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「食中毒事件をおこした本人がマダムですね。不本意にも罪をなすりつけられたマダムは、当時、シトロンタルトをもちよったクロッカスだった」
「そうよ、その通り。わたしはクロッカス。亡くなったのはマグノリア。スイセン、ヒヤシンスは生き残った友人よ」
マダムは微笑んだ。
「すぐにお分かりになった?」
「ええ。あまりに臨場感がありましたからね。それに、あなたの言葉には外国のなまりがあった。30年も外国にいれば、なまりもするでしょう」
「どこか変なとこがあったかしら?」
「『サロン』を『サローット』とおっしゃっていました。それはあなたがサロンを知らなかったわけじゃない。なまりが出てしまったのです。流行りにうとい方なら、帽子にこんなコサージュはつけませんからね。『サローット』は外国の発音です」
「まいったわ。可愛らしいご令嬢だと思っていたけれど、まるで知恵者の鷹のようね。あら、もう幕があがるわ。私にも最後に考えさせて。あなたには犯人が分かっているだろうけれど」
劇は恋の劇だった。三角関係の男女の会話がいいところで、前編が終わった。
休憩の幕間。
「犯人が分かったわ」
と、マダムが言った。
「はい」
「あの二人でしょう」
と、マダムは降参したように静かに言った。
「どうしてそう思われるのですか」
と、ローラは尋ねた。
「実は、スイセンはマグノリアの当時の婚約者と結婚したの。そしてヒヤシンスは、昔の私の恋人と結婚したのよ」
ローラは息をのんだ。
女って怖い、と喉まで出かかった。
「こちらに久々に戻ってきて、それを知ったの。それもそうだろうと思ったわ。だって、私はケーキに毒なんて入れていないのだもの」
「ええ、そうですね」
「それならカップに入っているか、皿についているか、どちらかでしょう。だけど、いくら考えても分からなかった」
マダムは両の手をあげた。
「皿もカップもその場で選んだわ。描かれている模様は違ったけれど、すべて美しいカップだった。薄手の白磁で、縁にシルバーの細工がしてあった。銀の幾何学的な装飾がしてあったのよ。皿も銀」
「そして、銀は色が変わらなかった」
「ええ」
「つまり、毒は皿にもカップにも無かった。分かりやすいですね、あまりにも。古代から毒に反応するために食器には銀が使われた。まるで、カップや皿には毒が入っていないと思わせるようなわざとらしさですわ。子どもらしいというのでしょうか」
マダムの顔色が変わった。
「でも、それなら残っているのは葡萄とサンドイッチとタルトだけだわ」
「サンドイッチは除外しましょう」
「どうして」
「あなたはタルトと葡萄を皿に乗せたと言いました」
「そう。そうだわ、サンドイッチはかごに入っていた。マグノリアが持ってきていたかごから、そのまま手でとって食べたわ」
「それなら毒を入れようがありません。マグノリアが自殺するつもりだったなら別ですが」
「そんなはずないわ! あの子はとても信心深くて、そんな反道徳的なことは嫌っていた。それに、婚約を控えていたのよ。あれは、あの子のためのパーティーだった」
「タルトは銀の皿に乗せて、ナイフで切ったのですね」
「ええ。その通りよ」
「切ったのは、どちらですか? もしもパーティーをしたのがスイセンの家ならば、おそらくヒヤシンスと呼ばれていた少女じゃありませんか」
「あなたは魔女か何かなの? それとも占い師?」
マダムは足を組んだ。
「ええそうよ、ヒヤシンスが切ったわ。スイセンにうながされるようにして、刃こぼれしたら怖いと言いながら。どうして?」
「あなたは、こわごわ『見守った』と言いました」
「ええ、そうね」
「自分が切ったのならばそんな言い方はしません。無意識の言葉に真実は潜んでいるのです。それならば、切ったのは二人のうちどちらかですね。そして、ケーキを皿に入れた」
「ええ。綺麗に切ってくれたし、刃こぼれもしなかったわ」
「金のナイフが?」
「ええ。そう」
「刃こぼれしていたらよかったですね。そうすれば見る人が見れば、刃についた毒に気付いたかもしれない」
「何といったの」
「毒はナイフについていたんです。ナイフの片側に」
「どういうこと」
「食器は銀。カップも銀。それなのにナイフは金。ここに毒がついていますと言っているようなものです。金は毒に反応しませんからね。いかにも子供が考え付きそうなことです。非常に幼稚でわがままな、スイセンの姿が見えるようです」
「だけど、私たちは皆、あのケーキを食べたのよ」
「ええ。ですから、片側だけについていたんです。半分にすれば左側の二つに毒はつく。もう半分に切ると、4つのケーキのピースができます。1つは右面も左面にも毒がついている。2つは片面にだけ毒がついている。最後の1つは無毒。あなたたちの症状と一致しませんか?」
「まさか」
「そう、あなたが食べたのは無毒のケーキだった。だから症状が出なかったのです。食中毒に免疫なんてありませんよ。シトロン中毒でもない。生き残ったご令嬢は、致死量には満たない毒を接種したので嘔吐したのです。そして、マグノリアは悲しいかな、たっぷりと両面に毒の付着したピースを食べてしまった」
「どうして、どうしてそんなことを」
「彼女たちも必死だったのでしょう。恋に狂った少女たちがどうなるか、この劇でも分かるでしょう? 毒はきっと、庭のジギタリスでしょうね。あれは美しい花ですが、猛毒です。薬にもなりますけれど、致死量を超えれば毒ですよ。銀食器についたって色は変わらないのですけれど、少女は知らなかったのでしょうねぇ。ああ、そろそろ続きが始まってしまいますよ。続きは見ないのですか?」
「三角関係の結末がどうなるかなんて、この年になれば想像できるわ。ごめんなさいね、今日はこれで失礼するわ。すぐにやらなくてはいけないことができたから」
「マダム、さしでがましいですが、早まったことはしないでくださいね」
マダムは微笑んだ。
「安心して、金のナイフで刺し殺したりしないわ」
「ええ。あなたはそんな方だと信じています。スイセンとヒヤシンスは有毒です。だけどマグノリアとクロッカスには毒がありませんもの」
マダムは丸いぼうしを指先でちょいちょいと直した。
「マグノリアは美しい少女だったわ。私たち、まだ見たことのない結婚に夢を見ていた。あの頃は本当に楽しかったわ。あのね、クロッカスにも毒があるのよ。ええ、園芸用にはないの。野性のクロッカスにだけ、毒ができるのよ。私も外国に一人出ていって、野性的になってしまったかもしれないわ」
幕間の休憩から戻った人々が着席し始める。
マダムは優雅に立ち上がった。
「手紙を送るわ、匿名で。昔マグノリアがつけていた、思い出の香水の匂いをしのばせて。自分の妻が殺人を犯していたと分かったら二人の夫はどうするでしょうね? 人間として軽蔑するかしら、それとも変わらず愛しいと思うかしら?」
マダムの唇が弧を描く。
「結末はどうだっていいの。私は小金持ちのしがないオールドミスだから外国にもいくつか家があるし、そちらに戻ってこのことは秘めておくわ。実は店もあるのよ、お菓子の店。結構繁盛していたの、もう弟子に譲ってしまったけれどね。結婚しても、しなくても、私には私なりの幸福があったわ」
「ええ。マダム」
「あなたが噂の菫の妖精ね。対価は何が良いかしら。今つけている宝石でもいい? 母の形見の品だからデザインが古臭いけど」
「いいえ、もう頂きました」
「あら、まだ何も」
「先人の有用な忠告は宝ですわ」
「そんなのいけないわ。何かお願い、おっしゃって」
「それなら、一つお願いがあるんです……」
*
ルシアンに冷たくしてごめんと謝ったローラは、耳まで真っ赤になっていた。
寒さばかりのせいではない。
ローラは言い訳するように唇をとがらせた。
「後悔しないようにと言われて」
「私も言い過ぎましたね。長いことお嬢様を見守っていると、差し出がましいことを言いたくなるのです。お許しください」
「分かってるわ」
ルシアンの長い腕がローラにコートを着せる。
「そうそう、来週末すてきなご婦人からタルト・シトロンが届くの」
「タルトですか」
「ええ。甘さは控えめにお願いしたから、あなたも食べられるわ。もちろん、毒なんて入ってないわよ」
「最後の一言が余計なんですよね」
「あら、これくらいじゃないと、私じゃないでしょう」
「おかしな自信をつけて帰ってこないでください」
「ふふ、ルシアンも、そうでないとルシアンじゃないわね」
ローラを乗せた馬車は、石畳の夜道をカタコトと軽快な音をたてて進んだ。
街灯の灯りがほんのりと、車輪のふちを照らし出す。
ルシアンと食べるタルトはどんな味がするだろうか。
食べ終わったあとに、今日のご婦人の話をしたら、びっくりするだろうか。
ずいぶん年上の冷静な男が、静かに表情を変えるのはものすごく楽しい。
ローラのひそやかな趣味は、まだまだ続くのだった。
END




