50話:嫉妬。
外廷の皇帝専用宮に着くと老齢の侍従が待ち構えていた。
「アセナ皇妃様。お待ちしておりました。ご案内いたします」
アスランは毎晩のように後宮を訪れるが、反対は稀である。
次期皇后であるアセナであっても例外ではなく、皇帝の私的な生活の場である専用宮でさえも自由に訪問することは慣例により許されていない。
アセナもこの宮を訪問するのは初めてであった。
アセナとリボルは侍従に導かれながら大理石の敷き詰められた回廊を歩んでいた。
皇帝の居住区である専用宮も規模は違うが後宮の皇妃達の住む宮と作りは同じである。
中庭を囲むように建物が配され、手前から公務の場である執務室から私的な居間、寝室と続く。
「さすがは陛下のお住まいでございますね。建物もですが、この庭。なんとまぁ見事なことでしょう」
リボルが感嘆の声を上げる。
皇后宮の庭も素晴らしいが、一国の支配者の庭はまた格別だった。伝統にのっとりながらも、各国の様式も取り入れた如何にもアスラン好みの庭だ。
これがたった一人の慰めの為に作られたとは。なんとも贅沢である。
「本当に。すてきね」
アスランらしいとアセナも同意した。
今回の謁見の相手はアセナにとっても気心が知れた近しい相手である。
養父であり後見人でもある将軍エリテル、大賢者ヘダーヤト、そして皇帝アスラン。
いつか城下の商家で密会したときと同じ顔ぶれだ。
あの時。
アセナは最下級の妃である渡りのない“無位の妃”であった。
第三位皇妃カルロッテのお気に入りの部屋子としてのんびりとした穏やかな日々をおくっていた。
家族を飢餓から救うために女衒に身を売ったアセナにとって、衣食住が補償され勉学までも許された後宮は天国だ。
恵まれた環境で宮女として出世も皇帝の渡りも望まず、一生このまま無位のままで過ごすことだけを願って生きていたというのに。
(あの日から一年しかたっていないのね)
皇帝から寵愛をうけ、さらに子まで宿すだなんて。思いも寄らなかった。
来年には立后し皇后として生きていくらしい。
人生とは思い通りにならないものだ。
アセナは膨らみはじめた下腹をそっとさすった。
けれど、悪くない。
立場も責任も重く苦しく厳しいものではあるが、深く慕う人の最も近くにいることができるのだから。幸せなことなのだろう。
侍従により開けられた戸をくぐると、すでに宴席が始まっていた。
アスランがアセナを認め、顔をほころばす。
「やっときたか。体調はどうだ?」
「アスラン様に頂いたお菓子のおかげで、ずいぶん落ち着きました。ありがとうございます」
「そうか。取り寄せたかいがあったな」
「あのお菓子、どなたからご教示いただいたのですか?」
アスランの見聞は広い。
が、さすがに他国の妊婦が好むであろう菓子などわかるはずがない。
さらにいうなれば基本的に女心を思慮するという言葉はアスランには存在しないというのが、この後宮の女達の共通認識である。
つまりはこの気の利いた贈り物も他者からの入れ知恵だろう。
「シーラが教えてくれたのだ。アセナが何も食せないのならこれがよいと。マルデニテの妊婦が好んで食す菓子だそうだ」
「まぁシーラ様が!」
第二位皇妃シーラのおすすめであるのなら納得だ。シーラ自身も双子の姫を持つ母だ。自らが懐妊中にも食したのであろう。
「シーラ様にお礼を申し上げなくては。姫君たちはお元気でしたか?」
アセナはアスランの隣に座りながら訊いた。
アセナの強い希望で週に一度子供たちとアスランの面会の場を設けることになっていた。
元々自らの子に全く関心のないアスランは最初は拒否していたが、ヘダーヤトの後押しもあり、渋々ながらも受け入れ今に至るのである。
「女子というのに宮中を駆け回っておったわ」
「子供とはそのようなものです。男も女も変わりありません」
「……そういうものなのだな」
アスランとアセナは顔を合わせ微笑みあった。
あの世祖祭から二人の距離は明らかに縮まった。
お互いがお互いの奥深くで結びついたという実感がある。
「アスラン陛下」
アスランの向かいで杯を重ねていたエリテルが、呆れたように割ってはいった。
「夫婦仲のよいのは結構なことですが、そろそろ私にも娘を譲っていただけませんか? 陛下は毎日お会いなさっておいででしょうが、こちらは久しぶりの再会なのですよ」
確かに客の存在を忘れていた。
アセナは頬を赤らめ、エリテルに頭を下げる。
「お養父様も。お元気そうで安心いたしました」
「アセナ妃様、御懐妊おめでとうございます。それにしてもずいぶんお痩せになられましたね」
エリテルは身内ならではの不躾な視線をアセナに這わせ、すこし考え込むとポンッと手を叩いた。
「明日にでも滋養の付くものをお届けいたしましょう。妻も妊娠していた時はアセナ様と同じでしたのでね、多少の心得があります」
「ありがとうございます。それと……」
アセナは部屋を見渡した。
エリテルはパシャの英雄である。どこへいくにしろ立場上護衛が追従する。
いつもは副官であるサヤンが付いているのだが……。
今日は山のように大柄でいかつい武官が部屋の隅に控えていた。
「あのお養父様、サヤンは?」
「あぁスナイですか。スナイは別の任務についておりましてね。今回は随行させてないのですよ。ご心配なく、あれは元気でやっております」
「そうですか。安心しました。身体を大事にと伝えておいてくださいませ」
「分かりました。同郷の友はかけがえのないものですからね。特にウダ族となると……陛下?」
アスランはなぜかこちらを見ることもなく、皇帝らしからぬ粗暴な表情を浮かべ一人黙々と酒をあおっている。
「これはこれは……。我が娘を好いてくださるのはとても光栄なことですが、陛下、男の嫉妬はみっともないですぞ?」
「左様でございますなぁ。細君に対して余裕がないというのも帝として、いいえ男として如何なものか」
今まで何も言わず見守っていたヘダーヤトまで便乗する。
「は? お前たち何を言ってる? エリテルはまだしも師父までも」
「あら、そうなんですか? アスラン様はサヤンに妬いているのですか?」
アセナはアスランの顔を覗き込んだ。
アスランの黒い瞳が泳ぐ。
明らかに動揺している。あの自信の塊のようなアスランでも嫉妬をするのか。しかもサヤンに。
新鮮な驚きだった。
「アセナお前まで。何故俺がスナイに妬かねばならんのだ。まったく生さぬ仲でも似るものなのか」
「言い訳は見苦しいですぞ、陛下。ああ、婿殿でしたかな。こんな時は素直に縋るのが一番です」
アスランと旧知の仲であるエリテルはひるむ事はない。
アセナは声を上げて笑った。
「アスラン様がそこまで思ってくださってるとわかって、私とても嬉しいですよ?」
「……このクソ親子め」
すこし黙れと言い捨てると、この国の最高権力者は子供のようにそっぽをむいてしまったのだった。
読んでいただきありがとうございます!
箸休み回になってしまいました。
穏やかな場面も好きなのです……。
えっと宮平ちょっと血迷いまして、やらかしてしまいました。
ムーンライト(R18)の方にこのお話の番外編をアップしてしまいました。
マルヤムのお話です。
まだプロローグだけなんですけど(進む予定もないんですけど)手一杯で死にそうなのに何やってるんでしょうか(汗)
R18ということでそんな話です。
大丈夫な方は読みに行ってみてくださいね。
(※タイトルはこれです。「碧玉の乙女は草原の覇者の腕の中で夢を見る。」)
PV・ブックマーク、本当にありがとうございます!
よろしければブックマーク評価おねがいします。
すごく喜びます。
不定期更新になりますが、次回も是非読みに来てくださいね!
またお会いできることをいのって。
↓よろしければ、こちらもどうぞ。
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