60話:優先すべきこと。
今回かなり長めになりました。
否といわれてしまっては、もう今は引き下がるほか無い。
ダメだと言われるのは想定済みだ。また話し合える機会はあるだろう。
アセナはとりあえずこの件は保留にした。
それよりも今は優先すべきことが別にある。
「こちらを向いてくださいませ、アスラン様」
久しぶりに日の高いうちにアスランと顔を合わすことができたのだ。
こう他愛も無い会話を楽しむ機会は最近ではめったに無いというのに、それを不意にするのはもったいない。
不愉快な気持ちは置いておいて、今はアスランと話せる悦びを大事にしたかった。
アセナは両手を伸ばしアスランの頬に触れる。
「せっかく明るいうちにお会いすることができたのですから、しっかりお顔を拝見させてくださいませ。最近はあまりにお会いできないので、アスラン様のお顔、忘れるところでした」
アスランの眼の下にはうっすらと隈ができていた。
皇帝は強く気力に満ち溢れていることが求められる。
アスラン自身も皇帝に必須の恵まれた体質を引き継いでおり、いくら体調が悪くとも表にでることはなかった。
だが、今日のアスランは心なしか顔色も悪く隈ができている。
ということは、政局がかなり困難な状況にあるということなのだろう。
この度の政変がどれだけの偉業であったが分かる。
「しばらく昼間に会わなかっただけで、夫の顔を忘れるのか? 冷たい妻だ」
「あら、私の知っているアスラン様のお顔には目の下に隈などありませんでしたもの。初めてお会いする方のような形相ですよ」
「酷い言い方だ。お前とは昨日の晩にも会ったというのに」
といいつつも、アスランはふっと安らかな表情になった。アスランにつられてアセナも朗らかに微笑む。
顔を合わすといってもアスランが部屋に戻るのは深夜。
確かにアセナとは一つの寝台で寝てはいるし、言葉も交わす。が、暗い部屋で眠りにつくまでのほんの僅かな間でしかない。
アセナはアスランと二人で話すだけでも心の凝りが解けていくような感覚を感じていた。
「暗闇の中ではアスラン様の顔色までは分かりません。ウダの民がいくら夜目が利くといっても昼間のように見えるわけではありませんよ? アスラン様がこんなにお疲れだなんて……」
知りませんでした、とアセナはアスランの胸に顔をうずめる。
「今日、アスラン様とお会いできて良かったです。とても安心しました。」
「さっきから俺の顔の話ばかりだ。気に入っているのは顔だけか?」
「……ご存知なくせに」
アセナはこの上なく頬を紅潮させうつむいた。
こんな言葉にすら喜びを感じてしまうほどに、結局のところアセナはアスランが好きなのだ。
黒い瞳も濃い茶色の髪も声も、そして強い意思も。
アスランはこのパシャの皇帝だ。
全ての民を統べ、君臨する者である。
だからこそアセナは強く成らねばならない。
アスランを支えることが出来るような人物にならねばならないのだ。
今のアセナには帝室で重んじられる『太陽の子』であることしかない。存在意義がそれだけというのは辛い。
アセナが必要だとアスランの心の底から想ってもらいたい。
アスランの広い胸の温もりを感じながら、アセナは腹の中で思いを強くしたのだった。
アセナと別れ、執務室に戻ったアスランを迎えたのは、山のような書類を抱えた“異邦人”カルネウスだった。
並々ならぬ才能を持つ異国人副官は大げさに右の眉をぐっと上げて、
「私が席を外している隙に執務室から抜け出して、アセナ皇妃様との逢瀬お楽しみになられていたようですね。皇妃様は変わらずお美しくあられましたか?」
「ああ。何ものにも替えがたいほどな。……怒るな、カルネウス。少しくらい気晴らしをさせてくれてもいいんじゃないのか?」
「悪いとは申しておりません。寵妃を愛でられるだけで陛下が執務に励んでいただけるのならば大歓迎です」
ちらりと横目でカルネウスを見ると、アスランは決まりが悪そうに自らの席に着いた。
「アセナから暇願いが出た」
「おや、これはこれは」
カルネウスはわざとらしく笑顔を浮かべながら、アスランの前に書類を積む。
「内に外に……陛下は本当に難儀でございますなぁ。まぁとりあえずこちらの裁可をお願いいたします」
「風情のないやつだな。……北の国との協議はうまくいったということだな」
アスランは目線をあげる。
北国を思わせるカルネウスの色素の薄い青い瞳が満足そうに頷いた。
「大成功と評価してよろしいかと。内乱でかなり混乱しているということを踏まえましても、全ての案件で我が国に有利な条件をもぎとって参りました。想定を上回る成果です」
「それはすごいな。使節団員全員分の賞与を用意しておけ。明日、引見だろう。そのときに恵賜する」
「畏まりました」
アスランは書類に署名をしカルネウスに渡すと、新たな書類の山を前にため息をついた。
外廷に大鉈を振るい人員をかなり整理したせいか実務が限界近く膨れ上がっていた。
デミレル家門に握りつぶされていた途方もない程の陳情があちらこちらから奏上され、カルネウスのような国の中枢に関わる業務に携わるものでさえも対応せざるを得ない状態だった。
無論トップの皇帝が休むわけにいかず、政変前の倍の政務に忙殺される日々である。
毎日処理しないとならない案件に加えてアセナの要望。
一蹴すればよいことであるが、今回の大願を達成できたのもアセナあってこそ――むしろアセナの命を利用したといっていい――という一面もあり、無碍に出来ないところだ。
「どう思うよ、カルネウス」
「アセナ妃様の件でございますか? デミレル派はほぼ掌握いたしましたが、まさかの内廷から難題がよこされるなんて思いも寄りませんでした、というところですね」
「ヤスミンの件もあったからな。可能性はなくはないだろうとは思っていたが」
アスランは頬杖をつく。
カルネウスはアスランの卓上の書類をいくつか隅によせ、湯気の上がる茶を置いた。
「アセナ様を一生陛下の手元においておかれるおつもりなのでしょう?」
「アセナは新しい帝室の象徴としても必要だ。皇后として立つことが出来るのはアセナしかいない」
「であるならば、少しは思いやりをもつべきですね。長い人生の、そのほんのわずかな期間くらいは自由にさせてやってはいかがですか」
あと何年か何十年かともに生きるだろううちの数ヶ月。子を産み落ち着くまでの数ヶ月だ。
カルネウスの言い分もアスランにはよく分かっていた。
「そうはいっても王宮外では何かあっても守ってやれぬではないか」
「王宮も危険度でいえばあまり変わらないように思えますがね。かえってウダの郷の方が安全かもしれません」
ウダの民にとって『太陽の子』は格別な存在だ。
昔と比べて求心力は失っているものの、それでも宝であることは間違いない。
「かん口令を布けば、必ず秘匿できましょう。それでもご不安ならば護衛をつければよろしいでしょう。私、良い人材を存じておりますよ」
「カルネウス、まさかお前……」
アスランの手が止まる。
「その者は頭も切れ、武術の腕も確かですし、なにより見た目も涼やか。さらには陛下やアセナ皇妃様への忠誠心は疑いようがありません。当然ウダの事情にも明るく……」
「もうよい」
アスランはカルネウスを制し、右手でこめかみを押さえた。
アスランの脳裏に癖の強い黒髪に浅黒い肌の男の顔が浮かぶ。
確かに有能であり、自らの陣営には必要不可欠な男だ。
将来は確実にアスランの片腕になるだろう。
帝室を支える柱となるほどの才覚をもつ男に対しての唯一つの不満は、かつてアセナのことを想っていたということだけだ。
過去の話であるし、現在もこれからも何も起こらないことは確信してはいるが……。
「男の嫉妬はみっともないですよ。しかも妻の過去に嫉妬とか」
「……うるさい」
大きく息をつくと、アスランは「エリテルを呼べ」と指示し、裁可の終わった書類をカルネウスに投げつけた。
読んでいただきありがとうございます!
ここ数日、宮平多忙を極めまして、PCの前にたどりつけない状況でした。
なんとか今日更新できました!
いかがでしょうか?
PV・ブックマーク、いつもいつも励みにさせていただいています。
ムーンライトノベルズにスピンオフを書いています。
(※タイトル少し変更しました。「滅国の巫女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」 https://novel18.syosetu.com/n9540gf/)
不定期更新になりますが、次回も是非読みに来てください!
皆様に多謝を。またお会いできることをいのって。
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