3魔女の娘
一日二話ずつ更新します。
よろしくお願いいたします!
森の奥の小さな小屋の前に立つと、女の子はいつになく元気よく扉を開けた。
「ただいま!」
そう言って、口をつぐむ。
家の奥で椅子に腰かけて、黙々と編み棒を動かす母を見て、目を伏せる。
そうだ、ママにはお姉さんのことは、内緒にしておかないと。
「お帰り、アンナ。遅かったじゃないか」
「うん…ちょっと旅の人に村までの道を聞かれて、教えてあげていたの」
アンナは母の顔色を伺う。すると母は全く表情を変えないまま、編んでいるショールから目を上げて、アンナを見た。
「どんな人だい?」
「…あの、綺麗な若い女の人で、馬を引いていたの」
「そうかい。どうせ、村の芝居小屋に来た、役者か何かだろう?まさか、うちの場所や名前は教えていないだろうね?」
「うん、教えてないよ」
アンナは答えながら、ドキドキした。お姉さんにお人形の名前を教えておいて良かった。と、心から思った。
「ならいいんだ。今でも魔女ってだけで酷いことをする人間がたくさんいるからね、絶対に他人に教えるんじゃないよ」
そう言うと、母は天井を仰いで悔しそうに歯を食いしばる。
「ああ…何でなんだい!魔女じゃなければ、あの人を失わずに済んだというのに。アンナ、お前が生まれたせいで、私はこの世で一番大切な人を手にかけてしまった。お前さえいなければ、お前さえ、生まれて来なければ…」
涙を流しながら呟き続ける母を見て、アンナは悲しそうに俯く。
ああ、またママの病気が始まった。
ママはパパが亡くなった日から、心が壊れてしまった。
そして、時々こうやって、辛い言葉を吐き続ける。
アンナは逃げるように家から出ると、丘の上の樅の木へと走った。
大きな樅の木の下には、大好きなパパが眠っている。
優しかったパパ。学者だったパパは、旅をした異国の話を、たくさんアンナに聞かせてくれた。
「…パパ」
私はどうしたらいいの?
アンナは樅の木を見上げると、小さな両手で顔を覆い、声を殺して泣いた。
その夜、アンナは夢を見た。
五歳の秋の終わりに行われた、優しかった父の葬式の日の夢。
樅の木の下の墓標も無い父の墓に祈りを捧げながら、母は父と家のことをアンナに教えてくれた。
父は学者で、母と出会うまでは、国のあちらこちらを旅しながら、その土地の歴史や文化を研究していたが、ある日この森に迷い込み、導かれるようにして、母と出会った。
惹かれ合った二人は、すぐに仲良くなり、父は実家には内緒で、母と結婚した。
母はショールを編み、父は歴史や文化の本を執筆して、生計を立てた。それなりにお金もあって、とても幸せな毎日だった。やがて母は身ごもり、アンナが生まれた。しかしアンナが生まれた夜、悪魔は母に囁いた。
「この娘が五歳になった秋の終わりの日、夫の命を捧げよ」
母はついにこの時が来たのだと、一人声を殺して泣いた。
何故なら母親から、魔女狩り時代に先祖が悪魔と契約を交わしたせいで、代々一番大切な人の命を、悪魔に捧げなければならないと聞いていたから。
それは時に子供だったり、兄弟だったり、夫だったりした。
母の場合は、最愛の夫だった。そしてその日から葛藤と罪の意識で苦しむ日々を過ごし、悪魔に囁かれる度に、この恐ろしい契約から絶対に逃げられないことを、何度も思い知らされた。
アンナが五歳になった年の秋の終わりの日、母はついに、家に伝わる呪いのナイフで、父の胸を刺した。樅の木の下で、まるで何かに取りつかれたかのように、自然と体が動いた。が、ふと我に返った時、胸から血を流す父を見て、母は咄嗟にナイフを引き抜き、泣き崩れた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
辛うじて息をする父を抱きしめると、母は叫んだ。父はそんな母を悲しい目で見つめながら、力なく涙を流す。
「…何、で……こん、な、こ…と……を……」
母はごめんなさいと泣き叫びながら、父が息絶えるまで、半日間その体を抱きしめ続けた。
「いいかい、アンナ。うちは魔女狩りの時、悪魔に跡取りとなる娘の命を守ってもらう代わりに、一番大切な人の命を捧げる約束をした、呪われた家なんだ。そしてその一番大切な人は必ず、この樅の木の下に導かれてやって来る。お前にもそんな誰かがきっと現れる、その時は覚悟おし。この世で一番大切な人の命を、自分の手で奪わなければならないことをね」
母は感情の全くない声でそう言うと、狂ったように高らかに笑い始めた。
「私はパパを愛していたのに!世界中の誰よりも愛していたのに!呪われた魔女に生まれてきたことを、呪ってやりたい気分だよ!!!」
壊れたように笑い続ける母を見ながら、アンナは生まれて初めて自分の中に流れる魔女の血を、怖いと思った。
呪われた魔女の家。だからこんな森の奥に隠れて暮らしていたんだね。
教会へも行かず、村の多くの人達から冷たい目で見られても何も言えないんだね。
そしていつか……ママみたいに、私にも一番大切な誰かを殺さなければならない日が必ず来る。
それは誰?と、あの女商人を思い浮かべて、首を横に振る。
あの人は違う。だってあの人は女だし、年も離れている。それに旅の商人だから、きっとすぐにどこかへ行ってしまう。
よかった。とアンナは心から思った。
いつもありがとうございます。
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