49話:……は口に苦し。
場面変わります。
サヤンが暗躍しているその頃。
アセナは皇后宮で鬱々とすごしていた。
子を身篭ってからというもの悪阻で気分の優れない日が多く、それまでも伏せがちではあったのだが、ようやく落ちつきそうな気配もみえてきていた矢先、公務の最中に倒れてしまったのだ。
以降、この夏の暑さも相まって、どこが悪いというわけではないが調子がでない。
「アセナ様! 陛下から面白い菓子が届きましたよ」
アセナの侍従宦官のリボルが陽気な声を上げながら、水を張った木桶をいそいそと運びいれた。
「騒がしいわ、リボル。アスラン様から何が届いたの?」
「お菓子ですよ。マルデニテの夏の菓子だそうです。ご覧くださいな」
アセナは木桶を覗き込んだ。
ぷよぷよとした半透明の塊がいくつか氷水に浮いている。
今まで見たことのない形の菓子だった。パシャにもウダにもこのような菓子はない。
「ねぇ、リボル。お菓子を通して桶の底が透けて見えるわ。面白いお菓子ね。それにこれ氷よね? 夏に氷ってすごい!」
「左様でございますねぇ」
この暑さのなかで氷なんて!
アセナにはどこで手に入れるのかすら見当もつかなかった。
さすがは皇帝、権力者は違うといったところだろうか。
アセナは氷をつんつんとつつきながら、
「入内してから妊娠するまでは一度も体調を崩したことなどなかったのに。どうしちゃったんだろう。朝も起きれなくなってしまうなんて、自分が情けない」
朝は日の出前に起き支度をするのが、子供のころからの習慣であった。
それは宮女として後宮に入ってからも変わらなかった。
皇妃となった後はアスランとの夜伽もあり、あまり朝早くに起きることができなくなってはいたが。それでも朝食の時間までには床を離れていたというのに。
この頃は夜伽もないのに朝になっても寝台から体を起こすことができない。
この日もまた寝床を離れたのは、ずいぶん日が高くなってからだった。
「お気にすることはありません」
リボルは菓子と氷を柄杓ですくうと瑠璃の碗に盛り、アセナに差し出した。
紫がかった濃紺の碗に菓子と氷の対比はいかにも涼やかだ。
「御子を宿すということは、それだけお体に負担がかかるということでございましょう。御殿医殿が申されたとおりに、ゆるゆるとお過ごしになられるのが一番ということです」
「はぁ、それは分かってはいるんだけど」
アセナは匙ですくうとこわごわ口に含む。滑らかな口あたりと控えめな甘さが心地いい。
初めての食感は新鮮で、最近あまり食欲のわかないアセナでも、するりするりと喉を通った。
「おいしい」
「それはようございました」
あっという間に平らげると、アセナは碗をテーブルに置きため息をついた。
「ウダの郷の女衆は身ごもっても、こんなに寝込む人なんていなかったのよ。妊娠するということがこんなに大変なことだなんて思わなかった」
「人それぞれでございますよ。けれどもさすが陛下。アセナ様の好みまで把握していらっしゃるとは。御寵愛の深さに感銘いたしますね。さぁさぁもう少しお召し上がりください」
アセナの返事を待たずリボルは碗に水菓子を追加する。
悪阻と体調の悪さで食べられず痩せ細ったアセナである。
食べられるものであるならば、食べられるときに食べられるだけ食べさすのが、ここのところのリボルの最重要課題であった。
「世の女衆がこれだけ苦労して子を成していることに、世の中の男どもは感謝せねばなりませんねぇ。まぁリボルは宦官ですので親不孝ではありますが」
「リボル」
アセナはリボルの言葉を遮る。
「兄弟を養うために自ら男として生きることを断つということは、そうできることじゃない。立派なことよ」
リボルは後宮入りしたアセナ専属として仕え5年目になった。
ほとんど自らのことを語ることはないが、ある宴の後めずらしく酒に酔い、一度だけ自らの生い立ちをアセナに語ったことがある。
パシャの属領コルチュルクの貧しい商家に生まれ、家族の生活のため、自らの身を立てるため、自ら望んで陰茎を切り落とし宦官となったのだという。
アセナもまた家族を飢えから救うために女衒に身を売った。
この小うるさい宦官も同じだったのだ。
ウダでは何よりも命が尊ばれる。ゆえに成人した者が子を成せぬ事は白眼視されることだった。
そんな郷でそだったアセナには、宦官に世話になりながらも自ら子を成す力を棄てるということが理解できず、リボルに対してもどこか不信感があった。
けれど生い立ちを理解した今では、リボルは全幅の信頼を寄せる唯一の部下である。
「リボル、あなたは私の大事な侍従よ? 宦官であることを卑下するのは許さない」
「あぁなんと素晴らしいお妃様でしょう。リボルはアセナ妃様にお仕えでき幸せでございます。よいですか、アセナ妃様。皇后にお成りになられました暁には、是非リボルを宦官頭に。お忘れなき様」
「はいはい、分かってる。あんたってば、ほんっと出世が一番大事なんだから」
アセナは苦笑した。
出世欲が支配している以上、この太った中年の宦官は未来の皇后であるアセナを裏切ることはないだろう。駆け引きの必要のない相手というのは、この後宮においては貴重だ。
「何をおっしゃいますか。アセナ妃様が一番でございますよ。もう貴女様ほどお仕えしたいと思わせる御方はこの後宮にはおりません」
リボルは海のものとも山のものとも分からない辺境の民の小娘を、皇帝の寵妃にまで育てあげた。
アセナはリボルの最高傑作といってもいい。リボルにとってもアセナはなくてはならない存在であった。
「おや、全部お召し上がられましたか? まことにめでたい。次はお薬をお飲みくださいね」
慣れた手つきでアセナの前に薬包と白湯を並べる。
「ねぇリボル。この薬、飲まなきゃダメかな。とても苦くていやなんだけど……舌がぴりぴりするし」
帝室の御殿医の指示で処方された薬は、血の巡りをよくし胎内の子にも良いというが……。
幼い頃から薬になれていないアセナには薬草の強い香りと刺激は辛く苦痛でしかない。
「毎度毎度、童のようなことをおっしゃらず、ささっとお飲みください。この後、外廷で謁見がございますよ。支度もせねばなりませんし、クルテガの干しサンザシも用意しておりますから」
アセナは観念し一気に飲み込んだ。
いつもよりも少しのどの辺りに違和感があるが、気のせいだろう。アセナは急いで干しサンザシを口に放り込んだ。
読んでいただきありがとうございます!
久々のアセナ登場です。
ついでにリボルも出てきました。
リボル好きなんですよね!
次回はアスランとエリテルも登場予定です。
サヤンのトラップもぼちぼちw
PV・ブックマーク、本当にありがとうございます!
すごく嬉しいです。
不定期更新になりますが、次回も是非読みに来てくださいね!
またお会いできることをいのって。
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