いとしい
「シァル……!」
かわいくて、愛しくてたまらなくて、セィムはシァルを抱きしめていた。
大きな身体が、鍛えあげられたたくましい身体が、シァルの尽力の結実が、とろけそうなほど、いとおしい。
「……きもち……」
『わるくない?』聞こうとしてしまったのだろう、あわてたように唇を引き結ぶシァルの髪をなでて、微笑んだ。
「いい子」
ちゅ
心配そうに揺れるシァルのまなじりに、あふれる気もちを抑えきれなくて、セィムは、そっと、くちびるを降らせた。
ちいさな耳朶が、紅に染まる。
はじめて、自分から口づけたことに、気づいた。
頬が、燃える。
……いやじゃ、なかったかな。
心配でのぞきこむシァルの空の瞳が、うっとり、あまく、うるんでる。
「かわいい、シァル」
唇からこぼれた言葉に、青の瞳が見開かれた。
「…………セィム……」
シァルの唇が、ふるえてる。
「最初から、言ってくれたらよかったのに」
他の誰にも言えないことでも、『伴侶になってほしい』言ってくれた自分には、自分にだけは、打ち明けてほしかった。
何も聞いていなかったから、シァルはずっと、やさしくセィムを導いて、あまやかしてくれていたから、抱きたい方なのだと思っていた。
……いや、違う。
セィムはずっと、シァルに甘えていた。
救国の英傑だから。大陸有数の強さだから。たくましいから。凛々しいから。
勝手にシァルの性格も、性的なこのみも決めつけて、シァルのほんとうを、何も見ようとしていなかった。
ただシァルの傍にいられることがうれしくて、とろけるように甘やかされて、与えられるさいわいを受けとるだけだった。
「……ごめんなさい。俺、シァルのこと、何も見てなかった」
またうるんできたセィムの目に、シァルの瞳が揺れる。
「わ、別れ、たい……?」
泣きだしそうな空の瞳を、ふるえる身体を、抱きしめる。
「それも、二度と聞かないで。
言ったら、二度とちゅうしてあげない」
おでこをくっつけて、ささやいた。
「……セィム……」
すがる身体を、抱きしめる。
「与えられるばかりで、甘えてばかりで、ほんとうにごめんなさい。
俺は全然シァルの恋人にふさわしくな──」
「そんなことない──!」
シァルの叫びに、言葉が途切れた。
「……言えなかったんだ。
セィムは俺に、頼りがいや、力強さや、包容力を求めてると思った。……あまやかしてほしい、抱いてほしいなんて言ったら、絶対恋人になんて、なってくれない。だからだますみたいに……俺のほうこそ、ごめん」
首をふったセィムは、大きな身体をちいさくするシァルのつむじに口づける。
恐れも、おびえも、自信のなさも、自分と同じなのかもしれない灰に染まった人生も、シァルの何もかもを、つつみたくて、だきしめる。
「シァルが俺の窓口に立ってくれた。『伴侶になってほしい』言ってくれた。
夢みたいなしあわせが、はじまったんだ」
「……俺も。
皆に微笑むセィムが、俺だけに笑ってくれるなんて、夢みたい」
──……あぁ、シァルはこんなにも、愛らしかったんだ。
今までの自分は、何を見ていたんだろう。
勝手に『救国の英傑』を創りあげて、偶像を崇拝していた。
目の前のシァルを、ほんとうのシァルを、見ようとせずに。
だから、シァルは、言えなかったんだ。
「ごめん、シァル……!」
滝の涙で謝るセィムに、シァルは首をふった。
「『救国の英傑』を利用したら、セィムは引っかかってくれるかもしれないと思った。
かっこよくセィムを甘やかして、俺を見てくれたら、俺をすきになってくれたら……セィムにだけは、言えるかもしれない、そう思って……」
シァルの言葉が、セィムの胸に消えてゆく。
「伴侶になってほしいセィムにだけは、俺の、ほんとうを、知ってほしかった。
それで、俺が、きらいになっても」
ふるえる身体を、だきしめる。
「あいしてる」
ささやいたら、シァルの瞳から、涙がこぼれた。
「だいすきだよ、かわいい、シァル」
ちゅ
ちゅ
あふれる涙に、くちびるを降らせるたび、シァルの顔からおびえが、自信のなさが、消えてゆく。
なのに逆に、たくましいシァルを支えるだけで、ぷるぷるする腕のセィムのなかには心配が生まれてきた。
「……でもシァル、俺の筋肉は家事と事務の分しかない。
シァルを満足させてあげることが、できないかもしれない。
抱いてほしいなら、俺よりもっと屈強でたくましい騎士とかのほうがいいんじゃ……」
情けなく眉をさげるセィムに、シァルは首をふる。
「皆、俺より弱いんだ。
むだな筋肉だ、と思うと、めちゃくちゃなえる」
………なるほど……?
「自分にないものに、あこがれるって、あるだろう?
俺には細かい仕事、特に事務とかできないし、どんな人にも穏やかな笑顔とか絶対に無理だし」
シァルの頬が、紅に染まる。
「……眼鏡とか、細い腰とか、長くて細い指とか、かっこよくて……セィムを見るたびに、きゅんきゅんしてた。
こんな人に抱いてもらえたらって……俺……」
ぎゅうぎゅう抱きついてくれるシァルに、きゅんきゅんするから──!
「あぁもう、シァル、かわいすぎる……!」
ぎゅうぎゅう抱きしめたら、シァルの耳が朱くなる。
「……ほんと?やじゃない?」
まだ頼りなげに揺れる瞳を、だきしめる。
「それも二度と聞いたらだめ。
シァルは、めちゃくちゃかわいい」
ぐりぐりちいさな頭をなでたら、くすぐったそうに、はずかしそうに、とろけるように笑ってくれる。
「……ずっと、唇に口づけてくれなかったから、やっぱり俺とは無理なんだろうと思ってた」
ちいさな声でささやいたセィムに、目を見開いたシァルが首をふる。
「……俺、ずっとセィムに……して、ほしくて……」
耳まで真っ赤になってうつむくシァルに、セィムの視界が涙で揺れる。
「ごめん、シァル。ほんとにごめん。
俺、何にも聞かないで、シァルのこと決めつけた」
シァルは首をふった。
「……俺も言えなかった、から……」
胸に額をすりつけるように甘えるシァルを、抱きよせる。
ほんの一瞬前までシァルと別れなくてはいけないと思いこみ、穿孔が開いただろう胃が急速に回復してゆく。
はらわたを撃ちぬく痛みが、しあわせに変わってゆく。




