2-2 橋の上へようこそ!
まどろみの中、そっと瞳を開くとそこには私がいた。眠っている私がいた。もう一人の私、夢のようで、夢でない。もう一人の…私?どこにいるの?あなたはもう一人いる。私も…もう一人?
「うわぁ!!」
驚いて飛び退くと、ベッドから転げ落ちた。大人用のベッドに二人、無理矢理、詰め込まれていたようだ。まずはここがどこなのか把握しなくてはならない。辺りを見渡すと片側には積み上げられた箱の山、反対側にドア、自分の後ろに小さな台の上に乗ったテレビ。そして、服はみすぼらしい奴隷服。眠っている間に何があったのか、まったく分からなかった。だいぶ長く眠っていたのは間違い無いのだが、これが現実か夢かは転げ落ちた時の痛みでハッキリと分かった。
ドアの向こうからは複数の大人の人の話し声。外に出るのは少し憚られたのだが、ちょっとだけなら、とドアを隙間だけ開けて様子を見てみた。見えるのは大人の人が四人。男の人が二人、大きいのと小さいの。女の人が二人、二人とも背が高い。その内の片方が気付いたのか視線を送った。指差すと、男の人、大きいのがこちらへ向かって歩き出した。
「何だ、もう起きたのか。ここまで連れてくるのに苦労したんだぞ」
「え…?ここは…」
「25番地。俺の…名前名乗ってなかったな。運び屋ショウカの事務所だ」
自分を親指で差しながら、自らの名前を名乗った。そう、ここは25番地、運び屋ショウカの家だ。ここまで来られた理由は分からないが、どうやら『外の世界』へ旅立てたらしい。自分の名前は保てているだろうか、それだけがちょっとした不安だった。
「レイラ、だよな。こうしてみると奴隷服も中々似合ってるじゃねぇか」
「へぇー、新しい奴隷を雇ったって聞きましたけど…やっぱりそういう趣味があるんですか?」
「無いっつってんだろ。俺の所に来るのが面倒なのばっかだけなんだよ」
小さい男の人も近づいてきた。後ろからは女の人二人も近づいて来ているようだ。
「いやー、突然呼び出された時はびっくりしたよ。タグの書き換えを許可してくれだなんて」
「しねぇと本当に誘拐になるだろ」
「それに応じる方もどうかと思うぞ…?君はショウカに甘すぎる」
後ろの女の人二人はなにやら難しい話をしている。だが、タグについては分かっていた。上位番地の人はみんな持っている、自分のID。もちろん姫として持っていた物を奴隷に書き換えたのだろう。これは相当な人でなければ許可されないはずだ。
「…そう言えば僕、そちらの人とは初対面なんですけど…」
「あれ?自己紹介してなかったっけ?紹介するまでもなかったと思ったけど」
「顔見て知らないって言うんなら結構大問題だぞ。何度も昔ニュースになったじゃねぇか」
「ごめんなさい。僕の生まれ故郷は結構遠い番地なので…」
「じゃあまとめて紹介するね!私もレイラちゃんにはこれからもお世話になると思うから…」
そう言うとショウカをどけて目の前に飛び出した。ショウカに負けないくらいの背丈でありながら、少し小さい。顔立ちの整った20代前半に見える…10代後半にも見えるくらい若々しい、それでいて深緑色のトレンチコートが似合う、長い黒髪の緑青色の眼をした女の人だ。
「…ねむぃ…。あっ!リホさん!」
後ろから目が覚めた、もう一人の私が叫ぶ。彼女はレイク、そして目の前にいるのは…。
「はろろーん!リージョンキーパー総帥のリホ・リーブティーよ!よろしくね!」
深緑色の帽子をどこからともなく出すと格好を付けながら帽子のつばを掴み明るく挨拶した。この人はとんでもない自己紹介をした気がする。
「…えっ?リージョンキーパー総帥…?えっ?なんでここに…えっ?」
「本物だぞ。丁重に扱ってやれよ格下」
「君が一番雑に扱ってるじゃないか…今日だって折角来てくれたのに」
「用が済んだから帰れって言ってるんだ。タグの書き換えだけで良かったのに何でまだここにいるんだよ」
リージョンキーパー。それは多元異世界群をまたぐ、いわば異世界警察である。異世界同士のいざこざを解決したり、異世界に逃亡した犯罪者を追いかけたり、2番地に本拠を置く異世界最高警察機関であり、その気になれば億の人数を軍隊として従える事も出来る多元異世界群最高の権限を持つ組織。彼女は自分がその総帥であると言い放った。
「「えーー!?!?!」」
私と小さい男の人の悲鳴が重なった。それくらい、重大な出来事だった。そんな人と知り合いになるなんて。そんな人が、こんな人と知り合いだなんて。色んな意味が重なった悲鳴だった。
アレクは落ち着いて、状況を把握しようとしている。目の前にいる、自分よりも背が高い、打ち解けやすい朗らかな性格をした人がそんな偉い人だとは到底思えなかった。
「えっ…。なんで…ショウカさんとは…えっ?」
「大学が同じ…いわば同級生だな。これでも同い年なんだよ」
老け顔のショウカは明らかに若々しいリホを指差してこれ見よがしに言う。どう考えても二人の年齢は同じにはならないだろう、そう思わせるくらいに外見に差があった。
「そそ!こう見えても36なのよ。若く見えるでしょ?これはこれで辛い所があってねぇ?」
「32の私よりも若く見えるだろう。私は貫禄があった方がいいと思うんだがな」
ネールは自分の歳を明かした上でリホの美貌を認めた。その上で、総帥としての貫禄がないと切り捨てた。この人を前にして異世界最高警察機関のトップだとは一見では分からないだろう。そのくらい若々しく、何より元気があった。威厳や荘厳さよりも愛嬌と魅力を何より振りまいている。
「同級生ってだけでそんな仲良くなります!?っていうかリージョンキーパーって事は相当な…」
「たぶんお前よりも俺の方が学歴は上だぞ。俺は中退したがな」
自分の事を格下呼ばわりされていた理由を密かに知った。そんな職業に就くには相当な大学を出てからでなければ就職する事すらままならない。それこそ、専門の大学を出るくらいには。そして異世界最高警察機関なだけあって、その偏差値は通常の大学の遙か上を行く。とてつもない高学歴だ。中退した、という部分は引っかかったが入れるだけでも相当な頭脳の持ち主だ。
そして、過去の自分の発言を思い出した。ネールやグローディアよりも偉い人と知り合いではないかと過去に問いかけた事がある、そして、先約がいるという話も聞いた事がある。まさか…。とは考えたが前者は有り得ても後者は有り得ない。取りあえず前者は確認出来た。リージョンキーパー総帥と知り合いという事はグローディアもそれなりの態度を取るわけだ。だが、後者だけは、後者だけは認める事が出来ない。何故ならそれは、絶対に、絶対に有り得ない事だからだ。
「えっえーっと…。ここまで来られたのはリホさん…のお陰って事でいいんですか?」
ドアの後ろで未だ半身でいるレイラが問いかける。一国の姫とはいえ、それだけ恐れられる存在なのだ。
「そっ!タグはちゃんと書き換えられてるから後で確認しといてね。まぁこういう事してあげたんだし?何かサービスとかはないのかな~って話をしたかったのよ」
タグは小さな機械で出来たカード状の物である。クリップで留められたそれを操作するとホログラムが現れた。『レイラ・シャルロッテ。身分、奴隷』ちゃんと自分が奴隷になっている事が確認出来た。それとちょっとしたお小遣いが入っている事も。
「あー!ショウカ!レイラちゃんにそんたくしたでしょ!!私のお小遣いより多い!!」
「一国の姫相手に粗相は出来ないだろ。多少贅沢出来るくらいの金を入れてやっただけだ」
「えっ!?姫?!ちょっとショウカさん…情報量が多すぎて…」
アレクが頭を抱えていると、小さな影が横をすり抜けていった。もう一つの小さな影を携えて。
「レイラちゃん!いこっ!こうなったらぜいたくしてやる!!」
「えっ?ちょっと、引っ張らないでよー!」
「ショウカー?何かサービスはないのかな~?!」
「あぁ…もう面倒だ。ガキ二人が出て行ったから大人四人で飲みに行くぞ」
「また僕に出させるとかそういう話はないですよね!?」
「大丈夫だ。リホがいる限り、リホが払ってくれるさ」
こうして騒がしい面々は二つに分かれた。子供二人、レイラとレイクは外へぜいたくをしに。大人四人、アレクとネールとショウカとリホは近くの飲み屋へ。それぞれの地へと旅立った、まるでそうあるべきかのように。
ここ25番地には一際、不思議な光景がある。それは海の上を渡る鉄橋だ、ここから列車が行き来しているというのは説明されれば分かるのだが、それがどこに繋がっているのかは分からない。レールだけがその先を知っているといわんばかりに遠く、その果てはとてもじゃないが見えない。二人はそんな景色が臨める場所にいた。ここは小さな丘の上。ストーンピークの駅から鉄橋に繋がる丁度手前辺りの所だ。そこには他の小さな子供も来ていた。
「レイク姉ちゃん!来てくれたのか!」
「おうよ!今日も行くぞ!『橋の上』!」
すっかりガキ大将気分のレイクを余所にレイラはこれからみんなが何をしようとしているのか、分からなかった。『橋の上』、どうやらそこへ行くらしい、どうやって?
「レイクちゃん…?これから何するの?」
「飛び降りる!もうすぐ列車が来るから…」
「えっ!?嘘でしょ…。そんな」
「タイミング取るよ、3、2、1…はいっ!」
そのタイミングで見事にジャンプをして見せたレイク、の腕に引っ張られてレイラも落ちていく。本当にそれに合わせたかのように、列車が駆け抜ける。それを見た瞬間、レイラは死を覚悟した。だが、藁がクッションになった事とレイクが素早く抱きかかえてくれた事で着地した衝撃は和らげられた。そして、顔を上げると、そこには今までに見たことのない景色が待っていた。
両側を海の青に挟まれ、まるで浮遊しているかのような感覚。両端の鉄橋のアーチが素早く駆け抜けていく。空は青、紛れもない爽快感だった。涼しい、まず感じた感覚はそれだった。風が、この場所が、この景色が、とても涼しかった。だがそれを良しとしない人もいた。
「こぉらガキども!勝手に乗るんじゃねぇって言ってんだろ!」
先頭の車両から聞こえて来る怒鳴り声、レイクに引っ張られるままに後ろに逃げていく。
「この時間、こういう車両が来るって分かってるからむちんじょうしゃしてるんだ。普通だと高いから」
常習犯であることは間違いないようだ。危ないし止めた方が良い、その言葉が出かかったが。ここではその言葉を飲み込んだ。何故なら楽しかったから、何よりも楽しかったからだ。こんな悪い事は脱走以来で、それよりも悪い事のような気がしたから。何処に行くかなんてわからない。ただ、この子に付いていけば楽しい事が待ってるに違いない。そんな、予感がした。
ちょうど最後尾に隠れられる車両があったのでそこに隠れた。まるでそこに入っててくれと言わんばかりに何も入っていない。だけど、レイクがちょっとだけ景色を見せる為か僅かに開けてくれた。
「上の方にその内見えてくるから、『橋の上』!」
「『橋の上』ってなに?」
「『橋の上』は『橋の上』だよ!」
分からない答えを出されたが、それで納得するしかなかった。きっとそこは楽しい所だろう。こんなにも楽しい彼女が連れて行ってくれる場所なのだから。
しばらく時間が経つと、確かに見えてきた。白い建築物、その中にこの列車は入ろうとしている。この白い建築物が『橋の上』なのだろうか。ここまで通って来たのは鉄橋、つまり橋だ。その上に立つ建築物はつまり、『橋の上』になるのだろう。やがて近くなり、暗くなって、きた辺りでレイクは蓋へ手をかけた。どうやらここから出る様だ、徐々に列車は減速している。完全に停止した辺りで蓋を開け、一斉に子供達は駆け出した。恐らく普通は来られない『橋の上』に向かって。
「お前ら!勝手に乗ったからにはちゃんと時間までに帰ってくるんやぞ!!」
恐らく、列車の操縦手である人が怒りながらも何処か優しさを含んだ言葉をかけてくれた。レイクに引っ張られながらも駅のホームを駆け走る。伏せながら走り抜けると大きな階段を登り、その先には、広大な空が広がっていた。白いターミナルエンブレムに、青い空。そうか、ここが。
「『橋の上』…!」
一面真っ白の建築物に囲まれた、白の向こうに海の青が見える思わず見とれるくらいの景色だ。『橋の上』には確かに街があった。周りを見渡せば線路はあちこちに張り巡らされている。それは蜘蛛の巣状になっていて、何処に繋がっているかは分からないがここが『橋の上』と呼ばれるに相応しい場所である証明になっているような気がした。
「レイラちゃんったらせっかくの橋の上を寝てて過ごしてたんだから…」
まったくこの場所の記憶が無いのはそのせいか、と気付かされた。どうやら脱走に体力を使い過ぎて眠り込んでしまったようだ。確かに長い時間眠っていた自覚はレイラ自身にあったが。
ターミナルエンブレムはここにターミナルがあるという証明である。海の上にターミナルがあるというのはとても珍しい。それ故か、ここに投資した投資家が趣味で建てたのか、シンボルのようになっていて周りにはベンチに案内板。待ち合わせ広場のような様相を呈している。
案内板には、『シーオンタウン』と書かれていた。どうやらこれが正式名称で橋の上は通称のようだ。でも個人的には橋の上が気に入った。それを飲み込んだ上で案内板を読みふける。
「それ、そんなに面白い?」
「えっ。うん。ここが出来た経緯とか、お勧めの観光スポットとか…」
「そっか!レイラちゃんは文字読めたっけ」
「レイクちゃんは文字読めないの?」
「お互い知らない事ばっかりだねー。こういう時は!一緒に何か食べる!お勧めのコロッケ屋があるんだ!」
またしても手を引かれ、見知らぬ土地へ連れて行かれる。これだ、この冒険感。私が望んでいたもの、全部を持っている。さぁ、走ろう。知らない場所へ。掴んだその手がそう言ってくれている。
コロッケ屋でコロッケを二つ、レイクが買ってくれた。馴染みの店舗らしく、少し大きめのを渡された。両手でようやく持てるくらいのサイズだが、それを持って橋の上の端の方へと向かっていった。レイクは道を完全に覚えているようで路地をあちこちと行きながらどこに繋がってるか分からない鉄橋を見下ろせる、橋の上に来た。
「ここ、お気に入りなんだ。『橋の上の橋の上』!」
「ふふ、なんだかややこしいね」
だけどもそれは事実だ。橋の上に設置された橋の上にいるのだから。鉄橋と海と、遠くからくる列車も見える絶景だ。ここでコロッケの袋を開けて、お互いの事を喋る事にした。
橋の縁に座り、熱々のコロッケを頬張る。それはとても庶民的な食べ物だが、美味しくて思わず笑顔になった。それを見て、レイクも何故か笑っていた。
「まず、私から!自己紹介はしたけどレイク・スレイブ!ショウカの奴隷でその内げこくじょうするの!」
「下克上?奴隷なのに?」
「奴隷だからこそだよ、リホさんからは万が一になったら養子に入って遺産を引き継げって」
何だか変な話だ。奴隷のくせに真っ正面から下克上を打ち立てているなんて。ここまで反抗的な奴隷はそうそう見ないだろう。
「あと、25番地で一番有名な奴隷でー…。あっ、あときおくそうしつ?なんだって」
「そうだったの?全然そうは見えなかった…」
軽い口調で重たい事実を話すレイクを見て、思ったより強い子なのかもしれない、そう思わせる物があった。記憶喪失が本物だったとして、それをまるで他人事のように言う。でも、それがショウカの元から離れない理由ならそれも納得出来る様な気がした。
「私は…『幸運の虹色の瞳』を持つお姫様なんだって」
「虹色の瞳?」
レイクが顔を覗くとその目は先程まで緑だったのに今は青く移ろうように見えた。恐らくそれが虹色の瞳なのだろう。その時の感情によって眼の色が変わる、正しく虹色の瞳だ。それが吉兆なのかは分からないが縁起が良さそうなのは確かだ。
「でも、私だけ。魔法が使えないの。そういう才能を持ってないんだって」
眼の色と相まって、その言葉はより一層の悲しみを感じさせた。それがコンプレックスで、この世界まで来た。家出と言えばそうなる。だがそれを決意させたのは何よりも。
「…でも、私はお姫様だから。みんなを幸せにしなきゃいけないの」
その責任感からだった。心の底からそう思っているからこそ、自分の責務を真っ当すべきだからこそあの世界から出なければならなかった。この家出は間違いではない。きっとそうなはず。
「そうなんだー。テレビでもなんかそういうの言ってたなー」
「テレビ?テレビが好きなの?」
「そう!特にシバさんがね…。ほら!サインもこの前貰ったんだよ!」
ポケットの中から何回握りしめたのか分からないくしゃくしゃの紙が出てきた。そこには確かに人のサインらしき言葉が書かれていた。
「ふーん。私もサイン書いてあげようか?お姫様だよ!」
「レイラちゃんのはいいかなー。憧れのシバさんから貰ったっていうのが大事なんだよ!」
指を一本立てて自慢げに言うレイクを笑う、確かに、その方がレイクにとって価値あるものなのだろう。その皺だらけの紙がそれを物語っている。
「それじゃあ…紙とペンある?」
「あるよ!何か書くの?」
「うん。描くの」
レイラはコロッケを急いで頬張ると食べ終わった包み紙をポケットにしまい込み、紙とペンを持って何かを描き始めた。すらすらと、迷いなく線が描かれていく。レイクは黙々と描き続けるレイラを見ながら潮風で少し冷めたコロッケを勿体なさそうに小さく一口、一口と食べていった。
ほんの少しの時間が経って、完成した。それを角度を変えて、一回、二回とみてからレイクに渡した。それは、まるで写真で映したかのように綺麗な目の前の景色だった。白と黒しか無いが、見事な濃淡の付け方でハッキリと目の前の景色だと分かる。
「すごーい!こんなの描けるの!?」
「得意なの。習い事としてやってたから」
今まで見た事のない技術にレイクは目を輝かせる。得意だという人には何人か出会った事はあるが目の前で技術を見せつけられるのは初めてだ。それは見た事のある景色であり、見た事の無い景色でもあった。
「じゃあ、これからいっぱい描こうよ!紙はいっぱいあるし」
「…そうだね。そうしよっか!」
これから彼女達と運び屋として異世界を旅する事になるのなら、色んな異世界の景色を見ることになるだろう。そうしたらこの技術は何より役に立つのかもしれない。そう思ったらこれからの旅路に向けて笑みがこぼれるのだった。
一方、大人達四人はストーンピークにある行きつけの居酒屋にいた。真昼間という事もあり、客はまったくいない貸し切り状態である。リホは上機嫌で暖簾をくぐり、ショウカは少しテンション低めにくぐり、ネールは無表情でくぐり、アレクは暖簾の下を通っていった。一人だけ子供扱いされたが、しっかりとタグで身分証明をする事で事なきを得た。ボックス席に向かい、女子側と男子側に分かれようとしたがリホが割って入ったが為にリホ、ショウカとネール、アレクに分かれる事になった。
「とりあえず生で~。4杯はいけるかな?」
「あっ、僕はそんなに飲めないので…」
「こいつ一人で飲むんだよ。だから全部出してくれる、俺は焼酎でいい」
「私はワインがいいかな…。アレクもビール一杯くらいならいけるだろ?」
全て他人の言う通りに流されていく。そんな自分が情けなくなりながらアレクはそれに頷いた。どのみちこの中では自分が一番の弱者なのだ。権威的にも、いや全面的にも。周りの強さに萎縮しっぱなしだが自分以外はまるで友達のようにフランクに接している。いや、実際そうなのだろうが。
「いや~ショウカと飲めるなんて久しぶりだねー!何ヶ月くらい?」
「総帥の立場ほっぽいといてそんなスパンで飲みに来るんじゃねぇよ。お前のせいで大変だったんだぞ?」
「ん?何の話?私なんかしたっけ?」
「直接的ではないが…、まぁ君の存在が関与している事はあったな」
そう言われてショウカとネールからの視線を受ける。アレクにも何の事だがまったく分からない。
「僕の話ですか?え?何の話で…」
「ん~…、あ~…グローディアね。大丈夫!だいじょうぶ!私は君のこと全然タイプじゃないから」
「いや、何の話なんですか!?」
早速届いたビールを一杯飲むとリホはこれでもかと言うくらいに「カーッ!」と嘶いた。どうやら相当の酒好きらしい。その類の話はまったく聞いてなかったが。
「そうだな…一つ世間話として聞くと格下の好みってなんだ」
後から一人、誰かが入店してきたが距離を取って、ぎりぎり声が聞こえるくらいの位置にいた。
「好み…女性のタイプですか?そうですねぇ…」
その一言によっては何かが変わる。その緊張感があったがアレクはそれにまったく気付いていなかった。
「年上の人なら誰でも…特に頼れる人がいいですよね!」
「お前…、そういう所だぞ」
ショウカから何か釘を刺されたが何の事やら全くわからない。自覚も無ければ覚えもない。どういう所が悪いのだろう。自分なりに考えてみたがやはり答えはでないのだった。
「グローディアとかいいんじゃないか?年上だし頼れるぞ」
ネールが果敢に攻めた。この話が聞かれているかもしれないという前提で話を切り詰めたのである。
「あの人は雲の上の存在なので…そういう頼れるとはちょっと違うかなぁ…って」
「うん…やはりそういう所だな」
「どういう所なんですか!?」
アレクには分からない事ばかりだ、この世は未知で溢れている。それを知らないままでいるから格下と呼ばれる定めにあるのだった。
「そういえば君の事よく知らなかったねぇ。おたく、名前は?」
「あ、アレク・カーレットです。よろしくお願いします!ネールさんからお話は聞いてて…」
「うん…アレク君ね。じゃあグローディアとくっつくと…あははははっ!面白い名前だねぇ!」
面白い名前かどうかは分からないが第一印象は良かったようだ。タイプじゃないとは言われたが、それとこれとは別なはずだ。自分の話ばかりではばつが悪い、何とか話を逸らせないか考えているとまずはショウカとの関係性を聞く事にした。
「ショウカさんとは…その…親密な仲のようですが」
「分かる!?でしょ?!これ以上ないくらいの仲だよね!?」
「えっ、あっ、はい」
「そいつにその話を振るのは今後許さないからな」
ショウカからの視線が冷たい、反対にリホからの視線は熱い。親密以上の何かがあるのだろうか。それは…やはりネールがかつて言っていた先約の事だろうか。
「ほらぁ、ショウカ…他人からはそう見られてるんだって!私達が親密な…」
明らかに艶めかしい視線をショウカに送っている。それがどういう意味なのかを分からないアレクでもなかった。流石にそこまで行けば分かった。先約という言葉の意味も。
「頼むから俺以外にしてくれ…。お前の面倒なんて見たくないんだよ」
リホの顔は明らかに美少女、美女の類だ。それでいて総帥の立場もある、普通に考えれば逆玉の輿だ。それでもショウカには断る理由があるのだという。性格も明るく朗らかでそれほど悪い人には見えないのだが、というのがアレクの意見だった。だが、それを出した所でショウカの方も「嫌なもんは嫌なんだよ」と返してきそうではある。ショウカという人のなりをある程度知っていれば予測出来る答えだ。
「ちょっと冷たすぎない?ネールさんもそう思うよね!?」
「いつもの事じゃないか。今までこいつが誰かを贔屓にしたことがあったか?」
それを聞くと、何故か満場一致で頷くのが感じ取れた。この人は誰かを好んで尽くすタイプでもなければ好意を表に出す人間でもない。かといって愛想すら振り向かない。とんでもないひねくれ者。それは全員が酔わずとも一致する意見だった。
「僕は同級生にしては…っていう意味で言ったんです。ただの同級生じゃないですよね?」
「いや、本当にただの同級生だ。飲み屋にいったら偶然会った」
「そうそう。失恋に落ち込む私をショウカが優しく慰めて…」
語り出しそうな所をショウカは強めに徳利を置く事で食い気味に言い放った。
「無い。いいか、ハッキリ言うがあれはヤれそうだったから声をかけただけで恋愛感情なんてものはないからな」
「な、何よ…。急にヤれそうだなんて…。そっちがその気なら…私はいつでも…」
その下世話な応酬止めませんか、と言いたかったがどちらが相手でも分が悪かった。二人の間には二人の距離感があるのだ。そう思う事にしてビールを一口呷った。
「私達としては煽ってもいいぞ。何せショウカのお陰で、私が有名になれたのだからな」
「えっ?ショウカさんのお陰で?」
まったく寝耳に水の話だった。確かネール・フローライトという商人が有名になったのは。
「…あっ!リホさんから仕事を受けて…でしたね!?」
そうだった。リージョンキーパー総帥からの仕事を受けた商人という事でその品質が保証されたのだ。それほどの人が仕事を頼むなら、とネールの名は無名から一気に大商人にまで上り詰めた。そのサクセスストーリーは未だ語りぐさになっている。
「そうだ、リホが私に仕事をするならこの運び屋を使ってくれ、と言われたからな」
「そりゃあそうでしょう!身内贔屓しないでどうするのって話よ」
「普通ならこんな運び屋使わない…。だけど私はそれを信じたからここまで来られたのだよ」
普通の考えならこれ程の人物に仕事を頼まれて、リヤカーを使った運び屋を指名されても裏でちゃんとした運び屋を用意して便宜を図るのが普通だ。だが、ネールはそれをしなかった。ちゃんとショウカを信頼したのだ、自分の目で見て、この運び屋なら信じられると。
「身内贔屓ってハッキリ言うか…?ダメージ大きいの俺なんだぞ」
「先に言ったのはそっちでしょ~。あ、ビールおかわり!」
いつの間にか最初に運ばれていたビール四杯が全て消えていた。余りにも早すぎるペースに驚きを隠せないでいると、ネールとショウカは完全にマイペースで飲んでいるようだ。これに合わせるのは諦めたほうがいいらしい。酒豪であることは二人は把握済みなのだろう。
「リホさんの方は何でネールさんを選んだんですか?当時は無名で…」
「う~ん、同じ匂いを感じたんだよね…。私と同じ…結婚出来ない感じの…」
「どういう意味だ?それは初めて聞いたぞ。私だって良い時期を見つければ相手を探すつもりだ」
「少なくとも俺の知り合いの中では一番まともだからネールさんには良い相手が見つかるぞ」
意見が分かれた。相手が見つかるが二人、見つからないが一人。これについて意見を出してないのはアレクだけだ。ここは何か意見を言うかどうか迷ったが、この空間に引き込まれないのが重要だと勘づいて声を出すのは止めた。
「そんな適当な理由で選んだんですか?僕にはてっきり深い訳があると…」
「ないね。ぜんっぜんない。私がそんな考えてやってるわけないじゃない」
「おい、総帥。お前それで良いのか」
「だって~、私は使えれば何でも良いの精神だし?あ、ビールおかわり!」
総帥としての資格はともかく、彼女が総帥である事は間違いが無い事実だ。帽子のバッジが何よりの証明である、威厳も何もないが本当にこれでいいのだろうか、アレクの中にはこの人が最高峰の立場にいていいのだろうかという不安が押し寄せていた。
そんな時、また店内に二人の男が入ってきた。彼らは普通の住人のようだ、話している内容はごく普通のものだ。だが、リホを見つけた瞬間に態度が変わった。早足で近づくと席の背もたれに腕を置き、馴れ馴れしく話しかけた。
「あれ?こんな田舎に美人さんなんていたっけ?しかも二人もいるじゃん」
「あ?私、軟派な男とナルシストは嫌いなのよね。さっさとどっか行ってくれる?」
「まぁまぁ、そう言わないでさ。そんなちびと辛気くさいのと飲んでても楽しくないでしょ」
その男が肩に手を触れようとした瞬間、ピリッと空気が張り詰めた。この瞬間、何か力場のような何かが展開されている。アレクの体は完全に動かない、男の腕も時が止まったかのように静止している。
「飲みの邪魔されるの、一番嫌いなんだよねぇ」
男の腕を掴むと軽く、本当に軽く放した。そのまま素早く男の頭を掴むと椅子に向かって叩き付けた。その速度はあっという間すぎて何秒なのか計測出来ないくらいだった。あまりにも早すぎる制圧に、もう一人の男は思わず後ずさったあと、走って逃げ出した。リージョンキーパーという職業の凄さを見せつけられたのだ。
「酔いが浅くてよかったな。深かったらトマトが出来てたとこだ」
「私だってちゃんと一般人には手加減するって。龍殺しの一族にも負けないからね」
この強さこそが彼女が総帥たる理由だった。リホ・リーブティはAz史上でも指折りの天才であり、そして戦闘力を持つ。その力は山を抜き、気は世を覆うとも言われている。その真価はこんなちんけな居酒屋では全てを把握する事は出来ないが、あの時感じた力場のような何かは底知れない何かを感じさせた。きっとこの人は、只者ではない。それを感じられるだけの何かを。
「ち、ちくしょう!覚えてろよ!!」
頭を抑えながら男は逃走する。ぎりぎり意識はある程度に抑えたようだ、リホの方は見向きもしないでビールを呷っている。龍殺しの一族、という単語が出たのが気になったが今はそれを置いておく事にした。
「あの手のタイプは報復してくるんじゃないか?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ!報復したら逮捕するだけだからさ」
「今のは傷害に入らないのか?」
「ちゃんと注意した上でやったからおっけー、おっけー。あ、ビールおかわりー!」
あっけらかんとした性格だ。先程まで殺気をほとばしらせていた人物だと思えない。この手の人は味方にいれば頼もしいが敵にすると厄介なタイプだ。アレクはなるべくご機嫌を損ねないよう努力に努めようと心に決めたのだった。
「そろそろ聞きたかった頃なんだけど、本当にネールさんが引き込んだの?それ」
「あ、僕ですか?確かに出会う人にその都度言われますけど…」
この手の話は聞き飽きた、ネールには相応しくない、弟子を取るとは到底思えない。何度も聞いた言葉だ。その言葉は正しいのだが、正しいが故にアレクの心を徐々に傷つけていくのだった。
「…私が弟子を取らない、そう明言した覚えはないな」
「鉄板悪趣味姉ちゃんに押し付けられたんだろ。大体予想は付く」
グローディアに押し付けられた、というのはアレク自身が薄々勘づいている事だった。一番偉い人に就きたいからこの仕事を始めた。そこから独立しようとしたら二番目に偉い人に引き抜きの話が来た。余りにもできすぎている。グローディアに対して面と向かって自分の正義感を話した次の日から、淡々と裏で進められていたに違いない。そう分かってはいたが、実力で掴み取った、と信じたいのだ。
「そっかー…。まぁ色々あるさね、私だってここまで来るのに色々苦労…はしなかったなぁ」
天才過ぎる故にとんとん拍子で出世したリホにとって苦労話はまったく身に覚えのない話である。ただ一つ、苦労している事と言えば。
「苦労ならしてるだろ。いい加減に良い相手見つけて、さっさと結婚しろ」
ショウカは明らかに苛つきながら喋っている。今回も頼りにした節があるのにも関わらず。
「いやー、ほら?そういうのはいいかなーって…。自分から探しに行くのって何か違うじゃん?」
「何が違うんだ。もういい年だろ、俺の事は放って置いて相手を探せ」
それを言ったら同じ歳のショウカも相手を探した方がいいのだが、やはり本人にはその気がないようだ。独り身が好きなのだろう、そうと思えば納得がいくしそれしか理由がないような気がする。
「だってぇ…、私と同じくらい頭が良くて的確にアドバイスもくれて適度なペースでお酒に付き合ってくれて私より背が高くて頼りがいのある背中をしてて絶対浮気しなさそうなのショウカしかいないのぉ~…」
「好みがピンポイント過ぎるんだよ…。お願いだから妥協という言葉を覚えろ」
酔いが周り始めたのか、ショウカとリホの距離がやたら近くなった気がする。その距離でも動じずに自分のペースで飲める泰然自若のその態度は見習いたいものがあった。
突如、外で轟音が鳴り響く。あまりの音の大きさに店が揺れるくらいだった。アレクは動揺して辺りを見回しているが、どうやら店のすぐ外らしい。悲鳴のようなものも聞こえ始めた、本格的に何かヤバイ事が起こっているようだ。思わずネールも立ち上がる、リホはふらふらと明らかに酔っ払った様子で立ち上がったが、ショウカから背中を強く叩かれ気付けをされると少し足取りが軽くなったようだ。
「ちょっとお仕事の時間かなぁ~?払っとくねー」
そう言ってタグで会計を済ませるとまだ少し千鳥足で外へと出て行った。アレクとネールはそれを追いかけた、が、ショウカにはまだ焼酎が残っていたのでそれをじっくりと飲み干していた。
外は逃げ走る人ばかりでパニック状態だった、まるで何か災害が起こったかのように。実際それは起こっているのだろう、途絶えない轟音がそれを裏付ける。リホはその中を音がする方へ人とぶつかりながらもゆっくりと歩みを進める。アレクはそれを追うので精一杯だった、ネールも流石に人の波には慣れていないようでアレクを追う形になった。
轟音の正体はすぐに分かった、人混みを抜ければ嫌でも目に付くからである。それは巨大な魔導機、魔法を軸に科学を併せ持った二本足、二本腕の全長5mほどの魔導機である。それがどこから湧いて出てきたのかは分からないが、操縦している人物は誰だか分かるような気がした。
「ネールさん…あの手のタイプは報復してくるって言ってましたよね?」
「ああ、その通りしてきたんだろう。残念な事だが…」
リホはあくびをしながらその魔導機の前に躍り出た。その魔導機の手にはスクラップになった車らしきものが握られていた。それを捨てると、リホを指差して大声を張り上げた。
「てめぇ!生きて返れると思うなよ!!」
「はいはーい…。お会計は済ませたからお家に帰りまーす」
わざと煽るかのような物言いにアレクはあたふたとしているが、ネールは至って冷静に見守っていた。それは何故か、目の前にいる人物がリホ・リーブティーだからである。
「ふざけんじゃ…」
左腕を振り上げた瞬間、それは弾け飛んだ。左腕の根元から飛んでいったそれは、ただのがらくたになって地面に落ちていった。リホの手元には拳銃のような何かが握られていた。それで撃ったのか、その手のひらより少し大きい程度の銃であれだけの魔導機を一発でスクラップにした。
「ん?なんだって…?酔っ払っててよく分かんないなぁ」
「この野郎!」
今度は右腕で殴りかかって来た、それを躱そうとも銃で撃とうともしない。直撃するのは時間の問題だ、そのままでいれば。
そう、そのままでいた。左手で、魔導機の腕を完全に止めていた。しかも本人は酔っ払った表情を崩さずに、にやけながら呟いた。
「はーい、公務執行妨害ついかー。…って仕事中じゃないんだっけ」
「なんで…っ!動けよ!!」
リホは手を添えているだけに見える。だが、魔導機の方は限界が来ている。煙を噴いている、火花が散っている、パーツが幾つか、外れる音がする。
「こんだけのもん持ってるって事は浮籠のボンボンちゃんねー。ま、相手が悪かったって事で」
左手で魔導機の手の先端を握るとそのまま引き千切った。まるでさっき相手がしたかのように、スクラップになったそれを開いてる所へ放り投げた。歩みを進めていって右手に握った拳銃を一発、撃ち込むとコクピットが壊れ、中の人物が露わになった。それはやはり、先程ナンパしてきた男だ。タグを持ち出し、男に見せつけるように起動させた。
「器物損壊とテロ容疑で逮捕しまーす。分かる?りぃじょんきぃぱぁ。読めるなら反抗しても無駄って分かるね?」
「なっ…!嘘だろ…!」
コートの首元をいじるとホログラムが現れた。何か操作すると、誰かに発信しているような画面に切り替わった。
「あっ、もしもしエイちゃーん?結構な暴れん坊来たから2番地か44番地どっちに送るか決めといてー」
「またですか…。検挙率高すぎて処理しきれないんですけどー」
「んー…。2番地でいいや。タグの情報送るからこの人ね。それじゃよろー」
話ながら、ボディチェックをし、タグを奪い取るとまたしても操作して何かを送ったようだ。あまりにも流れるような動作で何をしているのかさっぱり分からない。
困惑していると後ろからいついたのか分からないがショウカが砂糖菓子を咥えながら歩いてきた。どうやら飲み終わったようだ、かすかにアルコールの匂いがする。
「リホは大学を主席で卒業…全科目トップで、だ。その中には戦闘力も含まれる」
「…要するに訳が分からないくらい強いって事ですか?」
「龍殺しの一族を引き合いに出してただろ?それくらいの実力はあるんだよ」
強すぎるのは実力だけでなく、インパクトも比例して強かった。彼女を形容するなら怪物、それが正しいような気がした。
「まったく…、バトルコートの動作チェックも出来てないじゃないか」
「えっ?あー…、だって使うのめんどいんだもーん。使わなくったって私は強いし?」
「バトルコート無しで戦ってたんですか!?」
バトルコートとはリージョンキーパーの主に戦闘員に配布される増強装置である。科学的に力量を増加させ、最大出力は山の中にトンネルを作り出せるという。他にも様々なギミックが搭載されたリージョンキーパー専用の装備なのだが、それを使わずして強いと宣言してみせた。
「君の強さは分かるが、一度も使わずにいてくれると売った私の立場がない」
「まーまー。大目に見てよ、手錠!手錠は使ってるからさ!」
そう言って男にかけた手錠を見せびらかす。彼はこの後、一旦25番地の留置所に行き、2番地で裁きを受けるのだという。大騒ぎを起こした罪は重い、どんな刑を受けるかは不明だがそれ相応の罰を与えられるのだろう。
レイク達が帰ってくる頃合いにはショウカ達は戻って来ていた。良い感じに酔っ払った様子のリホと面倒そうな表情をしたショウカと疲れ切った様子のアレクとそれを眺めるネールがいた。レイクがレイラを引っ張るとショウカが気付いたようでまたしても面倒そうな表情をするのだった。
「ほら見て、ショウカ!橋の上で色々描いてきたの!」
差し出された大量の紙にはあまりにも綺麗過ぎるそれとあまりにも雑すぎるそれとが混じっていた。どっちがどっちを描いたのかは一目瞭然だが、それを見せて何を求めているのか、ショウカには分からなかった。
「お絵描きに出かけてたのか?贅沢しにいったんじゃないのか」
「贅沢ですよ。私にとっては…」
「「ねー!!」」
またしても口裏を合わせたのかのように言葉を合わせる二人に頭を抱えながら、ショウカはそれを返した。自分には不要だからだ。それを受け取ったレイクは大事そうにポケットの中にしまい込んだ。それは二人の宝物、今日、二人で作った最初の仲良しの証だからだ。
「リホさんは…どうされたんですか?」
「あー飲み足りない感じだなぁー…。途中で終わっちゃったしなぁ…」
どこで取ったのか分からない木の枝で地面をカリカリとかいている。いかにも構って欲しいオーラを出してショウカを見つめている。その意味が示している事は一つだ。
「…今日はダメだ。こいつに色々教えなきゃいけない事があるからな」
こいつ、と言って目線を向けたのはレイラだった。彼女にとって25番地は未開拓の地だ。レイクに任せたといっても不安な点は多々ある、というより不安しかない。悪い遊びを教えたんじゃないかとか聞き出したい事もある。それに仕事の話もある、奴隷としての仕事をきっちりこなして貰わなければならない。
「えー…。いけずー…。もー!ネールさん!いこっ!」
「という訳で、私はこれに付き合う事になる。アレクは付き合えないだろうから帰れ」
「は…はい…分かりました」
その言葉には素直に従う事にした。あの人には到底、敵わない。それを実感した一日だからだ。自分のような格下にはあの人のスケールについて行けない。もっと高めていかなければ、拳を握りしめながらもショウカの方へ向き直った。
「そういえば、僕も25番地の事、色々知りたいです」
「格下に教える情報はねぇ。聞きたいなら何か対価でも寄越すんだな」
腕を後ろ手に組ながら、わざとらしくアレクは呟いた。
「先日の清掃代行料金…まだ受け取っていないのですが」
「…まったく、変な所で商売上手だよな」
レイクに渡した金は全て彼女が使ってしまった。それを見越して借りを作って置いたのだ。アレクにもそれなりの智慧はある。レイクに料金として渡させておいて、それを全て使ってくれると。僅かながらの策ではあるが、何か要求されたらこれを出せるように用意しておいたのだ。
全員を部屋に入れると、キッチンから椅子を二つ取り出してきてソファーの横に置いた。中央にはもちろんショウカ、レイク。両脇にアレクとレイラが椅子に座る形になった。若干不格好だが、これが会議の形なのだ。四人は出身も違うし、普段仕事をする世界も違う。それでも一つにまとまってるように見えた。
「まず、レイラに説明しとこう。あそこがお前と奴隷の部屋だ」
指差されたのは、リビングの奥にある小さなドア。朝、自分が出てきた部屋だと認識する事は出来た。どうやら二人一部屋にされたらしい。そこについてはそこまで不満はないのでレイラは黙ってそれに頷いた。レイクとは友達のようなものでもあり、姉妹のようなものでもある。二人一緒なら楽しく時間を過ごせる事だろう。
「キッチンは向こうだ。料理がしたいなら自分でしろ、それ以外はインスタントだ」
リビングの手前側に続いているのがキッチンらしい。そこはまだ入った事が無いが、最低限の生活設備は整っているようだ。もちろん、料理など自分でしたことがないので出来ないがチャレンジ出来るだけのお金は貰っている。ショウカという人が奴隷に対してそこまでドライなのなら自分で挑んでみるのもいいかもしれない。
「風呂とトイレはそこだ、丁寧に使え。あとちゃんと掃除もするんだぞ」
リビングの真ん中にあるドアがそこに繋がっているらしい。奴隷の身分でありながら風呂は自由に使っていいらしい。もちろん、掃除の任は課せられたがそれは仕方の無い事だろう。何よりレイクはそういう掃除を喜んで買って出る人でもなさそうなのが不安を感じさせる。今はちゃんと綺麗なのだろうか。それともショウカが掃除をしているのだろうか。
「二階の手前が俺の部屋だ。もう一つ空き部屋があるが…そこはガキには広すぎる。何より掃除もしてないしな」
何かあれば二階に来い、という事だろう。普段は一階にいるのだろうが非常時は二階、その認識に改めた。この家は想像以上に広い。玄関の左がオフィスらしきもので右がリビング、その奥が階段になっているのだろう。まだ行き来はしてないが、その内行く事もあるだろう。頭の中でしっかりと地図を作り記憶していった。
「更に屋上があるが…。特別、何も無いから用が無いなら入るな。景色はそこそこだけどな」
「見た目より大きいんですね…。もっとこぢんまりしてると思ってました」
「そりゃ、見た目が古いからだ。かなり年季の入った家だからな」
少し遠い眼をして、ショウカは語った。年季の入った、というのはほとんど間違いではないであろう。埃臭い、煤けたような外観からは迫力というものを感じられない。それでも、ちゃんと見れば大きい家であることは理解出来る。リヤカーの運び屋にしてはやたら家が豪華なような気がしないでもないが。
「わ、分かりました。この家については大体学べました」
気付けばレイラは紙とペンを手にしている。それについてはショウカは何も言わなかった。元から渡すつもりでいたからというのと、レイクがそれを使わないと知っていたからだ。
「そんで仕事の話だが…荷の数とラベルチェックをしてくれればそれでいい」
「えー!?それだけ?私には重い荷物をひかせるくせに…」
「こういうのは正確さが重要なんだよ。真面目に働く気があるなら出来るだろ?」
それに対しては素直に頷けた。レイラも生半可な覚悟で奴隷への道を目指した訳ではない。正確に、与えられた仕事を、忠実に。それはしっかりと頭に叩き込んでおいた事だった。
「んで、格下は何が聞きたいんだ?」
一通り自分の話をし終えた後、約束を忘れずにアレクへと話を振った。
「ストーンピークを始め、橋の上だとか知らない場所ばかりなので…案内を頼めればな、と」
「話しかする気はないぞ。ガイドが必要なら金を払って雇うんだな」
正論を返されたが、そこで引き下がるアレクでもない。ここの事を詳しく知っているのはこの人しかいない、と自分で見抜いたのだ。何とかして案内を頼みたい。
「そうだな…。この街は採掘の街だ、銅晶石が有名で南に銅晶谷と呼ばれる谷がある。遠回りになるが北の方からなら船が出てるからそこから良い景色が眺められるぞ」
言葉を出す前に先に言葉を出されてしまった。だが、その景色というのは見てみたいものだ。船から谷を見る、という事は遠くが滝になっているのだろう。ただの谷ではない、というのはその名前が示しているような気がした。銅晶石と銅晶谷。二つの言葉を出したからにはそこには何か共通点があるのだろう。
「真っ直ぐ北に行けば田園地帯と果樹園がある。ガンさんの知り合いがそこを取り仕切ってるから名前を出せば何かサービスはしてくれるかもな」
思ったよりもすらすらと言葉を紡いでいくショウカを見て、アレクは若干驚いていた。こんなにも丁寧に説明されるとは思ってなかったのである。もっとぶっきらぼうに、あそこへ行けだここに行けばいいだの言い出すかと思えば意外と25番地には思い入れがあるようである。
「あとは…。まぁ今日の情報を鑑みてのアドバイスというかなんというかだが…」
何故かそこでもったいぶった。何か口に出してはマズい事でもあるのだろうか、この場では出してはいけない、一言とか。
「さっきも言った通り採掘の街だ。男は山に出稼ぎに行っている。その間に女は何をすると思う?」
「えっ…?そりゃ待つしかないんじゃ…」
今日の情報を鑑みて、という一言を前提にこの質問を問いかけて来たという事は、今日喋った事に何か関連する事があるはずだ。思い出そうとしても、今日、自分から出した情報は年上が好き、くらいしかない。という事は…。
「街の南西は居酒屋や風俗がそれなりに栄えてる。遊びたいならそこで遊んでみる事だな」
「なっ!そういう事、子供達の前でいいますか!?」
「そっ、そうですよ!レイクちゃんだって知らないだろうし」
「あ?レイラ。お前は言ってる事の意味分かってるのか?」
思わぬ人物が乱入してきた。この話の中に11歳のレイラが入ってくる筈はないのである。もちろん推定12歳のレイクは何も知らぬ顔で頭に?マークを浮かべている。三人が知っている話について行けないのだ。
「…いっ、いえ!私は知りません!?知るはずがあるわけないですよ!」
「……普段から脱走癖があったとしたら、その辺の公園に落ちてる物か何かでそういう情報を」
「わー!わー!知らないんですってば!本当です!ただレイクちゃんには良く無さそうな感じだったから…」
身振り手振りで知らないという事を必死にアピールしているが、どう見てもそれは知っている者の反応だ。11歳が知っていい単語では無いが、知ってしまったからには仕方ないのだろう。それは罪ではない、いずれ知る事になる事を早く知ってしまっただけの事だ。それは褒められた事ではないが知った以上はそれ以上、咎める事も出来ない。何よりその責任がショウカ達にはない。ちょっとおませな所がある、と認識だけしておけばいいだろう。
「まぁそれはどうでもいい。橋の上については俺よりもこいつの方が知ってる」
そう言って手をレイクの頭の上に乗せた。それを受けてレイクは如何にも「えへん!」と言った感じで両手を腰に当てた。無賃乗車で普段から橋の上に行っているのが難点だが、その好奇心と行動力で隅々まで行き尽くしている。ショウカは普段行く所を決める人物なので他の場所へは足を運ぶ事はまずない。そう言った点でもレイクの方が知っているというのは嘘ではないだろう。
「もし、何か知りたいなら子守ついでに案内して貰えばいいだろう。…俺が話せるのはここまでだ」
「成る程…ありがとう御座います。僕もちょっと自分の足で探してみようかな」
「その元気があるなら聞かずとも自分で歩けばよかったろ。百聞は一見にしかずだ、自分の目で見てろ」
「うっ…、ほら、探す前に色々聞いておくのもいいじゃないですか…」
少しばつが悪くなったような気がしたアレクは黙り込んで俯いた。
「さて、もう夕方にもなるし解散だ。各自、自由行動を…何だ、奴隷。気になる事でもあるのか」
手を叩いて解散の合図をしたショウカだが、レイクが先程からチラチラと何かを見ている様子が気になって思わず問いかけた。レイクはそれに対して黙って首を振った。それが逆に怪しかった、普段は喋る事の方が好きなレイクが黙って行動で示すというのはあからさまに怪しい。
レイクの目線の先にあるのは何て事は無い観葉植物。植物のように見えるから観葉という言葉を使ったが本来の用途とは違う気がした。それはとてもじゃないが景観の為に置かれているものではなく、ただの植物のようで、それとは違うような気がした。
「…あんなものあったか…」
「あった!前からあった!ね?レイラちゃん」
「え、えぇ…私がここに来た時にはあったような…」
ショウカが近づくとレイクは明らかに不安そうに後ろにぴったり付いてくる。それは植物にしか見えないのだが、どう見ても植物だ。ただ、何かがおかしい。ただの植物ではない。そう予感させる何かがあった。
「あっ、それウチの商品にあった魔物の…」
「違うよ!違うから!似てるだけでその…食虫植物ってやつだから!」
「んなもん俺が買った覚えはねぇ。お前が買ったのか?」
確かに、食虫植物のようにも見える。口のような器官が付いていて、さらに少し派手な色の花を咲かせている。そして、ショウカが近づいて持ち上げるとバクバクと口を開閉させている。それは明らかに肉を食らおうとしている魔物の姿だ。
「いつからあった…?いつの間に置いたんだ」
「いや、その…仕事した時に貰って…手放しにするのも可哀想だから…」
魔物をあげる、こんな悪趣味な事をするやつは一人しかいない。
「浮籠のトータか…。そんな前から隠し育ててたんだな」
「ちゃんと自分で世話するから!置いてもいいでしょ?ね?」
土がしっかりと濡れている事から、世話はしっかりとしてきた事は窺える。例え死んでしまったとしても魔物…もとい植物なのでその辺に埋めてしまっても何も問題はないのだろう。そのまま、植木鉢を置いておく事で了承の合図にした。
「やったー!良かったなーバチュー」
名前まで付けて溺愛しているようだが、レイクが植木鉢を持ち上げても何も抵抗はしない。どうやら信頼関係が出来上がっているようだ。レイラは少し怖い感情もあったが、その光景を見てちょっとだけ安心した。レイクの面倒見の良さは存分に発揮されているのだ。
眠る前、お風呂にも入って午後10時。テレビを点けて眺めるレイクがいた。薄暗い物置部屋に、僅かな明かりを灯してくれる。その横で、レイラも一緒にテレビを見つめていた。
お姫様として暮らしていたレイラもテレビというのは普段から見ている物では無い。それは未知のもので確かに面白いものだった。深夜のニュース番組というのにもかかわらず。
「あれがね、私の憧れのシバさん!綺麗でしょ?」
「本当だ…。あんな人と知り合いなんだね」
きっと二人でいれば会える。そんな気がした。抱えた枕を強く抱きしめると、これからの日々にワクワクが止まらないのだった。