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その夜、どうしてもあたしの傍に居ると言って聞かなかった珠紀があたしの隣で寝息を立てていた。
あたしは静かにロフトを下りる。
冷蔵庫からペットボトルのお水を出そうと扉を開ける。
水嶋さんが買って来てくれた物らしい、プリンとかゼリーとか栄養補助食品が目に入った。
お水を取って扉を閉める。
子供か・・・。
今はディンクスの夫婦も多い。それに不妊の女性も多い。
だから穂積さんに子供が居ない事も、然程珍しい事じゃないと安易に思ってた。
美帆子さんもバリバリ仕事してるし、恰好良いなって、羨ましいなって・・・。
「何でも持ってる」
あの言葉を、穂積さんはどんな思いで聞いたのかな。
あたしはソファに座り、カーテンの隙間から見える月の明かりを見ていた。
此処まで聞いて、あたしはこの先の真実に目を瞑る事は出来ないと思った。
翌朝、珠紀を会社へと送り出した後、会社に休む旨を伝える。
陽が高くなった頃、あたしは電車に乗り目白へと向かった。
行先は勿論、桐生のマンションだった。
インターホンで名を名乗ると直ぐにロックが解錠される。
EVで最上階へと運ばれて、あたしは桐生の部屋へと足を踏み入れた。
桐生はテラスで、植木や花に水やりをしていた。
「奥さんはいらっしゃらないんですか?」
「此処、本宅じゃないんでね。カミさんと子供は江戸川に住んでる。」
「・・・お子さん、いらっしゃるんですか。」
「俺の子供の話、聞きに来た訳じゃねーだろ。」
桐生さんが薄っぺらく笑う。
「何時亡くなったんですか。」
あたしは勝手に大きなソファの上に腰を下ろした。
今日も鬱陶しい程の暖房が効いていた。
「美帆子が妊娠6ヶ月の時。」
あたしは衝撃のあまり、言葉を失う。
子供の命日って言うから、1歳とか2歳とか・・・そんな感じだと思っていた。
「あいつらデキ婚なんだよ、高校卒業して別の道歩いて20歳の時に同窓会で再会して気持ち盛り上がってセックスしたらデキたの、子供が。」
桐生がテラスから中に入り、あたしの前に座った。
直ぐに煙草を取り出す。
「まぁ気持ちも盛り上がってるし、二人がもう社会人だったし結婚した訳よ。美帆子はギリギリ迄働くっつって仕事を続けてて・・・まぁ未だ入社仕立てのペーペーだったからシンドイ事もやらされてた。で無理が祟って流産した。」
ライターの火が上がり、煙草の先が赤々と燃え出した。
「奏ちゃん、知ってる?何かねある一定の期間過ぎて流産すると”死産届”ってのを出さなきゃいけないんだってよ。酷じゃねぇ?子供が流れたってだけでキツイのに、届けって。穂積、どんな思いでそれ役所に出しに行ったんだろうなぁ。」
どんな思いで・・・。
「美帆子はどんな思いで居たと思う?」
桐生の吐き出した煙草の煙があたしの鼻先に届いた。
「子供が死んで一番辛いのは母親の美帆子でしょう?穂積はね、どうして良いか解らなくて美帆子の事を腫れものに触るように接してたんだよ。アイツは、優しいんじゃない、臆病なだけだ。」
あたしは黙って桐生の話を聞く事しか出来なかった。
「美帆子はそれでも穂積を愛してる。」
泣きたくない、この人の前だけでは泣きたくない。
「一生添い遂げるって神の前で誓ったんだ、穂積が美帆子以外の女と生きてくなんて許されない。美帆子と逝く事が、子供と美帆子に対する贖罪なんだよ。」
自分の爪が掌に突き刺さるほど、ぎゅぅっと握った。
「別れろ。さもなきゃ、この前の続きだ。穂積の前に平然と立てない女にしてやるよ。」