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ローラはハンカチを握りしめたまま、マダムの目をじっと見つめた。
マダムの声は優しいが、どこか哀しみを含んでいる。
丸い帽子につけた流行りの銀の羽のコサージュが、劇場のあかりを映して涙のようにきらりと光った。
「実は……その話を聞いてくださるかしら」
マダムは声を潜めるように言った。
「若い頃のことなのだけれど、私たちには、今のような……サローット? いえ、サロンというのね? そんな場所はなかったの。だから、私的な茶話会を開くのが常だったわ。お互いの家に招いて、晴れた日にお気に入りのティーセットを出して、何でもないことを語って笑ったわ」
ローラは身を乗り出した。
目の前の貴婦人から、どんな物語が紡がれるのか。
劇の幕があがるように胸が高鳴る。
「持ち寄ったお茶に、ケーキを添えてね。私は覚えているわ、シトロンのタルトだった。ええ、もちろん。デルフィニウムとジギタリスの花が鮮やかな、初夏のパーティーだったわ」
マダムの声がかすかに熱を帯びる。
「婚約を祝うパーティーだったから、いつもより豪華にしましょうと話をしていたの。皆で持ち寄って……シトロンタルトは四等分して、皆で分けたのよ」
マダムの声は少し震えていた。
「食べた後、悲劇が起こったわ。一人は元気で何ともなかったけど、二人は具合が悪くなった。最後の一人は……そのまま亡くなってしまったの」
ローラは自然と息を飲んだ。
楽しい友人同士の茶話会が、凄惨な現場になってしまったとはやりきれない。
「そう……ごく弱い毒だったらしいの。食中毒かもしれない。だけど、あのシトロンのタルトに毒は入っていなかった。そんなもの、入れるはずがないのよ」
「……だけど、『当時』はそうではなかった」
と、ローラ。
マダムはうなずいた。
「ええ。ティーだって皆で同じポットのものを飲んだわ。カップも、皆でその場で選んだのよ。婚約を祝うパーティーだから、その家で一番高価なものを使ったの。銀の皿に、タルトや葡萄を乗せてお姫様気分だったわ。じゃんけんをして、気に入ったものをそれぞれ手に取ったのよ。亡くなった子は最初にカップを選んでいたわ。縁に銀が装飾された美しいカップだった」
「タルトはどのように?」
「ホールをそのまま切り分けたわ。ばかみたいだけど、それもその家で一番高級なナイフを使ったの。金の柄にダイヤがはめ込まれていてね、さすがにドキドキしながら見守ったわ。刃こぼれでもしたらどうしよう、って」
「ええ、気持ちはわかります」
「パーティーをした家の子は貴族の中でもかなり良い羽振りをしていたわ。少しわがままなところはあったけど、子供らしくてかわいい子だった。私だって似たようなものだったかもしれないわ」
「マダムはきっと、小さなころから上品だったと思いますわ」
「あら、お上手ね」
ローラは、ヴァレリアン公爵家の調度品の数々を思い浮かべた。
平民一人の生涯賃金ほどの値がつく壺やら、絵画やらというものは、あるところにはあるもので、本当に存在するのだ。
「タルトを持ってきた子は、毒を入れたことを疑われてしまったの。その子はお菓子を作るのが好きで、シトロンタルトは彼女の作品だった。食中毒? これまでずっと、大丈夫だったのに? 彼女は深く悲しんで、外国へ行ってしまった……そして長い年月が経った」
マダムの目が一瞬遠くを見つめた。
「毒にあたった二人は回復したわ。二人とも、実家の近くで婚約して結婚した。少女たちはみんな、偶然にも春生まれだったの。スイセン、ヒヤシンス、クロッカス、マグノリア……遊び心で、お互いを花の名前で呼んでいたわ。スイセンの少女の家でのパーティーだった。ヒヤシンスの少女は、それぞれの花にちなんだティーセットを用意してくれた。クロッカスがシトロン・タルトを焼いて、マグノリアの少女がサンドイッチと葡萄を持ってきた」
マダムは深く息をつく。
「彼女は……大好きなお菓子で誰かを殺そうなんて子じゃなかったの。でも、どこに毒が混ざったのか、誰が、どうして……それが分からないのよ」
ローラは静かに、そして確信を持って頷いた。
「分かりますよ、マダム」
彼女の声は柔らかく、しかし迷いがない。
「まさか」
マダムは驚いたように目を見開き、そしてほんの少し微笑んだ。
「この30年考えても分からなかったわ」
「物事には向き不向きがあります。私は生まれ変わっても、シトロンタルトは焼けません。正直なところ、料理は苦手なのです。私は少しばかり、他の人よりもこのような……淑女としては公言できない、推理気質のようなものがあるのです。淑女として、ケーキの一つも上手に焼けない代わりには、足りないかもしれませんが」
言っていて悲しくなってきた。
ローラはふと、御者席に残って待っているであろう、従者の顔を思い出した。彼の言う通りだ。中流の貴族の淑女としては、ピクニックやらパーティーやらに持っていく菓子の一つくらい、自分で用意できなければみっともないだろう。同僚のエレーヌは、専属のコックにもひけをとらないくらいに上手に焼き菓子を作る。
でも、今更自分を変えることはできない。
マダムに語りながら、ローラは痛感した。
良くも悪くも、ローラはローラでしかない。
自分から推理をなくしてしまったら、骨を抜かれた魚のようになって、ただのぐにゃぐにゃの躯になってしまうだろう。
幕があがってしまえば、劇は続けなければならないのだ。
心の中で従者に詫びながら、ローラは下唇を微かに舐めた。
「シトロン・タルトを焼いた、可哀そうなクロッカスは――あなたですね。マダム」
マダムがパチリとまばたきをした。




