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運び屋ショウカと奴隷少女  作者: 不眠蝶
1/10

1-1 運び屋ショウカの事

「今ここにある世界が一つとは限らない。何かが違った世界が無数に存在し、普段は観測出来ない異世界と呼ばれるものが重なり合い、この世界群を形成している。異世界移動が可能になった現代、そのほとんどは同じ世界をルーツに分かれたもの。はたまたまったく違う、多元的なもの。現在ではまったく同一の世界はないとされ、『多元異世界群』と呼ばれる我々が生きている世界『Az』(アーズ)。数千もの異世界が重なったこの世界で本当に正しいのは僅かに違うだけの平行世界論か!?それともまったく違う次元を行き来している多元世界論か!?未だに出ないこの問題を!有識者百人余りを集めて今日!朝まで生討論!あなたは数千兆人の中の目撃者の一人に…」

「いつまでテレビつけてんだ」

テレビの前にかじりつく少女に垂直に手刀が振り下ろされる。叩かれた本人は恨めしげな視線を男に送った。時刻は25時、少女が起きているには遅すぎる時間だ。薄暗い部屋から少女はテレビを消し、ソファーから立ち上がるとゆっくりと歩を進めて小さなドアに向かう。ドアノブに手をかけてから振り返り、片目を瞑り舌を出して挑発してみせた。

「さっさと寝ろ。それか自分の部屋で見てろ」

男はうっとうしそうに手を振ってそう言い放つと頭を掻きながら階段へ向かう。


まだ私達の生きている世界は孤独である。だが何処かの異世界では既に他の異世界同士で繋がっているのかもしれない。この話は多元異世界群の中から25番地の番号を付けられた世界の話。少々田舎くさい所もあるが他の異世界に比べれば恵まれた方である。他の異世界では廃墟に囲まれたり、広大な砂漠や森林に雪原に埋もれていたり、猛獣や龍が跋扈した世界もある。それに比べれば遙かに平和で、道の舗装は半ばでも外で急に飛行生物に攫われたり、森の中で未確認植物に捕食されたりはしないと保証されているくらいに穏やかな世界だ。他の異世界ではそういう事が起こる。この話はそんな無数の異世界を行き来出来るのが当たり前の中で、箒や車が普通に飛ぶ中で変わった運び方をしながら、ただ変わらないだけの運び屋と拾われた少女の話である。この話に斬新な変化やあっと驚く展開を期待している人がいれば申し訳無い、この話は数千億は超える人々が生きる多元異世界群という壮大なスケールの中で、壮大に何も変わらない話である。話の中で何かが変わりそうに見えるかもしれない、だがその実を見れば何も変わっていない事に気付くだろう。それはこの話のテーマであり、それが伝えたい事でもある。

この話であなたの何かが変わればそれが幸いだ。


その日はよく晴れていた。黒髪緋眼の青年は道を歩きながら考えていた、本人が道に迷っていたのもあるだろう。人生に迷っていると自分の選択を一々それでいいのかと確認したくなるもの。晴れた空とは対照的に彼の心は曇っていた。安心出来る、と紹介された運び屋の住所まで辿り着いたのだがそこにあったのは明らかにみすぼらしい建物。彼は他の異世界で散々見てきていた、空飛ぶ車、魔法の絨毯、魔物や動物を利用した車。運び屋を名乗るからには何かしらの運搬手段があるはずだ、体一つで運ぶ訳は無い。だが、どんなに文明レベルが低くとも見てきたトラックや馬を格納するスペースがどうしても見当たらない。代わりにあるのは申し訳程度の庇の元に置かれたリヤカーだ。何かに牽かせる様には出来てない様だ、取っ手は明らかに人が掴む様に出来ている。まさかこれで運ぶのか、それが安心出来るのか。

意を決さなければいけなかった。青年は一呼吸すると思い切ってドアを開けて物置小屋に入った。

中は本で散らかっており、どこか古くさい…悪くいえば埃っぽい臭いがした。それにしてはそれぞれの本は妙に綺麗で、しっかりと読まれた跡が見える。臭いの原因は本ではないのかもしれない。部屋自体に染みついた様なそんな…。声を出して呼び出すか逡巡していると奥から物音が聞こえた。ドアを開ける時に多少軋んだ音がしたのでそれに反応してくれたのだろう。大きめの足音だ。

向かい側のドアが開くと身長180はあろうかという大男が出てきた。自分が思わず見上げて息を呑むほどの圧力だ。黒髪碧眼の片目を前髪で隠した威圧感のある青年…というには少し老けてみえるがまだその肌には皺が見られなかった。唯一、黒いインナーに白いYシャツとジーンズというラフな格好が少しだけ緊張感を緩和させた。

「はいはーい…。あぁ…あんたがネールさんの言ってた…」

突然出された名前に青年は驚愕する。自分の事を既に知られているとは思わなかったのだ。

「格好見りゃ分かるよ。アレク・カーレット…だっけ?おい!茶の用意しろ!」

彼はこちらの名前を確認すると、向かい側のドアに向かって大きな声を張り上げた。

「私の名前は「おい!」じゃないもーん!!」

それと同じくらいの声量で少女の声が返ってきた。青年には…アレクには今の状況が把握出来なかった。彼らにとっては日常でもこちらにとっては初めての事なのだ。

「え…えぇっと…ショウカさん…でいいんですよね?」

少し萎縮しながら様子を窺うとショウカと呼ばれた男は静かにこちらを見下した。

「そうだ。それにしても小せぇな…お前とは話しづらそうだ」

ショウカは手で着席を促した。その手の先には向かい合ったソファーに挟まれたガラスのテーブル。目を合わせられないから合わせろと言う事か。こちらとしても見上げながらは話せないので誘いに乗り大人しく座る事にした。アレクの身長は160もない、小さいと言われる事には慣れていたのでさり気ない罵倒は聞き流してしまっていた。

静かに、出来るだけ静かに座ると向かい側のドアが開いている事に気が付いた。そこからこちらを覗き込む少女の姿が見える。金髪黄眼の10代前半くらいの少女だ、それも…奴隷の様なみすぼらしい服を着ている。見えている範囲でも分かるくらいには顔が整っている、それも不自然なまでに。アレクの中でショウカへの評価が少しだけ揺らいだ瞬間だった。

「…茶を用意しろって言っただろ…。それくらいやれ」

呆れ気味にショウカはドアの方を見ずに言い放った。アレクが少し視線を動かした事に気付いたのか。まだ自分が座る前だというのに。

「だってどうやって淹れたらいいか読めないもん」

「ちょっと待ってろ。淹れてくる」

アレクに向けて手のひらを突き出し、向こう側のドアへ向かって…まるで最初からこうなる事が分かっていたかのように歩き始めた。まさか懲罰でもしてくるんじゃないだろうか…。そんな一抹の不安がよぎったが、彼を視線で追うと少女はまったく怯みもしていなかった。まるで代わりに淹れてくれるのが当たり前であるかのように。

一人、ぽつんと取り残された自分はこの空間が把握出来なかった。それでもそんな自分を見つめる瞳がある。主が自ら働きにいったのにそれを追いもしないでじっと見つめ続ける少女の瞳だ。明らかに奴隷であるのだが振る舞いが奴隷ではない。まるで普通の少女のそれである。一体どう対応したものか…悩み抜いた末に自分から声をかけることにした。

「…そこ、座る?」

指差したのは向かい側のソファーだ。本来ショウカが先に座る場所だったが、隠れてじっと見つめられるのも何だかムズ痒い。仕方ないので同席させて貰えるようこちらからも頼むつもりで誘うと少女は勢いよく飛び出してソファーの上に「ずんっ」と腰を埋めて座った。

少女の頭には不格好にも角が生えていた。人間で言えば丁度つむじの辺り、約10センチほどの小さい角だ。この多元異世界群では珍しくもない、人類のいわば「亜種」だ。ある世界には翼が生えていたり、全身を機械に変えていたり、そんな「人間」が存在する。そういうのは幾らでも見てきていたアレクだが驚くほど不釣り合いな代物だ。

「レイク・スレイブです!よろしくどーぞ」

彼女はそう言うと右手を差し出した、握手がしたいのだろうか…。奴隷が?自分と?

「あっ…えぇはい…よろしく…」

思わず握り返してしまったが特別そういう事をする立場にないはずだ。アレクはここに…。

「ネールさんの知り合いって事は世界商人でしょ?おんなじ格好!」

ベージュのポンチョコートは特別決められた訳では無いが自然と制服の様な扱いになっている。世界と世界を繋ぐ商人、それが世界商人だ。そう、ここには商談に来たのだ。ある物を指定の場所に運んで貰いたい…ただそれだけの話をつけに。

「ああ…そうなんだ。ネールさんの弟子みたいなものでね」

そう言うと首から提げたロケットペンダントを握りしめた。不思議そうに首を傾げる少女はそこだけが違うと気が付いた。

「それなぁに?みせてみせて!」

「いいよ。中身は大した事ないんだけど…」

「客に対して何やってんだお前は」

言葉と共に少女が突き飛ばされる、いつの間にかすぐ近くにまでショウカは来ていた。二つの湯飲みを盆に載せて。その内の一つをアレクの前に置くと、もう一つを自分が座るであろう場所の前に置いた。先程まで少女がいた場所に。

「私の分がなーい!!」

「奴隷なんだから自分で淹れろ。それが出来ないなら水でも飲め」

ショウカは先程、自分が通ったであろう道をなぞるように示した。少女は頬を膨らませてプイとそっぽを向くと不服そうに膝を抱えて座り直した。開きかけたロケットを閉め直すと少し甲高い金属音がした。

話を元に戻そうと言わんばかりにショウカは向き直った。片側が隠れた碧眼からは鋭くこちらを見抜く様な…貫くような視線を感じる。顔立ちも相まってアレクの中には恐怖の感情が芽生えつつあった。聞いていたよりもいかつい、心音が高鳴るのがハッキリと聞こえた。

「…ネールさんが直々に見込んだとは思えないな。どっかのコネで入ったのか?」

「なっ…!失礼ですね!!僕はちゃんと才能を見抜かれて…」

ネール・フローライト。世に轟く大商人だ。多元異世界群の富豪リストの中でも上位に入る才女であり、その瞳は品質鑑定、人物鑑定にも定評のあるとされている簡単に言えばすごい人だ。アレクからしたらこんなみすぼらしい運び屋とネールとに繋がりがある事の方が信じられないくらいに。

「そちらこそ!そんな可愛らしい少女を奴隷にして…」

「そーだ!そーだ!給料払え!!」

そこは奴隷解放ではないのか、との一言をひとまずアレクは飲み込んだ。

「これは拾っただけで俺の趣味じゃねぇ。有効活用してるだけだし給料は払ってんだろうが」

「拾っただなんて言い回しの方が怪しいですよ…!僕は正直、あなたが信頼のおける人とは…」

「じゃあどう言えばいいんだよ。仕事中、こいつが道端に寝っ転がってたんだ。それ以外はねぇ」

そう言うとショウカは少女の手を取った後、膝を下ろし座るよう軽く二回ほど叩いた。少女はそれに従うと、ショウカはワンピース状になっている服の裾を手に持つと見せつけるようにして思いっきり上げた。

「なっ!何してるんですかっ!!仮にも人前で……」

ことさら信用を疑う行為だ。そう追求しようと思ったのだが、目の前の異常な光景がその言葉を飲み込ませた。目の前には少女の肌が露わになっている、それは当たり前の事だし見れば分かる事だ。その見た先がおかしかった。胸の下部分からお腹の下まで、まるで今さっき付けられたかのような生傷が、大きく、鋭い、何かの生き物によって引き裂かれたかのような傷が生きているかのように蠢いている。

「…この傷はいったい…?」

「魔傷って言うらしい。傷つけた相手を逃がさない為のマーキングみたいなもん…って聞いたな」

振り落とすかのような勢いでショウカは服から手を放した。これが寝っ転がってた理由、そう語りたかったかの様に。

「応急処置はその場でしてやったが、病院で消すにも金がかかるんだと。だからそのままだ」

「そっそんなっ!痛くないんですか!?こんなの…」

「もう慣れたし毎日おふろだって入ってるよ!」

ショウカに聞くよりも先に本人に否定されてしまった。え…えぇっとそれじゃあ。

「いえいえ!それと奴隷にしてる事の関連性が…」

「つべこべうるせぇなぁ…。養子とかするつもりもないし貰い先が見つかるまで働けってやらせてんだよ」

なるほど。これならもうこちらからの攻め所はない。アレクはすっかり消沈してしまった。絶対間違っている行為をしていると思った相手がさして悪い事をしている訳ではなかったのだ。疑いへの後悔といやそう思っても仕方ないさとの諦めとの感情の不思議な狭間にいた。

「そういや兄ちゃん…どっかで見た事あんな…」

「あっ!ショウカもそう思う?私もどこかで見た気がして…」

まるでこの時を待っていたと言わんばかりにショウカは口を開いた。それ程までに言葉に感情が含まれていたような気がしたのだ。その感情は「お前も後ろ暗い事あるだろ」と言いたげな。

「呼び捨てやめろっつったろ。確かあれだな…?10番地の女王さんとよろしくやったっていう…」

「あれはっ!!被害者です!!」

文字面だけみれば誰もが羨む事だろう。文字面だけで言えばそうなってしまう。文字面だけなら被害者とは名乗らない。アレクはそういう事件の被害者であった。10番地とはドラゴン発祥とされる異世界で龍が支配する場所である。その異世界の女王と言えば、そういう事であった。古来より様々な異世界で人と龍が交わって産まれた子というのは存在する。

「そうそう!ニュースでやってた!何か難しい言葉で…女王様をきょうせいごうか…?」

「被害者って言ってるじゃないですか!?!僕の力じゃ龍の女王様をどうこう出来ないですから!」

事実、アレクには魔法の力や科学の力を扱いこなせる程の才はない。これは無才というものではなく、こういう人間の方が遙かに多く、彼がその内の一人だというだけの事だ。事件の被害者である事以外は彼に特筆すべきものはない。

たまたま商談に呼ばれ、10番地の氷の女王と謳われる龍に偶然目を付けられてその場へ行った。ところに薬を盛られて眠りにつかされてる間に衛兵と思しき龍の叫び声で目が覚めた。彼の視界には10メートルを超える巨体が自分の体の上に乗っかっろうとしているのが見えた。完全に被害者なのである。…であるが事の発端が発端なので最初は身分の低い彼が罪を被せられたのだが、後に氷の女王から直々に訂正されてうやむやになったちょっとした事件である。

その一件以来、巨大なお得意様が一つ付いてくれたのだが他の商人達からの視線は冷たかった。仕事にも覇気が出ず、師匠に激励される形でショウカの元へ行くのを勧められたのである。

「確かに…女ならほっとかない面には見えるが中身はすっからかんだな」

アレクの容姿は端麗であり、身長に見合ったかのように中性的である。女性ならば誰しもがすれ違い様に振り返りたくなる衝動に駆られるだろう。だが、ショウカはそんな彼の事を中身は空だと発言した。

「そんな事、初対面の人に言いますか!?やっぱりネールさんの言葉に乗るんじゃ…」

「他人の言葉に左右されすぎだ。商人として売る側ならどっしり構えろ。しっかり相手の面を見るんだな」

「…っ!」

確かに、そのきらいはあった。他人の言葉に左右される…。何よりここに来た理由だし、自分が被害にあった原因でもあった。優柔不断で他人との会話が苦手なのがアレクの何よりの弱点で、師匠に普段から言及されていた事でそれを初対面のショウカに見抜かれたのだ。

「そんな事言ったって!ショウカさんさっきから目も合わせてくれないじゃないですか!」

「合わないなら合わせる。相手の興味を惹かせるのが話術ってもんだろ?それが苦手なんだ」

事実だった。そして、それについて勉強して来いと言われたのが今回の件だった。「あいつに口げんかで勝てる奴はいない、そんな変人だ」。紹介文はその一言のみだ。

「ぼちぼち、こっちの仕事の時間もある…。俺が信用出来ないなら見に来るか?」

「み…見に来るって何をですか?」

「おべんとう!そろそろ運ぶ時間なの!鉱山まで!」

少女が身を乗り出してはしゃぎだす。まるで何かを楽しみにしているように。

「毎回、おこぼれ貰ってやがるからうるせぇんだこれが…そんなに餌やりたいなら飼ってくれよ…」

頭を掻き、どこか呆れ気味に、そして気怠げにショウカは立ち上がった。まるでこちらに興味を無くしたように歩き出すとそのまま外へ出ようとする。

「えっ!?ちょっ…ちょっと待ってくださいよ!!」


この街の名はストーンピーク。上から見たとき山へ向かって羽ばたきながらつついている鳥のような形をした独特な街である。ショウカ達が住むのは居住区であり、頭とクチバシ部分である街の北西部。鉱山へ向かった男達の帰りを待つ家族が主に住んでいる場所だ。25番地の中では数少ない、街として形成された場所でちょっとした観光地にもなっている。名産品は銅晶石でこれは主に魔法を使う世界で使われている。それが取れるのがクチバシの先にある鉱山であり、弁当の届け先である。

「あの…これ僕が手伝うっ…必要ありますかね?」

アレクは何故か弁当屋のおばちゃんから「お手伝いの人」と勘違いされた形で荷物を運ばされていた。一箱を持つのもやっとなのにショウカやレイクは軽々と二、三箱を積み重ねて持ち上げている。アレクを普通の人間基準にするのなら二人は明らかに怪力の持ち主である。

「素直に断ればよかったろ。そういう所だぞ、格下」

「かっ…格下って…!」

こんなにあからさまに見下されて良い気分になる人はいない。憤慨して何か言い返してやりたいが腕の重みが思考を巡らせるのを邪魔する。

「今日も頑張ってくれたねぇレイクちゃん。ほら!余った唐揚げ!」

「やったー!…むぐむぐ。ん、美味しい!!」

まるで小動物に餌付けするかのように差し出された唐揚げを荷物を持ったまま食べるレイク。奴隷らしいと言えばらしいのだが、良くも悪くも可愛がられているのだろう。見た目は明らかに美少女のそれだ。マスコット的な扱いも大歓迎なのだろう。

二人が着々とリヤカーに積んでいき、最後にアレクが一箱を下ろした所で作業は終了した。箱の配置は言われた通りに真ん中が空いたコの字状になっている。アレクが一息をつこうと膝に手を付く暇も無く、ショウカに肩を叩かれて乗車を促された。ふらふらになりながらも箱に寄りかかりながら座ると、いつの間にかリヤカーは発進した。ショウカは目の前にいる。だとすると牽いているのは…。

箱に手をかけ、前を覗き込むとレイクが軽々とリヤカーを牽いている。やはり角が生えているだけはある。そういう力のある人種なのだろう。それと同じくらいの力を持っていたショウカにも疑問に思う所はあるが。今は特に口に出さずに息を整えるのに集中して景色を流れるままに見る事にした。

25番地は最近開発が進んでいる世界で、主要なエネルギーは「電気」である。多元異世界群の中には様々な世界が存在していて、魔法のない『科学世界』と魔法のある『魔法世界』の二種に大別される。25番地は『魔法世界』である。上空の大気が魔力によって不安定で空路が使えないという特別な世界であるのだがその魔力が利用される事は今の所ない。『科学』はどこでも通用するのが強みであり、色んな世界に分け与えられている…というよりは売られている。

未だ緑が残り、花々が自由に咲き、太陽が眩しく道を照らす。そんなこの世界にちょっとした違和感があるのなら各所に置かれた電柱だ。街から鉱山の作業場まで繋がっている…繋いでいるだけの電柱は誰も整備してないかのように緑に絡まれている。この世界で魔法は使われない、理由は『科学』の方が安いから。折角の自然豊かな風景と穏やかな風があるのにそれを無視した『科学』はまるで『魔法』に呑まれたかのような新しい景色を作り出している。

ずっと押し黙って景色を眺めているだけでいると、ショウカが本を読んでいるのに気付く。口に白い物を咥えて。

「タバコですか?体に悪いですよ」

ショウカは本から目を離さずに答える。

「ただの砂糖菓子だよ。水飴と砂糖しか入ってない」

「糖分が欲しいだけだ」と話すとうっとうしそうに片手を払い、話は終わりだと言わんばかりに体勢を変えた。どう足掻いてもこちらと対等に話してくれる気はないらしい。

それならば、と、この場にはもう一人いる。ただ黙って景色を眺めているだけでは幾ら何でも退屈すぎる。誰かと話さなければいけないような気がしてアレクは思わず箱から身を乗り出してリヤカーを牽いているレイクに話しかけた。

「大丈夫?重たくない?」

見る限りでは彼女の足取りはとても軽い。まるで普段のように、何も持たずに手ぶらで歩いてるかのようだ。小さい体のどこにそんな怪力があるのかはさておいて、そんな心配は無用というのは簡単に見て取れた。

「別にー?こんなのへっちゃらだよ!でも出来れば「けいトラック」とかそういうの欲しいなー…?」

ちらりと歩きながらも後ろの様子を窺うレイクだが返事は返ってこない。アレクが視線をショウカに戻すとまるで何も聞こえていないかのように本を読んでいた。

「それよりヒマなの?私は別に慣れてるからいいけど…退屈なら一緒に歌おうよ!」

「え?歌?」

「そう、どぉ~しても退屈で仕方ない時は歌って暇をごまかすんだー」

わざとらしくコホン、と咳払いをした後にレイクは歌い出した。

「くもりぞらー、いまはーれーる♪あおいそらがかおのーぞく♪」

歌詞を教えて貰う前に突然、レイクは歌い出した。だがその声は無骨に見える角とは裏腹にとても澄み渡り、何か底知れない才能を感じさせる物だった。

「あまつゆがーたれたちあがる♪たびだちのーときよー♪」

「いままわりゆく、せーかーい♪にぐるまをーひいてー♪」

「みあげたそーらーかかりだす♪あのひーみえたーにーじー♪」

どこの誰が作った曲かは知らないが、何か懐かしさを感じさせる歌だった。少なくともアレクにはそう感じた。何か気になった、この曲を作ったのは何処の誰なのかと。

「歌…上手いね!それ何て言う曲?」

「しらない。私が作ったから」

「作ったの!?随分と…その…難しい単語が並んでたような気がしたけど…」

「こういうのはふぃーりんぐ…?ってやつだよ。テレビで言ってた!」

「そいつ、テレビ好きなんだよ。どうでも良い事なら何からなんまでテレビの事って覚えやがる」

今まで口を挟まなかったショウカが口を開いた。テレビ好きの奴隷…何とも不思議な響きな気もするが彼女にとっては興味を抱く物がテレビにそれだけあるのだろう。

「いっしょに歌う?歌詞もわかったでしょ?」

「え…あぁ…えぇっと…それはいいや」

彼女の歌声を先に聞いてしまっていると、それと共に歌うのはどうにも憚られた。むしろそれを聞くのが一番の暇潰しにもなるだろう。自分が邪魔してはいけない、そんな感覚を覚えてしまった。

なら何をすればいいのだろう。一緒に歌う事を提案してくれたレイクに対して断ってしまった。歌うのをやめて前を見て歩きだしたレイクしか相手にしてくれる人はいない。彼女はどちらかと言えば接しやすい…というかショウカが異常に接しにくい人物だからこそ彼女に頼るしかない。打ち解けやすい方法は何かないだろうか…。

「…それにしてもレイちゃんって歌が上手なんだね」

親しみやすくなるためにはこういう所から、そう思ったアレクはちょっと砕けた言い方で呼ぶ事にした。

「レイちゃん?なにそれ」

「あっ…少し慣れ慣れしすぎたかな?僕の事も好きに呼んで良いよ」

足を止め、顎に手を当てて視線を空に移すとレイクは黙り込んだ。どうやら良い案が思い浮かばない様子だ。

「…何とかの人、とかが呼びやすいんじゃねえか」

またしても突然、ショウカが口を挟んできた。話を聞いていないようで聞いているようだ。それでも本をめくるペースはまったく落ちていない。聞きながら読書という動作にまるで慣れているかのようだ。

「…う~ん…そーだなー…商人の人?…違うなー…」

「いいよ、何でも。こうして知り合いになったんだから好きに呼んでさ」


「…わかった!レイクの二文字を取ってくれたから『アレの人』!!」

「待ってください。それじゃあ僕が何かアレみたいじゃないですか!!」

「いいな、それ。俺は気に入ったぞ。アレの人」

まるで計算していたかのようにショウカが口を開く。なんでか知らないがはめられた気がする。何とかの人と提案したのはショウカだ。もしかしたらこの名前にする為に最初の提案をしてきたのかも知れない。

「実際問題『アレ』だろ?アレな事やっちまった…」

「被害者だ!って!何度も言ってるじゃないですか!!アレな事はしてません!!」

「でも何かしっくり来るからアレの人でいいやー。よろしくね!アレの人!」

もはや撤回するのは不可能なようだ。諦めて乗り出した箱から降りるとリヤカーは再びゆっくりと動き出した。時刻は昼時前、太陽がやや真上にあるくらいの空を眺めながらアレクは少しだけ休む事にした。



ショウカにつつかれて起きた時には景色はすっかり変わっていた。岩肌が剥き出しになった無骨な山に見下ろされて、ポツポツと宿舎らしき建物が幾つか見える。ガヤガヤと男達のざわめきも近くに聞こえ、少しばかりの緊張感を走らせた。思わず立ち上がると、もうほとんどの箱が降ろされていて残りはアレクが寄りかかっていた後ろの箱だけだ。

二段積まれたそれを軽々と持ち上げると、こっちに来い、と言わんばかりに空いた手で手招きをして立ち去っていく。慌てて追いかけていくと、既に食堂の中には鉱山で働く男達で溢れ、レイクが箱から弁当を取り出しては並べていく作業を始めていた。自分が手伝えるのはこっちだけだ、そう思ったアレクは慌てて置かれていた箱から弁当を取り出すと空いたスペースに置いておく。

「レイクちゃん!今日も元気だねぇ!!」

「なんだ?何かなよなよしてるのもいるな!新人か?」

「今日はちょっと遅かったなぁ。もしかしてどっかで寝てたかい?」

新人かという言葉には思わず首を振ったが、弁当を受け取るとすぐさま踵を返してテーブルへ向かってしまった。思っていたよりも忙しい、中々にハードな仕事だ。こんな事を毎回ショウカという人はやっているのか…、と思っていると視線を逸らしたらショウカは片隅で立ちながら本を読んでいた。

「ちょっと!!手伝って下さいよ!!」

「お前が働く必要だってなかったんだぞ?手伝ってるのはお前の勝手だ」

それは確かにそうだが、持って来た量的に女の子一人に任せるには絶対に過酷だ。レイクは怪力の持ち主だし体力もありそうだが…。それでも一人で捌ききれる量ではない。

「そうだそうだ!アレの人!もっと言ってやれ!ついでに給料上げろって言え!」

「おっ?やるか?いつものやつ!今日こそは勝ってくれよ!レイクちゃん!」

ヤジが飛んだと思うとショウカは本を静かに閉じてレイクに近寄った。どうやらいつものやつ、というのが始まるらしい。

「自分の立場分かってんのか、奴隷風情が。お前はいつだって出て行っていいんだぞ?」

「ふざけんな!楽させろー!特に給料上げろー!!ご飯美味しくしろー!!」

「言えー!もっと言えー!!」

一触即発の状態にも関わらず鉱山の男達はそれを煽る。半分名物になっているようだ。

「こうなったら…!かくめいだ!倒してやるー!!」

ショウカに飛びかかっていくレイク、それをまるで手慣れた小動物を捕まえるかのように頭の角を見事に掴んでみせると、その勢いを活かして見事に投げ飛ばした。投げ飛ばされたレイクはこれまた見事に外に放り出された。どうやら革命はならなかったようだ。

「あぁー。今日も勝てなかったかぁ」

「まだいける!立ち上がれー!レイクちゃん!」

「ちくしょー!こんかいはあきらめないぞー!!」

完全に二人の世界になってしまい、置いてかれたアレクは二人の喧嘩を余所目に自分の仕事に集中していた。…自分の仕事とは何だ?ふとそんな事が頭をよぎったがそれは振り払ってやらないと誰もやらないことになってしまう。頭の中を空にして、ひたすらに弁当を並べる仕事に従事するのだった。



帰ってくる頃には日が少し傾いた時刻になっていた。何処の世界でも時間は流れるが、その流れは様々だ。ただ、この世界は24時間程度が一日なのは間違いない。アレクの体は大分くたくたになっていた。

かといって眠る事もいまいち出来ず、本を読むショウカと歌うレイクに挟まれて、ただ、日が落ちていくのを見ていただけだったのだ。そして、リヤカーの速度が少し上がったのを感じるとようやく視線を変える気になった。そこには、見慣れた人がいた。

「ネールさーん!ひさしぶり!!」

薄茶色の長髪に黄褐色の瞳、アレクとまったく同じ服装の少し背の高い、物静かな雰囲気を漂わせた女性がそこにいた。速度を上げたリヤカーはやがてゆっくりと減速してその女性の前で止まった。

「久しぶりだな、アレクはちゃんとやれていたか?」

「雑用係としては及第点だ。ただ、やっぱり格下だな。ネールさんも人を見る目がないな」

いつの間にか降りていたショウカは本を閉じながら、アレクの方も見ずに答えた。声音に少し心配そうな感覚を覚えたのが不思議だった。まるで本当に人を見る目を疑っているかのようで。

「私と比べているのか?まだ成長途上なのだから仕方ないだろう…。まぁ…」

言葉を濁す様に歯切れの悪い言葉で止めると、アレクを一度見つめてから視線を逸らした。

「ショウカの見る目も確かだからな。アレクもそう言われない様…努力を積めばいいさ」

「どういう意味ですか!?僕だって頑張ってるんですよ!?」

ネール・フローライト。世界商人の上位に名を連ねる、この場所に相応しくない人物である。とある大物との繋がりから若くして一気に格を上げた、A~Fのランクの中でBランクに位置している。全世界から見れば二番目だが、その品質の高さから名の広まり方は数字以上の物で、その名前が出るだけで安心して買い物をする人は絶えない。偽物防止に特製のバッジもあるらしいが製造過程は企業秘密である。砕けて言えばもの凄く凄い人、である。

「正直…ショウカさんをそこまで信用してるネールさんもどうかと思いますけどね」

「おっと、師匠に対して随分と強気に言うじゃないか。私はそいつ程ではないが見る目には自信がある」

答えになってないような答えを返して来た。まるでショウカの方が人を見る目があるかのように。

「俺を褒めても何も出ないぞ。出せるのは奴隷一匹だけだ」

その言葉にレイクは首を傾げて考え込んだ。どうやら奴隷一匹というのが誰の事か分からないらしい。

「人生経験というのも私よりあるじゃないか、今年で36だろう?」

「えっ!まだ36なんですか!?もっと老けてると…」

失礼な言葉を吐いたという自覚はあったが、その言葉をどうにも出す事を止められなかった。それだけ老けて見えていたのだ。

「悪かったな、この顔で。まだ26の格下には分からない人生を歩んでるんだよ」

「なんで僕の歳まで知ってるんですか?!」

「それだけこいつの目は鋭いって話だよ。あまり人を舐めない方がいい」

年齢に関する話はまったくしていなかったはずだ。見た目からもっと下に見られる事も多かった経験からピタリと当てられた事には流石にびっくりした。ショウカはまるで知ってて当然かのように頭を掻いた。

「お前みたいなのがネールさんが真っ先に弟子にとるはずがない、どっかから回されて来たんだろ」

「ぐっ…」

「変に真面目な所から大学は出てきた、そこから数年の時間が経ってるのをDランクが示してる」

腰の帯からぶら下げている宝石の数、それがランクを示している。アレクは二個、ネールは五個。階級を簡略的に表しているアクセサリーだ。それはそう簡単には増やせない、特別な魔石だ。1ランク上がるにも時間が圧倒的に掛る。何故ならそれが商人としての価値だからだ。

「アレの事件があったからお得意様が一個あるにせよ、それ以外はさっぱりだろ?だから大体26だ」

「うぅ…まぁ…概ね合ってますけど…」

ショウカはまるで他人の事に関心が無いと思っていたアレクだったが、自分の事を完全に見抜かれたからにはその目を信じるしかなくなってしまった。そして師匠であるネールの目も。

「心配だからと来てみたが…まぁ大体合っていたな。随分と汚れているぞ?」

弁当を取り出す際にタレやソースが零れ出たのか、いつの間にか自分の着物が汚れている事に気が付いた。ショウカはその事について何も言ってくれなかった。ネールはアレクに近寄り、見下ろしながらハンカチを差し出した。

「ウチのが失礼したな。だが仕事があるのも事実だ…。明日、品物を持ってくる」

「あ!そうだ!そういう話でした!!もう品物は25番地のターミナルに置いてあるので…」

汚れを拭きながら、鉄道へと足を運ぶ。鉄道があるのは上空から見て右上の方だ、これまで来た道の逆へ行けばターミナルへ向かう鉄道がある。

「引き受けたとは一言も言ってないぞ?まぁネールさんからの頼みなら断る理由もないが」

「あぁあ…それもそうでした…僕の仕事なのに…」

「そんな細かい事を気にする男でもないだろう?あまり苛めてやるな」

苦笑いをしながらネールが答える。仕事の話はこれ以上しなくてもやってくれるようだ。安心するのと同時に自分の不甲斐なさを拭えなかった。

「ネールさん、もう帰っちゃうの?」

「ああ、今日は本当に見に来ただけだからな…。また今度、ゆっくり話そう」

レイクにとってネールは憧れの対象である。いかにもデキる女、でありその美貌も広く知られている。子供にとっては憧れない訳はない。ネールは目線を合わせながらレイクの頭を撫でて笑った。その笑顔はやはり、レイクの憧れだ。

「レイク、あいつの教育も有り難うな」

視線は若干アレクに向いているようだった。

「まぁね!まかせといて!」

「さぁ、帰るぞアレク。ショウカも世話になったな」

素早く身を翻すと、まだ汚れを拭いているアレクに対して左手で肩を叩き歩き出した。

「あっ、ああはい!それではショウカさん!明日の八時に駅前で!」

ネールを慌てて追いかけるアレクに対してショウカはただ、何も言うことなく手を振って答えた。

「また明日ねー!」

二人を見送るとショウカはさっさと家に戻り、いつまでも手を振っているレイクを置き去りにした。



「本当にあの人、大丈夫なんですか?」

大型列車の中で揺れながら街を振り返る。すっかり夜になった街並みを見て、あの二人に任せていいものか、再び考えるようになってしまった。どうにも噛み合ってるようで噛み合ってない。そんな不安感を感じたのである。ショウカという人のなりも気になる。これまでお互い信頼出来るような言葉を交わした事がない。自分の中身を見抜かれた技術は認めざるを得ないが。

「今更、何を言ってるんだ。あいつについては散々言っただろう。癖はあるが信頼出来ると」

それは知っていたし、何より実感した。癖は確かに強い、だが信頼出来るかと言うと微妙な所だ。

「だって…あんな女の子を奴隷にして…」

「ショウカはお前が思っているよりもしっかりしているよ。仕事にも手は抜かない」

「僕が見た限りでは、ただ本を読んでただけですよ?女の子に重い荷物を牽かせて…」

光る街並みの中で運び屋ショウカの事務所を探そうとしたが、もう遠くなった街には判別出来ないほど光は小さかった。

「そうだな…あいつは自分が悪いと言われる様な事はしない奴だ。そこだけは安心していい」

「…?どういう安心基準ですか?」

師匠の言葉の意味をイマイチ飲み込めず、思わず聞き返したが師匠からはそれ以上の言葉は出てこなかった。それがショウカに言われた「格下」の意味なのだろうか。今更ながらに今日かけられた言葉の数々を思い出し、反芻する。自分なりに成長をしようとしてるはずだ、ペンダントを握り、その言葉も反芻する。いつかその夢を叶える為に。



朝八時、もうすっかり明るくなった街の中をリヤカーの車輪を転がす音が響く。時刻はぴったり丁度、それでも先に、アレクは待っていた。自分と同じくらいの大きさの箱を椅子にして。崖際にある駅からは海が望める、それをひたすらに見ていた事から随分と長い時間を待っていた事が窺える。ショウカは口に咥えた砂糖菓子を口の中に改めて放り込むと噛み始めた。

鉄道の鉄橋が海に向かって延び、朝日が丁度、鉄橋から覗く素晴らしい絶景に見惚れていたアレクは後ろから聞こえるリヤカーの音に気付かずにただ呆けていた。特大、大きな声が聞こえるまでは。

「アレの人ー!来たよー!!」

思わず仰け反る程の声に落ちそうになるがなんとか踏ん張って振り返ると、以前にも見た光景があった。リヤカーを牽くレイクとそれに乗り本を読むショウカ。相変わらずそう使っているのか、と溜息を吐きながら箱から降りると二人に歩み寄った。

「品物はアレです。あまり刺激を与えないで下さいね?壊れ物ではないですが…その…」

「…何かくさくない?」

朝の荘厳な景色とは裏腹にとてつもない刺激臭が鼻をついた。それだけで思わず鼻をつまみたくなるほど。風の流れからして、その臭いの原因は駅前に置いてある箱からだと容易に推測出来た。

「あー…えーっと…そうなんです。中身は生モノなので…」

「…この臭い、食い物の類じゃないな。趣味が悪い奴の注文って訳か」

ショウカはすぐに中身の察しがついたようだ、既に荷物の配達先を見ていた。

「南の浮籠だろ。こんなん頼むのはこの街にはいねぇ」

南の浮籠とは、ストーンピークから南にある川を挟んだ先にある海に浸食されているリゾート地である。海と浅瀬が縞模様のように織りなし、格子のようになっていて満ち潮になると全面が海になる、とても普通に住むには適さない土地である。何故そんな所に届けるのかというとそこには25番地に投資している富豪達が専用の別荘や施設を建てていて、時折そういう仕事が来るのは分かっていた。

地上の交通網はまだ整備途中であり、鉄道も一部区間だけ。空は使えないとなったら陸で運ぶしかない。そうなると役立つのはやはり、人の足となる。道だけは整備されているので辛うじて陸輸は出来る、本来は車があればそれが一番なのだが…。

「注文先はこちらになります。あと一応…鍵は開けないでください、暴れるので…」

「分かってるよ。…まぁここだよな。っと、よし行くぞ」

臭いにクラクラしているレイクの頭を叩くが返答がない。しばらく間を置いて、もう一度、叩いた。

「わた、し…。やりたくなーい…」

「それじゃ、お前が後ろだ。この箱を押えてろ」

まるで何事も無いかのように箱を抱え上げると、リヤカーの後部に軽々と運び乗せた。

「…それ、結構重いんですけど…」

「あ?こういう仕事してんだから多少の力はついてるに決まってるだろ」

それもそうか、と考えたが普通の成人男性の膂力ではない。レイクを軽々と投げ飛ばした所といい、実は結構な実力者なのではないか。そうであれば大商人であるネールと知り合いなのも頷ける。

「ほら、行くぞ」

そう言うとショウカはリヤカーの取っ手を掴み、歩き出した。

「え?ショウカさんが牽くんですか?」

アレクは驚いていた。奴隷といえばイヤと言われても働かされるイメージがあった。これまで見てきた二人の構図はレイクが牽いてショウカが乗る形だ。それが目の前で逆転したのだ。

「俺は嫌と言ってる奴に無理強いするつもりはねぇ。最低限、働いてくれりゃそれでいいんだ」

「えー…まいしょくカップめんイヤって言ってるのにぃ…」

「嫌なら食うな。それか自分で作れって言ってんだろ。奴隷の分際で飯を作って貰ってるだけ有り難く思え」

なんと、飯まで主が用意していた。…案外、悪い人ではないのかもしれない。いや、確かにネールにはそう言われていた。「自分が悪いと言われる様な事はしない男」。それは悪い人ではないという証明だ。だが、しかし、年端もいかぬ娘を奴隷にしているのは…。

ショウカは拾った、と言った。それはむしろ保護しているのではないだろうか。良いように使ってる訳ではないのが見て取れてしまった事でほんの少し迷いが生まれた。自分で引き取らないのも本来の親を気遣って…そんな考えがよぎった。

「こっちもこっちでイヤぁ…においがじかにくるぅ…」

「多少の距離の違いなんだから我慢しろ。繰り返すが最低限は、働け」

リヤカーに載せられた箱に、まるで倒れ込むように押える少女とそれを牽く大男。本来は逆なのだがこれもまた、一つの絵なのだとアレクは感じた。むしろ、それが本来の姿なのだとも思った。運び屋ショウカなのだから本来、牽くのはショウカだ。若干のもやもやを抱えつつもアレクは次の列車の時間まで街の散策に出かけるのだった。



肌色の道に無造作に置かれた石がリヤカーを揺らす。大型の車がすれ違えるくらいには広い道幅の外は一面の緑、その中には名もなき花が咲き、蝶も舞う。野ざらしにされた電柱が少しばかり綺麗に見える、やはりこの辺りは整備が行き届いているのだろう。そんな景色を汚すのはただ一つ、強い悪臭のみだ。

レイクはもはや限界に達しようとしていた。全身が痙攣するような酷い臭いだ、毒ガスを無理矢理に吸わされている気分だ。押えていろというのが今の仕事だから我慢はしているが正直、もう限界だ。今すぐにでも新鮮な空気を吸いたい。

「なんか…きもち、よく。なんてきたかも…」

「そうか、そりゃ良かった」

ショウカはまるで素知らぬ顔でリヤカーを牽く。こちらの苦労も知らないで、そう思いながらも口喧嘩で勝てた試しがないレイクは、何とか返せる言葉はないかを考える事もなく、ただ頭に浮かんだ言葉を呟いた。

「かぎ…かして…」

この箱の中身を知りたい、心の奥底にあった欲求がちらりと顔を覗かせた。ショウカは黙って鍵を差し出した。ぎゃあぎゃあ喚かれるよりはマシだと思ったからだ。臭いで弱っているからそこまで暴れはしないというのも分かっているが放って置くと可哀想と言われると思ったからだ。

ぶるぶる震えた手で鍵を握りしめると、箱にかかった錠に向かって一思いに突き刺した。そのまま徐々に体重をかけて鍵を回すと錠が確かに「カチッ」と外れた音がした。

「ドゴォッン!!」という勢いの強い音が響くと、蓋があっという間に開き、緑色の何かが柱のように天を突き、鍵は草むらに向かって吹き飛んでいった。

ショウカは一旦、静止した後、頭に手を付き、溜息を一つ吐いたあと、何事もなかったかのように歩き出した。南の浮籠までは遠い、配達時間を考えると鍵を探している時間は無いと判断したのだ。錠は飾りだと説明すれば納得するだろう、その程度に考えながら歩き出した。

箱の中身から現れた物体は、緑色の何か、だった。ぐにょぐにょしていてまるで液体のようだが固体でもない。レイクはそれを注意深く観察する。これは…スライムだ。はっきりと断定出来た。自らの意志で動き、生きている事から魔物であると推定出来る。問題はこれをどうするかだ。

「おぉ…なんとも活きのいい…」

箱の中から解放された解放感からか、常にうねうねと動いている。それに何だか臭いが直に来るからか、何か、臭いが、匂いに変わってきたような…。いや、確実に変わっている。これは違う匂いになっている。嗅覚が遂に狂ったのかとも思ったが絶対に違う。甘い、確実に嗅いだことのある甘さのある匂いだ。

恐る恐る指でつついてみる。ちょっと反発感があるがもうちょっと力を入れれば中まで入りそうだ。

すっ…と指がスライムの中に入った。何かシュワシュワする、体が溶ける程ではない、適度な炭酸感がする。思わず指を引き抜く、何か絡みついているのが指に見える。それは確かにスライムだ。なのに、何だか、美味しそうで…。

口に入れた。迷いはなかった。甘い匂いと自前の嗅覚からだろうか。ためらわずに指を口に入れたのだ。すると、どうだろう。口の中に広がる甘さと適度な酸味、そして指を入れた時に感じた炭酸感…。舌を灼く程では無い、本当のおやつのような感覚だ。

「あ…甘い!!美味しいよコレ!ショウカ!!」

「勝手に他人の物を食うな。あと呼び捨てはやめろ」

そう言いながらもショウカは足を止めなかった。甘い匂いとおやつが今の緑の風景と合わさってピクニック気分だ。そんな事は奴隷だからしたことがないが。気分を良くしたレイクはもう一口を味わう。流石に今度は視線を感じたが、レイク本人からしたら新しい楽しみを見つけられて楽しくて仕方ないのだ。

風がなびき、その涼しさが体が少し火照っているのを感じさせる。気付けば頭上に太陽があった。出発からもうそれだけの時間が経っていたのだ。向こうに着く頃には日も少し沈む頃だ。だとするとそれまでに出来る事は少ない。またスライムを食べるか、着くまで一眠りするかのどちらかくらいだ。ショウカだったのなら本でも読んで時間を過ごすだろうがレイクにはその様な趣味はない。結局は歩いた方が良かったと後悔してるくらいに。

そこで、何かこいつに、このスライムに何か遊びが出来ないか確かめようと思った。といっても言葉の通う相手ではない。今は大人しくぷるぷる震えているがいつ何時襲ってくるかは分からないのだ。戦闘能力は余りなさそうだが…試しに押してみる。ぶにゅうと潰れたまま何も抵抗してこない、どうやらこちらに敵意はないようだ。魔物の類と言えば人を襲うものだとばかり思っていたがどうやら人には慣れているらしい。なれば何をするべきか、もうちょっと強く押してみた。レイクの力は常人のそれではない、千切れそうなギリギリのラインまで頑張って押してみた。すると、さっきの悪臭が鼻に入ってきた。思わず咳をしながら手を離す。どうやらストレスを受けると匂いで対抗してくるようだ。

一方的に痛めつけるのは元から性にはあっていない、謝りのつもりで撫でてやると少しずつ匂いが回復してきた。こういうのには意志が無いものだと思ってつい悪い事をしてしまった。ちゃんと知性があるようだ、だとすれば言葉も通じたりするのだろうか。

「ごめんね。何して遊べばいいのかわかんなくって」

その一言を発すると、嬉しそうに体を震わせて答えてくれた。やはり知性があるようだ、それならもっと違う遊びが出来るはずだ。例えば…何だろう。こういう時にアイデアが出ないのがレイクの知性だった。

そうだ!と思いついたのが一つあった。普段から勉強をしろと口五月蠅く言われていたので紙だけはいっぱいあるのだ。薄汚れた灰色の奴隷服にはポケットがいっぱいあった、どれも付けて貰ったものだ。その中は真っ白な紙ばかりでそれ以外はペンが一本。使い方は分かるが使い道は分からないものであった。何せちゃんと字が書けない。

それでも書けないなりにこれで会話をしようと試みた。もしかしたらスライムも文字を書いてくれるかもしれない、読めないけれど。その時はショウカに聞けばいいのだ。試しに書いてみたのは…。

「えーっと…1足す1は…っと」

こんにちは、等の挨拶から始まらないのがレイクらしさだった。もうお互い顔を合わせているのだから挨拶は不要、だから言いたい事を言った。会話術など無に等しい彼女にとっては普段言われている事を言い返してみたのだ。そういう勉強をさせられていたから。

するとどうだろう、書き終わる前にスライムはその体をくねらせ、自分の体を二つに分けた。そうだ、1足す1は2だ。文字の間違いには気付く事もなく、心が通ったのを確かに感じたレイクは気分が良くなった。それじゃあそれじゃあ、と次の計算式を考え始めた。

「おい、程々にしろよ。さっきも言ったがそりゃ他人の物なんだからな」

ショウカはこちらを見もしてないのに言い放った。何だか悔しい気持ちになって、ひとまず思いついたものを言葉にした。

「2足す2は…?」

するとスライムは二つに分けた体をさらにくねらせ、それぞれが二つに分かれた。そうだ、2足す2は4だ。すごい、自分でもよく分からなかった問題を簡単に解いて見せた。知性は間違い無くレイクよりも上だ。それを分かった上で、更に問題を問いかけたくなる。

少し速度が落ちた、リヤカーの揺れが明らかに少ない。それは向かなくても視線だけで理由が分かった。

「それ以上ふざけてると流石に怒るぞ」

確かに自分に向いていた、それが背中からも分かった。その言葉から発せられる怒気も。それに対してレイクは何か、ムキになっていた。もう少し遊びたいのだ。それくらい分かって欲しい、そんな想いが生まれた。暇過ぎて仕方ないのだ、代わりに遊んでくれる訳でもない癖に。

それらを踏まえた上で、レイクの中に顔を出した反骨心が新たな言葉を生んだ。

「4!足す4は!」

言葉を発した瞬間、レイクの体は宙に浮いていた。投げ飛ばされたのだ、と感覚だけで分かった。地面に落ちる寸前に8匹に分かたれたスライムがリヤカーを埋めつくさんとする勢いで詰まっているのが見えた。

「1かける1は…!」

自分でもしょうもない事を言っていると自覚しながらもショウカは頭に手を付きながら言葉を発した。すると8匹に分かれたスライムが徐々に集まり、元の大きな1匹に戻った。

地面に放り出されたレイクは恨めしそうにショウカを見つめる。頭の角に強く握られた感覚が未だ残る中、ショウカはこちらを見下ろしていた。その目は憎らしくもいつもの目だったのだ、感情のまるで篭もってない、有無を言わさない圧力を感じさせる目。

「怒るって言ったよな?これ以上をやりてぇなら追い出すぞ」

また出た、その言葉。怒る度に同じ言葉。なのに一度も受けた事のない。「追い出す」の一言。

「…っ!ショウカのバーカ!!」

苛立ちから思わず出た言葉にも応じず、ショウカは歩き出す。まるでこちらには興味が無いかのように。それに対して反抗したくって思わず駆け出してリヤカーの上に陣取った。それでもショウカは視線を向けない。ただ、無言でリヤカーを牽いていく。またこのスライムを増やしてやろうか、そんな事をしても相手には最強の対抗策がある。さっきやられた。このままふてくされながらスライムを机にして、頬杖をついて、時間を過ごすしかないのだ。

「…お前は反抗しなくっていいなー」

スライムはぶよぶよと動くものの、一向に攻撃的な姿勢をみせない。香りも特に変わらない、箱の中が特に窮屈でストレスが貯まっていただけみたいだ。人間相手にはとても友好的で、しかも美味しい…。他人が買ったものだが自分でも欲しくなるくらいの品質だ。気に入ったので名前を付ける事にした。

「…うーん…グリーム!緑色のスライムだから!」

至極単純に名前を付けた。僅かな間だがこれでこのスライムとは友達だ。

「他人の商品に名前付けてどうすんだよ…」

独り言ちるショウカを尻目に、乗っかってみたり、寝転がってみたり、箱に詰め直して飛び出ようとするのを阻止したりして遊んでいると、あっという間に目的地だ。友達との出逢いは短かったが、それなりに楽しい時間にはなったのだった。

しっかりと詰め直し、飛び出ない様おねがいをしておくと大人しく言う事を聞いた。箱越しに撫でると浮籠特有の潮の匂いがした。届け先は趣味が悪い事で有名なトータという大富豪の息子だ。ショウカもその名を聞くと眉をひそめる相手で、頻繁に仕事の依頼が来る。何せ運ばせる物の趣味が悪い。基本的には仕事を選ばないショウカだからこそ、こうして相手が出来るのだ。

「おお!やっと来たか!!待っていたぞ運び屋!」

レイクよりも少し年上に見える男だ。その容姿は少し醜く、太った、いかにも、な悪趣味男だった。その見た目通りの足でドスドスとこちらへ寄ってくると、息を荒げながらリヤカーの上の箱を見つめた。正直こんな男に買われるのも可哀想だとは思ったがこれも仕事の内だ。レイクは箱を持ち上げるといつもの場所に置きにいく。凄まじい視線を感じながら。

「ふぅむ…やっぱりあの奴隷はウチで…」

「いつでも構いませんよ。なんなら無料で引き取って貰って結構です」

そのショウカの台詞に対して目を瞑って舌を出すことで反抗した。少なくとも、こんな奴の所にはいたくない。

「…その気がないのなら仕方ないな。まぁまだ幼いのだしもう少し待っても…」

そんな最低な事を聞きながらもグリームを家の前に置く。最後に一撫でして、別れの挨拶をして。駆け足でショウカの元へ戻ると迷う事なくリヤカーの取っ手を取った。これはレイクの意志だ。

「まぁそう急がないでくれ、もう少し話をしようじゃないか。そうだ、この前取り寄せたアレとか…」

聞いてもいないのに話し始めようとするのを無視し、旋回しようとすると肩を掴まれた。

「そうそう!あのスライムにも名前を付けてあるんだ!グリームっていう…」

レイクは言い様の知れない感情を抱き、呆然とした。涙が出そうで出なかった。ショウカに頭をポンと叩かれると、それが優しさなのだと不思議に感じたのだった。

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