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運び屋ショウカと奴隷少女  作者: 不眠蝶
7/10

2-3 お姫様でも出来る農業体験

朝、目が覚めてから彼女を起こすのが私の日常になっていた。その人はとっても寝ぼすけで、とっても勇敢で、とっても楽しい人だ。私はそんな人の妹になれて、本当に良かったとさえ思う。

「レイクちゃん!朝だよ!起きないと怒られるよ!」

ここに来てから何日が過ぎたのだろう。日々の過ごし方は様々だったが、今日は特別な日。なにせショウカがいない、初めての日だったのだ。インスタントの作り方も分からないレイラにとって、レイクには早く起きて貰わないと朝食の面でも困る。

「んっ…。しょうかいないからだいじょうぶだもん…」

どうやらそれを見越しての寝坊らしい。こういう時はどうすればいいのか、というのは事前に教えて貰っていた。

「それじゃ、先にガンさんの所に行ってるよ?」

「…!ガンちゃんの所行くの!?」

素早く飛び起きたレイクは急いで毛布を整えると、レイラの手を取って出発した。どうやら効果は覿面らしい。楽しそうな表情がそれを物語っている。ついでにバチューを植木鉢から引っこ抜くと頭に乗せて走り出した。

「…それ植えなくて大丈夫なの?」

「?大丈夫だよ?たまに自分で歩いてるし」

少しヒヤリとする話を聞いた気がするが、どうやら大丈夫らしい。頭の上に乗せたバチューはその花を揺らしていかにも元気そうだ。元気過ぎて不安になるが、それを含めてガン、という人にお世話になるのがいいだろう。すぐ隣だが、ちょっとした冒険に出かけるのだった。


工房の真ん中に座っていた獣人のガンはいかにも苛ついているようだった。ただでさえ子供は苦手なのにそれが二人に増えたのだ。面倒も二倍だ。きっとショウカの事だから碌でもない奴を連れて来たに違いない。そう分かっていた。

「ガンちゃーん!おはよー!」

面倒の原因が来た。それも一番のだ、あの取材の一件以来なるべく会いたくないのだ。あの記者がしきりにここに来るようになってしまったから。個人的に苦手なタイプな相手とは頻繁に会いたくないものだ。さっさとタイミングが合ってどっかへ出かけてくれればいいのだが。そうも思ったがそうはならないからここに来ているのだ。新しい顔を連れて。

「お…おはようございます」

新しい奴隷の方は大分、大人しめだった。これなら手間が掛らない、そう思わせるだけの雰囲気を持っていた。礼儀正しく頭を下げたし、馴れ馴れしくちゃん付けで人の事を呼んだりしない。十分過ぎるくらいに良い子だ。これならまだ好感を持てる。

「あぁ…。おはよう。今日は特に作業は無いからお遊びに付き合ってやれるぞ」

「本当!?じゃあ隠れん坊しよ!ガンちゃん鬼ね!」

「勝手に決めんじゃねぇよ!おい!どこ行く気だ!」

面倒の元はいつだって面倒なものだ、それを思い知らされた。

「え…えぇっと。それじゃ私も隠れます!」

それに乗る方も乗る方だ。なんで周りにいるやつらは変な所でノリがいいんだ。ガンには理解が出来なかった。あっという間に今日、子守を任された二人を見失った。

「はぁ…。安請け合いはするもんじゃねぇよな」

危険な仕事をする、という事でレイラを巻き込む訳にはいかないのでレイクを監視として置いていったのだ。ガンに全て任せる事になるという事を予想済みで。その日の内にレイクから、「明日からガンちゃんのとこ遊びにいくから!」との一言を受けて現状こうなっている。

ストーンピークは春の盛り、暖かみのある日差しの中、涼しい風が吹くこの場所は外で遊ぶには持ってこいの天気だ。なのに何故、最初に提案された遊びが隠れん坊なのかが分からないが、勝手に進行されたからには付き合うしかない。愚痴をぼやきながらも歩いて探し始めた。このお遊びを早めに終わらせる為に。

レイクはまず、隠れる場所を探す為にその辺のドアを取りあえず開けた。普段遊んでいるスペースは工房の真ん中で、こうして自由に出入りするのはそれ程ない事なのである。好きな場所で好きに遊んでいい隠れん坊というのは好きな遊びの一つだった。見つかるまでのスリルを味わうのもそうだし、じっと待つのは嫌いではなかったのだ。そして、その辺のドアから繋がるその辺のドアに辿り着いてその中に入る事にした。

その中は普段見たことが無い、というか初めて見る部屋だった。少し小綺麗で、事務的なデスクと椅子、コンピューターがある事務所のようだ。どうやら普段はここで仕事の依頼を受けたりしているようだ。コーヒーメーカーに紙カップ。ゴミ箱の中にはカップがいっぱいで、その中には幾つかの紙も混じっていた。その紙はデスクの上に乱雑に置かれていて、封筒がいくつかその上に綺麗に並べられていた。窓もない閉鎖的なスペースだが、集中するには最適な場所のような気がした。

そして、何より目に付いたのはその奥にある写真だ。写真立てに入れられたそれはガンではない、恐らく女性の獣人だ。レイクでもそれくらいは予想が付いた。ただ、このような女性の獣人は見た事がない。少なくとも25番地で一回もみかけた事がない。獣人が他の異世界に定住する事自体がめずらしい事を考えるとそれほど珍しい事ではない。

一体誰なのか、それは本人に聞くしかなかった。だが、それは案外早く機会は訪れた。後ろからドアが開けられる音がしたのである。

「なっ…!お前!?それ置け!」

「ん~?ガンちゃんコレ誰~?」

「そういうのはいいんだよ!いいからそれは置け!頼むから!」

この反応を見て、何も察せ無いほどレイクは無知ではない。にやけ顔でガンに向かって紙の一枚を掴み取るとひらひらとそれを見せつけた。

「これ何て書いてあるのかな~?読めないな~?」

「お前っ…!分かっててやってんだろ!?分かったから!分かったから両方共、元に戻せ!」

どのみち、見つかった時点で隠れん坊は負けである。仕方ないのでレイクは戻してあげた。そうしないと次の話を切り出してくれなさそうだったからである。

「それで、この人誰なの?」

「それは…その…22番地にいる…」

22番地は獣人の多く住む異世界である。住人の九割は獣人であるとされるくらいには獣人の多い世界だ。ガンも獣人である事からそこが出身地でもなんらおかしくはない。そして、そこにいるという事は。

「もしかして…ガンちゃんのこいびと~?」

「違うんだよ!!その…まだそういう関係までとか…あぁ!もう面倒くせぇ!!残り探しに行くぞ!」

話を早く切り上げたくて隠れん坊を口実に一方的に部屋から離れた。レイクもこの場所に残っていても紙に書かれた文字や封筒の中身を読む事は出来ないのでそれ以上詮索するのはやめにして、レイラを探しに行くことにした。

レイラは外に駐めてあったトラックの中に隠れていた。ここなら見つからないと思ったらしい。そのトラックはガンが資材を運ぶ為のものなのだが、たまたま見える場所にあったので隠れていた。

「負けました~…。ところでこのトラック、農具のような物が積まれているのですが」

「農具…。そうか、ハリーさんの所に行く予定もあったんだったな」

新しい名前が出た。農具を必要とする人がいるようだ、そんな人の為にも道具を作ってくれるのがガンという人だ。頼まれたら断れない性格は色々な意味で頼りにされている。

「…そうだ、ハリーさんの所行くか?そんなに遠い所でも無いし」

「行く行く!久々に会いたい!」

レイクは知っているようだが、レイラは知らない。農業をしているという事は穏やかな人なのだろうと大方の予想は付くが、これまでインパクトの強い人々に出会ってきたのでただではすまないかもしれない。警戒しすぎだろうか、そんな事を考えながらトラックに乗車した。

レイクとレイラが一つの席に詰められて、ガンが運転席に座る事になった。レイクはまるでこれが夢だと言わんばかりにくつろごうとするが流石に狭すぎる。そのまま車は北へ向かって発進する事になった。

細長い、舗装されていない道と小さな電車のレールが並走されている。時折、強く揺れる事がこの道がそれほど使われていない事の証明にもなっている気がした。辺りは相変わらず緑溢れていて、そこに電柱が立ち並ぶアンバランスな風景だ。

「ところでガンちゃん。結局この人誰なの?」

「お前!何で持って来てんだよ!!」

何故か写真だけはこっそり持って来ていたレイクは見せつけるようにして写真を出した。動揺からかトラックが大きく揺れる。ガタガタと縦に揺れる感覚と横に揺れる感覚にレイラは酔っていると、写真を取り返した所で揺れが収った。

「22番地で…その…出会った人だ。俺の偏屈な工業主義に付き合ってくれる良い人だよ」

獣人といえば戦闘民族だ。その中でも工業に偏ったガンのような存在は珍しい。仮にその道を歩む者がいたとしても、武器や兵器を極める道へ進むだろう。平和に使う事に特化したガンは本当に珍しい存在なのだ。偏屈と表現したのはそこの部分を強調しているのだろう。

「あの封筒と紙の山は?」

「手紙でのやり取りはまだしてる…ってだけでなんでもないからな!ショウカとかにも言うなよ!」

ショウカに知られたら弱みを一つ握られる事になる。あいつにだけは知られたくない、その思いがガンの中にあった。同じ偏屈同士、何か通じ合うものがあるのだ。

「ちょっと怖いイメージもありましたけど良い人なんですね。ガンさん」

「その…良い人って表現もやめろ!俺はそういうの苦手なんだよ!」

運転しながらの会話はまるで慣れているようで、真っ直ぐ、草地に入らない程度に進んでいる。安定した運転からは到底思えないような怒号をがなりたてているが、そういう所がガンという人のなりなのだろう。

しばらく道を進んだ後、見晴らす限りの田園地帯に辿り着いた。見渡す限りの田んぼ、田んぼ、田んぼ。広大な土地を遺憾なく発揮しているその平原はどこまで見てもただ、田んぼなのだった。これだけで世界一つ養えるのではないか、そう思わせるくらいの広さだ。広大すぎるこの土地にポツンと立っている長屋があった。そこが目的地なのだろう。

「ハリーさんと会うのは久しぶりだなぁ。元気にしてるかな?」

「元気かどうかは知らんがいつも通りだったよ。あの人は、俺のとこに話に来た時もガキに囲まれて…人懐っこい性格だからな」

レイラとしては、これまでインパクトの強い人としか出会ってない事から普通の人と出会える事に期待があった。リージョンキーパー総帥に大商人、あとアレの人。一体どんな人なのだろう…。その期待感に満ちたまま長屋に向かった。ガンが扉をノックすると大きめの足音が聞こえた、大きい人には幸い慣れているのであとはその風貌が普通かどうかだ。


そして、扉が開いた先にいたのは…。


熊だった。明らかに熊だ、身長は2m付近ある巨大な熊だ。二足歩行でこちらを見下ろしている。

「わあぁぁぁぁぁぁあぁあああ!!!」

レイラは思わず叫んだ。生命の危険を感じると人間というものは叫んでしまうものである。ましてや凶暴な熊ともあれば、獣人のガンがいるとはいえその姿は完全な熊だ。熊が長屋の中に入り込んでいる。そうとしか見えなかった。急いで後ずさると、ガンとレイクからの不思議な視線を感じた。

「どうしたんだ。獣人なら俺で見慣れてるだろ」

「そうだよ!ハリーさん優しい人だよ?」

さん付けで呼ぶのもどこかおかしい。どう考えても熊だ、どう見ても熊だ、どうしたって熊にしかならない。毛皮の感じも獣人のような柔らかさには見えなかった、明らかに熊だった。絶対に熊だ、そう確信させる何かを持っている。というか熊そのものだ。

「いや、じゅうじんとか、そういうの、じゃなくって。くまですよ!?」

「あ~よく勘違いされるんだよねぇ、何でかなぁ?」

ようやくその熊は言葉を発した。それで少しだけ力が抜けた様な気がした、相手は話が出来る。言葉が通じる相手なのだ。それだけで緊張感は解けた。

「結構温和な顔してると思うんだがな。ん、いつもの帽子忘れてんぞ」

「あっそれかー。ごめんごめん、人前では麦わら帽子を被るって約束だった」

不穏に聞こえる言葉もいくつかあるが、どうやら人間に歩み寄ろうとする意志はあるらしい。だが、帽子を取りにいこうとする後ろ姿がどう見ても熊なのだった。ようやく麦わら帽子を被ったのだが、それでもやっぱり見た目は熊なのだ。麦わら帽子を被っただけの熊だ、それ以外の何者でもない。その約束に一体どんな意味があるというのか。

「ハリーさん、やっぱりかんちがいされやすいんだよ…。体格も大きいから」

「う~ん。何でだろうねぇ。僕はみんなと仲良くなりたいだけなんだけどなぁ」

仲良くなりたい、と言っても限度がある。その見た目では心の距離を縮めるのに時間がかかる、というか到達しえない。恐怖に打ちひしがれたレイラには時間が必要だ。

「ハリーさんのDNAの内、人間が八割らしいから人間に近いはずなんだがなぁ…」

「見た目の九割が熊ですよ!?その鑑定結果は正しいんですか!!」

今の所、二足歩行で帽子を自ら被る以外に人間らしい要素はない。そんな人を同じ人間と認めていいのだろうか。悩む所は多いが、自分以外の周りが認めているのだから認めるしかないのが現状だ。これ以上わめいていも何も結果は変わらないだろう。獣人にもそういう動物そのものになりきれるくらいに獣に寄っている種もいる。だが、例えその前情報があったとしても目の前の人間が熊にしか見えないのは事実である。

「俺は人間っぽく見えるんだがなぁ…。そこは獣人と人間の差か」

「仕方ないね~。僕も出来る限りの努力はしてるんだけどねぇ」

そう言って頭を掻く仕草はまだ人間らしかった。彼を人間として見るのはまだまだ時間がかかるが、このまま怯えてばかりでは話が進まない。精一杯の勇気を振り絞って、後ずさった分、近づいてレイクの後ろに隠れるようにして様子を窺う事にした。

「そうだ、ハリーさん。言われてた奴持って来たぞ。もっと早く言ってくれても良かったんだぞ?」

「う~ん。貧乏性かなぁ。壊れる寸前まで使いたくなっちゃうんだよねぇ」

二人がトラックに向かうとレイクが後ろに隠れたレイラに向かって諭すように話しかけた。

「ハリーさんは良い人だよ?この辺の土地ぜーんぶ持ってるの!」

「え!?そんな凄い人なの!!」

ハリーという人は25番地の農業で成功した唯一の獣人であり、この広大な田園地帯一帯を全て取り仕切るいわば地主とも言えるちゃんとした人である。人ではあるのだが、周りの人々から怖がられて縄張り扱いされる事も少なくない。たった一匹でこんな広大な縄張りなどと思われるかもしれないが、それだけ他人にも熊に見えるのである。

「借りてるって言う方が正しいかなぁ。僕の出身ここじゃないしねぇ」

「ハリーさんは俺と同じ22番地の出身なんだ。同じ偏屈同士で仲良くなってな」

そう言うとガンはハリーの肩を軽く叩いた。ショウカとは違う、本当の意味での仲良しのようだ。ハリーはそれに動じずに農具を抱えると長屋のほうへのっそりと歩いて行った。ゆっくりした性格のようだ。

「偏屈っていう言い方は違うと思うなぁ…。僕は僕のやりたい事をやってるだけだし」

「やりたい事…?それが農業なんですか?」

獣人が戦闘民族であることは散々言われているが、農業というのも嗜む程度には勉強する事もある。だが、ここまで極める人は非常に稀だ。この広大な土地を確保していると言うことはそれだけ農業が好き、という事なのだ。やりたい事と言っている事からもそれが本当に好きな事なのだと思い知らされる。

「土いじりが好きなんだ。周りからは冷たい眼で見られたけどねぇ」

「俺も同じだ。武器も作らん鍛冶屋なんてと言われたが…」

お互いの偏屈同士、というのは獣人の中で、という枠の話だ。普通の人間なら夢見てもおかしくない話だが、そういう冷たい眼があったからこそ、お互いここに行き着いたという経緯もある。

「22番地のターミナルで出会ったのは本当に偶然だったよなぁ…。俺も同じ様な奴がいるって思うと気持ちが楽になったよ」

「そうだねぇ。僕も最初はガンさんが怖かったけど良い人で良かったよ」

ガンは狼の獣人であるから怖がられるのもおかしい話ではないが、熊にそれを言われるのは何だか滑稽な話だ。普通の人間であれば一頭の狼よりも熊を恐れる、いや、どちらも恐れるが。ガンは狼とは違い明確に二足歩行であり、体は獣が立ち上がったそれではなく人の形に限りなく近い。獣人のテンプレートとも言えるような人間であるが、同じ獣人でもここまで差が生じるのだ。

「そうだ。農業体験しない?企画としてやろうと思ってたんだぁ」

「農業体験…ですか?確かに姫として、民が普段やってる事を知るのは…」

「そりゃいいや。俺が面倒見なくって済む。預かって貰ってもいいか?ハリーさん」

それに頷くと、長屋の中へ入っていった。どうやら準備をするらしい。

「ここのじゃがいも美味しいんだよ!橋の上にも出荷されてるの!」

「へぇ~、そうなんだ。ここの世界のお野菜とか全部作ってそうだしね」

「ハリーさんはそんな事言ってたけど、本当にそうかも?」

さらっと、とんでもない事を口に出したがそれは納得出来るくらいの土地の広さを持っている。それはきっと本当の事なのだろう。それだけ有能な証の裏返しでもあるかもしれない。

「それじゃあ、二人にも説明するねぇ。…えーっとレイクちゃんと…」

「レイラちゃん!名前そっくりでしょ!」

「言い間違えないか不安だなぁ…。よろしくねぇレイラちゃん」

案内されたのは小さな、四角く区切られた畑。大きな四角の畑の中の一角だ。それぞれに小さな看板が立てられて、既に準備万端と言わんばかりの用意周到さだ。その内の一つを使わせて貰えるらしい、小さな畑だが個人が育てる分には良さそうだ。

「二人にやってほしいのは…。耕して土を柔らかくする事と種を植える事だけなんだ」

「え?それだけでいいんですか?」

「水やりや虫の駆除はこっちでやるよぉ。たまに様子を見に来てくれるだけでいいんだぁ」

想像以上に優しい言葉と条件に思わず戸惑うが、それがハリーさん優しい人だよという言葉の意味なのかもしれない。それに、本当に好きだからこそ広めたいのかもしれない。熊という肉食の見た目からは想像が付かない程に優しく、頼もしい。そういう人物なのだろう。

「私がやると一瞬で終わっちゃうからなぁ…。レイラちゃん!やってみよう!」

「えー!?私一人で!?」

小さく区切られた畑といっても子供には少し広く見えるくらいの広さだ。一般人向けなら確かにそうなるだろう。ちょっと辛い方が自分の為にもなるかもしれない。その思いで鍬を握ったが、それは想像以上に重い。これを振り下ろしては振り上げるのだ、レイクとハリーには簡単な事かもしれないが魔法も使えないレイラにとってはハードルが丁度良いくらいに高いのだった。

まず、思いっきり振り上げてから振り下ろした。サクッと土に刺さった音がする、そこから持ち上げるのが中々難しい、土をかき混ぜるようにして耕さなければいけないので土の重量をプラスされながら持ち上げなければいけないのだ。レイラの細腕には中々難しい事だ。精一杯、踏ん張って引き上げると鍬の重量も相まって思わず体勢を崩しそうになったのをレイクが支えてくれた。

「あっ、ありがと。レイクちゃん」

「まーまー。こういうのは力みすぎない!ってテレビで言ってた!」

「そうだねぇ。自分のペースでいいよぉ。僕も最初は力加減を間違えて大変だったなぁ」

獣人、特に熊のハリーには力が強すぎるのだろう。強すぎてもよくない、という事はあるのだろうか。そんな事を考えながらも弱々しいレイラには目の前の畑を精一杯に耕すしかなかったのだった。

鍬を何度も、何度も振り下ろし、振り上げを繰り返していると慣れが生じてきた。確かに腕に疲労が溜まっていくのは感じるのだが、その疲労が心地よいくらいになっていたのだから不思議だ。朝に来たのに畑の全てを耕すのにお昼までかかってしまった。

「お疲れさまぁ。ちょっと休憩にしようかぁ」

「レイラちゃん!よくやった!一人でやりきれるとは思わなかったよ!」

「あ、ありがと。でもやっぱり疲れちゃったかな…」

「こっちにお握りとお味噌汁もあるよぉ。ちゃんとそこで手を洗ってから食べてね」

すっかり土まみれになった手を見返して、ようやくハッとした。ここまで汚れるのは初めてだ。多少の汚れくらいなら慣れていると思っていたが手に付いた土の感覚は初めてのものだった。なんだかべたべたするような、さらさらするような。手を擦っても落ちない柔らかい土は、お姫様にとって初めての体験だった。

レイクの頭に乗せた食虫植物は涎を垂らしてお握りを見つめている。それに対して「待て!」の指示をしながらレイラが手を洗い終えるのを待つと、長屋の前のベンチに腰掛けた。そういえば朝ご飯も食べないでここまで来ていた。お腹に手を当てて、不思議と空腹感を覚えてない事を疑問に思ったが、それは味噌汁の匂いで一気に振り切れた。あっという間にお腹が減り、ご飯を求める欲に傾いた。レイラは急いで手の指の隙間まで綺麗に洗っていくと、服の裾で手を拭くとベンチに向かって走り出した。

春の日差しの暖かさに、涼しい風。辺り一面の緑の中でお握りを渡されて、刺激された食欲に抗えずに一口、頬張った。一仕事終えた後のそれはとても美味しく、一体このお握りが熊の手でどうやって握られたのかを食後になってから気付くくらいに感動を覚えた。丁寧に座った横に盆の上に味噌汁を載せて置いてくれた。一つ一つの所作がこちらを気遣ってくれたのだと感じられるくらいの優しさに、すっかりこの人は、と思うようになっていた。

ただ、見た目はやっぱり麦わら帽子を被っただけの熊なのであった。それでも、この空間は心地よい。熊とこうしてご飯を食べるのも悪くない。晴天の空を見て、この景色は必ず描こう。そう決断したのだった。

「バチュー、美味いか?ハリーさんのお米はぜっぴんだからね!」

「照れるなぁ。これしか得意な事ないからねぇ」

「…そう言えば、どうして農業の道に?」

素直に聞きたい事を聞いた。ハリーという獣人が何故、農業という道を選んだのかを単純に聞きたくなったのだ。いや、獣人だからでなく、人として、だ。類い希なる才能を持っているのは間違い無い。それは口の中に広がる美味しさに詰まっている。しかし、これはとても地味な事だ。才能という言葉で表していいのかも不安になる事業だ。そこに没頭する理由は何か、人として気に入ったからこそ気になった。

「そうだなぁ…。戦うのって怖いからかな」

「恥ずかしながら俺も同じ理由だ。命のやり取りが嫌になったからさ」

お握りを手にしながらガンがいつの間にかベンチ横に立っていた。その眼には嘘はない、怯えからとかではなく、本心を話しているのだと見えた。

「ガンちゃん。まだいたのか」

「まだいたのかとはなんだ!お前ら歩いて帰りたいのか?!」

「いやぁ僕も驚いたよ。用が済んだらすぐ帰っちゃうと思ったからねぇ」

「流石にそこまで薄情じゃねぇよ…」

そう言うとガンはそっぽを向いてお握りをまた頬張りだした、さっさと話に戻れと言わんばかりに。

「…僕達22番地の獣人は、大体は同じ学歴を辿るんだ。その過程は戦いに関する事ばっかりでねぇ」

「ハリーさんもガンちゃんも私と同じくらい強いしね!」

「そんな時に学んだ農耕の知識がしっくり来る気がしてねぇ。育っていく野菜やお米を見るのは楽しいし」

味噌汁を一口、呷ると一つ息を吐いて続けた。

「まぁそんな所かなぁ。向こうで事業を立ち上げるのは難しいし…。異世界に渡るしか手段がなかったんだよねぇ」

「それで25番地に…。ここを選んだ理由は何かあるんですか?」

「…なんとなく、だったかな。ガンさんも同じ事言ってたよねぇ」

「そうだな…。なんとなく、だ。ここは開発中の世界で新しい事を立ち上げるのに丁度良い。ま、候補は他にも幾らでもあったが」

食べ終わった様子のガンはどこか遠くを見つめていた。その時の自分を思い出しているのだろうか、それとも。

「ガンちゃんは22番地でやれればよかったよねぇ~。あの人の為に…」

「お前…っ。…ふんっ。そりゃそうさ、22番地でやれりゃよかったよ!」

言葉と拳を収めたのは、本心にその心があったからだろう。異世界に渡って事業を興すという事は簡単な事ではない。それが例え個人経営の工房だったとしても。楽な道は幾らでもあった、それでも困難な事に手を伸ばしたのは変わりたくなかったからだ。それをやりたい、という自分の心を。

「ここで働く人達はみんな優しいし…。僕は結果的に良かったと思うなぁ」

ハリーは感慨に耽って、空を見上げた。22番地に居た頃は本当に辛かったのだろう。それでも、と自分を鼓舞して戦った結果がこの25番地の広大な農地を手に入れる事に繋がったのだ。

「ちなみにこの農地を手に入れるのにはどのような経緯が?」

「ん~…。何かねぇ。ここで農業やりたいって強めに言ったら好きにしていいって…」

この面持ちで強めに言われれば好きにしていいの一言も言いたくなるだろう。しかし、それで成功するのだから才能は本物だ。元々この土地が肥沃な所だった事もあるのだろう。この大成功は偶然が産んだ産物であった。たまたまこの異世界に農業好きの獣人が越してきて、広大な土地を手に入れてしまって、成功した。

「それに僕がここら辺歩いてると、獣が寄ってこないって評判なんだぁ」

「それは…そうですね」

その姿は何よりの獣除けになるだろう。納得しながら味噌汁を一口飲むと、とても暖かい味がした。

「周りの人達にもなんだかんだで良くして貰ってるし…。僕は運が良いだけなんだよ」

そういうハリーの姿はどこか覇気がなく見えた。熊にそのような物を求めるのもおかしい話だが、もうレイラには人に見えていた。運が良いだけ、それだけで本当にここまで成り上がれるものなのだろうか。

「運が良いなんて…そんなことないですよ。私だって…」

自分の我が儘を通して貰って、こうして奴隷として脱走を成功させた。それはとても運の良いことで、でも自分の力で取った物だと信じたいのだ。自分で選んで、自分で走って来た道だ。そのはずなんだ。

「…運が良いっていうのも自分の実力って奴だろ?掴んだのは自分の手だ」

ガンは俯きながらも言葉を出した。ハリーとは対照的に自分の実力で成功を収めているガンには、その言葉に説得力があった。技術だけで名を馳せているガン、それよりも大きな成功を収めているにも関わらず無名のハリー。対照的な二人だからこそお互いの言葉には力が宿るのだろう。

「そうだねぇ…。そうかも、しれないねぇ」

ただ、空を見上げるハリーの瞳の中はよく見えない。一体何色をしているのだろうか、レイラはそんな事を考えていた。自分がそんな瞳を持っているから。だけど、それは小さい自分には到底、覗けないものなのだった。見上げる事しか出来ない、そのもどかしさが今の自分をかたどっているのだろう。

「さて、休憩も済ませたし。次は種を植える所からだね」

「じゃがいも!じゃがいもがいい!」

「レイクちゃんが食べたいだけでしょ。私は人参とかがいいなぁ」

「それじゃあ、半々にしようか。そんなにスペースも狭くないし」

それぞれが立ち上がって、種まき作業に移る。レイクは頭のバチューに向かってお握り一個を放ると、バチューはそれをひと呑みして見せた。食虫植物という建前をすっかり忘れたそれは食べ終えるとレイクの髪の中に身を隠した。傍からみればただの花飾りにしか見えない。

「あれ?レイラちゃん…。何かおかしいと思ったら髪…切った?」

「え?今気付いたの?ここに来た日に決意の意味を込めて切ったの」

セミロングの髪は自分で整えたにしては綺麗にショートになっていたのだ。これからは黒髪ショートの目立たない一奴隷に徹するのだ、という決意を持って。

これがこの世界の奴隷二人だ。綺麗な花飾りをした金髪少女と、一見貧相に見えるが虹色の瞳を持つ黒髪の少女。それが奴隷、少女だ。


種まきの作業を終え、日も暮れそうな頃。そろそろ帰らなければならない。ショウカはまだ帰って来ないだろうが、ご飯の事もある。いつまでもここでお世話になっているわけにはいかない。その思いから帰る旨を伝えようとしたら晩ご飯も用意してくれるという。このまま普通に帰っても待っているのはインスタントだ。喜んでそれを受けると呆れ顔でガンは一足先に帰ってしまった。また明日になったら迎えに来るとの一言を残して。長屋の中は木製にも関わらず、丁度良い気温と湿度でとても過ごしやすい。裸足で歩いてもまったく痛くない、お泊まりには良い場所だ。そんな事を考えていた。

囲炉裏に鍋を吊して、それを三人で囲んだ。その中にはハリーが育てた野菜の数々、そしてお茶碗によそわれたお米が揃えば支度は万全だ。「いただきます」の一言を添えれば晩ご飯の開始だ。

「じゃがいもは貰ったぁ!人参は好きなだけ取っていいよ」

「レイクちゃん、偏るのは良くないよ?バランス良く食べなきゃ」

「いいよ、いいよ。僕は美味しそうに食べるのを見るのが好きだからねぇ」

かといって、特別レイラも人参が好きな訳では無いのだが、その言葉は飲み込んで鍋をつつくことに集中した。宣言通りじゃがいもは取り尽くされ、きのこやキャベツなどが多めに残っている。

「このきのこは?ここで育てたんですか?」

「もうちょっと北の方にね。山があってそこから取ってくるんだ。あそこは魚も美味しくってねぇ」

お昼の休憩時に辺りを見回していたが、確かに北の方に緑豊かな山々が見えた。その更に奥には岩肌剥き出しの火山のようなものが見えていたが。綺麗な景色と無骨な景色が両立した変な景色だった事は覚えている。少なくともあの山脈には迂闊に近寄らない方がよさそうだが。

「あの山って、大丈夫なんですか?奥の方に怖い火山みたいのが…」

「あぁ、あそこはいつもそうさ。でも、噴煙も噴石もこっちには降ってこないんだぁ」

風向きの関係か何かだろうか、だがそうであるのが日常であるとするなら緑が残っているのも納得がいく。

「今度、魚獲りに行こうよ!ハリーさんの魚獲りはすごいんだよ!!」

「そ、そんなに?というか釣りとかじゃないんだ…」

「直接獲るのが何だか癖になっちゃってねぇ。素手で取れると何だか気持ちがいいんだぁ」

やはり熊じゃないか。そんなツッコミを心の中で呟いていると、その様子を想像しただけで恐ろしい光景が浮かぶような気がした。

そうこうしている内に晩ご飯の時間はあっという間に終わり、後は夜の支度だけになった。布団が数多く収納されている辺り、ここで寝泊まりする事は頻繁にあることのようだ。市街地からは遠いし、忙しい時期になればここで何十人もの人々が寝る事になるのだろう。布団を敷いていると、ハリーだけが布団を用意していない事に気が付いた。それに姿も見えない、レイラは思いっきりジャンプして布団に突っ込むレイクを無視して、ハリーを探す事にした。

ちょっと外に行けば、そこにハリーはいた。お昼時に使ったベンチに腰掛けて、そこから空を見上げていた。光の少ないここでは星がよく見える、レイラ自身も星空はそんなに見たことがない景色だ。煌々と輝く星々に照らされていると、自分の目が何色なのか、ふと気になる事がある。でもそんな事を聞いても人に変に扱われるだけだろう。だから、それを聞く事は後にして、ハリーに問いかける事にした。

「どうしたんですか?」

「…うん。僕は普段外で寝てるから…。ここで寝るのがいつもの事なんだぁ」

理由は聞かずとも分かる様な気がした。寝床にこの姿があるのは不安に思う人も多いだろう。だが、ここで眠れるのは少し贅沢な事のような気もした。

「そんなの寂しいじゃないですか。いいんですか?」

「…僕はみんなが幸せなら、それでいいと思う。だから、この仕事も始めたんだ」

みんなが幸せなら、言葉は鋭くレイラに刺さった。自己犠牲の精神ではない事は分かる、本当に好きな事をやっているだけというのを言葉の端々から感じ取っていたから。自分は、みんなの幸せを探しに来たのだ。ここにその一つがあった、言葉にも、形にも形容出来ないけど。一国の姫として、責務を果たすべきものとして、みんなが幸せなら、それを体現している人に出会えたのだ。

「それに、この星を見てる時間も悪くないしねぇ。ゆっくり考え事が出来る、良い時間だよ」

星の名前なんて分からない。恐らくハリーも同じだろう、それでも、同じ考えに至る事は出来た。この星を見てる時間は悪くない。閉じこもってる時には分からなかった、星の価値が今更になって分かったような気がした。

「冷えるからそろそろ戻った方がいいよ。あまり長話出来る所じゃないからねぇ」

「…はい、そうさせて貰います」

「あっ、そうだ。一つ聞き忘れてた。…農業に興味、持ってくれたかなぁ?」

今回の農業体験はとても辛いものだった。鍬を振るった手は所々薄皮が剥げている、種まきの時に腰だって痛くした。それでも、この時間は悪いものではなかった。それは確実だ。だから、笑顔で応える事にした。

「はい!とても!」

自分の知らない事を知るのは楽しい事だ、そんな単純な事を知れた良い一日だった。辛くとも、痛くとも、幸せになれる事があるのだ。とても良い、一日だった。布団に戻ってから描いた絵の数々にその思いを込めた。ベンチから見えた風景、山々、そして、人々。紙の一つでは収らないからメモ帳を買った。まっさらな白で塗りつぶされたメモ帳。それを自分の色でもう一度塗り返すのだ、今日あった事の全てを、色と線に変えて。


ガンは宣言通りに朝に迎えに来た。もちろん、トラックで。今度は荷物無しだから後ろに乗る事も出来そうだ。ショウカの帰りを待つのは別に向こうでなくても良いのだが、居ない間の掃除はしろと言い付けられているのでそれだけはこなさなければならない。

「ハリーさんのとこでもうちょっとせいちょうかんさつしたいなぁ」

「大丈夫。ちゃんと代わりにお世話して収穫時になったらお知らせするよぉ」

「本当にお世話になりました。…ハリーさん。私も、もう一度来たいです」

「その場合、また俺が送り迎えしなきゃいけないんだがな…。あまり手間かけさせるなよ」

そう言いながら頭を軽く叩くガンの手は暖かみを感じた。ショウカから預かったという使命感もあるのだろうが、そんなもの関係なく子供を心配する手だ。

「いいじゃないですか。どのみちもう一回来ないと農業体験は終わらないですよ?」

「これだからガキは嫌なんだ…。移動だけでいくらかかると思ってんだ」

「そう言わずに、ガンさんも頼りにされてるんだよぉ」

ハリーがガンの背中を叩くと、ガンは頭を掻きながらトラックに乗り込んだ。レイクとレイラもそれに倣って一緒に乗り込んだ。

くすんだサイドミラーからはハリーが手を振って見送ってくれているのが見えた。レイクはいち早く気付いたようで、窓を開けると身を乗り出して手を振った。

「ハリーさーん!またねー!」

「あぶねぇから!そういう事やめろ!」

代わりに手を振ってくれたレイクに感謝を抱きつつ、レイラはまた、メモ帳に一つ描き足した。この別れの風景もまた一つの思い出で、もう一度めくればまた出会えるのだから。

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