氷の
大変だったけど、セィムがいない日1日目の大きな山が終わった。
これで後は何事もなく過ぎるだろうと、ロイが胸を撫でおろした瞬間だった。
ざわりと国務院に緊迫が走る。
護衛の騎士たちの甲冑が、白馬が、馬車が、見えてくる。
「宰相閣下、ご来院──!」
部下の声は、正しく悲鳴だった。
白い馬車の扉が開く。
馬車を降りてくる華奢な手を、騎士の甲冑の手がうやうやしく支えた。
清廉を表す真白な衣が、つややかな藍の髪を彩るようにひるがえる。
来た──!
月に一度の、抜き打ちの厄災が……!
よりにもよって、セィムのいない日にィイイ──!
涙目なロイは、すべての職務を放棄して即座に迎えに駆けつけた。
つややかな藍の長めの髪を揺らして、宰相閣下は繊細な硝子細工のようなかんばせで告げる。
「遅い」
涼やかどころか、凍てつく声が地を這った。
切れあがる藍の瞳に睥睨されると、喉まで凍る。
指先までたおやかで、まなじりは艶めき、こぼれる吐息まで色っぽいと噂の宰相閣下は、まだ大変お若い。
年齢を聞いた猛者は、魔法の氷で刺されたらしい。……お若くないのかもしれないが、見た目は大変お若い。
しゅっと細い腰とか、長めの髪がうなじに流れるさまとかに、うっとりしたり、侮ったりすると、物理的に氷魔法で刺される。
大陸でもわずかにしか使える人がいないという氷魔法を操る宰相閣下は、国務院の皆にとっては、色っぽくて輝かしいカィザ選王国の才智ではなく、恐怖の大王だ。
不正を見逃してたりしたら、刺される。物理的に。
こわい……!
ロイは凍てつきそうな喉をこじ開けた。
「ま、誠に申しわけございません……!」
とりあえず、謝る。
国務院、総務部長ロイにできることは、それだけだ。
『来たって聞いたから、すべての仕事を放り投げて駆けつけたのに、遅いって何だよ』とか口答えしたら、刺される。ぶっすり。
こわい……!
「セィムちゃんは?」
この冷徹な硝子細工の宰相閣下が『ちゃん』をつけるのはセィムだけだと思う。
短い闇の髪に闇の瞳に四角い眼鏡というセィムは、平々凡々っぽく埋没するからこそなのだろうか、いつもの穏やかな微笑みで癒しの力を獲得したのか、皆から『セィムちゃん』と慕われている。
整いすぎて一片の隙もないかんばせと、優秀すぎて誰もついてゆけない頭脳と、凍てつく睥睨で、氷の硝子細工とうたわれる宰相閣下にまで。
「セィムはただいま有給休暇をいただいております」
うやうやしく告げたら、宰相の細い眉があがる。
「きみがついにセィムちゃんを誘い、セィムちゃんが気もちわるくなって国務院を出ていった、とかじゃないだろうな?」
きもちわるいって言ったァア──!
涙ぐんだロイに、部下たちが笑うのをこらえるように口元に手をあててる。
『おい、そこ、笑うのかよ──!』
余計に泣きそうになったロイは、もごもご告げる。
「……断られたあとも、出勤してくれていました……」
しょんぼり真実を告げた。
「ぶは……!」
……って笑った!? 凍てつく宰相が!?
「誘ったんだ!」
いや喰いつかないで、宰相閣下!
氷のかんばせが、面白そうにほどけてる。
いつもならセィムしか見ることができない顔だが『わー、すごいなー、いいもの見れたー』とか鑑賞する余裕はロイにはなかった。
この話の流れでは、なぜ1週間もの有給休暇をセィムが所得したのかを言わねばならない。
氷の宰相閣下の応対をしてくれるのは、いつも、セィムだ。
凍てつく宰相閣下の、おそらく、お気に入りは、セィムだ。
『救国の英傑シァルさまと、伴侶になるあいさつに、ご両親のもとへ行きました』って言うのか、俺が──!
気が重くて地面にのめりこみそうだよ……!
セィム、お願いだから、自分で言って──!
氷魔法で刺されそうで、泣いちゃう。




