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伯爵令嬢ローラの秘めやかな趣味  作者: 丹空 舞


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5/8

毒のタルト事件 1

読者の皆様が長いことローラを愛してくださるので、調子に乗って続きを書きました。

読んでくださりありがとうございます。

カステージア劇場に訪れる紳士淑女の間には噂があった。

紫のドレスを着た菫の妖精に出会えた者は、幸運へのチャンスを得ることができる。

幕が開くまでに隣に座れた者は、妖精に悩みを聞いてもらうことができるのだ。


ただし、絶対にステージが終わるまで彼女の邪魔をしてはならない。

また、彼女に対して邪な思いを持ってはならない。

彼女の素性を探ってはならない。

さもなければ妖精は消えてしまう。


悩みが解決した暁には、その対価として、妖精はその日相談者が持っている『何か』を要求する。

対価を払わなかったり、誤魔化して有耶無耶にする者は、妖精から呪われてしまう。






ヴァレリアン公爵家でメイドをしている伯爵令嬢ローラは、今日も久々の観劇に胸を躍らせていた。


御者席に座るルシアンは天候に左右されず、いつも安定して馬を走らせる。

雨だろうと雪だろうと、ローラが車内でつんのめって鼻をぶつけるような羽目になったことは一度だってない。



「馬の扱いが上手な男は、女性の扱いも上手だ、っていうのは本当かしら」


ローラが言うと、御者席から低い声が響いた。


「お嬢様、何かおっしゃいましたか。車輪の音で良く聞き取れませんでした」


「あなたは運転が上手ね、と言ったのよ」


「恐縮です。そろそろ着きますよ……ですが、お嬢様。しかし、もうこんなことはそろそろおやめください」


「観劇は淑女にとって良い趣味よ。この間、サロンで友人も話していたわ」




メイド仲間のエレーヌとサロンに行った時のことを、ローラは思い出して微笑んだ。


サロンは女性のためのカフェのようなもので、近頃は特に流行している。

ケーキや焼き菓子を食べながら、ゆっくりとティーを頂いて、会話に興じるのは面白かった。

ほとんどはエレーヌの拗らせている片思いについての、無自覚な惚気話を聞くことに時間を費やしたわけだが、観劇というのはその恋愛話の合間に喋った雑談の話題のうちの一つだった。



「観劇で養われる感性は確かにあるわ。今回のオペラだって三角関係を描いた哀しくも美しい恋の話なのだから」


「お嬢様が楽しみになされているのは、本当にその恋の話だけなのですか」


「ええ。もちろんよ、それ以外に何があって、ルシアン」


「推理、などという、淑女らしからぬ下世話な趣味では」





ローラは都合良く、車輪の音で聞こえないふりをした。

ルシアンがため息をついているのは聞こえなくても分かっている。

しかし、他人がとやかく言って治るようなものは、癖とは呼ばない。

もうこれは完全に自分の性癖のようなものだ。

ローラだってため息をつき返してやりたいくらいだった。


男性はカフェで政治やら何やらの談義をして、中には相談役などという楽しそうな立場までできているくらいなのに、なぜ伯爵令嬢が同じことをやろうとすると使用人に白い目で見られるのだろう。

納得がいかない。

世間はなかなかに世知辛いものだ。


ローラは紫のお気に入りのドレスの裾をきゅっと引っ張った。

何を隠そう、すみれの妖精の正体はローラなのだ。

それはルシアンも、表立っては言わないが、暗黙の了解で気付いている。

一緒になって劇場に入ることはないが、菫の妖精の噂はルシアンの元まで流れてくるらしい。



「あら、市井の方の話をお聞きしたり、紳士や淑女と歓談することはそんなにはしたないことかしら」


ローラはむきになって反論した。


「伯爵家で温室育ちのロゼットのようにぬくぬく育ち、公爵家に仕えて働いている私は、ええ、確かに世間というものを完全には知っていないと思うわ、ルシアン。だからこそ私はいろんな方のお話を聞きたいの。平民であれ、貴族であれ」


馬車は劇場に着き、ルシアンが扉を開ける。


「それでも、お嬢様。もしもこんなことを毎月していると分かれば、旦那様はまたため息をつかれます。旦那様はただでさえ貴族女性は早く婚約をするのが幸福への最短経路だと思っておられるのです。仕事の話が来たときも、丁稚奉公のようなことをさせるなんてと最後まで反対しておられたでしょう」


「それはお父様の考えだわ」


ローラはぴしゃりといった。

劇場にはいつも早く到着する。良い席であればあるほど、開演前にゆったりと余裕を持って座っていたいのだ。


「私の道は私が決めます。結婚の中に幸福があるだなんて、迷信だわ。植木鉢のようなものよ。もちろん土の中に素晴らしい種が埋まっている可能性はあるけれど、ミミズやナメクジが出てこない保証はないでしょう?」


「お嬢様」


ルシアンは困ったように言って眉をひそめた。

成人をしばらく過ぎた男性だけが持つ諦めのような一種の余裕がある。ローラはそれにさえも苛々した。


「旦那様は心配されているのですよ。お嬢様が結婚に対してどこか否定的でいらっしゃることを。既婚の方々との会話で現実に毒された結果、そのような思想や心持ちになられているのだとしたら――」


「もういいわ。ここで」


珍しく冷淡に言ったローラに、ルシアンは音もなくため息をついて慇懃に礼をした。


「お嬢様」


「どうもありがとう。ルシアン」


ローラの方も丁寧すぎるほどに挨拶した。


ツンとしているローラを、ルシアンがもの言いたげに見つめてきた。




知らない。

許してなんかいないのだ。

まだ。



内心では少しばかりプリプリしているのを、昔から仕えてきたルシアンは見通しているに違いない。



ローラはチケットをレースの手袋の中に忍ばせて、振り返りもせずに劇場の中へ入って行った。





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