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あなたに愛を。(1)

 今朝、今年初めての暖かい東風が吹いた。


 山岳地帯にあるウダの郷に春の訪れを告げる風。

 長い冬が終わり、もうすぐ命煌く春が戻ってくるのだ。


 アセナは午前も早いうちに独り館を出た。


 久しぶりの外出である。

 護衛もつけずに出歩くのは許可できないと渋るサヤンを説き伏せ、何とか勝ち取った自由な時間だ。


 いつもであればリボルに代わり事細かに世話を焼いてくれるサヤンに逆らうことなどしないのだが、今日はそうしてでもいかねばならない事情があった。



『アセナの花園』

 アセナが心の中でそう呼ぶ秘密の場所で、一年に一度の奇跡が起こる日なのだ。


「暖かい東風が吹いたから、今日きっと咲くはず。いそがなきゃ」


 凍えるような早春、白い息を吐きながらアセナは道を急ぐ。


 目的の場所はウダの郷の外れの険しい崖の上にある。


 そこに白い花が咲く。

 何の変哲も無いクルテガ地方によく在る初夏に咲く花なのだが、その場所だけは何故かこの東風が吹いた日に咲くのだ。


 この花園は幼かったアセナの宝物だった。


 季節はずれに咲く花の、まだ冬の寒さの残る中で真っ直ぐに空だけを向いて咲く姿を、アセナはウダ族の民(じぶんたち)と重ね合わせてみていた。


 今は食うや食わずの貧困の只中にあるけれども、誇りを忘れず前を向いていればいつかは家族も郷の皆も幸せになれる、と。


 小さなアセナは信じていたのだ。


 逃げることの出来ない苦しい日常。

 そのなかで、この花園だけは夢を見ることが許される場であり、もう一つの希望が与えられた場所でもあった。



(もう咲いているかな)


 自然と気持ちが逸り小走りになる。

 雪でぬかるんだ道に時々足をとられるが、止まることなく、ただ一直線に郷の外れの崖をめざした。



 四半刻ほど歩き詰め、ようやく崖のもとに着いた。

 はぁっとアセナは見上げて息をつく。


「思った以上に雪が残ってるわね」


 この冬は例年以上に厳しく雪も深かった。

 これから登らねばならない崖にもいたるところに白い塊が日の光を反射しキラキラと輝いている。


(これだけ雪が残っていたら、さすがにまだ咲いていないかもしれない)


 一抹の不安を抱きながら、アセナは手を岩にかけると確かな足取りで登っていく。


 ウダを離れて初めての登坂だ。

 が、幼い頃は毎日のように通った岩場である。


 大人になっても体は覚えているらしい。

 大きな困難も無くすいすいと上がっていく。


(子供のころは酷く険しく思えたけれど、こうしてみるとそれほどでも無かったのね)


 アセナはふっと独り笑った。


 子供のころは何とも登りづらい岩道だと思っていた。一つの岩場を超えるのも精一杯だった。


 が、成人した今、同じ道を辿ってみて、さほど険しい道ではなかったのだと実感する。

 むしろ容易に乗り越えることができてしまうほどに、緩やかな登りやすい道だった。


(立場が変わると見え方もかわってくるのね)


 追い詰められ辛いことでしかなくとも、時が経ち過ぎ去って冷静に顧みれば思っていたよりも困難な状況ではなかったということもよくあることだ。


 今のアセナもまさしくそうである。


 後宮から、アスランからも離れ、ウダの郷で温かい人たちに囲まれるうちに、現状を未来を落ち着いて考えることができるようになった。


 妃として入内し、自分の生きて来た世界とは違う環境に置かれ、アセナは大切なものを見失っていたことを気づいたのだ。


(とても単純だったのに)


 人とは愚かなものだ。


(真中にいると気づかないものね)



 最も大切なものだけを思えばいい。そうすればすべてが後からついてくる。



 愛すべき人たちとともに在ること。

 慈しむこと。


 愛すべき人。

 アスランと、――我が子を。



 年が明けてすぐのこと。


 雪の降り積もる朝にアセナは男の子を出産した。

 黒髪に明るい碧にかすかに黄味がかった茶の混じる瞳をした健康な赤子だった。


 妊娠中に受けた毒の影響もなく五体満足に生まれ、ただひたすらアセナを見て笑うわが子は、何ものにも替え難く尊いものだと思い知らされた。



 母になりアセナはさらに強く思う。

 愛すべき者と共に生きること、それが幸せなのだということを。




 アセナは岩場を登りきり、息をついだ。


 冬の間、静かに過ごしていた分、体が鈍っている。ほんの少しの運動で息が上がってしまう。

 かじかむ指をさすり、


「咲いていてくれたらいいんだけどな。最後の機会かもしれないんだから」


 独りごちて花園の方へ足を向けた。


 もう何年も訪れてはいないが、どこにあるかは鮮明に覚えている。

 大きな岩陰を越えてた、その先だ。



 アセナは足を止めた。

 早春の柔らかな日差しを受け、若草色の瞳は黄金に瞬く。


 秘密の場所だ。

 郷の者も知らない場所のはずだ。


 それなのに。


 岩場にこちらに背を向け腰掛ける人影があった。


 背の高い男性である。

 顔は見えない。


 大柄な体に地味な色味であるが上等なマントを羽織り、腰には豪華な装飾の施された太刀を佩いている。


 気づけばアセナの頬に涙が伝っていた。

 見違うはず無い。


「アスラン、様……?」

読んでいただきありがとうございます。


エピローグです。

ちょっと長くなったので二つに分けました。

次回で完結の予定なのですが、閑話的なのどうしようか悩んでいます。

このまま本編だけで終わらせた方がいいのか、閑話(半分書けています)も載せたらいいのか……。

もう少し悩もうと思います。


次の更新は明日の午後の予定です。

最後まで是非お付き合いください。

皆様に多謝を。またお会いできることをいのって。


ムーンライトノベルズにスピンオフを書いています。

(※タイトル少し変更しました。「滅国の巫女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」 https://novel18.syosetu.com/n9540gf/)


↓よろしければ、こちらもどうぞ。

[連載中]

ゆるゆるご都合異世界恋愛物語です。

「前世から人生やりなおします!」

https://ncode.syosetu.com/n6147gb/


[完結済]

ただひたすら幼馴染が主人公を愛でるお話です。

「アイのある人生は異世界で。」

https://ncode.syosetu.com/n1461ft/

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