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先に穂積さんが、あたしに対面する形で席についた。
自然とあたしは、カウンターに背を向ける状態となった。
神谷さんがさっとオーダーを取りに来る。
「いらっしゃいませ。奏ちゃんはキール?穂積さんは、ジンでも?」
「今日はハーパーのダブル、水割りで。」
「かしこまりました。奏ちゃん、お腹は?」
「ちょっと空いてるの。何か食べたい。」
「了解、江木ちゃんにヘルシーなの作ってもらうよ。」
「ありがとー。」
あたしがカウンターの方に目をやると、恐らくあたしのであろうキール用のグラスが出されていた。
「穂積さん、今日はありがとうございました。お店、皆喜んでましたね。」
「うん。」
煙草を口に加え、目を細めて火を点けた。ネクタイを緩め、それを外す。
スーツ自体が大人の雰囲気を醸し出してるのに、仕草の一つ一つがそれを又誇張している。
直ぐにお酒が運ばれてきた。
穂積さんのウィスキーが綺麗な黄金色で、グラスの氷が音を立てた。
「ウィスキー美味しいですか?」
「うまいよ?飲んでみる?」
あたしはちょっと考えてから、首を横に振った。
穂積さんは目で笑ってから、煙草の煙を燻らせた。
「煙草、美味しいですか?」
「はは、これは美味くはないかな、青山。」
「穂積さんって、それ癖ですよね?何々って言った後に、名前言うの。」
「え?名前?」
「何とかだよね、青山。とか言うの。あれ、無自覚?」
「・・・そうかなぁ。意識してなかったけど。」
神谷さんがあたしの前に、カフェオレボウルを差し出した。
「江木ちゃんの豆腐スープです。」
「あ良い香りー。」
「ごゆっくり。」
神谷さんは穂積さんにも軽く会釈して、この場を去った。
「桐生に会った?」
「あ、未だお会いした事ないです。いただきます。」
あたしは両手を合わせ、目の前のご馳走にありつく事にした。
一口。
あったかい。体ポカポカしてきた。
「美味しそうに食べるね、青山。」
「ははは、それ庄司君にも言われました。江木ちゃんが作るもの、全部美味しいんですよ。」
穂積さんは頷きながら、煙草を灰皿でもみ消した。
あたしがあっと言う間にスープを片付けた頃、穂積さんのグラスも空になっていた。
「あ、同じもの頼みますか?」
「・・・良いよ、今日はこれで帰るから。青山はゆっくりして行きなよ。」
「え?もう帰っちゃうんですか?」
穂積さんはあたしの頭を子猫を撫でるようにして、溜め息交じりにこう言った。
「女の子が男にそんな事、軽々しく言うもんじゃないよ、青山?」
あたしはそう言われて、自分が発した言葉の重大さに気づいた。
勿論、そんなつもりで言った言葉じゃない。
未だ一杯しか飲んでないのに、って、ただそう思っただけ・・・。
あたしは顔から火が出る思いで、顔を上げられなかった。
すると穂積さんの大きな手が、ポンポンとあたしの頭を叩いた。
「俺だからセーフ。世の中には厭らしい事しか考えてない男も居るんだから、気をつけなぁ。」
ハイチェアーを下り、カウンターの庄司君に声を掛けた穂積さん。
庄司君があたしを一瞬見てから、穂積さんから支払いを受け取った。
穂積さんがあたしに軽く手を上げて、お店を後にした。
あたしはハイテーブルの上に、頬をつけ項垂れた。
・・・本当だよ。
そこらへんのしょーもない男だったら、あたしから誘ったって喰われかねなかった。
穂積さんが大人で、紳士で、上司で良かった。
テーブルから立ち上がるキールのカシスが、華やかに赤を放った。