53話:あなたをおもう。
リボルによればあれから五日がたっているらしい。
アセナには宴会を中座してからの記憶がない。
覚えているのはどこかへつれられてそのまま寝台で休んだところまでだ。眠っている間にずいぶん記憶が曖昧になってしまっている。
「自分のことなのに、あまり覚えてないなんて情けないわね」
アセナは寝台の上で体を起こした。
上半身を起こすだけで体中が悲鳴を上げる。妊娠中であることや毒の影響もあるのだろうが、想像以上の衰弱ぶりに自分自身驚愕である。
リボルが慌ててアセナの背中にクッションを差し込み諌めた。
「お目覚めになって、すぐにそう動かれるものではございませんよ。お体が万全ではないのですから」
「リボルは心配性ね。それよりお腹がすいた。何か食べる物ないかな」
「さすがはアセナ様。食欲があるのは素晴らしいことです」
リボルは嬉々として足つきの盆をもってくると、アセナの膝の上に乗せる。慣れた手つきで碗に粥を注ぎ盆に置いた。
アセナは匙ですくい、湯気の上がる粥をすする。空っぽの胃に粥の温かさがゆっくりと染わたった。
「毒を盛られただなんて信じられない。死ななかったのは幸いね」
「ウダの血が如何に強いかとリボルはつくづく思い知りましたよ。ヘダーヤト様によりますと普通の人であれば直ぐに身罷ってしまう量の毒が使われていたそうですよ。ウダの民のアセナ様は命をつなぐことができましたが、パシャ人であるならばとうに土の下でございました」
さぁさぁ薬味をお入れしましょう、とリボルがしょうがの刻んだものを山盛り投入する。小さな粥碗に対してあきらかに多すぎる量だ。
「ちょっと、入れすぎよ」
「何をおっしゃいますか。しょうがは身体に良いのです。五日も寝ていたのですよ。これくらい召し上がっていただかないと、体力は回復いたしません。これからも御子のためにも、リボルのためにもがんばっていただかないと困りますので」
「ふふ。子の為っていうのは当然だけどリボルのために食べるんじゃないわよ? あんたもうちょっと主人のこと考えなさいよ」
「おや、このリボル、アセナ様のことは四六時中考えておりますよ?」
「……ごめん。リボルにそこまで想われるのも気持ち悪いかな。ほどほどにしてくれる?」
「それは心外な」
いつも通りのやり取りにほっとしたのか、リボルは満面の笑みを浮かべた。
「本当に安心いたしました。アセナ様がお元気になられて。この五日、生きた心地はいたしませんでしたから」
「あら。私が寝込むとリボルが神妙になるのね。たまには寝込んでみるのもいいわね」
「もう勘弁してくださいませ。宦官頭になるまでは死ねませんのに。もう一度アセナ様が倒れられたらリボルは確実に死んでしまいます」
リボルにとっては地獄のような数日であった。
常に明るく健康なアセナが死人のような顔色をして全く意識が戻らない。
自らの出世が……ということが名目になってはいるが、真のところはどうでもよかった。
アセナが健全に生きることが最も重要で、アセナがこの世から失われることはリボルにとっても死ぬことと同意であるのだ。
子を成すことのできないリボルにとってアセナはもうわが子といってもいい存在である。
「アセナ様、粥のおかわりもございますよ。お入れしましょう」
「病みあがりなんだから。そんなに食べられないわよ」
アセナの言葉をするっと無視して、碗に追加を注ぐ。いたって穏やかで平穏な日常が戻って来たかのようだ。
「リボル。アスラン様やデミレル将軍は? あの後ご迷惑おかけしたのでしょう?」
「左様でございますね。ですがアセナ様がお気になさるほどではございません」
実際のところ、アスランはかなり荒れたのだが。アセナが知らなくても良いことだ。
「陛下も将軍閣下もアセナ様がお倒れになられてから、まぁ以前もそうでいらっしゃいますけれど、お忙しくなさっておいでです。しばらくは落ち着かれることは無いでしょう」
アセナが倒れたあの日から内外廷を嵐が吹き荒れていた。
これまでもデミレル家門に現政権に不満を抱く貴族が加わり、アスラン率いる皇帝派と対立をしていた。が、アセナの暗殺未遂事件をうけ、あまり表立って動くことは無く静観していたアスランがついに先頭に立ち動き始めたのだ。
パシャのすべてを変えるために。
後の歴史学者が大改革と称する政変が始まったのである。
「お忙しいのね。お会いできないのは寂しいけれど、仕方ないわね」
「おや、アセナ様。陛下は毎日アセナ様とお会いになっておられますよ? ここがどこだかお忘れですか?」
アセナは寝台の上から部屋を見渡した。
(皇后宮でもカルロッテ様の宮でもないわね。もっと装飾が華やかだったもの)
見覚えは全く無かった。
機能性だけを求めた棚が壁一面に並び、ぎっしりと書類やら書籍やらが詰め込まれている。本などは量が多すぎて棚に入りきらず床にまで積んである。
貴族となれば美術品を飾りその財力を誇ることを好むというのに。
アセナにあわせて花瓶に花がいけてあるものの、それ以外は実用性に特化した面白みのない部屋である。
唯一の装飾といえば大きく開け放たれた中庭に面した窓からの景色だけだろう。
計算しつくされた庭はこの部屋のこの窓から眺めるために整えられたのだといっても過言ではないほどの美しさだ。
(この庭……)
少しずつ記憶が呼び起こされる。
「ここアスラン様の宮じゃない。……私ずっとここで寝てたの?」
「ええ、陛下のご指示で。皇后宮では安心できぬということで。この国で一番安全なところでございますしね。歴代の皇妃で皇帝の寝室の使用を許された者はおりませんよ。アセナ様をどれだけ寵愛なさっておいでかということでございましょう」
「……ほんとね。ありがたいことだわ」
寝具からかすかに香る乳香はアスランの香りだ。
死の際からアセナを呼び戻したのはアスランへの想いだった。アセナはたまらなくアスランに会いたかった。
読んでいただきありがとうございます!
アセナ眼線のお話なのでアセナメインになっています。
サヤンのハニートラップとか(きっとR18になっちゃう(汗))
政争とかかけたら言いなぁと思ってます。
ブクマ・沢山のPVありがとうございます。
すごくうれしいです。
ムーンライトノベルズにスピンオフを書いています。
マルヤムとアスランのご先祖様パシャの最後の王のお話ですが、ちょっと性的なエピソードもあります。大丈夫な方は読みに行ってみてくださいね。
(※タイトルは「碧玉の乙女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」 https://novel18.syosetu.com/n9540gf/)
不定期更新になりますが、次回も是非読みに来てください!
皆様に多謝を。またお会いできることをいのって。
↓よろしければ、こちらもどうぞ。
[連載中]
ゆるゆるご都合異世界恋愛物語です。
「前世から人生やりなおします!」
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[完結済]
ただひたすら幼馴染が主人公を愛でるお話です。
「アイのある人生は異世界で。」
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