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謎解き編です。
真実は時に重く、時に残酷だ。
しかし、菫の妖精は真実を好む。
相談者の対価と引き換えに、真実を明らかにさせること。
ローラは与えられた役を演じなければいけなかった。
このカステージア劇場で、ローラは妖精として今ここに居るのだから。
「ねえ、ポリー。そのヨウムはね、あなたを励ましてくれているんじゃないわ」
ローラは静かに言った。
「その言葉は『若奥様』が言っていたものよ」
「え……?」
「初めはほんの少しでいいの。バターピックの先にほんの少しだけ。それくらいの毒を少しずつ盛りながら――、心臓が弱って倒れるその日まで続ける」
「まさか」
「旦那様が亡くなるまで『もうすこしの辛抱』と、若奥様はつぶやいていたのでしょう。ヨウムは耳がいいわ。優しい声だったのも当然よ。だって、旦那様ではなくて、若奥様の声なんですもの」
ポリーの顔から血の気が引いていく。
「じゃあ……じゃあ、旦那様は本当に……?」
「殺されたのよ。心不全を装うように、慎重に、時間をかけて」
「け、警察に」
「無駄ね。もうとっくに毒は後妻の手で捨てられているでしょう。それに、心不全にした見えないように、少しずつ綿密に毒を足していったのよ。すぐに証拠が出てくるような、へまはしないわね」
ポリーは手で口を覆って呟いた。
「旦那様……なんて、なんて罪深い……」
「ええ。けれどね、旦那様も後妻に愛されていないのでは、と心のどこかで疑っていたのかもしれないわね。そうではないと信じたいけれど、万が一のために――あなたが連れ帰ったヨウム自身がその保険よ」
ポリーの手が小刻みに震えている。
ローラはそっと、そのあかぎれだらけの手を取った。
「あなたは、心の優しい、そして忠実なメイドね。もしあなたが望むならだけど、――うちの屋敷で働いてくれない? ちょうど、掃除係のメイドが一人、定年退職で辞めてしまったところなのよ。もちろんその賢いヨウムつきでね」
ポリーの手の震えが収まった。
涙のにじんだ灰色い目が、信じられないものを見るようにこちらを見ている。
「で、でも……そんなことって」
「あら。待遇は良いわよ。そりゃあ、公爵家ほどは出せないけれど、うちだって地元ではそこそこの伯爵家だから。どちらにせよ、うちは使用人に穴の開いたコートを着せるような真似はしないわ」
ポリーがカアッと頬を赤くした。
「すみません……でも、でもあのヨウムは……お嬢様の言うことが本当だとすると……殺人を犯した人間の台詞を喋ることになります。貴族のお屋敷がそんな鳥を飼うだなんて」
ローラはふっと微笑んだ。
「あら。面白いじゃない。それにね、あなたがさっき言っていたわ。昔の言葉を忘れるためには、新しい言葉を聞かせるのだって。うちの屋敷はたくさんの使用人がいるの。みんなで話しかけてやったらいいわ」
ポリーは息を呑んだ。
「……ありがとうございます。ありがとうございます……なんてお礼を言えば……」
「さあ、では契約成立ね」
ローラがにっこりすると、ポリーも震えた唇を上げた。
「明日、辞表を出してまいります」
「いいえ、その必要はないわ。うちの執事ルシアンは有能だから、万事滞りなく手続きを済ませてくれる。その代わり――明日の朝、あなたにしてもらうことがあるの」
「何なりと」
「後妻は屋敷中を壊したり、作り替えたりしていたのでしょう? 壁、屋根裏、庭まで。家具は放っておいたというのはおかしいわ。だって、模様替えをしただけなら、家具から手をつけるはずではなくて?」
「ええ。ですが、若奥様は家具は触られませんでした。ご移動されたりはあったようですが」
「それはね、探していたのよ。財産を」
「財産、ですか? でも、若奥様は遺産を相続されましたよ。確かに少ない少ないとわめいておられましたが」
「ええ。それはね、『少なかった』のよ。本当に。資産家の旦那様は、本当の遺産は別に隠していた。ヨウムが歌っていた替え歌。あれは隠し財産のありかを示す暗号よ。ヨウムなんてどうでもいいと思っていた後妻には、価値が分からなかったのでしょうね」
ポリーは息を呑んだ。
もうすぐに劇が始まりそうだ。
オーケストラがリハーサルをしだした。
ローラは早口になりながら、歌の意味を話し始めた。
「「元になっているのは、マザーグース。《Who killed Cock Robin?(誰がコマドリを殺したの?)》あなたのヨウムは、それを金のがちょうと歌い替えているはず。
『誰が 金のがちょうを見つけたの?』
金のがちょうはそのまま、財産のことね。
まず一節目。
小さな雀が月明かりの丘で見つけた。
雀は、家に住む小さな鳥、つまりは貴方のことよ。旦那様はきっと、それも見越していたのだわ。誰かが、それもヨウムの世話をする誰かが、この歌の意味に気付くはずだと。月は東から昇る。だから、これは東の丘を示している。
二節目のアカハラツグミが蔦の影で寝かせた。
蔦が絡む場所なんて限られているわね。
蔦があるのは古い外壁。
古い外壁のある、東の丘の上にある場所。
ねえ、もうどこを示しているか分かるでしょう?
そう、貧窮院よ。貴方が育った、ね。
そして三節目。
古びた鳩が割れた石の上から守った。
鳩は平和の象徴で、教会の隠語でもあるわ。
割れた石──これはあなたが言っていた、不気味で誰も近付かないお墓の、ひび割れた墓石そのものよ。
四節目、小さなヒワが三度の鐘に合わせて呼んだ――。
教会の鐘が鳴る、午後三時。
時計塔の影が最も長く落ちる位置。
おそらくそれは、ある墓石を指しているわ。
そして五節目。
灰色の詩人はヨウムのことね。影の墓とは誰も入っていない、偽物の墓のこと。そこにはきっと『金のがちょう』の墓があるわ。つまり、財産が埋められているのよ」
ローラは一息に言った。
「つまり、旦那様は自分の遺産を後妻には渡す気がなかった。本当に価値を分かる者に託すつもりだったの。それが小さな雀。ヨウムを正しく扱える者──たぶん、あなたのような優しい子のことよ。さあ、明日のおやつ時になったら、割れた石の墓を掘りに行きましょう。きっと、旦那様が本当に残したかったものが手に入るわ」
メイドの唇が震えた。
「……では、奥様が……あんなに屋敷を壊していたのは……」
「見当違いの場所を探していたのね。全財産じゃないことは分かったけれど、どこに隠されているか分からなかった」
ローラは、そこで穏やかに微笑んだ。
「後妻は今も屋敷にいるわ。でも、財産が見つからない焦りと、毒殺の罪の重さで、じきに自分から破滅へ転がり落ちるでしょう。人は、秘密に耐えられない」
ポリーは、泣くことも忘れ呆然と、それでも好奇心に駆られながら小さな声で尋ねた。
「……墓の中には……何が……?」
「金貨ではないわ」
ローラははっきり言った。
「私の予想では、あの一帯の水利権と鉱脈の権利書よ。旦那様は資産家だったのでしょう。貴族でないのに資産があるということは、そのどちらか、いや、どちらもを手に入れて事業をしていた可能性が高いわ。それがあれば、後妻は屋敷ごと町から追い出されるかもね」
ポリーは息をのんだ。
ローラは貴族令嬢らしく、上品に小首を傾げた。
長いまつげがパッチリと上を向く。
「そこから出てきた書状を使って、犯罪者の追放をするかどうかは、貴方が決めることね。あら、オーケストラが始まったわ。もう黙りましょう。観劇は初めて? わりといいものよ。心の慰めになる。浮世のことを忘れて、偽物に浸るのもたまには悪くなくてよ」
*
その夜、馬車の前で御者ルシウスが目を丸くした。
「……その方は?」
「新しいメイドよ。ポリーというの。うちで雇うわ」
ルシウスが音も無くため息を吐く。
「まあ、今更驚きませんけれどね」
「そうだったわ、ルシウス。行き先を変えて。ヨウムの声は大きいから、町中のアパートでは苦情が来てしまうわ」
「ヨウム、ですって?」
「ええ。うちで飼うの」
ルシウスが今度は音ありでため息を吐いた。
「お嬢様……なんでもかんでも拾ってこないで頂けますか。ヨウムをご存じですか? ものすごく喋るのですよ、あの鳥は」
「ええ、分かっているわ。殺人犯の台詞も」
「なんですって?」
ルシウスが目をむいた。
ローラはあさっての方を見た。
「もちろん冗談よ、ええ。ヨウムのことは本気よ。気に入ったわ。うちで飼いましょう。彼女も一緒に」
「お嬢様、それではそこのレディをあなたが飼うように聞こえますよ」
「あら失礼。さ、ポリー、先に馬車にお乗りになって」
ポリーは固辞した。
「とんでもない! 畏れ多いです。私、御者の方の隣に乗せていただきます」
「ルシウスの隣はだめ!」
「えっ」
「あっ」
菫の妖精は口をパチンと手でおさえて、初めて焦った顔をした。
聡いメイドのポリーは、はにかみながら馬車に乗った。
美麗な使用人と、愛らしい貴族令嬢。
なるほど。
なんて楽しそうな家で働けることだろう。
聖なる夜を目前にした馬車は、町外れの傾きかけた古いアパートを目指して走り始めた。
END




