54話:夢と幻。
場面変わります。
外界から隔離された宮でアセナが穏やかに過ごしている頃。
後宮の第一位皇妃の宮でこの宮の女主人ヤスミン・デミレルは外廷から訪れた招かれざる客と対峙していた。
男子禁制が大前提であり人の出入りを厳しく制限している後宮において、外からの客というのは海の底の白鳥、ありえないことであり激しく異例だ。
しかもその客は金髪に青眼というパシャ人とは異なる容姿をした男であった。
堂々とその禁を破り訪問してきた者の名をヤスミンは侍従宦官の口から聞き、眉間に皺を寄せた。
その男の名は“異邦人”カルネウス。
皇帝アスラン・パッシャールの腹心中の腹心。
つまりはアスランの意を汲んだ使者ということか……。
ヤスミンは苦々しく思いながら、客を見つめた。
「ところでヤスミン第一位皇妃様」
カルネウスはヤスミンの視線を無視し無遠慮に部屋を見渡した。
「ずいぶんお寂しいことですね。皇妃の宮にしては寂しすぎやしませんか」
第一位皇妃宮は実家の財力を存分に投入し一流の家具を集めた典雅の極みの宮であると高名だ。
平素は女官や宦官が絶え間なく動き回り賑やかで活気に溢れているのであるが、今は人の気配が無くひっそりとしていた。
「騒がしいのはどうも好かぬゆえ人を払っておるのじゃ。異邦人のそなたには分からぬ風情であろうが。のぅカルネウス殿」
豪奢な絹織物の袷の裾をひき、ヤスミンは着座する。
「人払いというよりも存在しないといった様子ですが?」
ヤスミンは扇子を広げ、はたはたと扇ぐと声を上げて笑った。
「そなたがそれを口にするのかえ?」
順調であったすべての事象が反転し、デミレル一門に突如として突風となって襲い掛かってきたのは、数日前のことだった。
皇帝の勅命によりデミレル家討伐の命が下されたのである。
デミレル家創始者のケマル・デミレルが皇帝から代官の任を賜ったクルテガの皇領、そして都のデミレル家本宅、そのほかデミレル門閥に属する貴族や政商までも全て捕縛され制圧された。
皇帝直属の近衛師団と英雄エリテル将軍のその采配は、雷撃のように激しくかつ稲光のように迅速だった。
平和と権力に怠慢し過去の栄光にすがるだけのデミレル家には対抗できる相手ではなく、さして抵抗できずに降伏したのである。
この第一位皇妃宮にデミレル家討伐の報せが届いたのはほぼ全てが終了した頃であった。
報せが届くと同時に、権力と自らの保身に敏感な宦官やら女官は、宮からめぼしいものを持ち出して逃げ出し、カルネウスが訪宮したこの日にはもうヤスミンの側には幾ばくも人が残っていなかったのだ。
全てを把握した上でのこの行状。眼前の金髪の男の性根が知れる。
「これは失礼なことを申しました」
カルネウスはヤスミンの嫌味を気にする様子もなく、椅子の背に深くもたれかかると横柄に足を組んだ。
「ヤスミン様のお耳に入っておられると思いますが」
カルロッテともアセナとも異なるカルネウスの青い瞳に不遜な感情がにじみでる。
「アセナ皇妃様が体調を崩されましてね。現在、外廷にて静養なさっておられます。御腹の御子のこともありますし、回復なさってもしばらくはそのまま滞在することになるでしょう」
「そうか。……それは難儀なことであったのぅ。アセナ殿に身体を労わる様によろしく伝えてたもれ。後でアセナ殿にはこちらからも見舞いももたせるよう……」
「アセナ様です。ヤスミン様」
カルネウスはヤスミンの言葉を遮って、ワザとらしく眉を歪ませる。
「アセナ様はすでに皇后に内定され、近いうちに公式に布告されるお方ですよ。貴女とは身分が違うのですから、正しくおっしゃっていただかないと」
ヤスミンに対する明らかな侮辱だった。
高い身分と家柄を誇りにしていたヤスミンにとって、この上ない屈辱である。
アセナは庶民の少数民族出の賤民だ。皇帝の寵愛を受け立后が決まったとはいえ、生まれながらにしての貴族である自分が虐げられないといけない理由はない。
ヤスミンは動揺を悟られぬように扇子で口元を覆う。唇は血の気を失い、わずかに震えている。
「ウダの蛮族の娘をとうとう皇后に据えるとは。陛下はご乱心なさったのか」
「おや、陛下は平静そのものでいらっしゃいます。乱心は貴女の方でしょう。この後宮におられながら、あそこまでの手練ぶり。実にお見事なものでした。さすが術策に優れるデミレル家のお方だけあります」
「おぬし、な……何を言っておるのだ」
「ヤスミン様。全て露見していますよ。貴女とその宦官が何をしたのか、何をのぞんだのか」
カルネウスは壁沿いに控えていた痩せぎすの宦官を指差した。
宦官は面を土気色に変え、遠目にもガタガタと体を揺らしているのが分かる。
「なんと恥知らずな事をなさったものです。貴女は決して立ち入ってはならぬ領域に踏み込まれました」
「……カルネウス、妾は陛下の第一皇子を産んだ妻じゃ。パシャ一の臣下、デミレル家の妾に何の間違いがあろうか。お前は今上の信が篤いといえどただの下僕じゃ。妾は次期皇帝の母。国母に対して何と言う非礼か」
「本当にあっぱれなことですね。この期に及んでその気位の高さは尊敬に値します」
カルネウスは大げさに呆れたような表情をし、
「このパシャの後宮において、いいえ、“簒奪者”との二つ名を持つ皇帝アスラン・パッシャールの御前において、生まれた順や出自が如何に無意味なものかご存知ないはずはありますまい」
アスランは身分の低い皇妃を母に持つ先帝の第三皇子だ。
自らの力でのし上がり権力を確立した男だ。出自へのこだわりもない。
むしろ家柄を盾にした門閥貴族を最も嫌う性質であることは万人の知るところだ。
実際に異邦人であるカルネウスの才能を一目で気に入ったアスランは、自らのそばに、国の中枢に置き重用している。
「それは御子も同じです。ファフリ殿下は未だ嗣子ではないのですよ。貴女も皇帝の息子を産んだ宮女の一人にすぎません」
「だまれ! この……」
「ヤスミン様。もうこれ以上お話ししても時間の無駄ということになりましょうな。陛下の御意向をお察しください」
では失礼いたしますと、カルネウスは北国流に右手を高く掲げくるくると回しながら深く礼をし、軽やかな足取りで退出していった。
扉の向こうに消えていく背中をヤスミンは深い失望を感じながら見送った。
(そうか。陛下はお許しにならない。当然のことだ)
女に対して執着も情念も持ちえぬと思っていたアスランがアセナに特別な感情を抱き愛でた。
唯一の寵愛する妃に手をかけたのだ。激怒し決して許すことはないだろう。
ヤスミンはため息をついた。
その対象が自分であってほしかったが、もう叶わぬことだ。
「ファフリをここに」
ヤスミンは昼寝から目覚めたばかりのわが子を連れてくるように侍女に指示し、文机の引き出しを開け小さな包みを取り出した。
「おかあさま!」
たどたどしく自分を呼ぶ幼子を抱き上げる。
「かわいいファフリ。この世でお前が一番かわいい」
ヤスミンは夫の面影の残る柔らかな頬に顔をよせた。
読んでいただきありがとうございます!
久しぶりにヤスミン出てきました。
これまでほとんど出てきていないカルネウスも出してしまいましたw
アスランとどっちにしようか悩んだのですが。
ブクマ・PVありがとうございます。
めちゃくちゃ励みにしています。
ムーンライトノベルズにスピンオフを書いています。
ちょろっとでてきたマルヤムとアスランのご先祖様パシャの最後の王のお話です。性的なエピソードもあります。大丈夫な方は読みに行ってみてくださいね。
(※タイトルは「碧玉の乙女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」 https://novel18.syosetu.com/n9540gf/)
不定期更新になりますが、次回も是非読みに来てください!
皆様に多謝を。またお会いできることをいのって。
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[連載中]
ゆるゆるご都合異世界恋愛物語です。
「前世から人生やりなおします!」
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[完結済]
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