58話:アスランの帳面。
今回すこし長めです。
「お一人でお行きになられるだなんて! なりませんよ、アセナ様」
アセナに何とかおいついたリボルは腰に手をやりハァハァと肩で息をする。
「妊婦に追いつけないだなんて、鈍ってるんじゃないの?」
「アセナ様が尋常じゃないだけです。そもそも許可もなく書庫へ行こうというのが間違っているのですよ。陛下のお耳に入ったら……」
「その時はその時よ。来ないなら私だけで行くけど?」
「貴女様をお一人に出来るわけないでしょう。無茶をお言いになられる」
皇帝の公務の場である執務室は一つだが、それに付随して側近用や官僚たちの詰め所まであるために、皇帝専用宮の公的部分はかなり大規模である。
さすが外廷とでもいうべきか。
内廷とは規模も人員の数も段違いだ。
高級官僚から下働きの者たち、武官、時に宦官まで、ありとあらゆる公職の者達が忙しそうに行き来している。
若干殺気立つ雰囲気の中、のんびりと歩くアセナとリボルの二人はかなり目立っていた。
上等の衣裳を纏う美女と宦官の二人組みはまるで別の世界から来たかのような優雅さである。
二人とすれ違う官僚達は皆一瞬驚いた顔をし、すぐに頭を下げ足早に通り過ぎていく。
「なんだか『まずいものを見た』って顔してるわね」
アセナは立ち止まると戸惑ったように官僚の後姿を見送った。
「そりゃあここにいるはずのないお方がいるのです。あの者にとってはずいぶん肝が冷えたことでしょう」
「え、それって化け物かなんかと同じ扱い? かなしいわ」
「まったく……アセナ様よろしいですか。貴女はただの宮女ではないのですよ。貴女は将来立后なさる身なのです。さらに幾度か式典に参加なっておられるのだから、“次期皇后陛下”であり陛下の溺愛なさっているお相手だということは、下々まで知られておりますよ」
「そうなんだ。あまり実感なかったからびっくりね」
後宮は閉じられた場所である。
外廷や世間の噂や動向などは幸か不幸か耳に入ってこない。
強い外戚や実家があれば定期的に情報を得る手段もあるが、アセナのように辺境の少数民にとってはほぼないと同じだ。
エリテル将軍がアセナの後見として養父としてたてられてはいる。
しかし、それはアセナが皇后となるための政治的な配慮のためで、例えエリテルが情にあつい好漢といえど面会したのが片手に足るほどしかない親子の間に、情などわくはずもない。
であるので、人並み以上に世情には疎い。
アセナにとってはリボルやアスランから聞かされる話がすべてであった。
まぁ15歳まで辺境の村に住み、ほどなくして女衒に売られて後宮入りというほぼ社会を知らずに来たのだ。仕方ないといえばそうだというほか無いのだが……。
だが、いずれアスランの横に立たねばならないのなら、それなり以上の知識と情報が必要だった。
(まずは知識をつけなくちゃ)
出来ることは一つずつ、である。
アセナとリボルは取り留めのない事を放しているうちに、皇帝専用宮の外れまで来ていた。
「ここですよ」
ふと足を止めリボルは一人衛兵が立つ戸を差す。
「陛下の書庫です」
皇帝専用の書庫は、執務室の横という場にありながら、人気もなく如何にも寂しい雰囲気に包まれていた。
皇帝専属の宮とはいえ、ここは広大なパシャを治める為の場である。
重要な任務を担う部署を中心に設置し、私的な書庫などは片隅に置かれたのだろう。隅の隅といった風情だが、一人で静かに密やかに過ごすには最適な場所だった。
リボルが扉に近づき衛兵に一言二言告げると、衛兵は戸を開け恭しく頭を下げた。
「どうぞお入りください」
衛兵の声がかすかに震えている。
リボルは腕を組み、言い聞かせるようにいった。
「よいですか。アセナ皇妃様。長居はできませんよ。リボルは戸の外に控えておりますから、何かありましたら直ぐにお呼びくださいませ」
アセナは頷いて書庫の扉を潜る。
後ろから戸のしまる音がし、アセナは一人になった。
リボルが懲罰を恐れて入らなかったのか、気を利かせてくれたのかは分からなかったが、自分一人にしてもらえたということはありがたかった。
アセナはゆっくりと部屋の中ほどまで進み、周囲を見渡した。
このパシャの皇帝専用の書庫は個人用に設えられたものだとすれば贅沢極まりない広さであった。
天窓から柔らかな光が注ぎ、灯りがなくとも読書や書き物をするのには十分明るく、さらに外のざわめきも一切聞こえない。
心地の良い穏やかさに溢れていた。
アセナは窓辺に設えられた椅子に腰掛けた。
四方の壁には天井までの本棚が並び、そのいずれにも本がつまっている。
本は貴重だ。
一冊で庶民が一年食べれるくらいもするものもあるというのに、この量。さすが一国の皇帝といったところである。
アセナは立ち上がり、ゆっくりと見て回る。
それぞれ政治・歴史・科学……と分類ごとに整理されている。几帳面なところがアスランらしい。
アセナは適当に一冊手に取ってみた。
表紙には『クルテガ国史』と記してある。
「クルテガの歴史……」
アスランもこれで学んだのかもしれないと思うと、自然と笑みがこぼれる。
ウダ族の知られざる歴史。
ヘダーヤトによれば決して明るい最期ではなかったというが……。
ぱらぱらとめくってみるが、アセナの読める現代語ではなく古語で書かれている。
古語は文法も違うらしく、未だアセナが読むには厳しい。
そっと閉じると元あったところに戻し、他の棚に移った。
「天文学に美術史、文学……。ありとあらゆるものが在るのね。すごいわ」
第三皇子が成り上がるために、幼少の頃からどれだけの努力をしてきたのかがよく分かる。
強い後見のいないアスランは生き残るために、その力をつけるために、計り知れないほどの苦労をしてきたのだろう。
「やっぱりすごいお方だわ」
あの早春の日、ウダで会った青年ダイヴァはこうして伏魔殿の如き宮廷で生きてきたのだ。
アセナの胸があつくなる。
あまり過去を語らないアスランのこれまでの人生の一片を垣間見た気がする。
「あれ、ここだけちがう?」
壁一面の本棚の中で、一ヶ所だけ乱雑に物が詰め込まれている場所があった。
よく見ると本以外の細々とした物や帳面が雑然と置かれているようだ。
「これ帳面? ずいぶん古いのね」
くたびれた表紙の帳面を一冊ぬいてみた。
書きなぐられた稚拙な文字や数字が紙面に並ぶ。数学の計算をしたのだろう。他のページも単語の書き取りであったり、偉人の言葉であったりといったものが書かれている。
少年時代のアスランの姿が目に浮かぶようだ。
アセナは次の帳面を取り出した。
十二・三歳になった頃に使っていた帳面らしい。
ヘダーヤトの弟子であったアスランは随分優秀であったのだろう、前の帳面とは比べることも出来ないほどに筆跡も美しく内容も高度になっている。
アスランの秘密を解くような快感に、アセナは夢中になってしまった。
次から次へと帳面を開いていく。
年齢が上がるにつれ、計算や書き取りといったものは無くなり国を思い憂う様子が窺い知れる文面が増えていた。
「あれ、これは……」
アセナは手を止めた。
(この帳面はどこかでみたことある)
表紙をめくり、紙面に触れてみる。
「これって、あの時の帳面だ」
ダイヴァから渡された自らの名の書かれた紙。アセナの心の支えだった紙片と同じ手触りだ。
ドクリドクリと心臓の鼓動が聞こえる。
あの頃の17歳のアスランの記録なのか。
何が書かれているのだろう。
アセナは白い指先で頁をめくった。
読んでいただきありがとうございます!
15万字を越えたという恐ろしい事実に気づきました。
こつこつ書いているうちにたどり着いてしまいました。
びっくりです。
次回、スイートなエピソードいきますっ!(まだかいてませんが(汗))
ブクマ・PV、評価もいただきました。
なんと500p越えです。
うれしい!
本当にありがとうございます!
ムーンライトノベルズにスピンオフを書いています。
(※タイトルは「碧玉の乙女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」 https://novel18.syosetu.com/n9540gf/)
不定期更新になりますが、次回も是非読みに来てください!
皆様に多謝を。またお会いできることをいのって。
↓よろしければ、こちらもどうぞ。
[連載中]
ゆるゆるご都合異世界恋愛物語です。
「前世から人生やりなおします!」
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[完結済]
ただひたすら幼馴染が主人公を愛でるお話です。
「アイのある人生は異世界で。」
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