表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伯爵令嬢ローラの秘めやかな趣味  作者: 丹空 舞


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/8

ローラはハンカチを握りしめたまま、マダムの目をじっと見つめた。


マダムの声は優しいが、どこか哀しみを含んでいる。

丸い帽子につけた流行りの銀の羽のコサージュが、劇場のあかりを映して涙のようにきらりと光った。





「実は……その話を聞いてくださるかしら」


マダムは声を潜めるように言った。





「若い頃のことなのだけれど、私たちには、今のような……サローット? いえ、サロンというのね? そんな場所はなかったの。だから、私的な茶話会を開くのが常だったわ。お互いの家に招いて、晴れた日にお気に入りのティーセットを出して、何でもないことを語って笑ったわ」



ローラは身を乗り出した。


目の前の貴婦人から、どんな物語が紡がれるのか。


劇の幕があがるように胸が高鳴る。





「持ち寄ったお茶に、ケーキを添えてね。私は覚えているわ、シトロンのタルトだった。ええ、もちろん。デルフィニウムとジギタリスの花が鮮やかな、初夏のパーティーだったわ」


マダムの声がかすかに熱を帯びる。



「婚約を祝うパーティーだったから、いつもより豪華にしましょうと話をしていたの。皆で持ち寄って……シトロンタルトは四等分して、皆で分けたのよ」



マダムの声は少し震えていた。



「食べた後、悲劇が起こったわ。一人は元気で何ともなかったけど、二人は具合が悪くなった。最後の一人は……そのまま亡くなってしまったの」




ローラは自然と息を飲んだ。

楽しい友人同士の茶話会が、凄惨な現場になってしまったとはやりきれない。




「そう……ごく弱い毒だったらしいの。食中毒かもしれない。だけど、あのシトロンのタルトに毒は入っていなかった。そんなもの、入れるはずがないのよ」


「……だけど、『当時』はそうではなかった」

と、ローラ。


マダムはうなずいた。


「ええ。ティーだって皆で同じポットのものを飲んだわ。カップも、皆でその場で選んだのよ。婚約を祝うパーティーだから、その家で一番高価なものを使ったの。銀の皿に、タルトや葡萄を乗せてお姫様気分だったわ。じゃんけんをして、気に入ったものをそれぞれ手に取ったのよ。亡くなった子は最初にカップを選んでいたわ。縁に銀が装飾された美しいカップだった」


「タルトはどのように?」


「ホールをそのまま切り分けたわ。ばかみたいだけど、それもその家で一番高級なナイフを使ったの。金の柄にダイヤがはめ込まれていてね、さすがにドキドキしながら見守ったわ。刃こぼれでもしたらどうしよう、って」


「ええ、気持ちはわかります」


「パーティーをした家の子は貴族の中でもかなり良い羽振りをしていたわ。少しわがままなところはあったけど、子供らしくてかわいい子だった。私だって似たようなものだったかもしれないわ」


「マダムはきっと、小さなころから上品だったと思いますわ」


「あら、お上手ね」


ローラは、ヴァレリアン公爵家の調度品の数々を思い浮かべた。

平民一人の生涯賃金ほどの値がつく壺やら、絵画やらというものは、あるところにはあるもので、本当に存在するのだ。



「タルトを持ってきた子は、毒を入れたことを疑われてしまったの。その子はお菓子を作るのが好きで、シトロンタルトは彼女の作品だった。食中毒? これまでずっと、大丈夫だったのに? 彼女は深く悲しんで、外国へ行ってしまった……そして長い年月が経った」


マダムの目が一瞬遠くを見つめた。


「毒にあたった二人は回復したわ。二人とも、実家の近くで婚約して結婚した。少女たちはみんな、偶然にも春生まれだったの。スイセン、ヒヤシンス、クロッカス、マグノリア……遊び心で、お互いを花の名前で呼んでいたわ。スイセンの少女の家でのパーティーだった。ヒヤシンスの少女は、それぞれの花にちなんだティーセットを用意してくれた。クロッカスがシトロン・タルトを焼いて、マグノリアの少女がサンドイッチと葡萄を持ってきた」



マダムは深く息をつく。



「彼女は……大好きなお菓子で誰かを殺そうなんて子じゃなかったの。でも、どこに毒が混ざったのか、誰が、どうして……それが分からないのよ」





ローラは静かに、そして確信を持って頷いた。


「分かりますよ、マダム」


彼女の声は柔らかく、しかし迷いがない。


「まさか」


マダムは驚いたように目を見開き、そしてほんの少し微笑んだ。


「この30年考えても分からなかったわ」


「物事には向き不向きがあります。私は生まれ変わっても、シトロンタルトは焼けません。正直なところ、料理は苦手なのです。私は少しばかり、他の人よりもこのような……淑女としては公言できない、推理気質のようなものがあるのです。淑女として、ケーキの一つも上手に焼けない代わりには、足りないかもしれませんが」



言っていて悲しくなってきた。

ローラはふと、御者席に残って待っているであろう、従者の顔を思い出した。彼の言う通りだ。中流の貴族の淑女としては、ピクニックやらパーティーやらに持っていく菓子の一つくらい、自分で用意できなければみっともないだろう。同僚のエレーヌは、専属のコックにもひけをとらないくらいに上手に焼き菓子を作る。


でも、今更自分を変えることはできない。

マダムに語りながら、ローラは痛感した。


良くも悪くも、ローラはローラでしかない。


自分から推理をなくしてしまったら、骨を抜かれた魚のようになって、ただのぐにゃぐにゃの躯になってしまうだろう。


幕があがってしまえば、劇は続けなければならないのだ。


心の中で従者に詫びながら、ローラは下唇を微かに舐めた。









「シトロン・タルトを焼いた、可哀そうなクロッカスは――あなたですね。マダム」





マダムがパチリとまばたきをした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ