかないから」
「……そ、そう、なの、か……?」
セィムはぽかんと、口をあける。
窓口業務をしていたら、窓口手当がもらえるんだと思ってた!
毎日のように泣き叫ばれるので、叫ばれ賃だと思って、ありがたくもらっていた。
あれは自分がしている仕事を評価してくれて、その対価として付与してくれたものだったのか。
『いつもありがとうな、セィム』
同期で部長なロイも
『わあ、お茶、おいしいです、セィムさん!』
一緒に働く職員も、セィムをねぎらってくれていた。
『いつも、とても仕事がやりやすい。ありがとう、セィムちゃん』
氷と呼ばれる宰相閣下も、微笑んでくださった。
『いつも、たすかります』
『ありがとうございます』
…………そうだ、皆、言ってくれていた。
聞き流してしまったのは、自分だ。
聞こうとしなかったのは、自分だった。




