8ソフィアの婚約
お休みしてしまいすみません。
体調の関係で不定期になりますが、必ず更新していきます。
どうぞよろしくお願い致します。
ソフィアとの日々は平穏そのものだった。
「明日もお姉さんが待っていてくれるかな」
眠い目を擦りながらベッドに横たわると、アンナは毎晩、毛布の中でわくわくした。そして、ソフィアに会うと、字を教わったり、朝食や昼食をご馳走になったりして、毎日があっという間に過ぎて行った。
そんなある日、いつものように樅の木の下で待っていたソフィアに、歌を教わることになった。
「この歌はね、私の幼馴染が作った歌なの。人間の自由を称えた歌よ、教えてあげるから歌ってみて」
「うん!」
アンナが興味津々でソフィアを見ると、ソフィアは深呼吸を一つして、美しい声で歌い始めた。
綺麗な声。最初に会った時から、綺麗な声だと思っていたけれど、歌声は特に綺麗で、まるでひばりが鳴いているようだった。夢中で聞き入っているうちにあっという間に歌は終わり、ソフィアは照れくさそうに、顔を少し赤らめる。
「どう、分かった?」
「うん、お姉さんの声、凄く綺麗だね」
「ありがとう。ヘデラちゃんも少しずつでいいから、真似して歌ってみて」
ソフィアに言われて、アンナも歌を歌い始める。最初は少しずつ、そしてワンフレーズ歌えるようになったら、次のフレーズと、何度も何度も繰り返し教えてくれた。
すっかり日が傾いた頃、ようやく歌のレッスンが終わると、ソフィアは満足そうな笑みを浮かべてアンナを見た。
「よく頑張ったわね。今度会ったら、新しい歌を教えるわね」
「本当?!嬉しい!凄く楽しみ!明日?それとも、明後日?」
顔をくしゃくしゃにして満面の笑みを浮かべるアンナの頭を優しく撫でながら、ソフィアはふっと寂しそうな目をした。
「ごめんね。次の秋よ」
「…お姉さん?まさか?!」
「明日の早朝、村を発つわ。雪が積もる前に南へ戻らないと。でも必ず来年の秋に、またこの村に来るわ」
ついにこの日が来てしまった、とアンナは悲しくなった。
前にあとひと月くらいと聞いた時から、いつかお別れの日が来ることは分かっていたはずなのに。いざその時になると、こんなにも寂しくて悲しいのだと、自分の気持ちにびっくりした。
「お姉さん…絶対に来てくれる?私のこと、忘れないでいてくれる?」
「当たり前でしょう。また来年の秋の始めのこの村に来るから。ヘデラちゃんこそ、私のこと、忘れたら許さないからね」
「忘れないよ。私、お姉さんのことも、教えてくれた字も歌も、絶対に忘れない!だから…だから必ず、来年の秋にここへ来てね。私、樅の木の下で待っているから」
そう言いながら涙を流すアンナの小さな体をそっと抱きしめると、ソフィアも涙を必死で堪える。
「約束するよ。絶対に来るから。安心して待っていて」
「お姉さん…」
大好き!という言葉を胸の中だけで言って、恥ずかしそうに胸に顔を埋める。
今までパパとママと、お世辞にも親切とは言えない村の人しか知らなかったアンナにとって、ソフィアは生まれて初めて、心から大好きと思える存在だった。
翌朝、樅の木の下にソフィアはいなかった。
たった二か月一緒にいただけなのに、心にぽっかり穴が開いたような、大切な何かを持っていかれたような、不思議な寂しさだけがいつまでもアンナの心の中に残り続けた。
それから三年の月日が経った。
アンナは十歳になり、相変わらず、心を病んだ母と二人、森の奥で暮らしていた。
三年前に不穏な動きを見せた西の魔女も、村長が動き出したお陰で、アンナ達に危害を加えることなく、何も起こらなかった。
貧しいけれど平穏な生活の中、アンナの唯一の楽しみは毎年秋の初めに村に来てくれる、ソフィアの存在だった。
目が覚めると、井戸水を汲みがてら約束の樅の木の下で、ソフィアを待った。
秋の初めにしか来ないことは分かっていたけれど、夏も冬も毎朝樅の木の下へ行っては、ソフィアを探した。そして誰もいないことを確かめて、少し寂しくなると、ソフィアの面影を思い出し、ソフィアの旅と仕事の無事を樅の木に祈った。
やがて、涼やかな秋風が初めて吹いた朝、どきどきしながら樅の木の下へ行くと、約束通り、ソフィアが待っていた。
「お姉さん!本当に来てくれたんだね!!」
「当たり前でしょう?私は必ず約束は守るわよ」
そう言うと、ソフィアは駆け寄ったアンナを愛おしそうに抱きしめる。温かくて懐かしい胸に顔を埋めて、アンナは再会の幸せを嚙み締めた。
ところがその夏は、国中に嫌な噂が流れた。
何と国一番の財閥の令嬢に、隣国の財閥の御曹司との縁談が持ち上がったとのことだった。
令嬢の名前はソフィア。隣国との戦争が終わり、経営不振に陥った財閥が、資金援助受けるために、隣国の財閥と婚姻関係を結ぼうとしているとのことだ。
「国一番の財閥のお嬢様と、隣国の大財閥の御曹司の結婚かい。庶民には想像もつかないが、さぞ幸せなことだろうね」
村の女達が口々に羨ましがっているのを耳にする度に、アンナの心は痛んだ。
何故なら、偶然拾った新聞記事で、財閥の令嬢のソフィアが、お姉さんだと知ってしまったからだ。
最初は嘘だと思った。綺麗だけれど、男のなりをして、馬に跨って放浪の商人をしているお姉さんが、国一番の財閥の令嬢だなんて、想像もつかないからだ。
しかし、その新聞記事に載っていた写真は、紛れもなくソフィアだった。
しかも記事によると、諸国を遊学していたところを縁談が持ち上がったので、家に戻ったとのことらしい。ソフィアの隣には、口髭を生やして冷たい目をした、異国の男の写真が載っている。
三年間、毎年秋の間、ソフィアに読み書きを教えてもらったアンナは、その記事の内容を理解して、悲しくなった。
お姉さん、もう来てくれないの?
この冷たそうなお兄さんと、結婚してしまうの?
会いたい、とアンナは心から思った。
もう一度会って、お姉さんと過ごしたい。
いや、せめてお礼だけでも…そう思って樅の木を見上げると、今年初めの秋風が、さわさわと葉を揺らした。
秋だ。お姉さん、会いたいよ。
涙ぐんだまま、空を見上げていると、後ろからとんとんと誰かが肩を叩く。
「お姉さん?」
びっくりして振り向くと、そこにはソフィアではなく、小さな男の子が立っていた。
「助けて!森でお母さんが怪我をして、村への道が分からなくなっちゃったの。どっちに行けばいいの?」
「いいよ。道案内してあげる!」
アンナは涙を拭うと、小さな男の子の手を繋いだ。まだ六つか七つだろうか?まるでお姉さんと出会った頃の自分みたいだと、何だか懐かしくなった。
慣れた足取りで森の中へと入ると、男の子はこっち、こっちと、アンナを森の奥へと導いた。
次第に森が深くなり、木々が鬱蒼と生い茂って、暗くなる。
村へはもっと日の当たる木陰の道を行けばすぐ着くのに、いったいどこまで奥に入り込んだのだろう?と男の子を見ると、いつの間にか小さい男の子は、自分と同じ年くらいの女の子の姿に変わっていた。
アンナは驚いて立ち止まると、繋いでいた手を離した。
「誰?!」
すると女の子は不適な笑みを浮かべて、真っ直ぐアンナの目を見て答えた。
「私はアンナ。あなたの足を貰いに来たわ」
いつもお話を読んでくださいまして、本当にありがとうございます。
今日はもう一本アップします。
どうぞよろしくお願い致します。