51話:毒。
今回かなり長めです!
気心の知れた者のみの宴はアセナにとって、とても楽しいものであった。
日々の陰鬱とした思いもひと時であったが忘れることができたことは、無理をおしてでも来た甲斐があったというものだ。
アスランやヘダーヤトはもちろんのこと、養父であるといっても数えるほどしか顔を合わせたことのないエリテル将軍でさえも、血のつながりのある家族のように温かに接してくれる。
常に気を張る宮女としての生活の中で何にもましてありがたかった。
「アセナ様、この菓子はとても口当たりがよく美味でございますよ。お召し上がりになってみては? お茶もないですね。おかわりもお入れいたしましょう」
リボルは急須に湯を注いだ。
丁寧に焙煎された香ばしさと甘い密のような雅やかな香りが広がる。
外廷に設けられた皇帝専用の茶園で育てられた茶葉の特徴というが、なるほど庶民には一生縁のない上品さだ。
リボルはアセナの茶碗に注ぐと、そっと手渡した。
「素敵な香りだわ。ありがとう、リボル」
おや、とリボルは眉をゆがめる。
アセナの掌がほんのかすかだが震えている。
「アセナ様?」
(これはいったい……。先ほどまではなんともなかったというのに。他の方は?)
リボルが最も恐れていたことが脳裏に浮かぶ。
宮廷貴族の十八番、そう……。
だが直ぐに打ち消した。
ここは皇帝専用の宮であり、しかも私室である。何かあったらそれはそれで大問題だ。
リボルは感情を洩らさぬように密やかに周囲をうかがう。が、皆平素と変わりない様子だ。長閑に雑談を楽しみながら茶や酒を飲んでいる。
であれば外廷ではなく内廷で仕掛けられたということか。
(アセナ様が口にする物は全て毒見をいれていたというのに!)
一体どこでもれてしまったのか。
(いや、御懐妊なさっておられるからかもしれない)
リボルは次々浮かぶ妄想を首を振って否定した。
可能性を考えるよりも仕えるべきアセナの今を守ることが大切である。
「リボル」
アセナが不安げにリボルを見上げる。
「ご気分はいかがですか?」
「うん、平気よ。気分は悪くない。悪くないのだけど」
急に手が震えだしたのよと縋るような瞳で言う。
それからほんの数秒もしないうちにアセナの手の震えは誰が見ても気付くほど大きくなっていた。
心臓が服の上からも分かるほど脈打ち、かすかに上気していた頬は色を失っている。
額からは脂汗がにじむ。
明らかに尋常ではない。
「ちょっとだけ、おかしいの」
アセナは何とか笑顔をつくるが、ごまかしきれるものではなく、気付けば皆アセナに注目していた。
ただ驚愕のなかに深刻さを混じえた表情でアセナを見つめている。
「アセナ」
アスランがひどく落ち着いた様子で声をかけた。
「すぐに部屋を出て俺の寝室で休め」
「アスラン様……」
「大丈夫だ。すこし休めばすぐに落ち着く。懐妊中だというのに無理をしたせいかもしれないな」
アスランは優しく微笑みアセナの脇を支えながらゆっくり立たせる。
アセナはようよう立ち上がりはしたが足元ももうおぼつかなくなっていた。アスランはリボルと部屋の隅に控えていた近衛武官に何かしらの指示を出し、アセナを抱き寄せるとそっと額に口づけを落とした。
「安心して休め。決して皇后宮に戻ってはならん。いいな?」
中座を詫びて退室するアセナとリボルを見送ると、アスランは先ほどまでの穏やかさなど微塵も感じさせない険しい表情で入口の扉をにらみつけた。
「陛下」
エリテルが立ち上がり、アスランの側に控える。
「毒を盛られたな」
「そう考えて間違いはないでしょう。もう一刻の猶予もございません」
「クソが!」
アスランは手にしていた杯を壁に叩きつけた。大きく乾いた音が部屋中に響く。
「おやおや。これは珍しいことでございますな。陛下。御心静められなさいませ」
ヘダーヤトが糸の様に細い眼を一瞬見開き、アスランの心情を察したかのように語りかけた。
「もともとウダ族の人間は強靭な身体を持っておりますゆえ、パシャの民よりもずっと病に強いのです。アセナ妃様も入内して風邪ひとつお引きになられなかったではありませんか」
ウダ族は整った容姿としなやかな肢体の他に強靭な体と心を持ち合わせている。
強靭とはその字の如く、物理的に強いこともあるが、なぜか病を得づらい。
もちろん死に至る大病には打ち勝つことは出来ないが。ちょっとした風邪や流行病に罹患することは稀だ。
アセナもそのウダ族である。
さらに神に祝福された『太陽の子』だ。どれだけ肉体的に過酷でも乗り切るタフさは一般のパシャ人の比ではない。
「毒にも耐えられるとでも?」
「強靭ということはそういう意味もございますよ」
ヘダーヤトは白髭をゆるゆるとさすった。
「懐妊という通常ならざる状態であることを考慮しても、アセナ妃様のおやつれ具合は不可解でございました。もしかしたらかなり前から毒を盛られておったのかもしれませんな」
「なんと不甲斐ない。アセナは皇后に就く者だ。警護は厳重にするように命じていたのがこのざまだ。俺の意に背く者がまだこれだけいるということだ」
十年だ。自らの派閥を成す為に十年かけてきた。全身全霊で取り組み、やっと掌握し終わった。
これからデミレル家門を討とうというところだったが、向こうから攻めてくるとは。想定外だが悪くは無い。
「政敵が強かだということでございましょう」
「なるべく穏便に運びたかったがな。アセナに害をなした以上はいたしかたない」
アスランは副官であるカルネウスを隣室から呼び寄せ、内廷の制圧を命じる。
その姿は烈帝と称される冷徹なほどの残忍さを取り戻していた。
「エリテル。スナイから報告はあがっているか?」
「はい。ご推察どおりの結果が出ております」
「そうか。デミレルの本宅とクルテガの屋敷を抑え一族郎党一人も洩らさず捕らえろ。シャヒーンと近衛兵を使え。お前たちの手足のように働くだろう」
優秀な腹心たちである。
最低限の指示で充分だ。
「エリテル、カルネウス。可及的速やかに処理しろ。建国の功臣といえど咎人。遠慮はいらん」
「御意に」
エリテルとカルネウスは頷き、そろって退出をした。
しばらくして宮の遠いところからざわめきが聞こえ始めた。
早速動き始めたようだ。
嵐のような激しい感情を収めたアスランは、椅子に座って茶をすするヘダーヤトの前に跪いた。
「師父。申し訳ないがアセナについておいていただけないだろうか。アセナを任せるに足る者はこの宮廷には貴方しかいない」
「畏まりました。この爺でよろしければアセナ皇妃様の側におりましょう。少々医学の心得もあるゆえご安心召されよ」
「……アセナは大丈夫だろうか」
あの黄金の瞳が煌く様を見ないと落ち着かない。
政争の駒であったはずなのに、いつの間にか唯一無二の存在としてアスランの胸に入り込み巣食っていたのだ。
『太陽の子』には抗えない魅力を感じてしまう血筋なのか。
(そうであるならば仕方ないな)
ヘダーヤトは白髭を揺らしにっこりと笑う。
「先ほど申しましたとおり、ウダの娘は強いのですよ。それに陛下が御自らお選びになられた方でございましょう。必ず快復なされましょう」
アスランはヘダーヤトの言葉に何も言わずただ頷いただけだった。
読んでいただきありがとうございます!
短くしたかったのに何故か3000字近くになってしまいました。
アセナ災難回ですね。
ちょっと更新ペース落ちてしまっています。
すみません、スランプ気味のようです。
ブクマ・沢山のPVありがとうございます。
ムーンライト(R18)から来て頂いたのでしょうか。
更新していない日もとてもPVが増え驚いています!
★スピンオフ★も書いています。
R18含むマルヤムとパシャ最後の王のお話です。
マルヤムは「41話~43話 月下香」に出てくるメフルダードの娘さんです。
R18ということでちょっと性的なエピソードもありますが、大丈夫な方は読みに行ってみてくださいね。
(※タイトルは「碧玉の乙女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」)
不定期更新になりますが、次回も是非読みに来てください!
またお会いできることをいのって。
↓よろしければ、こちらもどうぞ。
[連載中]
ゆるゆるご都合異世界恋愛物語です。
「前世から人生やりなおします!」
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ただひたすら幼馴染が主人公を愛でるお話です。
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