59話:17歳のアスラン、そしてダイヴァ。
少し長めになりました。
作中に出てくるダイヴァとはアスランの真名です。
帳面には17歳の等身大のアスランが、ダイヴァがそこにいた。
備忘録として使ったのだろうか、日々の事細かな事柄から仕事までとりとめも無く記されてあった。
アセナは紙面に踊るやや右に流れる筆跡に胸がいっぱいになる。
9歳の早春、アセナに希望を与えた貴人ダイヴァの筆跡だった。
とても愛おしく尊い、あの文字だった。
すべての始まりはそこにあったのだ。
アセナは帳面を一時抱きしめ、再び開いて読み始めた。
「アスラン様、エリテル将軍にずいぶんしごかれたのね」
自然と口元が緩む。
当時、北面を守護していたエリテル将軍の下に派遣されたアスランは、軍人としての基礎を徹底的に叩き込まれていたらしい。
クタクタになるまで行使され、泥のように眠る毎日。
皇帝の第三息子という立場でしか評価されなかったアスランを、エリテル将軍含め周りの軍人達は一人の人間として対等に扱ってくれた。
人として尊び接してもらえることが何よりも嬉しかったようだ。
厳しいけれど充実した日々であったと文面からも察しとることができる。
(クルテガにも何度もいらしてたのね)
アスランは軍の駐屯地から近いクルテガ皇領へも時間をみては訪れていた。
大賢者であり歴史学者でもあるヘダーヤトの薫陶を受けていたアスランである。
パシャの歴史や地理に強い興味を抱いており、特に今は落魄れてしまったウダ族がかつて支配していたクルテガには魅かれていたようだ。
青年アスランは胸を弾ませてクルテガの地に踏み込んだものの、そこは荒れ果てた貧しい土地であった。
不正が横行し民は飢えていた。
理想と現実の差に落胆し怒りを感じたようだ。
「アスラン様らしいわ」
アセナはさらに頁をめくる。
そこには白い花の素描があった。
花弁や柱頭、茎から線が引いてあり、丁寧な字で特徴が詳しく記入されている。
「これ、あの時の……」
アセナの花園で出会った貴人ダイヴァは、その時、岩に腰掛け帳面に何か記していた。
無学の貧しい子供だったアセナには、秘密の花園でアスランが帳面に何を書いていたのか全く分からなかったが今は違う。
十年がすぎ、アセナは字を学び困らない程度には読むことができるようになったのだ。かみ締めるように読み進めた。
花の素描の下にはこうあった。
『クルテガの、ウダの民の気高い魂のような花だ。厳しい環境にありながら真っ直ぐに空を向いている。俺もそう在りたい』
あの花を見て、若きアスランはそんなことを思っていたとは。
帝位争いから強制的に離脱させられ辺境に左遷されたアスランの心情が痛いほど分かる。
アセナはアスランの孤独と無念さを改めて痛感した。
『太陽の子に出会う。アセナという名の小さな貧しい女児だ。美しい色変わりの瞳をしていた。文字を教えてくれというので教える。些細なことだがとても喜んだ』
「私のことも書いていたのね」
アセナは一字ごとに指で追いながら、読み進める。
『帝室の人間と太陽の子は並々ならぬ因縁がある。最後のパシャの王にとって月下香が欠かさぬ者になったように、もしもアセナが俺にとっての月下香であるならば、いつかめぐり合うだろう』
(こんな風に思ってくださっていたのね)
あまり感情を口にすることに無いアスランだが、語らぬだけで思いはあったのだ。あの出会いの日からずっと。
(なんだろう、頬が熱い)
これほどまでの幸せはどこにあるのだろう。
その思いだけがあれば、これから続くであろう気の休まらない日々も、過ごせそうな気がする。
その時、ギイっと音を立て入口の戸が開かれた。何者かが入室する気配がする。
この書庫は皇帝専用だ。
だとすれば一人しかいない。
アセナはこわごわ振り返った。
「アセナ、お前ここで何をしている」
ほんの僅かだが黒い瞳に怒りを宿したアスランが、腕を組み仁王立ちしている。
「ア……アスラン様」
やはり無許可というのは不味かった。
暇を持てあまして来ちゃいましたなんていえるはずも無い。しかもアスランのごく個人的な帳面まで見ていたなんて。
アセナは視線を泳がせごにょごにょと言葉を濁す。
アスランは表情を緩め、やれやれとため息をついた。
「同じ宮とはいえ、ここは外廷だ。不心得者もおるかもしれん。不用意に歩き回るものじゃない」
「申し訳ありません。ところで私がここにいるのをアスラン様はなぜご存知なのですか?」
と訊きながらも、アセナは宦官と宮女の二人連れは周囲から浮いて目立っていたと思い起こした。
ここに来るまでにすれ違う官僚も多かった。
誰かがアスランに伝えたのだろう。
「これだけ人の目があるのだ。報告が上がらぬわけないだろう?」
「左様でございますよね」
アスランはアセナが胸に抱えている帳面に目をやる。
「それは……懐かしい物をもっているじゃないか」
「覚えていらっしゃいますか?」
「ああ。お前と初めて出会った頃に使っていた帳面だな」
差し出された帳面を受け取ると、アスランはぱらぱらとめくり、「俺も若かったな」と自嘲した。
「この頃は必死だった」
アスランはアセナに帳面を渡す。
「でもとても素敵でした。辺境の小汚い子供にも卑下なさることなく親切でお優しかったのですもの。私の心の支えでした」
さらりと出るアセナの言葉に、アスランは照れ笑いを浮かべた。
「この帳面、いただいてもよろしいですか?」
「ああ、好きにしたらいい」
「ありがとうございます」
アセナに宝物がまた一つ出来た。
どんな宝石よりも、身分よりも嬉しい。
「アセナ、この部屋には好きなときに来ていい。ただし事前に警備の者にはその旨を伝えておけ。お前も地位の在る身分だ。軽率に動けば周りに咎がくる」
「はい。この度は浅慮でございました。ご配慮ありがとうございます」
アスランは身重のアセナを気遣い長椅子に座らせると自らも横に座り、気遣うようにそっと抱きしめ頬と額に唇を落とす。
「アスラン様、お願いがあるのです」
「何だ?」
アセナは身体を離し、真っ直ぐにアスランを見つめた。
「しばらく暇をいただけませんか? 後宮からはなれて、ウダの郷に戻って子を産もうと思うのです」
「何を言うかと思ったら……だめだ。王宮からでれば今以上に危険に身をさらすことになる。ましてや出産をウダで行うなどと」
「危険というのならば、どこも一緒です。後宮も外廷も、完全な安全というものはないのです」
安全であるという後宮に居ながらアセナは暗殺までされかけたのだ。幸いにも未遂に終わったが。
人がいる限り、この手の不安はどこにいても付きまとう。
出産も同じだ。
多くの女性が出産前後に命を亡くすのは珍しいことではない。王宮で産もうがウダの郷で産もうが、死ぬときは死ぬのだ。
「それに少し環境を変えて考えたいのです。アスラン様のお側にお仕えし、御子を育てるのであれば、私自身もっと強くならねばなりません。今のままの私ではお役に立てません」
「お前の言い分はよく分かるが、許可はできん」
「どうしてもですか?」
アセナは食い下がる。
「くどい」
アスランはそっぽを向いて言い捨てた。
読んでいただきありがとうございます!
スウィートと言いながら、甘いってどんなこと?な感じになってしまっていますが、いかがでしたでしょうか。
アスラン以外と普通の男の人なんだなぁと書きながら思いました。
PV・ブックマーク、本当にありがとうございます!
いつもいつも励みにさせていただいています。
ムーンライトノベルズにスピンオフを書いています。
(※タイトルは「碧玉の乙女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」 https://novel18.syosetu.com/n9540gf/)
不定期更新になりますが、次回も是非読みに来てください!
皆様に多謝を。またお会いできることをいのって。
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