37話:花冷えの夜。そして政変の始まり。
皇帝執務室の暖炉にくべられた薪が音をたてて爆ぜた。
温暖な地域であるこのパシャ帝国の都イシンといえど、春の早いこの時期は冷え込むことも多い。
この晩は特に空気が冷え切り、冬が戻って来たかのようである。
深夜まで灯りのともるこの部屋の主は、暖炉の前に置かれた揺り椅子に揺られながらほんのひと時のまどろみを楽しんでいた。
北国との戦の後、途方もない数までに膨れ上がった案件の処理は、有能な部下を最大限に活用してもなかなか進まなかった。
本日分の裁可からようやく開放されたのは、深夜ともいえるこの時刻になってからだった。
(皇帝といえど仕事からは逃げられないらしい。難儀なことだ)
アスランはつくづく思う。
だが兄二人を排してまでも選んだ道である。悔いはない。
アスランは暖炉に薪を放り込んだ。
炎が一瞬大きくなり、また静かに燃え始める。
「陛下」
副官カルネウスが遠慮がちに呼びかけた。
「エリテル将軍閣下とスナイ副官が参りました」
「そうか」と頷きアスランは揺り椅子から身を起こした。
カルネウスに導かれアスランの前に並ぶエリテルとサヤンの二人は、戦場に赴くが如くのひどく緊張した面持である。
深夜の突然の呼び出しだ。只事ではないというのは明白である。
アスランは人の良い笑顔をうかべると、「そう堅くならなくともよい。急に呼び出してすまなかったな」と労わった。
「いいえ、とんでもございません。陛下」
頬に大きな傷をもつ救国の英雄は、アスランの様子に表情を緩める。
エリテルは軍人として長きに渡りパシャに仕えている。現皇帝アスラン・パッシャールは皇子時代、軍に属し一士官として戦場に赴いていた。成人を待たずして宮から放り出されたアスランを鍛え、皇帝としての素地を育てたのがエリテルである。
皇帝と将軍というよりも、師弟としての強い絆で結ばれていることは周知の沙汰だ。
「今日は如何なされましたか? 私だけでなく……」
エリテルはちらりと視線を後ろに向ける。
すらりとしなやかな体躯と浅黒い肌をした青年が控えている。アセナの幼馴染ウダの青年サヤンである。目をかけ手塩にかけて一流の人材に育てた逸材だ。
「スナイまで指名されるとは。雑談をするためだけではないでしょう。何事かございましたか」
「さすが鋭いな。エリテル」
アスランは不敵な笑みを浮かべ、カルネウスに幾束かの書類を用意させた。
カルネウスの手により机の上に大小さまざまな紙片が並べられ、そのいずれにも細やかな文字で紙面が埋まっている。
アスランは書類を前に腕を組む。
「秘密裏に進めている件がある。今日はお前達の見解を聞きたいと思ってな。カルネウス配ってやれ」
カルネウスはエリテルに一通の書状を渡した。エリテルは受け取り粛々と読み始める。
読み進めるにつれ、笑顔は消え憤怒の表情にとり変わった。
歴戦を潜り抜けたパシャの将軍の顔色を変えるほどの、何がかかれているというのか。
エリテルは悪態をつきサヤンに書状を押し付けた。
「サヤン、読んでみろ。お前はウダの出だ。知る必要がある」
「はい。拝読させていただきます」
サヤンはそう大きくない紙面にぎっしりと書かれた文章を速読する。
(これは……)
サヤンの体中の毛が総毛だっていくのを感じた。
その記された内容は、サヤンの想像をはるかに超えた代物である。
(ここ数年の全ての元凶がここにあるじゃないか……!)
サヤンはひどく歪みそうな表情を何とか押さえつけ必死に平常を保った。
間諜として働くためにどんな時でも表情を変えず、心中を悟られないように訓練されてきた。
だがそんなサヤンですら、必死に耐えないと怒りで崩れてしまう程の衝撃。
サヤンは早打ちする心臓を落ち着かせようと、何度か息を吸い、かすれた声でアスランを問いただした。
「……陛下、この報告書にあることは真でしょうか? そうであるならば、あまりに酷すぎます」
「虚を伝えて何になるというのだ。お前達は信用できる。故に見せたのだ」
アスランはサヤンやエリテルとは対照的に落ち着きはらい冷静である。
エリテルが血走った眼差しをアスランに向けた。
「それで見解を、ということでございますか? 陛下。では申し上げましょう。クソ喰らえです。このカスどもの為に何千人という民が苦しみ命を落とした。絶対に許せない」
「エリテル、俺も同感だ。例えどのような身分にあろうとも許すことは出来ない重罪だ」
アスランは執務机に置かれた急須から茶碗に茶を注ぎ、一気に飲み干した。
再度、エリテルとサヤン、そして腹心の側近であるカルネウスの順に視線を移し、
「故に斬る。力を貸せ」
と短く言い切った。
エリテルは居をただしアスランを見据える。
「……巨大な勢力です。たとえ皇帝陛下といえど苦戦いたしましょう」
「分かっている。だがな、あれを討つために長い時間をかけ布石を打ってきた」
アスランが皇位を継ぐと決意したと同時に――つまりは見放された皇子時代から水面下で工作し動いてきたのだという。
皇位についてからもなかなか決定的な証拠をつかめないでいたが、ここ最近になってほんのわずかだが断罪する糸口を掴んだ。
今が最大の好機である。
「陛下」
報告書から目を放さなかったサヤンが顔を上げた。
「私の任務をお教えください。私がここに呼ばれたということは、私にしか出来ない役目のためでございましょう」
アスランはカルネウスに目配せをする。カルネウスはサヤンに一枚の指示書を手渡した。
「スナイ、そこに指示してある邸宅に潜入しろ。そして探し出してこい。忍び込むのは得意だろう」
「……!」
サヤンは目を見開いた。
心の動揺を悟られてはいけない。けれど……。
(陛下は気付いていらっしゃる)
凱旋式の夜、皇后宮に潜入し木々の茂る中庭でアセナと会ったことを。全て知っている。
(俺は陛下の掌の上で踊らされていたということか)
――完敗だ。
この男には勝てない。
自分がどんなに努力しようとも、この国の最高権力者は易々と越えさらって行くのだ。天啓というものがあるのなら、この男の上に降りるのだろう。
サヤンはなぜかすがすがしい想いに囚われた。
アセナを想うこと。
幼い頃から抱いていた感情だ。何よりも困難だと思っていた。どんなにアセナに否定されようが、アスランにのみに向けられる熱情をみせられようとも、その想いを捨て去ることができなかった。
どこかで叶えられるだろうと信じていたのだ。
だがこう格の違いをみせられると悄然すらしない。アセナがこの男を愛するのも当然のことだろう。
想いの終わりとはこうも突然来るものか。
「……畏まりました」
ようよう現実を受け止めると、サヤンは承諾した。
間諜としての自らの役目を果たすこと。これが最優先されることだ。
サヤンは渡された指示書を一字一句違わず頭に叩き込むと皇帝の副官へ書状を戻した。カルネウスは躊躇せず暖炉の中に放り込み、紙片は小さな音を立てて燃え尽きる。
消え行く紙片をじっと見つめ、
「陛下のご期待に添えるよう、必ず手に入れて参ります」
サヤンは皇帝から下された密命を達成することを誓ったのだった。
読んでいただきありがとうございます!
二千字に収めよう!と思いましたが、書き上がったら三千字ちかくに……。
仕方ないと諦めましたw
これから一気に話を進めていこうと思います。
ブックマーク・PV、いつも励みにしています。
ここ一週間ブックマークが足踏み状態であったのですが、この話を更新する直前になんと100に到達しました!!
底辺で好きなようにしている私にとって夢のようです。
本当にありがとうございます!
ぜひこのまま最後までお付き合いくださいね。
次回またお会いできることを祈って。
追伸:ちょっとヘビーなお話を書いていたら、ゆるゆるふわふわな話を書いてみたくなりました。
軽い異世界恋愛物です。ここ以上に不定期更新になりますが、よろしければ読んでみて下さいね。
「前世から人生やりなおします!~すてきな彼氏とふわっと楽しむ異世界生活~」
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