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運び屋ショウカと奴隷少女  作者: 不眠蝶
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1-4 変わらない事

工房の中でポカンと口を開けた少女がいた。それはやることがないからだ、圧倒的に、暇だからだ。今回はアレクとショウカの様子がおかしかったので、何とか付いていこうとあれこれ試してみたがものの見事に全て見破られた。リヤカーに事前に隠れていたらあっさり見つかった。なら下に張り付こうと思ったがあっという間に見つかった。こうなればとショウカの後ろにしがみついたら、いつも通り壁に向かって放り投げられた。告げられた言葉はたった一言、「ガンさんのとこで大人しくしてろ」。まるで託児所に預けられた子供のようだ。こんな所で収る自分ではない。

旅に出なければ、そう思った。その一心で外へ出たが、陽光眩しく、暖かいこの季節はどこか眠気を誘うので諦めて鉄臭い工房の中へ戻った。いや、ここで引き返してはいけない。行くと決心したからには行かねばならぬのだ。そう思い直し、また外へ向かった。だが、何か忘れている様な気がする…。そう感じたので再び工房に戻った。そんなやり取りをガンは機械を弄りながら見守っていたのだった。

やっぱり何か忘れている気がする。そう、装備だ。旅に出るからには食料、武器、防具…色々必要になる。ここでなら全部揃えられる。試しに玩具箱の中をひっくり返して何か使えないかあれこれ探してみたのだが、何も見つからない。役に立ちそうなものは無さそうだ、溜息を吐きながらガンの方へ視線を移す。ガンは新しい玩具か何かを作ってくれているようだ。そういうのには積極的に協力してくれる。だが、今は裏切りの時。心の中で「すまぬ」と一言残しながら工房の奥へ向かった。

工房の奥はガンの試作品や廃材や鋼材やら、色んな物が見つかる。隙を見てはここを探索しているのだが、ガンとショウカにはあまり入らない様に言われている事を含め、普段出来てない冒険をしている気分になれるのだ。入ってみた感想としては鉄臭い、ただそれだけで目新しいものは見つからない。諦めて引き返そうと思った時、点滅している何かがあった。新しい玩具かと思ったがそれにしては小さい。手を伸ばしてそれを取ると、鍵状の何かであることが分かった。赤く点滅しているそれは、一部分が欠けていた。ホルダーにかける部分だ、勢いよく引っ張った事で何かにぶつかって取れたようだ。という事はこれは何かに使う鍵達の一部で、何処かにその鍵達があるのだろうか。それを探す旅もいいかもしれない、もう少しここで探索を、そう考えていた時に誰かが入ってくるのが見えた。

「すいませーん。もう一度お話が聞きたくって…」

その声は確かに聞き覚えがあった、シバの声だ。しかも、今回は周りに誰もいないプライベートでの訪問のようだ。これには流石のレイクも飛び出した。シバに向かって面倒臭そうに頭を掻くガンが目の前にいたが気にしない事にした。

「良かった。ここにいたんですね。お隣にも声をかけたんですが誰もいなくって」

レイクがシバの前に陣取ろうとした、その瞬間。ガンによって力強い獣の手が、か細いレイクの腕を掴んだ。ガンの様子がおかしい、視線は突き刺さるように厳しく、まるで見られてはいけないものを見られたかのような焦りも見えた。

「お前…っ、それ何処で見つけた?」

声にどこか震えが入っているようにも聞こえた、ガンにしては珍しい、珍しすぎる反応だ。

「工房の奥!そういえばこれって何?」

冒険への執着が無くなったので率直に聞く事にした。冒険するよりシバさんと話をしていた方が楽しいのだ。何より、あのガンが怯えているような様子なのが気になる。

「そりゃ…鍵だよ…鍵以外に何があるんだ」

「何のかぎ?必要なの?」

「あぁ…そりゃ必要だよ。だから俺に渡して…」

「やだ!なんか隠してる…」

レイクは視線をガンに向けた、まるで疑るかのような視線を。その視線を向けると露骨にガンは視線を逸らした。確定だ、何かを隠している。

「それは…もしかしたら…」

「あぁ!言うよ!首輪の鍵だ!仕事に必要なんだよ!」

シバが言い出すのを割って入るかの様に言い出した。まるで自ら罪を被りにいくかのように。

「お隣…つまり運び屋ショウカさんは仕事中なんですよね?ということは…」

「ショウカの仕事に必要?!」

一つ切っ掛けが出来た。これはショウカの忘れ物だ、そうに違いない。ショウカは何か隠してて時々自分をこうしてガンの下へ預けに行く。薄々気付いていたのだ、二人は結託して隠し事をしていると。これはそれを暴くチャンスだ。シバとどちらを取るかは微妙な所だが…。

「あー…そうだよ。ショウカの忘れ物だ。でもお前の大好きな人が来てくれたぞ?」

そう言ってシバへ視線を向けた。それはどこか恨めしそうでもあり、救いを求めているようでもあり、複雑な感情が篭っているのが見て取れた。シバは何をしでかすか分からない、ガンはそれを含んだ上で話を振った。

「そうですねぇ…それでは取材はまた今度、という事で」

大きな溜息と共に、ガンはレイクの腕を離した。もう好きにしろ、とでも言わんばかりに。選択肢が二つある、二人の隠し事を暴く事とシバさんの取材を今すぐにでも受ける事。でも、シバさんは今度でもいいと言ってくれた。なら今できる事をやるだけだ、鍵を手に、外へと駆け出した。今度は戻らないように。

「どこ行くのか分かってるんだろうな?!」

「44番地!それだけは聞き出したから!」

ガンはそれを聞くと、やはり、恨めしそうにシバを睨むのだった。余計な事をしやがって、そんな言葉が目を見るだけで分かる。

「あんたといると碌な事が起こらないな。何がしたい?」

「彼女が変わらないって、証明したいんです。もうあの子は変わったのだから」

シバは何か確信しているようだった。レイクへ向けてしたためたサインの感覚を思い出しながら。

「それに、きっとあなたも同じ事を考えているんじゃありませんか?」

ガンは何の事だか分からなかった。今まで、レイクを44番地に連れて行かなかったのはそういう理由だと思っていたから。ショウカなりの優しさがあって、レイクをこれ以上変わらないように、その為に自分に預けているのだと考えていた。

「あの子はレイクちゃんです。ただの奴隷ではありません。25番地で一番有名な奴隷です」

「そりゃあんたが付けた箔だろ。あいつ本来の価値じゃない」

「いいえ、あの子自身が持ってる物です。レイクちゃんは変わる側じゃない、変える側ですよ」

そう言うと懐から綺麗な色紙を取り出して、サインを書き始めた。書き終えたそれをガンに向かって差し伸べた。

「これ、あの子が帰ってきたら渡してあげてください。ちゃんとしたのをお渡ししたかったので」

「…用事はそれだけか」

「はい。何かそれ以外に?」

「…はぁ。どうしてこうも変人ばっかり集まるんだ、ここは…」

ガンはそれを取ると、わざとらしくテレビの前に立てかけた。季節は春、陽の光眩しく、開かれた工房にもその光は差し込んでいた。大きく輝く太陽は、変わらずにこの街を照らしているのだった。


一人の旅行というのは珍しいものではなかった。例え身分が奴隷であっても異世界から主人が呼びつける事もあるので、一人でも異世界渡りは可能なのだ。ましてや番地が低い場所ほどその制限は緩い。44番地は奴隷の名産地という事もあり、奴隷一人で来られても何もおかしくはないのだ。レイクは緊急時に使えと言われていた僅かばかりの駄賃を使って、44番地への移動を完了させた。一人でも遠い所へ行けるのだ。44番地に入り込んだまずの感想は25番地と大して変わらないなというものだった。ターミナルは共通のものだし、外へ出れば木造やレンガ造りの家が建ち並ぶ。とても中世的な街並みだ。視線を少しはずしても尚。

同じ服を着た奴隷が多く、みながそれぞれの仕事をしていた。レイクと違うのはその目に光が無い事だけだ。レイクからしたら奴隷が多い、というのは同胞が多い、程度の認識に過ぎず、いつか下克上を果たす仲間なのだ。仕事をしている様子を見ているだけでは何とも感情は湧かない。自分と比べて真面目だな、それくらいの認識なのだ。

44番地にいるという情報は得たが、そこのどこにいるかまでは聞いた事がなかった。取りあえず行けばなんとかなるだろう、程度の気持ちで出かけたのだが…何処へいけばいいのかまったく分からない。案内所のような物や看板の類もあるが文字は読めない。万事休すだ、最早どうすればいいのか分からない。取りあえず歩けば何とかなるだろう。何事もポジティブシンキングなのが彼女の取り柄なのだ。

真ん中に噴水のある大きな広場についた。何ともない、普通の広場だ。あちこちを同じ服を着た人が行き来しているお陰で浮かないですんでいる。これはレイクにとって珍しい事だった、ただ、その顔を覗かなければ。

「もしもーし」

声をかけても反応がない。言葉を喋る事は出来るので、まずは情報収集から、と考えたのだが誰一人として反応しない。違う服の人にも声をかけてみたがそっぽを向かれた。ここではこんなにも人が冷たいのかと憤慨していると、見た事のある服の人がいた。ベージュの、宝石の束を二つ付けた人だ。背が低く、まるで覇気がない青年。アレの人だ、そう確信したら早かった。

「アレの人!おーい!!」

大声を出して呼びかけると周りが一瞬、しんと静まりかえった。視線が一点に集まるのを感じるが、レイクは特に気にしなかった。だが、アレの人呼ばわりされた本人はピタリと固まって動かなくなった。固まったという事は心当たりがある、という事だ。そう確信したレイクは固まった本人の目の前まで走っていった。その顔は中性的で、整った顔がとてもひきつっている。静まりかえった街はもうざわめきを取り戻しているのに、その顔は中々戻らない。

「れ…レイちゃん…?」

「やっぱりアレの人だ!返事くらいしてくれたっていいのにー」

レイクは至って平常運転だ。おかしいのはアレクの方だ。知り合いがわざわざ遠い番地からやってきて、奇跡的に出会う事が出来たのに何の反応もしてくれないのは意地悪が過ぎる。

「な…なんで来たの…?」

「来ちゃった!」

「そんなノリで言われても!えぇーっと…どうしようかな…、本当」

レイクの頭の中には鍵の件は入っていない。ただ、隠し事を暴きたかった一心に過ぎない。この動揺ぶりをみると、こいつも一枚噛んでそうだ。もうちょっと深く言及する必要がある。

「アレの人はなんでここにいるの?」

その一言にアレクはあからさまに動揺した。目が泳いでいる、手のやり場に困っている、足がふらついている。

「いやっ、ほらっ…。僕がここにいるって事は…その…仕事だよ」

「そりゃそうか。で、ショウカ何処にいるか知ってる?」

アレクはまたもや目を泳がせた。むしろレイクを直視した事がないくらい視線は右往左往している。どうすればいいのかまったく分からない。誤魔化せばいいのか?真実を話せばいいのか?どちらにも決めきれない優柔不断さがこの男の弱点だ。だが、それは優しさの裏返しでもある。ここでどちらを言えばこの子は納得してくれるだろうか、それだけを考えている。素直に話す方がレイクは好むだろう、だが正直に話せば間違い無くついてくる。

今聞かれているのはショウカの居場所だ、まだショウカとはここでは会っていない。だから正直に答える事にした。

「し…知らないなぁ…」

「こんなとこで何してんだ格下」

聞き慣れたリヤカーの音と共に、やってきたのは明らかにデカい大男。見上げれば白い砂糖菓子を咥えた見慣れたシルエットは一瞬で分かった。

「ショウカ!見つけたぞ!」

「おう。なんだ、お前もいたのか」

「なんだじゃないですよ!ショウカさん!!分かってます!?」

アレクは慌てて、ショウカに後ろを向くよう指示してひそひそと話し始めた。

「万が一はない、って言ってたじゃないですか!来ちゃってますよ!?」

「あったから来たんだろ。ただの俺の計算ミスだ」

「じゃあどうするんですか!?連れて行くんですか?」

「あいつは勝手に付いてくる気だろ。見てみろ」

アレクはそっと後ろを振り返った。腰に手を当て、仁王立ちをしているレイクがいる。レイクからしたらやはりアレクも一枚噛んでいた、隠し事の共犯者に過ぎないと確信したのだ。ここからてこでも動かないという意気込みを感じさせる。

「来ても大丈夫だ、そう言ったはずだ」

「それは、…ショウカさんがレイちゃんを奴隷として見てるからで…」

「奴隷以外に何だ。俺はその見方を変えないぞ」

「…貴方がそう言うのなら、僕だって変えませんよ…」

険しい顔で言い放った一言に、ショウカはふっと鼻で笑うと、レイクへと向き直った。完全に連れて行く気だ、アレクとしては何としてでも阻止しなければならない。

「れ、レイちゃん!お腹空いてない?ちょっと寄り道して…」

「ふん!その手に乗るものか!今日こそは暴いてやるぞ!ショウカめ!」

「何を暴きに来たんだよ。付いてきたいなら最初からそう言えばよかっただろ」

「ぐっ…!ガンちゃんのおもちゃのゆうわくさえなければもっと早く…」

弁ではとても敵わない事を悟った一瞬のやり取りだった。恐らくこの人に口喧嘩で勝てないというのはあながち間違いではないのだろう。レイクはリヤカーの上に陣取ると、アレクも載せてリヤカーは動きだした。


44番地の景色は平和なものだった。酪農が行われ、そこかしこに牧場がある。ちょっと視線を外せば畑だってある。果樹園だってある。緑を最大限に活かした、とても生産的な世界だ。着ている服に目を瞑れば。働いている人々は全て奴隷、それは教育の一環でもあり、教育済みの者達が巣立つ場所でもある。異世界に売り飛ばされるのを待っている奴隷達はここで一生を終える、それは寂しい事でもあり、当たり前の事でもある。ここで生まれたという性を持ってしまったからには。

レイクにとってはそれは当たり前の光景であり、ただ人が働いているに過ぎない。本当にこのままでいいのだろうか。アレクは悩みに悩み抜いたがリヤカーの歩みは止まらない。どうすればこの子はこの子のままでいられるのだろう。レイクは変わってはいけない。彼女は元気で、活発で、おてんばな一人の女の子だ。たった数日の付き合いだがそう思わせる何かを持っている。自分勝手な思い込みかもしれない、けどその方が良いはずだ。

「レイちゃん…奴隷で良かったって思う?」

「ん?…まぁまぁかなぁ」

本人の奴隷への誇りも不思議だ、それさえ無ければ、それさえ無ければ彼女は普通の女の子になれるのに。そうアレクに深く思わせた。

「奴隷じゃなくって、違う人の所に行く事だって…出来たんだよ」

「んー。おさそいは何度か受けたけどなんだかなぁ…ってなって」

ならそうすればいいのに、この人の下にいたらいつだって奴隷のままだ。そう言葉に出そうとして、躊躇った。何故なら奴隷に誇りを持っているからだ、それに執着しているからだ。そんなのいらないのに、何でレイクは奴隷のままで居続けられるのだろう。

「僕は、奴隷じゃないレイちゃんもいいと思うよ。きっと、いつかそうなれるよ」

「げこくじょう信じてくれるの!?それじゃあその時になったら協力してよね!」

そういう意味で言ったわけではないが、そうともとれる発言ではあった。言葉選びをまた間違えたかな、と頬を掻いているうちに目的の場所へはあっという間に着いてしまった。アレクにとっては、あまりにも早い時間で。

施設の中に入らなくても分かる血の匂い。それがショウカは嫌だった、もちろんアレクにもだ。レイクは何だか不思議な顔をしている。戸惑えばいいのか、受け入れればいいのか分からないようだ。ショウカは余りにも軽い足取りで施設のドアを開けた。さっさと終わらせたかったからだ。

「そう言えば鉄板悪趣味姉ちゃんが直々に来てるんだったな」

「えっ!グローディアさん来てるんですか!?」

アレクには知らされていない情報だった。だとすると尚更まずい。

「そりゃそうだよ。お前に会いに来たのさ」

「だからそういう冗談はやめてください!えーっと、レイちゃん…」

「なるほど!あの時言えなかった事を言い返すいい機会だね!!」

火を点けるような事を言わないで欲しい、心底そう思った。これ以上、彼女を刺激してはいけないのに、この人はこういう事をする。アレクをからかっているのか、レイクをけしかけているのか、まったく分からない。読めない人間だ。そんな人の相手を出来るならしたくない、アレクの中でショウカの評価は下がる一方だ。

施設の中では時折、声にならない悲鳴が聞こえる。それは絹を裂くような声で、連続で聞こえる時もあれば間を置いて違う場所から聞こえる時もある。罵声のようなものも聞こえる、大声すぎて何を言っているのか分からないくらいの声だ。あちらこちらから、色んな声が聞こえる。そのどれもが快適ではない。ここは奴隷調教施設であり、今は調教が厳しめに行われているようだ。何かが飛び散る音が聞こえ、激しく何かがぶつけられている音も聞こえる。その内、檻と檻に挟まれた通路に入った。

その檻の中には、すっかりくたびれた様子の、奴隷服を着た人達が横たわっていた。それが商品なのだ。その内、何人が生きているのか分からないくらいに臭いは酷いが。思わず鼻をつまみたくなる悪臭だが、この中で誰も鼻をつまむものはいない。慣れているからが二名、そして臭いよりも現状を把握していないのが一名いるからだ。歩いて行くと、片腕が無い奴隷が一人、壁に背中を預け座り込んでいた。首輪に何か、タグのようなものを付けて。

「ショウカ。あの人、腕がないよ」

「あー…ありゃタグからして感染症に罹ってるな。近い内に処分だろ」

アレクはその言葉を止めたかった。が、それが真実なのだ。ここまで付いてきてしまった以上、誤魔化す事は出来ない。彼女が望んでここに来た以上、知らなければならないと思ってしまったからこそ。黙ってしまった。拳に力を加えながら。

「しょぶんってなに?」

「処分は処分だ、捨てるんだよ。ほら、あっちのもそうだ」

そう言って指差したのは両足があらぬ方向に曲がっている少年だ。苦しがっているのか、何かうめき声を発している。それは静かなこの空間において、余りにも響き過ぎて、とてもではないが聞いていられなかった。アレクはレイクの方をただ、じっと見ていた。今は見る事しか出来ないのだ。

「………私、外で待ってる」

「鉄板悪趣味姉ちゃんに言い返さなくっていいのか?」

「後で、でいいや。リヤカーの上で待ってるから」

その言葉には余りにも感情が篭っていなくって、レイクらしさがまったく欠けていた言葉だった。アレクは握っていた拳に更に力が入った。やはり、彼女にこんなものを見せるべきではなかった。

「僕はやっぱり…こういう事はよくないと思います」

「奴隷商売が、か?そうは言っても需要があんだから仕事になってんだよ」

事実、この仕事があるからこそアレクに収入が入ると言っても差し支えなかった。その金で、自分だって生きている。偽善ではあるが、変えてはいけない事だと思った。

「どうやったら止められるでしょうか?一商人の意見では…到底、無意味ですよね」

「そうだな、お前が止めろ、と一言。言っただけでは無理だな」

ショウカは砂糖菓子を咥えながら、アレクの方を向きもせずに歩いている。それが本当に救いのない事実であるからだ。

「…お前、変わらないって言ったよな」

突然、ショウカは足を止めて振り返った。丁度、ドアの前だ。そこを開けば目的地なのに、わざわざ止まって話をしようとしている。

「どうしても、何かを変えたいって思うならお前は変わるなよ。そうすりゃ誰かが変えてくれる」

「そんな、消極的な…!それじゃいつになったらいいのか…」

「少なくとも一つ、お前が変わらなかった事で変わった事がある」

ショウカは一本指を立てて、扉の奥へ目線を送り、アレクへと戻した。

「俺の嫌な仕事が一つ、減った」

砂糖菓子を噛み砕くと、手をドアノブにかけて開いた。アレクには何がなんだか分からなかった。自分が変わらなかった事、それとショウカの仕事がどう関係しているのかが分からなかった。それでもそれは、ショウカが心から発した言葉だと感じたのだ。嘘は吐いてない。何故だかそう信じられる気がした。

ドアの向こうには奴隷が整然と並んでいた。その中で一人、声にならない声を発して暴れているのがいた。それを叩き、地面に押し付けたのがグローディアだ。

「あぁ、遅かったじゃないか。君が遅刻するのは珍しいな」

「ちょっとそこの格下に説教してただけだ。あんたがいるならこいつもいらないだろ」

「…別に、少し分け前を与えてやろうと思っただけさ」

未だ暴れるそれを抑えつけているグローディアはまるで涼しい顔だ。こういった事にすっかり慣れているような。

「それは?」

「不良品だよ。今は在庫がないからそれだけ運んでてくれ」

それと指差されたのは整然と並んでいる奴隷達である。彼らには首輪がかけられていて、それは調教の一環に使われる。奴隷を制御する為に、首に刺激を与える装置である。それは鍵が無ければ開く事は出来ない。これはここでしか使われない、使い回されるものである。そしてその鍵はショウカが持っている。一つ、一つ、と開けていくと丁度、鍵の個数分、首輪が回収出来た。

「……あ?一人、不良品だったよな…」

「どうしたんですか?ショウカさん。もうグローディアさん連れて行っちゃいましたよ」

「いや…」

その時、何故レイクがこの世界に来たのか。ようやく理解出来た。


レイクはただ、この世界を眺めていた。リヤカーの上から。自分はここから始まったのだ、奴隷生活が。生まれてきた環境が違うと言えば違う。彼らはこの世界に生まれてしまったからこうなったのだ。そう理解する事は出来た。何だか表情が違う、その理由も理解出来た気がした。自分とここの奴隷は違う。自分がおかしいのか、ここがおかしいのかが分からない。レイクにはその程度の事も分からない。今までずっと隠していた理由も。もっと早く、こうであると教えてくれればよかったのに。そうとさえ思った。

ショウカが奴隷を引き連れ、出てきた。ざっと数えただけで十人程、ぞろぞろとリヤカーの上へ乗っていく。その中に既にいるレイクを無視して。綺麗にコの字に並んで座り込んだ奴隷達は、まるで目の焦点が合っていない。真ん中にいるレイクを無視して。ショウカは当たり前の様にリヤカーの取っ手を取ると旋回してターミナルへと向かった。これは異世界に運ぶ為のものなのだ、首輪を付けて無くとも言うことを聞くくらいにはしっかりと調教してある。その痕も、しっかり見える。レイクが思わず近寄って見てしまう程に。

リヤカーが発進してから五分も経たない内に、レイクは飽きだした。誰も、何も喋ろうとしないのである。こんなにいっぱい奴隷がいるのなら、誰かが喋る切っ掛けを作るものではないのか。同じ服を着た同士だ。そうだ、同士だ。自分とこの人達は同じ身分なのだ。この人数でかかればショウカだって目じゃない。今こそ、その時なのだ。

「私、レイク!レイク・スレイブ!貴方の名前は?」

試しに近くにいる奴隷の一人に声をかけた。だが、反応は返ってこない。ずっと俯いたままの、ただの奴隷だ。

「やめろ。話しかけても何も答えねぇよ」

「やってみなきゃ分かんないじゃん!」

ショウカの一言に、思わず反抗したくなった。同じ奴隷なのだ。同じはずだ。遊んだり、テレビを見たり、色々やりたいことがあるはずなのだ。

「名前がないなら付けてあげるね!えーっと…」

「下手に刺激するんじゃねぇ。それは商品なんだよ」

ショウカの言葉には怒りが若干含まれていた。そう、それは商品なのだ。下手に手を出して品質を下げられては困る。

「でも!同じ奴隷だもん!名前くらいあったっていいでしょ!!」

「俺が仕方なく付けただけだ。周りから言われて、仕方なくだ」

レイクが大声を出しているからか、周りの奴隷達は怯え始めている。何かされるのではないか、と。その首には、新品の首輪がされていた。

「…っ!今こそげこくじょうの時だ!みんな!解放して…」

ポケットから鍵を取り出したその瞬間だった。視界が突然、空に広がり、投げ飛ばされたのだと体で感じだ。それと同時に、手に持っていた鍵を失う感覚も。

「やっぱり。お前が持ってたんだな。だが残念だな、これじゃこの首輪は外れない」

そう言って、新しい鍵をひけらかして見せた。お客が必要な時用に調教用と商品用に分けてあるのだ。

「これでお前が出来る事は何も無くなった、って訳だ。大人しく乗るか?」

力では敵わない、奴隷を解放する事も出来ない、大人しく乗る事だって、出来るはずがありはしない。同じ奴隷なのだ。同じにしないと気が済まない。

「やだ!私は奴隷のみんなと協力して、絶対に下克上を…!」

「そろそろ大声を出すのを止めろ。見てて分かんねぇのか?」

怯えている。みんな怯えている。それが嫌だった、自分と違うのが。同じにしたかった。でも、何も出来なかった。

「やめない!鍵で開かないならひきちぎってやる!」

リヤカーに駆け上がろうとした、その瞬間、またもや放り投げられた。そして、いつもの目で、見下して、あの言葉が出た。

「これ以上、逆らうようなら追い出すぞ」

また言った、何度も言った、追い出すの一言。もう、嫌だった。

「追い出す追い出すって言って!一度も追いだした事ない癖に!!」


「お前、それ、本気で言ってるんだろうな…?」


その目には力があった。その言葉には重みがあった。本気で実行するという、覚悟があった。思わずレイクが後ずさるくらいに迫力があった。有無を言わさない、圧力があった。反射的に走って距離を取った後、その辺に落ちていた小石をショウカに向けて放り投げた。それは当たり前の様に掴まれた。

「ショウカのバーカ!!」

迷わず走った。もうこんな所にはいられないから、もう、ショウカの所にはいられないから。思いっきり走った。何処へ行くかなんて考えてなかった。絶対に戻ってやるもんか、その一心でひたすらに走った。そんなレイクを見送るとショウカは小石をその辺に放り投げて自分の仕事を再開した。まずは怯えている奴隷達が落ち着くまで待たなければいけない。砂糖菓子を咥えると、本を取り出して時間を潰す事にした。

レイクはひたすらに走って、走って、息が切れるくらいの所で走るのを止めた。そこは丁度、44番地を見下ろせる小さな広場になっていて、おあつらえ向きにベンチが置かれていた。そこに座ると、もう一度、世界を見つめ直した。同じ奴隷服を着た人達が働いている。ただ、それだけだ。彼らには名前が無い、彼らには表情がない、彼らには感情がない。そんな程度の違いだ。だけど、それが許せない自分がいた。絶対にこうであるべきではないのだ。自分が勝手に定義付けた奴隷と、世界が定義付けた奴隷の違いにレイクは絶望していた。ベンチで座る事しか出来ない自分は無力だ。そう考えていた。

ふと、向こうの方から走ってくる人影が見えた。リヤカーを牽いてない、ただの人だ。それにしては何だか見慣れている。アレの人だ。そう確信した。

「レイちゃん…!こんな所にいたんだね…っ!心配で走ってきて…はぁっ…」

アレクは別ルートで車で先にターミナルへ行き、手続きを済ませた後に急いでレイクのもとへ向かっていたのだ。もしかしたら、喧嘩して大変な事になっているかもしれない。そんな事を考えて。

「アレの人!ちょうどよかった!お金かして!」

「…へ?何があったの…?」

「2番地に行けば住ませてくれるしりあいがいるんだ。だから2番地行きたいの!」

その一言でやっぱり喧嘩があったんだな、と溜息を吐いた。嫌な事ほど的中するものだ、とアレクは改めて知らされたのだった。

「…ショウカさんと、喧嘩したんだね?」

「別に?追い出すって言ってる癖に追い出さないから出て行っただけだもん!」

結局、喧嘩したんじゃないか。その一言はまず飲み込んで、彼女にかける適切な言葉を探していた。

「…そうだなぁ。そうかもね」

「そうかもね!じゃなくってそうなの!」

「僕はさ、ショウカさんと付き合いが短いから…よく分からない部分が多いけど」

きっとこの言葉でいいはずだ。彼女を変えない方法は、これしかないはずだ。そうアレクは思った。

「何かを変えたいなら変わるな、ってショウカさんに言われたんだ。…レイちゃんは知らない?ショウカさんの変わってない所…」

「ショウカの…変わってない所…?」


…なんだこれ。生きてんのか、死んでんのか。…なんだ、生きてるじゃねぇか。…このまま放って置くわけには…いかねぇよな…。仕方ねぇな。気乗りはしねぇが載せていくか。


記憶喪失?…まぁあれだけの怪我してたら仕方ねぇか。でもそうなると困ったな…俺はガキは好きじゃないんだが…。

お困りならウチで預かりますよ…。ふひっひ、病院にもマスコットというものは必要ですからねぇ…。それにこんな…可愛らしい…、じゅるり。

結構だ。だがそうなると行き場がねぇな…。俺のとこに置いとくにしても子供としては預かりたくねぇし…。本当に記憶喪失なのか?

こちらとしてはそう診断せざるを得ませんな。何せ、何を聞いても答えてくれませんから。それにただでさえオーガという種族に対しては情報が少なくってですねぇ…。それにしても鬼の子がこんなにも可愛いだなんて…ふぅん…。いいですねぇ…。あっ診断書が欲しいのなら出しますよ。何かと必要でしょう。

はぁ…。仕方ねぇな…。いいか、お前を子供として預かると学校やら税金やらで面倒臭いからお前の身分は奴隷だ、いいな?

「…………」

さっきから何も返事しねぇなこいつ…。


奴隷を同じ部屋で寝かせるの癪だからお前はこの部屋を使え。この家を買った時から付いてたが、一切使ってねぇ。掃除も何もしてないが、それくらいは自分でやれよ。一応ベッドはあるから小さいお前ならこれくらいの部屋で十分だろ。

「……ベッド?」

何だ、それなら分かるのか。木製の古いやつだが掃除すりゃ使えるだろ。それと、今お前が見ているのがテレビだ。…なんだ驚いたような顔をして、そこまで露骨に見てりゃ誰だって分かる。…そんなに気になるのか?テレビが。こいつはまだ動いたかな…、ダメだ、こりゃ壊れてる。ガンの所行けば直して貰えるか…?…気になるか?なら付いてこい。

ガン、こいつを直して貰いたいんだが…。

テレビ?ってなんだそのガキ。まさかついに人さらいでもやったのか?前々から何かやらかしかねないとは思っていたが…。

そんな訳ないだろ?ただ落ちてるのを拾っただけだ。そんな事よりこっちだこっち、これが気になるんだと。ほら、さっきからずっとテレビの事みてるぞ。

ほんとに拾っただけか…?むしろ拾ったっていうのが怪しいな…。まぁいい。さっさと直してガキには出てって貰わないとな。さて、これの修理か…。なんだ、大した事ないじゃねぇか。中の埃をちょっと取って、…これは使えないから交換だな。……なんだ、すげぇ見てくるな。ほら、直ったぞ!点くかどうか…点いたな。これでどうだ。

こんにちは、25番地のニュースをお伝えします…。

…ただのニュース番組だっていうのにすごい食いつきようだな。テレビが欲しいなら他のもあるぞ?こっちに二画面別々のチャンネルが映せるやつとか…な、何だ他のも見たいのか?それならこっちに新しいのが…って何だショウカ、その目は。

…いや、ガンさんを見る目が変わったってだけだ。子供の扱い方が俺より上手いじゃないかと思ってな。

なんで急にさん付けで呼ぶんだ。別に扱いなんてこんなもんだろ?趣味で作った物を見せてるだけじゃねぇか。さっきも言ったがガキはな…、って待て!そっち触るんじゃねぇ!!

よし、今度から何かあったらここに預ければ問題ないな。

問題ないな。じゃねぇよ!誰が預かるか!!ガキは俺だって嫌いなんだ…ってなんだこいつ!変な馬鹿力持ってるぞ!


おい、その子供は何だ。いつの間にか隠し子でも作っていたのか?意外と女泣かせな男だったんだな。

俺の子供でも何でもねぇよ。拾っただけだ。記憶喪失で行き先もねぇから奴隷として働かせてるんだ。先に言っておくが何もしてねぇからな?人相が悪いからって会う人、会う人、疑いやがって…。

疑いもするだろう。君が何のメリットもなくそんな子供を身元に置く訳はないからな。力はありそうだが、ショウカ一人で今まで事足りているし…。それ以外のメリットと言えば…。

ネールさんまでやめてくれ。俺だって働きっぱなしなんだから少しでも肩代わり出来る奴がいれば助かるんだ。どこまで動けるのかは分からねぇが、簡単な荷運びなら大丈夫だろ。

そういえば、名前はあるのか?奴隷と言えど二人で住むのなら名前は必要だろう。

ああ、ほら、ネールさんに自己紹介しろ。

「…………」

本当に喋らないなこいつ…。自己紹介くらい出来て貰わなきゃ困るんだが…。俺が苛めてるみたいになるだろ。

きっと話し方が分からないんだろう。訳の分からない所に連れ込まれて、訳の分からない大人達に囲まれればそうなる。だが、この調子だと一生このままになりそうな予感もあるな…。何か、この子の好きな物とかないのか?そこから徐々に心を開かせていくとか…。

好きな物…。テレビか?25番地のニュースとか大して面白くもないのに見るんだよ。俺は見てないんだが…。何が良いのか放って置くとずっと見てるんだよな。

テレビか…。話作りには丁度良いじゃないか。ショウカは得意ではないかもしれないがな。私も極力見る様にしよう。

何だよ、ネールさんは関係ないだろ。協力してくれるのは有り難いんだが…。

私がそうしたいと思っただけさ。こんな小さな子がずっとだんまりしているのを見てても面白くないだろう?それが例え、奴隷であってもな。ショウカ、君もその類の人間だろ?

そうだな…。陰気臭いのは苦手だ。ただでさえ俺にやる気だとか元気が無いのにそれに輪をかけるようなやつはな。せめて、普通の会話が出来ればいいんだが…。それも出来なくなったら俺も面倒見切れない。追い出す、しかないだろうな。


おや、ショウカさん。その子どうしたんだい?いつもは見ない顔だけど。

ああ、拾ったんだ。見ての通り、簡単な荷物運びくらいなら出来る。力もあるから奴隷として働かせてるんだ。

こんな小さな子を…。あれだ、どこか引き取って貰うとかは出来ないのかい?ショウカさんそういう伝手ありそうだし…。

欲しいと言われたらいつでも渡すつもりだ。なんなら引き取ってくれないか?これしか出来ないのにまったく喋らねぇが。

うーん。ウチもそんな余裕は無いんだけど…。でもこの子さえ良ければ引き取っても…。

だとよ、何か返事しろ。

「…………」

やっぱり喋らねぇ…。あのな、人にこんだけ心配されてるんだから一言くらい…。

まぁまぁ、ショウカさんがそうやって苛めるからだんまりしてるんじゃないかい?困ったらいつでも来ていいからね?

「…………」

お前なぁ…。自分で意思表示出来ないなら、俺の方から追い出すからな。その辺りよく考えておけよ。


何だ。その不満そうな顔は。飯出して貰ってるだけ有り難く思え。というかさっさと食え、麺がのびるだろ。

「…………」

…あのな。不満があるなら何か言わなきゃ分からないだろ。言った所で意見を通すかは別だが…。

「…………」

食わないなら下げるぞ。返事しないなら勝手に持っていくからな。

「…………」

…そうか。もう半年も経つのに、まともな会話すらした記憶がないな。改善の傾向も余地も無いし、ここから追いだして違う所に捨てた方がいいかも知れねぇな…。


僅かな電灯が点く、薄暗い部屋の中に私はいた。私は何をしたらいいのか分からなかった。だから、ずっと、テレビを見ていた。ベッドの上で毛布を被り、小さな台の上に乗った小さなテレビ。それが私が手に入れた宝物だった。これだけあれば何もいらなかった。もうすぐ無くしてしまうだろうけど。きっと明日には追い出されるのだろう。私は何の役にも立っていないから。

テレビから流れる音声は私には難しい言葉を並び立てる。分からない事ばかりだけど、だから楽しい。今、流れているのはテレビドラマだ。深夜の時間にやってるものはなんだか面白くないものばかりだけど、これが最後かもしれないから、しっかりと目に焼き付けるつもりで見ていた。

「お前なぁ!いい加減にしろよ!」

テレビの中で男の人が怒る。それを受けて女の子が怒り返す。ここまでの中身はよく分かってなかった。でも、何だか何かに似ているような気がした。

「うるさい!本当の親でもない癖に!」

どうやら親子みたいだ。その割りには何故か仲が悪い。何でこの二人はずっと一緒にいるんだろう。こんな喧嘩ばかりしていたら、普通どうなるか分かるのに。

「あぁ、分かった!そこまで言うなら出て行け!なんなら追いだしてやる!」

やっぱり、何だか似てる。関係も、性格も、似てないような気がするのに。でも、私とショウカはこうはならない。こうなる事は出来ないと思っていた。

「追いだしたのに、何で戻ってきたんだ」

「だって…。帰る場所ここしかないから…」

そう言うと二人はいつものようにいつもの食事を始めた。私には既視感が強い、ずっと見てきた物を二人も食べていた。

「…インスタントラーメン。飽きたんだけど」

「文句があるなら自分で作れ。作ってやってるだけ有り難いと思え」

今日、私が食べなかった物だ。今日、私が言いたかった事だ。それを言ったら怒られると思ったから、実際テレビでも怒られている、でも、そっちの方が良いように見えた。だって、二人は何だか幸せそうだから。

その後、二人は何度も喧嘩をした。何度も同じやり取りをした。追い出すと言われては戻って来る。同じやり取りが続いて、つまらないはずなのに私は見入っていた。私もこうなれたら、自然とそう思ってしまった。ドラマはあっという間に終わってしまう。最後、仲直りした二人の笑顔が、父親役の人の笑顔がとても頭に残った。

ドアを思いっきり突き飛ばす音で目が覚めた。ノックでは起きないからと始めた起こし方だ。私は眠い目をこすると立ち上がり、テレビを消そうと思った。でも、テレビは消えていた。音がどこかからする、だから消そうと思ったのに私の部屋のテレビは消えていた。ドアの向こうがリビングだ。リビングのテレビが点けっぱなしだった。

「くそっ…。点けっぱなしで寝ちまった…」

リモコンを乱暴に放る様にしてテーブルに置くといつもの作業に入っていった。やかんに水を入れて、火にかける。それはいつも見てきた、見慣れすぎた光景だった。もう嫌だ、って言いたかった。それが今まで怖かった。でも、もう追い出されるのなら、私は今なら言えるかもしれない。いつものようにテーブルに座ると、俯いたまま私はあのドラマの台詞を思い出した。

「…インスタントラーメン。飽きたんだけど」

「文句があるなら自分で作れ。作ってやってるだけ有り難いと思うんだな」

若干違うながらも同じ台詞だ。もしかしたら、同じ関係になれるかもしれない。

「私の事、追い出すんでしょ。早くやれば」

この台詞の返しは「お前は一応娘なんだ。そう簡単に追い出せるか」だった。

「お前は一応奴隷なんだぞ。録に仕事もさせてないのに簡単に追い出せるか」

また違う。でも、違うからいいと思った。絶対同じにはなれない、そんなのは分かっていたから。

「というか、急に喋りだしたと思ったらなんなんだ。どんな心変わりだ?」

この台詞もドラマにあった。「急に喋り出したと思ったらなんなんだ。どんな心境の変化だ?」だった。それの返しは確か…。

「いっつもいっつも、同じ事ばっかり!私にも我慢の限界が…」

「お前、昨日のドラマ見てただろ」

体が固まった。その通りに行動しようとしていたから。気付かれてしまったのなら、やっぱり駄目なのかもしれない。私は、ああなりたかったのに。急に都合良く変われるなんて、簡単には出来ないんだ。

「そうだよ、見てた。私は…」

「ならいい。お前はそのまま、変わるなよ」

言っている意味は分からなかった。でも、何だか嬉しかった。今までの態度から考えたらすごい変化だ。その言葉は今まで冷たい言葉をかけられてきた中で、初めて認めてくれたような、そんな気がした。

「じゃあ、しょうか。って呼んでもいい?」

これもドラマの台詞。本当のは「じゃあ、パパって呼んでもいい?」。ドラマの最後に仲直りした女の子がかけた台詞だ。その時いってたようにおどけた口調で話しかけた。その後の返しが分かっていたから、被せるようにして言ってやった。

「「駄目だ」」

それでいい。あのドラマでも言っていた。それじゃ、勝手に呼ぶから。って。ショウカはあのドラマの父親に似ている、でも全然違う。あのドラマでもやってた、ずっとお転婆で、色んな人を振り回して、そんな女の子を見て、あの父親も変わっていった、それなら私も変えられるはずだ。自分を含めて、この変わらない偏屈な主人を。


そうだった。確か私はそんな事を考えていた。レイクはアレクの問いかけによって久々に思い出す事が出来た。たった一年半しか経っていないにも関わらず、レイクは忘れていた。自分が、ショウカを変えようとしていた事に。そして気付いた、ショウカはその事に気付いていた事を。変わらない事で変える。その事は正に自分がやろうとしていた事だったショウカがレイクにしてくれた事だった。

だとすれば答えは出た。顎に手をわざとらしく当てた後、思いついた様に手を叩いてから走りだした。走り出したのはターミナルの方である。無論そこに行く理由はたった一つだ。ずっと前から決まっていた。

「レイちゃん!どこいくのー!?」

慌ててアレクが声をかける。問いかけに対して何も答えを得られていない、彼女が何を思いついたのかを聞かなければならない。

「帰る!急がないと!」

アレクはそれを聞くと、歩き出し、歩調を早めながら付いていった。その顔は自然と綻んでいた。レイクの帰る場所は一つしかないからだ。でも、それを聞かずにはいられなかった。

「帰るって、どこに?」

「25番地!!」

元気の良い返事にどこか重い雰囲気を感じ取っていたアレクの体も軽くなった。彼女を追いかけよう、アレクはレイクを追って走り出した。すると、突然、レイクが止まり振り返った。

「お金、借りるの忘れてた。貸して!」

緩みかけた顔が歪んだ。少し呆れながらも仕方ない、とレイクの頭に手をかけて優しく二回撫でた。手を差し伸べるとレイクはそのまま手を取って、一緒に歩きだした。その後ろ姿はまるで兄妹のようだった。


ショウカが25番地に帰ってきたのは二日後の事だった。最後だからと、大量の奴隷を運んでいたのだ。日を跨いで仕事をする事は特別珍しい事ではない。リヤカーを牽いて歩くショウカの顔は、特別変わった所はなかった。余所の異世界に行けば大半は一人で帰ってきていたし、これから帰っても家には誰もいない。久々にのんびり出来る。むしろ安堵感があるくらい穏やかな心持ちだった。

食費が一人分減るし、風呂もやたら長い時があったりで、奴隷一人くらいならと油断していたショウカの財布を強めに刺激していた元凶はいなくなったのだ。ストレス軽減も兼ねていた砂糖菓子の量も減るだろう。リヤカーを家のいつもの場所に戻すと隣の工房からガンが出てきた。

どうしてか、複雑そうな表情をガンは浮かべていた。その表情には幾つかの心当たりがあるところだが、何か違う気がした。

「どうした、ガンさん。そんな微妙な表情して」

「いや、ちょっとな…。あれの相手もしていたし、疲れたんだ」

あれ、とは誰の事だろうか。少なくとも奴隷がいなくなっているのだから、それの相手ではないはず。ショウカはそう考えていた。

「あれ、ってあいつは自分から出て行ったぞ」

「何言ってるんだ、あのガキ戻ってきたぞ」

唖然とした。その表現が正に合っていた。普通、あそこまでやり合ったなら戻ってくるはずがないだろう。まだ二日しか経っていないのだから。やっぱりまだここにいたいと我が儘を言い出すにしては早すぎる。なにせ、この疲れた様子から察するに、予想では二日前、石を投げつけたその日には帰ってきたか昨日だろう。

ここまでは計算内だった。いつか合わなくなる日が来る。実際にドラマでもそうだった。それに合わせてきたのだから、こっちも合わせてやった。そうすれば自分から出て行く、ここまでが脚本通りだ。仮にその続きの通りに戻ってきたとしても、ショウカにはそれを追い返せる自信があった。元々あの配役とは違うのだから、違う結末になるはずだった。

あれだけの大喧嘩をしたのだからそう簡単に。流石に若干の苛立ちを覚えながら玄関のドアを開けると、そこには見慣れた靴が乱雑に脱ぎ捨ててあった。もう何日、何ヶ月も見た光景だ。これをまた見る事になるとは思わなかった。早足になりながら家に上がると、レイクの部屋のドアを勢いよく開けた。わざとらしく、大きな音を立てて。寝ていると思ったからだ。

その通り、レイクはぐっすり眠っていた。涎を垂らしながら、色紙を抱いている。僅かに見える筆跡からシバのサインである事が分かった。本当に、あっさりと帰ってきていたレイクに対して呆れが限界に来たショウカは頭を抱えながらも大きな溜息を一つ、二つ、吐いた。叩き起こそうと考えたが、あれこれ五月蠅くしても、もう戻って来てしまったものをまた追い出そうとするのもばつが悪い。ドアをわざと強く閉めて派手な音を立ててやる事で「おかえり」の挨拶にしてやった。

テレビの前のテーブルに一枚の紙が乗っている事に気が付いた。やけに汚い字の上に、ところどころ文字として成立していないような物が描かれている辺り、どうやらレイクが書いた物のようだ。

「そうじとるすばんのしごとをはたしたのでちんぎんのひきあげとたいぐうのかいぜんをようきゅうします。れいく」

予想しながら読み進めて行くとどうやらこういう意味の文章らしい。訳が分からない、と自然と砂糖菓子に手が伸びて口に咥えていく。糖分を取らないとこのいらいらを解消できそうにない。喧嘩をして別れたのに何の連絡もなしに戻って来た挙げ句の言葉がこれか。眉間の皺はこの家に入ってから増える一方だった。何本目か分からないそれを刻んだ後、紙がもう一枚あることに気が付いた。

そちらは綺麗な字で、若干丸みのある可愛らしさを含んだような文字だ。それだけを見るならばまだ好感を持てそうだ。少なくとも汚い文字で自分の都合の良い事だけを書いたあの紙を見た後ならば全然良く見える。

「喧嘩をした、と聞きました。どうかレイちゃんを許してあげてください。アレク」

どうやらここに送り届けたのはアレクのようだ。そう分かるともう一つ眉間の皺が増えるのだった。ようやく追い出せる機会が来たのに、余計な事をされた。紙をテーブルに向かって放り投げるように叩き付けた。恐らくレイクに説得もして、もうここに住み着く気満々なのだろう。もう何を言っても無駄、また奴隷と、レイクと一緒に暮らしていくしかないだろう。ドアの向こうを恨めしげにショウカは見つめてからまた一つ溜息を吐いた。

ここまで上手く行かないのはショウカの人生の経験上初めての子とだった。全て体よく進んでいたのに、やっと迷惑な奴隷を追い出せると思ったのにと、頭を抑える手が離れなかった。しかし、その手はすぐに離れた。アレクのメッセージが書かれた紙の端に折り目がある。矢印が描かれていて、裏面にも何か書いてあるようだ。

「奴隷の送迎と、掃除に使われた清掃用具の貸し出しと、清掃一部代行による料金を下記の通り請求します。後日レイちゃんと配分しますので彼女に一旦料金を渡しておいて下さい」

その下にもう一つ、小さく追記が書かれていた。

「追伸。もう少しお小遣いはあげたほうがいいと思います」

何故こんな時に商才を発揮したのか、もっとましな事に使えなかったのか。追伸の横に描かれた汗を流している顔が余計にショウカを苛立たせた。

「あっ、ショウカ。おかえり」

未だ眠たげに目を擦って出てきたレイクに対し、ショウカは振り向きもせずに言葉をかけた。

「こんだけの人々に迷惑かけたんだ。何か言うことがあるんじゃないのか?」

迷惑をかけたのは間違い無い。欲しいのはたった一言だ。

「…!ただいま!」

ショウカは無言で金を取り出して渡すとレイクの目が一気に輝いた。大袈裟にはしゃぐレイクを横目に見ながら、何も無い天井を見上げた。どれだけイライラしても仕方が無い。なるようになる、このまま流されて生きていくのだ。それが定めだとショウカ自身が感じていた。どれだけ変えようと思っても変わらない物は変わらない。すぐ横ではしゃいでいる奴隷がその証拠だった。自分にはどうしようもない事を悟ったショウカは、後何年この奴隷を飼うことになるのか、変わらず悩み続けるだろう。唯一変わった事は、その日からレイクの小遣いが十から百に上がった事だけだった。

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