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「素晴らしい芝居ですわ」
幕間の休憩で、ローラはほうっと息を吐き出した。
「僕はあまり集中ができなかった」
紳士は正直に告白した。
「ただ、あの主役の女優はスキャンダルがあったな」
ローラは少しむっとした。
作品の多少の粗を吊し上げるようにとやかく言うタイプでもないし、ましてや演者についての悪評を鵜呑みにするのは嫌いなのだ。
「ええ。ですが、それは現実世界のこと。今は想像上の世界に私達はいるのですわ。ところで、先ほどの話ですけれど」
「ああ、さっきのね。聞いてくれてありがとう、お嬢さん。誰かに話してみると気持ちが軽くなったよ。やっぱり妻がコレットを殺すなんて、バカバカしいな」
「貴方はどうなさりたいのです? 真実を知りたいのか、状況を改善したいのか」
「えっ?」
「真実を知ることが必ずしも幸せなわけではないということです」
ローラは紳士に言った。
「貴方が望むなら、私は話をする準備があります。まあ、単なる推測に過ぎませんが」
「やめてくれ。邪推されることはあまり好きじゃなくてね」
「ええ。ですが、貴方はお悩みなようでしたので」
「そりゃあ、……僕みたいな貴族は、清濁あわせのんでやってきたからね。不幸せな賢者よりも、何も知らない愚か者のほうがいい」
「色々な考え方がありますね」
休憩が終わり、幕が開いた。
主役の女優のつるりとした足が見えて、観客は拍手で迎え入れた。
カーテンコールも終わり、後は客が退場するだけとなった。
「じゃあね、お嬢さん」
と席を立とうとした紳士に、ローラは言った。
「お待ち下さい」
「何だい?」
「私を菫の妖精と思って聞いて下さると良いのですが」
「おお! それは面白い。何かな? あまり長く時間がとれないのだけれど」
「今日は帰ったら、これまでの浮気を心底奥様に謝罪なさって下さい。プライドを捨てて、悲しませて悪かったと。それこそ今日の主演女優のように、涙を流して言うのです」
「それは御大層なアドバイスだ!」
「道徳心から言っているのではありません。コレットという女性はおそらく無事です。そして、貴方は奥様と離縁なさるつもりはないのでしょう?」
コレットが無事ときいた紳士は、一瞬目を見開いた。そして黙り込んで、うつむいた。
「情もあるしね。それに僕は入り婿なんだ。離縁なんて、僕の言える立場じゃない」
「それなら尚の事、謝罪なさって下さい。心底奥様に告げて、奥様を大切にお世話なさったら、状況は全て改善しますわ。ですが、そうしなかった場合……状況は全て悪くなるでしょう」
「おいおい、脅かすなよ。それにしても君は本当に、菫の妖精のようだ」
「では、私に『対価』を頂けますか?」
「ああ! そうだった、妖精は対価を要求するのだったな」
紳士は冗談めいて言った。
「勿論。何をご所望だい?」
「では、その金ボタンを下さい。一番上の」
紳士の顔色が変わった。
「なぜ……」
「そちらのボタンだけ、下地が同じ色ですもの。他は銅にメッキをしていますわね。最初のボタンだけは傷の下も同じ色のままです」
「随分観察力のあるお嬢さんだ。悪いがこれはあげられないな。大切なものなんだよ」
「……そうですか。それでは仕方がないですね」
紳士は笑って退席した。
「じゃあね、菫の妖精さん」




