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朝、通勤電車の中吊り広告でエヴリィを見上げた。
考えても考えても、あたしが穂積さんに出来る事は仕事をきっちりやり遂げる事しか思いつかなかった。
眠れなかった。
自分が無力で、他力本願な人間な気がして仕方なかった。
今迄、勉強も部活も、恋愛だってそれなりに努力はしてきた。
それは報われてきて、あたし自身も納得が出来た。
でも今回は、違う。
不倫て云う特異な状況で、しかもその相手は地位も能力もあって、あたしなんか正に小娘。
穂積さんの奥さんはそれに釣り合うように完璧な女性で、穂積さんを想っていたと思われる木下さんも、穂積さんを自分の力で支えようとしてる。
あたしが穂積さんに出来る事、何一つ無いんだって思い知らされた夜だった。
電車が池袋に到着し、あたしはホームに押し出される。
暫く動く事が出来なかった。
会社に行くのが怖かった。
不意に肩を叩かれて、あたしは勢いよく振り向いた。
そこには水嶋さんが居た。
「・・・おはよ、青山さん、どうしたの?死にそうな顔してるけど・・・。」
「水嶋さん・・・。」
知った顔にあたしは急に安心して、大きく息をした。
「おはようございます。」
「体調悪いんじゃないの、青山さん?」
「大丈夫です。」
あたしは笑って見せた。
「・・・あれ、推移表ありがとね、助かったよ。」
「作ったの山本さんです・・・あたしは持って行っただけだから・・・。」
やっぱり、あたし言われた事しか出来てないんだな・・・。駄目だな・・・。
「今日、穂積、直帰でしょ?二人で飲み行かない?」
あたしは軽い返事をして、力なく歩き続けた。
又今日も仕事に追われ、あっという間に夜になり、あたしは水嶋さんと居酒屋で対面していた。
「お疲れー。何だか本当に。顔ヤバイよ?青山さん。」
あたしは”はぁ”とか何とか答えた。
「想像がつくんで、突っ込んで聞くけど、そのモヤモヤしたオーラはエヴリィの一件?」
真芯に質問が刺さって、あたしは言葉を失った。
「やっぱり・・・。俺もこの前木下から連絡貰って吃驚したけどね。」
「穂積さん、知ってたんですかね?」
「知らないでしょ。知ってたら、美帆子さんの事止めるでしょ?雑誌にスポンサーだって居るんだから、悪く突かれてるインテリア会社に関係する記事なんか載せて欲しくないと思うのが当然でしょ。」
「・・・。」
美帆子さんも木下さんもマイナス覚悟でやった事なんだ・・・。
到底あたしには出来ない。真似すら出来ない事だよね。
あたしはサワーグラスを一気に空けた。
「焦ってる、青山さん?」
「・・・落ち込んでます。あたしは穂積さんに何もしてあげれてないなって・・・。」
グラスの中の氷は、満たされるのを待っているかの様だった。
「穂積に想われてる、それだけじゃ駄目なの?」
あたしが顔を上げると、水嶋さんは煙草の煙を燻らせながら冷たく言い放った。
「穂積が君に、あの二人が出来るような事を望んでるとは思えないけどね。」
「・・・穂積さんの求めてるあたしって何ですか?」
水嶋さんの何時に無く冷たいあしらいにあたしは思わず語調を強めた。
「あんなに凄い人に想われる程の人間じゃないですよ!」
答えは返ってこなかった。
水嶋さんはライターの火を点けたり消したりを繰り返した。
「・・・結構普通の女の子なんだな、青山さんも。」
「え?」
「そうだよな、未だ20歳なんだもんな・・・。」
「どういう意味ですか?」
「俺の青山さんの心象ってさ、しっかり者、でも時々子供みたいな素振りを見せる、だからほっとけない、だったんだよね。」
灰皿で煙草を揉み消して直ぐに新しいのに火を点ける水嶋さん。
「そんな風にオロオロしてみたりもするんだなって・・・。」
店員さんが戸を開け、新しいお酒をテーブルに置いた。
「いや悪い意味じゃないよ?・・・俺も、穂積と木下と同期で変に焦った時期もあったんだよ、青山さん。」
水嶋さんはウーロンハイを一口飲んだ。
「二人はどんどん仕事覚えてさ、俺だけ置いてかれてるみたいな気がしてさ・・・。二人が俺を置いてったって事無いんだけど、こっちが気後れしてるからそんなネガティブな気になるんだよね。」
水嶋さんのその話は、今のあたしの状況と似ていた。
「仕事も面白いとも思えなくて辞めようとも思ったけど、二人に凄い止められたの。むしろ怒られた。”一緒に会社大きくしようって言っただろ”って。で思い留まって、今に至ったの。」
マルボロライト・・・穂積さんと煙草同じだ。
「不安も焦りも解るよ。でも青山さんは青山さんで良いと俺は思うよ?」
寝不足と疲れで、あたしは水嶋さんの顔をぼんやり見てた。
水嶋さんは本当にあたしの事、理解してくれてる。
何でなのかと思ってたけど・・・水嶋さんとあたし似てるのかもしれない・・・。
「・・・水嶋さん・・・ごめんなさい・・・。」
「え?え?」
「・・・眠い・・・。」
あたしは又しても水嶋さんの前で寝顔を披露する事になった。