65話:いつまでも側にいるために。
文中のダイヴァとはアスランの真名です。
確かに子供のころはサヤンのことを思っていた。
ウダの狭い郷のなかでアセナの世界はサヤンと家族しか居なかったからだ。
けれど今は違う。
市井の民のように広く自由な世界ではないが、ウダの郷のように日々の糧を得ることだけに執心せずとも多くのことを知り考えることができる世界だ。
文明に触れる学ぶことの許される世界。
幼い頃の希望の光が手の届く場所にあるのだ。
「ウダの早春、あの日お会いした時からアスラン様は私の希望でした」
後宮に入内し、無位の妃としてカルロッテに仕え、偶然に出会ったあの日。
ただの憧れは恋心にかわった。
「私が恋焦がれるのは貴方だけです。ダイヴァ様。私が真名を教えていただいた唯一の妻であるように、私にとっても貴方が唯一無二のお方です」
「アセナ、お前は何て事を……」
照れずに言うんだとアスランははにかみながら目線を泳がせた。
アセナはアスランの顔を両手で挟み、疲労のにじむ目元をなぞる。
パシャという国の頂点に立つ事は、計り知れぬ心労と重圧、孤独の中で生きるということだ。
アスランは皇帝である限り永遠に逃れられない。
もしもその苦しみをほんの少しでも自分が代わってやることができるというのならば。
(どんな苦難にも耐えれるわ)
そして耐えきれる人間にならないといけない。
愛おしい人の隣にいるために。
「あら、口に出さないとお分かりにならないでしょう? アスラン様が他の誰かに妬かなくてよいくらいに何度でもお伝えしますよ?」
思いを伝えること、それでアスランの心が安らぐというのなら易いものだ。
アセナは身を乗り出して思い浮かぶこと全てを指折り言葉にしていく。
「幼い頃からの高い志を一貫して成されたところが好きです。学が深く広い知識をお持ちのところも、辺境の民に心を寄せてくださるところも、意外と情が深く甘えたなところも好きですよ」
「もういい。その辺にしてくれ」
「そう途惑うお姿もとても好きです」
「お前は。……頼むから止せ。たえられん」
全力で好意を向けられることに、さすがのアスランも慣れていないのか、居心地わるそうに体をよじる。
「私はアスラン様が必要だと思われるものはすべてを、貴方様のためになる事であるならば何でもして差し上げたいのです」
アスランはふぅと息をつくとアセナの手を引き、
「……ここは冷える。向こうへ行こう」
と東屋の長椅子に座らせた。
自らの上着を脱ぎ、アセナの肩にかける。
季節は晩秋だ。
やがてくる冬を前に吹く風も冷たさを孕んでいた。
暦の上であればまだ秋も盛りだというのに、今年はもう秋も終わろうとしている。
この冬は厳しいものになりそうだった。
風に飛ばされカラカラと舞う落ち葉が月明かりに照らされる様を、アスランはしばらく無言で眺め、
「……俺のことを思うのであれば側に居てくれ。ウダに戻るのをやめることはできないのか?」
と呟くように言った。
それは皇帝の言葉ではない、皇帝の役から離れた一人の男の言葉だった。
嘘偽りのない本音である、ということはアセナにも分かる。
このままお互いが甘えるだけの間柄でいるのも悪くは無いのかもしれないと、ふと心をよぎる。
だがここで止めるのはお互いのためにはならないだろう。
取りやめたいという甘い誘惑を必死に押さえ込み、
「はい、出来ません。これだけはアスラン様のお願いだとしても譲れません」
アセナは明るく言い切った。
一生隣に居るために行くのだから。
アセナは隣に座るアスランの肩に顔をうずめる。
「我慢なさってくださいませ。たった数ヶ月のことです」
「いいのか、アセナ。お前と供寝するようになって、俺は人肌の心地よさを知った。一人寝の侘しさに耐えられるかどうかわからんぞ」
「あらもしかして別の皇妃様のところにお渡りになられますか?」
「かもしれんな」
「絶対にダメです。実は私もやきもち焼きなのですよ? 多くの女性の居る後宮に住みながらおかしなことですが。それに皇妃位の皆様は皆が皆、素晴らしいお方ですもの。アスラン様の目が移るんじゃないかと不安です」
「では行かずにここにいればいい」
「それもダメです。未来の為に一度戻らないといけないのです。強くなって帰ってまいります」
「お前もたいがい頑固だな」
「貴方様の妃ですもの、仕方ありません」
言葉が途切れる。
どちらからともなく、口付けを交わした。
「ダイヴァ様。政局も、後宮のことも全てを終わらせて、必ずウダに迎えに来てくださいね。待ってますから」
「ああ、約束する」
「必ずですよ」
「必ず、だ」
一段と強く風が吹きぬける。
アセナの黒く艶やかな髪が夜風に舞う。
冬はもう直ぐだ。
そして出発の日が来た。
霜の降りる早朝、アセナはまだ暗いうちから僅かな供だけを連れ皇帝専用宮を出た。
まっすぐに王宮の正門へ向う。
いつか後宮から遁走しようと言うサヤンに宣言したとおり、王宮の正門から堂々と出立するのだ。
正門前には同行する護衛団がすでに待機していた。
庶民の衣裳を着たサヤンが鹿毛の愛馬女王の手綱を引いて進み出ると静々と頭を下げる。
「おはようございます。アセナ皇妃殿下」
「おはよう。スナイ隊長」
「準備は出来ております。いつでも出立できますゆえ、ご指示をお出しください」
サヤンから手綱を受け取り、アセナは護衛の兵達の手を借り馬の背を跨いだ。臨月ちかくの大きな腹部のまま馬に乗る姿はなんとも危なっかしい。
侍従宦官のリボルが心配顔で騎上のアセナを見上げた。その瞳には涙が浮かんでいる。
「アセナ皇妃様、お体のことを鑑みて馬車の方がよろしいのではないですか? もしもお腹の御子に差しさわりがございましたら大事でございますよ」
「いいえ、リボル。ウダの女は出産の直前まで馬に乗るのよ。これくらい何てことないわ。それにこんなに清清しく澄んだ朝なのに車内なんてもったいないでしょう」
「ですが」
「リボル」
アセナはリボルの言葉を封じる。
「大丈夫よ。信じなさい」
「アセナ様……」
今回の療養にリボルは同行しない。
後宮に残り宦官頭としてアスランの内廷改革の補助を行うことになっていた。
影のように従い支えてきたリボルとこれ程の期間離れるのも、後宮に入内して初めてのことだった。
生活のすべてを支えてくれたリボルがいないのは正直不安ではある。
がアセナ自ら選択したことだ。
独りでも立てる人間に成長するために、王宮から離れ内省する日々を始めるのだ。
「後は任せたわ。後宮のこと、お願いね」
「畏まりました。アセナ様。よろしいですか、リボルがいないからといって決して無理はなさらぬようになさってくださいませ。くれぐれも、くれぐれもお忘れなく。お健やかにお過ごしください」
アセナは頷くと、
「では参りましょう」
高らかに言い、馬の腹を軽く蹴った。
読んでいただきありがとうございます。
これで話数がついたお話は終わりになります。
あと数話で完結予定です。
閑話どうしましょう。
この期に及んで悩んでいます。
不定期更新になりますが、最後まで是非読みに来てください!
皆様に多謝を。またお会いできることをいのって。
ムーンライトノベルズにスピンオフを書いています。
(※タイトル少し変更しました。「滅国の巫女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」 https://novel18.syosetu.com/n9540gf/)
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