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43話:月下香(3)

前回まではサブタイトルに閑話とつけていましたが、ナンバリングに直しました。


 十年前の記憶、薄れゆく記憶の海に沈んでいた欠片が次々と浮上し、アセナの脳裏にはっきりと姿を現した。


 ――太刀を佩いた武人ダイヴァ。


 まだ幼かった自分からすれば見上げるように背が高く堂々とした体躯の青年だった。

 やさしく微笑みかけてくれた青年。


(何故気付かなかったの……)


 幾分線が細く未だ少年の面影を残してはいたが、姿形はアスランそのものではないか。

 まさかダイヴァと名乗ったあの武人が未だ皇子であったころのアスランだったとは。

 思いもよらなかった。


(私はなんと愚かだ)


 アセナが貧困を耐えきれたのも、女衒に身を売るのを決めたのも、あの思い出があってこそだった。


 貧しいウダの暮らしでは一生手にすることの出来なかった文化に、文明に、わずかながらも触れることが出来た。

 どんなに辛い境遇に陥っても、秘密の園でのささやかな出来事さえあれば生きていけると思わせるほど、アセナにとって小さなそれでも尊い希望の光となり支えとなったのだ。


 三文字。わずか三文字の自分の名前。

 たったそれだけでも何も持たないアセナにとっては宝物だった。


 煌くような夢だった。

 そしてそれを与えてくれた人が若き頃の皇帝アスラン・パッシャール、この後宮の主であり唯一の夫……。


 胸の奥底からこみ上げてくる昂りに身体はふるえ、心臓は早打つ。

 出会っていたのだ。

 最も会いたいと思っていた人に。


(すべての物事は繋がっている。ヘダーヤト先生のおっしゃるとおりだ)


 女衒ぜげんに女郎屋ではなく後宮に売られた事も、もしかしたら神の采配が働いたのかもしれない。

 あの月下での出会いは偶然だったのか。

 

――いや、必然だ。


(アスラン様は全てをご存知だったのね)


 アセナは震える心を押さえつけ、冷静を必死に装おうとしながら口を開いた。


「私が身の丈に合わない皇后位に付くことには、全て理由があったのですね。陛下が決して辞退をお許しにならなかったのも、全て」

「アセナ妃様、これまでの所業で陛下をお恨みになられぬな」

「何を恨みましょうか」


 唯少し。

 少しでも御心を開いてくれたならば……と思うだけだ。

 けれど、アスランが自分に与えてくれた希望と比べれば些細なことだ。


「アスラン様はアスラン様の思うままになさればよいと思います。私には陛下に返しても返しきれない恩があります。情けないことにヘダーヤト先生のお話をうかがうまで……今の今まで私は知らなかったのです。知る術もなかった」


 アセナの色替わりの瞳からはらはらと涙が零れ落ちた。

 長年の心の澱が溶け出したような爽快で穏やかな何ともいえぬ不思議な感情がわきあがる。


「ヘダーヤト先生。本当に知らないということは罪深いものですね」

「左様でございますな。物事は混ざり合い絡み合っているようにみえて、真の道は一つなのです。この爺の話でアセナ様の問いに解が生まれたのならば、それは結構なことです」


「けれども知ってしまうと、もうどうしてよいか分かりません。大きな恩をいただいたのに、アスラン様にお渡しできるものが私にはないのです」

「何をおっしゃるのか。アセナ妃様。貴女様はここに居られるだけでよろしいのです。陛下は貴女様のことを掌中の珠の如く思っておられます。他の妃と比ぶべくもない。今はただただ健康な御子をお産みになられることを最優先にお考えになられよ。陛下もそれをお望みでしょう」

「では何があっても生きておらねばなりませんね」


 道は平坦ではない。

 暗く長く、厳しい。


 このパシャの宮殿においてアセナを良しと思わない人間も多い。

 諸国出身の皇妃達はアセナを支えてくれると約束してくれたが、彼女達は後宮内ではほんの小さな傍流でしかない。


 目下の問題は第一位皇妃ヤスミンだ。

 例え皇帝からの寵愛はなくとも巨大な権勢を誇る家門が、ヤスミンを支えているのは周知の事実だ。


後宮ここには私を害そうとなさる方が多いですもの。易い道ではありませんが、乗り越えなければ」


 アセナはそっと下腹部をさする。

 宿ったばかりの命だ。


(無事に産んであげないとね。あなたは未来を繋いで行かないとならないのだから)


「アセナ様、ヘダーヤト様」


 侍従宦官の声に、アセナとヘダーヤトは顔を上げた。リボルが微妙な雰囲気を追い払うように陽気に言う。


「そろそろ外廷での御公務の時間でございますよ」


 その豊満な体とは思えない敏捷な動きですすっと近づく。


「おや、アセナ様。お泣きになられたのですか。せっかく造り上げたお化粧がおちてしまっておりますよ。なんだかこう……この世のものとは思えない形相といいますか、なかなか見ごたえのあるお顔になっておられますよ」


 リボルはアセナの顔を見て大げさに驚いた。


「ちょっとリボル、何その言い方は。そんなに酷くはないでしょ?」

「さてはて、どうでしょう。リボルは賢明でございますからね。これ以上は申し上げることは止めておきましょう。部屋で侍女が待機しております。時間もおしておりますので、お急ぎくださいませ」


 リボルが差し出した腕につかまると、アセナはゆっくりと立ち上がった。ヘダーヤトに中座の失礼を詫び、ゆっくりとした足取りで私室に向った。


 後宮に嵐が吹きぬけるのは、もう間もなくのことだ。

読んでいただきありがとうございます。


閑話:月下香として載せていましたが、サブタイトル変更しナンバリングにしました。

番外編っぽくしていたんですが、あまり閑話じゃないなぁと。

また変えちゃうかもしれません。


今回でダイヴァの正体が明らかになりました。

ダイヴァに教えてもらった字を書くことはアセナにとって唯一の希望でした。

恐怖も空腹も、ただひたすら自分の名前を書くことで耐え忍んできていたのです。

分かった時はアセナ愕然としたんだろうなぁ……。


ブックマークありがとうございます!!

ものすごく嬉しいです。

これからもよろしくお願いします。


次回も是非読みに来てくださいね!


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