40話:ささやかな願い。
「やはり、カルロッテ様もそう思われますか」
アセナは急須を持ち空になった茶碗に茶を注いだ。
ゆらゆらと立ち上がる湯気と最高級の茶葉から生まれる芳香が皇妃達の間に漂う。
「こうなるだろうということは薄々分かっていました。無位のそれも女衒を介しての入内した者が皇后になる……かつてないことです。後宮の宮女たちから恨みを買っている事は知っております」
特にヤスミンからは誰よりも強く敵視されていた。
あれほどまでに高い誇りと高貴な家柄を持つ女性がアセナを許せるあろうはずが無い。
いつかは何か起こるだろうと思っていたのだ。
それがついに来ただけだ。
アスランの予告通りアセナという餌に獲物が食いついたのだ。一本釣りを狙っていた巨大な獲物が思惑通りに……。
カルロッテはアセナの落ち着き具合に不穏を感じ、
「アセナ。相手はとても手ごわい相手だけど、諦めてはダメよ? 貴女には陛下がついていらっしゃるわ」
ゆるりと肩を抱いた。
カルロッテにとってアセナは自分の元部屋子であり、この魍魎が跋扈する後宮においての唯一の気の置けない友でもある。
「ご心配なさらないでください。カルロッテ様。私も命は大事ですもの。生き残る努力はいたします。陛下も生きてお側にお仕えることをお望みですから」
「陛下のご希望でもあるのなら、どんな妨害にも全力で抗う他ないわね。でも皇妃としてではなく友として、貴女には無事であってほしい。いつか貴女が皇后として采配を振るう姿を見たいわ」
「カルロッテ様のお願いであるなら絶対に守らねばなりませんね」
それだけ言うとアセナは黙り込んだ。
皇后宮の使用人の人数が少ないのも、アセナの警備をしやすくするためだとアスランは語ったが、現実に命を狙われていると分かってしまえば、この人数は心もとない。
わざと自分を狙わせているのだろう。
そうと知っていても分かっていても。アスランに思いを寄せアスランだけが自身の頼るべき先であるというのに、信じきれない自分に腹がたった。
アセナの中で矛盾と嫌疑がどんどん膨らんでいく。
が、考えても詮無いこと。今ある問題のみにあたろうと決め、茶碗の水面を澱みのない瞳で見つめた。
茶碗をテーブルに置き、アセナはゆっくりと口を開いた。
「もしもこの禍を生き残れたら……」
(一度、後宮を離れよう)
皇后位に付く以上、自らの望みで退宮することは出来ない。死ぬか皇帝の命により放逐されるかしかない。
だが療養名目であるならば後宮から出ることが出来るはずだ。
ほんのわずかな時間でいい。
後宮から、権力者から距離をおきたい。
堂々と門から出て、どこか都から離れて暮らそう。
オビスでもいい。
ウダの郷へ里帰りするのも良いかもしれない。
とにかくこの場から離れたい。
アセナは一切の迷いも戸惑いも無い面差しで皇妃達を眺めた。
「皆様で祝っていただけますか?」
一瞬間が空き、シーラとカルロッテ、そしてオミーシャは快く聞き入れた。
「アセナの望む物を用意しなくちゃね。ヴィレッドブレードにヘマント、マルデニテの王族がいるのよ。大抵の物は揃うわ。何でも良いわよ、何が欲しいの?」
「欲しいものは……」
(自由と希望)
――そして。
もう顔もはっきりと思い出せない人の姿が頭に浮かぶ。
何故こんなときに思い浮かぶのだろう。
(あの人にもう一度会いたい)
九つの頃、秘密の花園で出会った生きる希望を与えてくれた人。
あのウダの郷での困窮に包まれた幼児時代に、どこの誰とも知れぬ旅人から気まぐれに与えられたほんのわずかな光は、アセナの芯となり支えとなった。
飢えと貧困に苦しんだ辛い日々をどうにか乗り越えられたのも、労働を終えた後のただひたすら自分の名を書くことだけに没頭するあの時間があったからだ。
いつか出会えたらきちんと礼をしたいと考えていた。
後宮に入り皇后を臨もうとした今となっては叶える術もないが、それでも会いたかった。
(今の自分があるのはダイヴァのおかげなのだから)
通りすがっただけの貴人にとっては気にも留めないささいなことだったのかもしれない。
けれどアセナにとってはかけがえのない出来事だった。
「……内緒です。まだお教えできません」
「まぁ、アセナ殿。謎の多い方なのね」
陛下が夢中になる意味が分かるわと、シーラはこの陰気を振り払うように豪快に笑った。
貴婦人らしからぬ笑い方に一同あっけにかえる。
祖国にもどれば最高位の地位にある女達だ。世の規範になるべく育てられ躾けられてきた彼女達は、感情を表に出すことを良しとはされなかった。
本心は腹の奥底に秘め、穏やかに微笑むことを求められていたのだ。
それなのに大声で笑い、窘められると子供のように拗ねる。
王族としては失態である。
だがシーラは気にするそぶりも見せず、息を継ぐとすぐに素面にもどり、
「……もう止めにしましょう。私達の間でくだらない駆け引きなんて。私達は同士で仲間よ。腹を割りましょう。そうしないとアセナ殿をお守りできないわ」
カルロッテは頷く。
「確かにそうね。異国の後宮でこんなことになろうとは思いもよらなかったけれど、ここで暮らすのならばそうするのが最適ね。私達の安全にも繋がるわ」
「皆様??」
いつアセナが暗殺されてもおかしくない状況にあって、ヤスミンを除く諸国王家出身の皇妃が団結しその一派の頭に担ぎ上げられたアセナは戸惑いを隠せない。
「アセナ殿を支えるわ!」
三人の皇妃は鬨の声を上げた。
なんだかおかしなことになってしまったとアセナは再び胃痛にみまわれたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
貧困と飢餓がセットのなかで育ったアセナにとって、文明に触れること(文字を書くこと)はとても尊いことでした。
文字を書くだけでも日々の辛さを忘れる糧となっていたのです。
ウダの郷自体も貧しく男の子でも読み書きが出来る子は稀です。
(サヤンは村長の息子なので読み書きソロバンは出来ました)
っていうことを本文で書ければ!!
文章力が欲しい(白目)
ブックマークありがとうございます。
悩むことも多いのですが、とても励みにしています。
次回も読みに来てくださいね!
お気楽ふわふわ異世界転生恋愛物語
「前世から人生やり直します!」
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ゆるっと更新しています。
よろしければこちらも是非お読みくださいね!
では次回もお会いできることを祈って。