63話:初恋の終わり。
「はぁ、こんなことになるとは……」
二人になったとたんにサヤンは砕けた口調に戻る。
エリテル配下の軍人ではない、ウダの里に居たころの優しいサヤンがそこにいた。
十五のあの夏の日に戻ったかのようだ。
眩しい日差しの下で裏表の無い素直な表情をするサヤンとアセナ。
世の中のしがらみも苦しみも知らない穏やかな日々だった。
こうしてみればウダの郷の生活は貧しくも幸せであったのだとアセナは今では思う。
「サヤン、仕事とはいえウダに帰れるのに嬉しくないの?」
「何言ってるんだ? 帰省じゃないんだ。仕事をしに戻るのに、嬉しいも何もあるかよ」
しかも政情が安定しないなかでの皇后候補の極秘療養。
どれだけ精神が削られることか。
サヤンは頭をかきながら、
「そもそもね、アセナ。今だって久しぶりの休暇中だったんだ。休暇が明けたら別の任務に就くことになっていたんだよ、それなのにさぁ……」
「え、しばらくは都にいれるんじゃないかと思ってたのに。今度はどこに赴任する予定だったの?」
「ヘマントだよ。外交官付きの武官として赴任することになっていたんだ」
サヤンはウダ族の恵まれた体躯と資質を生かし、諜報業務に就いている。
表向きはエリテル将軍の配下であり副官となってはいるが、実際は皇帝直属の隠密として動いていた。ヘマント行きも密やかに使命が命じられていたに違いない。
「オミーシャ様の祖国の……。ヘマントって風光明媚な国なんでしょう? 素敵じゃない」
「だろ? 最近はきつい任務が多かったからさ、俺も楽しみにしてたんだよ。それが閣下から至急だって呼び出されてきてみれば……赴任は取り消し、アセナのわがままで急遽入ったウダへの里帰りの護衛役とか。たまったもんじゃないよな」
「任務が無駄になったのは申し訳ないけどさ。わがままとか。うん、そりゃわがままだけど、言いすぎじゃない?」
サヤンの言っていることは正しい。
確かに仕える者にとっては仕事が増えるだけなのだ。
特に皇帝の寵愛を一身に受ける懐妊中の皇妃に何かあったとしたら、我が身どころか一族郎党が危うい。
正直、軽率だ。アセナも分かっていた。
「でもどうしても一度王宮から離れたかったの。それだけは譲れなくて。私がアスラン様の隣に立つには必要なことだから」
「……陛下がお許しになったのならば、俺はこれ以上言うことはない。陛下の愛妃の思いつきでこんなことになるとか、ほんとありえないとは思うけど。俺には従う選択しかないからな。もう二度とこんなことするんじゃないぞ。アセナは振り回す側の人間になったんだから」
幼馴染から発せられた強い口調にアセナはきまりの悪い顔をする。
サヤンはばつが悪そうに額をかくと、改まったそぶりでアセナに頭を下げた。
「これは申し訳ございません。口が過ぎました。アセナ皇妃殿下。お許しください」
「サヤン、こちらこそごめん」
二人の間に喧嘩の後のような微妙な空気が生まれた。
気まずい沈黙を破ったのは、サヤンだった。
「アセナ。ウダ側の受け入れる準備で……滞在する館の改修とかも考えたらね、どう見積もっても一か月かかるんだ。出発は臨月の直前になるかもしれない。いいね、その間に王宮をしっかり見ておくんだよ」
「うん? どうして?」
アセナはピンとこない様子で首をかしげた。
サヤンはしょうがないヤツだとばかりにアセナの頬に触れる。
「次に戻ってくる時は、もうウダ族の娘ではないんだ。ただの皇妃でもない。この国を統治する皇帝の子を産んだ、皇帝がただ一人寵愛する皇后だ。陛下は国のためにアセナのためにも改革を進めようとなさっている。意味わかるよな」
すべてが変わるということだろう。
内廷、後宮も今までとは違うものになるのかもしれない。
「それと」
サヤンはウダ族の証である碧い瞳を曇らせながら続けた。
「これは個人的なことだけど、覚えておいて欲しいんだ。俺は……ウダ族のサヤンとしてアセナに接するのは今日この時で最後にする。アセナもそのつもりでいてほしいんだ」
「え……」
血のつながりこそないが、供に辺境に生き貧困を耐えてきた友であり家族であった。
例えどのような環境におかれたとしても、ウダ族としての絆は消えないはずだ。
強いつながりがあると思っていたというのに。
断ち切るというのか。
「サヤン、どういうことなの?」
「俺はパシャ皇帝アスラン陛下とエリテル将軍閣下に人生を捧げると決めた。お二方ともこの上ない素晴らしいお方だ。アセナ、お前はその陛下の愛する妻であり、義理とはいえ閣下のご息女なんだ。臣下としてのケジメは付けておかないといけない」
「私が皇后になるからなの? 同郷の友を心配することも友情すら許されないの?」
「違う。俺とアセナの絆は消えないよ。友情を保持するのは構わない。ただ立場が異なる以上、節度を持った付き合い方をする必要があるということだよ」
アセナは突然の言葉に困惑した様子である。
(相変わらず暢気なんだ、この人は……)
サヤンは苦笑した。
こうして面を合わせるのでさえ、未だにサヤンの心は揺れているというのに気づきもしないなんて。
デミレルが起こしたあの災厄さえなければ、アセナが女衒に身を売ることは無かっただろう。
今頃、あの辺境のウダの郷でサヤンは初恋を実らせていたはずだった。
兵役で貯めた金を結納金にしてアセナに結婚を申し込むはずだったのだ。
あの飢饉さえなければ。
アセナの腹の子はアスランの子ではなく自分の子であったはずだ。
しかしもう過ぎたことだ。
過去を変えることは出来ない。
そしてアセナがアスランから揺るがない愛情を受けている現実も、アセナがアスランだけを見つめ愛している現実も。
もうサヤンにはどうすることもできない。
他人を変えることは出来ないのであるのならば、自らを変えなければならないのだ。
だから伝えておかねばならなかった。
「俺はアセナのことを子供のころから好きだった。嫁にするのはお前しかいないとずっと思ってたよ」
「サヤン……」
痩せた土地にしがみつき飢えと貧困にまみれたウダの郷でお互い支えあい生きていくうちに、自然と生まれた感情だった。
お互い同じ思いを抱いていた、あの頃は。
「だけど今は違う。アセナは陛下の皇后だ。俺も武人としての道を選んだ。交わることの無い道だ。それぞれの道が絶えるまで全力を尽くさなければならない。この気持ちを抱いていてはいけないんだ」
四年ぶりにパシャの都で再開し、アセナを見かけるたびにサヤンの心の奥底に寂しさと嫉妬と愛おしさが交じり合った複雑な感情が渦巻いていた。
アスランとアセナの慈しみあう様子に身も引き裂かれる思いだった。
でもそれも今日で完全に終わりだ。
「お前に対する気持ちは忘れるよ。今後は臣下として全力でお仕えする」
「……分かった」
アセナはふっと微笑むと手を伸ばし、サヤンの身体を軽く抱きしめた。
「今までありがとう、サヤン」
「こちらこそ。アセナ」
長い初恋は終わり、アセナとサヤンのパシャ人としての本当の意味での人生の始まりだった。
読んでいただきありがとうございます。
サヤンとアセナすっきりしました。
サヤンは頭がいいのですぐふっきちゃうと思います。
つぎはアスランかなぁ。
ムーンライトノベルズにスピンオフを書いています。
(※タイトル少し変更しました。「滅国の巫女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」 https://novel18.syosetu.com/n9540gf/)
不定期更新になりますが、次回も是非読みに来てください!
皆様に多謝を。またお会いできることをいのって。
↓よろしければ、こちらもどうぞ。
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