7魔女同士の戦い
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その頃、何も知らないアンナは、今日も幸せな一日を終えたばかりだった。
何故なら、毎朝樅の木の下で待っていてくれるソフィアに、生まれて初めて読み書きを教わったからだ。
「いい?字を読んだり書いたりすることができれば、本を読むだけでなく、手紙や日記を書くこともできるわ。私が少しずつ教えてあげるから、ゆっくり覚えていけばいいわ」
ソフィアはそう言うと、紙に文字を一文字ずつ書いて見せる。
アンナはソフィアの書いてくれた文字を、一生懸命覚えた。そして半日ほど必死で勉強しているうちに、全ての文字を書けるようになった。
「よく頑張ったわね。明日も教えてあげる。ヘデラちゃんは文字を勉強するのは好き?」
ソフィアに顔を覗き込まれて、アンナは嬉しそうにぱっと顔を輝かせる。
「大好き!私、本と言っても昔パパが街で買ってきてくれた絵本を一冊しか持っていないけど、文字も読めなかったし、ただ眺めるだけだったの。でもお姉さんと頑張って勉強すれば、本が読めるようになるんだね。嬉しいな、こんな気持ちになったの、久しぶりだよ」
アンナはそう言うと、恥ずかしそうに顔をくしゃくしゃにして微笑む。
そんなアンナのはにかんだ笑顔を見るのが、ソフィアは堪らなく好きだった。
「良かった!じゃあ、私が村にいる間は、ずっと読み書きを教えてあげる。あと少しいられるから、簡単な挨拶くらいは書けるようになるわよ」
えっ?
あと少し、という言葉に、ずきんと胸が痛む。
そうだった。お姉さんはいつまでもこの村にいるわけじゃないんだ。商売で来たのだから、いつか仕事が終わったら、また別の場所へ行ってしまう。そう思うと、アンナは急に寂しくなった。
「…お姉さん、村にはいつまでいるの?」
ソフィアの顔色を伺いながら、勇気を出して聞いてみる。するとソフィアは、ちょっと寂しそうな表情になり、
「あとひと月かな。秋の終わりになったら、南へ戻るの」
と答えた。
「…そうなんだね」
しょぼん、と寂しそうな顔をするアンナを見て、ソフィアは胸が締め付けられる思いがした。どうしよう。ヘデラちゃんを悲しませたくない。いや正直なところ、私もずっとヘデラちゃんと一緒にいたい。
でもこの村は国の北東の外れで、冬になれば深い雪に覆われてしまうし、何より一年間食べていくだけの商いができる程、人も物も無い。
どうしたらいいのか考えて、ソフィアはふと閃いた。
そうだ!また戻って来ればいいんだわ。冬から夏までは街や南の温かい地域で商いをして、しっかり稼いだらまた秋の始めにここへ戻って来る。そうすれば、毎年秋の数か月は、ヘデラちゃんと一緒にいられる。そう決めると、ソフィアはぱっと明るい顔になった。
「ヘデラちゃん、大丈夫よ!また来年の秋の始めに、この村に来るから。毎年秋の始めの日に、必ず樅の木の下に行くから。だからこれからもずっと、お友達でいましょうね」
「うん!!」
やったー!これからも毎年秋にお姉さんに会える!!そう思うと、アンナの心はぱっと晴れやかになった。
家に帰ると、いきなり母の怒号が聞こえてきて、アンナは身を竦ませた。
恐る恐る家の中を確認すると、いつもはゆり椅子に座って、黙々とショールを編んでいる母が、立ち上がり、編み棒を手に見知らぬ男と口論しているようだった。
男は年は母より少し上で、とっても大きい人だった。茶色いもじゃもじゃの髪はきちんと撫でつけられていて、清潔なコートを羽織り、後ろに小柄で小太りの男を連れていた。
「だから、ちゃんとショールを編んで生活してるって言ってるだろう?他人の暮らしに口を出さないでおくれ!!」
「しかし、娘さん一人養うのに、これでは満足に食べていけないだろ?それに見たところ、あんたは心の病を患っている。だから良かったら娘さんの面倒を見させて欲しいって言ってるんだ」
「冗談じゃないよ!娘を売り飛ばすつもりかい?アンナはどこにもやらないよ!!」
「違う!ちゃんと話を聞いてくれ!!俺は娘さんを保護したいだけなんだ…先日、西の魔女が北の一家を呪殺した。あんた達だって狙われているんだろう?魔女の家の事情とかそういうのには詳しくないけれど、俺は誰もが平和に暮らせる村にしたいんだ!」
真っ直ぐな目。正直だけれど頑固者だと一目で分かるその男は、アンナに気づく気配も無く、母を説き伏せようと必死だった。しかし、そんな男を一笑に付すと、母は挑むような目で男を睨んだ。
「魔女の家の事情かい?あんたに何が分かるんだい!あたしらは魔女狩りが終わった今も、何も悪くないのに白い目で見られている。他の人には言えない事情もいっぱいあるんだ。綺麗事ばかり言ってないで、さっさと帰っておくれ!」
目を吊り上げて喚き散らす母を見ながら、アンナはそっと家の外に出た。
こんな家でも、あの男達に余所に連れていかれるのだけは、嫌だった。
しばらく家の横に息を潜めて隠れていると、男達は埒が明かないと諦めたのか、不満そうな顔で家から出てきた。
「とにかく、また来ます。何かあったら私のところへ必ず言ってくださいよ。行くぞ、ハンス」
「はい」
二人は馬に跨ると、一目散に走り去って行く。
誰なのだろう?いったい私を保護するって、どういうこと?
「ママ?」
男達がいなくなったのを見計らって、家の中に入ると、アンナは母の顔を見た。
母は悔しそうにむせび泣きながら、編み棒を握り締めて震えていた。
「何だい!魔女だからって、下に見て。私だって魔女じゃなかったら、こんな苦労はしないよ!」
「ママ……大丈夫?」
アンナが小さな手にタオルを持って近寄ると、母はアンナの体をぎゅっと抱きしめた。
「アンナ、お前はどこにもやらないよ。西が動き始めたみたいだけれど、私は負けないからね。やれるもんなら、やってごらん!全て跳ね返して、返り討ちにしてやるさ」
母はそう言うと、泣き腫らした目で天井を見上げる。アンナの高祖父が建てた家は、今でも冬の豪雪に耐えられる、丈夫な作りだった。
そんな天井に続く柱に、一本の錆びたナイフがロープで括りつけられている。
母は立ち上がると、腕を伸ばしてロープを解き、ナイフを手にした。
柄に凝った細工が施されたそのナイフは、この家に代々伝わる大切なものだった。刃はところどころ錆びていたけれど、かつて悪魔と契約した先祖が、跡取り娘を守るための魔力を込めたので、この家の結界を張るのにこれ以上はない効果を発揮した。
母はナイフを両手で持つと、そっと額の前にかざして目を閉じた。千里眼を持つ母には、北や西の魔女の動向が手に取るように見えた。
「…これは、惨いことになっているね」
北の魔女が無残に呪殺された夜、数人の男達が寝たきりの魔女の夫と息子を斧で切り殺すのを見て、母は呟く。元々西と北は比較的仲良くやっていた。が、村の祭祀を仕切る権利を独り占めしたい西にとって、真面目に薬草を煎じて商売をしていた北が邪魔になったのだ。
あの真っ直ぐな村長なら、きっと牧師と癒着して教会の金で贅沢する西の女より、真面目な北に祭祀を仕切る権利を与えるだろう。そうなった時に食べていけなくなるから、西は凶行に出たのだ。
しかし北も魔女の端くれだ。西の企みを知り、家族を守るために西を呪殺しようとしたらしい。
下半身が動かなくなり、寝たきりになった幼い娘のベッドの傍ら、西の魔女が毎晩泣いているのが見える。確かこの娘はアンナと同じ七つで、奇しくも名前まで同じアンナだったはずだ。
「次はうちか」
母はナイフをアンナの目の前に出す。綺麗なナイフ…でも何だか怖い、とアンナは目を逸らした。
「アンナ、よくお聞き。うちはこの村、いや多分この国で最も力のある魔女の家系だ。しかし、まだお前は七つだ。森へ行く時は気をつけな。同じ年頃の力のある娘を見たら、絶対に仲良くなってはいけない。逃げるんだよ、いいね?」
「分かった。ママ、気を付けるよ」
アンナは返事をすると、もう一度恐る恐るナイフを見た。柄に花の彫刻の施された、とても趣味の良いやっぱり綺麗なナイフだ。でも、このナイフを見ていると、何だか途方もない暗闇に引きずり込まれるような、得体の知れない恐怖を感じた。
いつもお話を読んでくださいまして、本当にありがとうございます。
次話も続きますので、どうぞお付き合いください。
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