36話:吉兆。
またしても……。長くなりました!
第二位皇妃シーラと第四位皇妃オミーシャの使者が皇后宮の門を潜り謁見を申し込んできたのは、ようやく日が昇った時分のことであった。
後宮の慣例からは大きく外れ、不躾と罵られ追い払われてもおかしくない。
が、緊急の御用でございますという涙を浮かべた切実な姿は、門番の同情をかったようだ。
下級宦官から侍従宦官であるリボルに伝えられ、時置かずして寝室で休んでいるアセナの元にも届けられることになった。
「アセナ様、第二位皇妃・第四位皇妃様からの面会の申し込みがございました。午後からは軍への慰問がございますので、午前しか時間が取れませんが、如何なさいますか?」
リボルの声にアセナは重だるい体を寝椅子から起こした。
皇妃間での公式な訪問は数日前に触れを出し、客の格式にあわせた準備が行われるのが常だ。全てにおいて常識外れということから、かなり急いた用件であるのだろう。
「シーラ様と、オミーシャ様から面会? 理由は何にしろ会わないわけにいかないでしょう」
アセナはため息をつきながらリボルから書状を受け取ると、封蝋を切り中身を確認した。
公務と夜伽で疲労が蓄積し体は重く胃の辺りがじくじくと傷む。身体の芯に力を入れ、気力を振り絞って書状に目を通した。
「こちらに、ねぇ……。平民から成り上がった私の品定めということかな」
アセナはリボルに書状を手渡した。
リボルは丁寧に畳んで文机の引き出しにしまい、宦官独特な奇妙な声で唸る。
「名目はシーラ様はアセナ様の皇妃着任のご挨拶に、オミーシャ様はダリウス殿下ご出産祝いのお礼にということになっておりますが……」
アセナ側に着くのか、もしくは敵対するのか。わざわざ出向くということはアセナ側に付く意向があるということだろう。
「リボル、あんたならどうおもう?」
「シーラ様もオミーシャ様も諸国の王室出のお姫様でございます。正直アセナ様よりも政治に関するカンは冴えていらっしゃると思います。本意は別にございましょうね」
リボルはアセナにショールをかける。
「両皇妃様とも皇后位を得ることに積極的ではございません。皇妃様の侍従宦官に尋ねたところ皇后に付くなど滅相もないと、むしろ避けていらっしゃるくらいだそうです」
「アセナ様と何某かとの闘争に加担しない代わりに、ご自身の立場の補償を求められるのではないか」とリボルは落ち着いた口調で言いながら、アセナの前に湯気の立つ粥ののった盆を置いた。
「さぁお召し上がりください。朝食は一日の活力の元でございますよ」
「……ありがとう」
アセナは匙で粥の上澄みをすくうと、ゆっくりとすする。粥はかすかな塩味にとろりとした舌触りでやさしく口中に広がった。
「シーラ様もオミーシャ様もご自身のこともあるだろうけど、何よりも御子様の安全が欲しいんでしょうね。アスラン様はご自身の御子にも愛着を持たれない方だから、事が起こっても動いていただけるとは限らないもの」
シーラもオミーシャもカルロッテのように国を背負った立場の二人だ。
時に緊張が走るパシャと祖国を取り持つために嫁がされてきた。
物心付くころから他国へ嫁ぐことだけを目的に教育されてきた二人には、皇后になることのメリットとデメリットは、アセナよりもよくわかっているはずだ。
皇帝の寵愛と権力を欲する様子はないとなれば、自らと自らが産んだ子と祖国の保全。それが全てなのだろう。
(私は地位よりも、アスラン様の心が欲しい)
日々閨を共にするアスランはアセナに対する感情を吐露することはない。
対してアセナは肌を重ねるごとにアスランに対する想いは深く大きくなっていた。
乳香に混ざる甘い体臭も汗も吐息も、全てが愛おしい。
(制しなければ。後宮では生きていけない)
ウダの郷では一人の夫は一人の妻を愛し、子を育み生きていくのが当たり前だった。父と母の互いを思いやる姿をみ、自分もそうするのだろうと思っていた。
後宮の複数の女が只一人の男を奪い合う世界など想像もしなかった。そしてそれがどれだけ辛いのかも。
アスランの心さえあればこの悪魔の巣食う後宮でも生きていけるのに。
(贅沢よね。これ以上は望んではダメね)
アセナは食事中だということすら忘れたかのように思いに浸った。出来立ての粥がどんどん冷めていくのに気付いてもいないようだった。
リボルはやれやれと粥碗に薬味を入れる。
「手が止まっておりますよ、アセナ様。お早くお召し上がりください」
我に返ったアセナはあわてて匙を口に運んだ。
「お二方とお会いしましょう。正直疲れが溜まってて辛いけど、皇妃の義務だものね。がんばらなきゃ」
「……左様でございますね。庶民出身にしてはよく踏ん張っておいでですよ。ご立派です。皇妃様方には使いを出しておきましょう」
リボルは頷き粥を飲み込むアセナをさり気なく見つめた。
ここ数日、アセナの食欲が急激に落ちていた。
一人分にも満たないわずかな粥すら完食することすら難しいようだった。常にそばにいるリボルがせっついてようやく完食できるといった様だ。
ウダの郷での貧しい身の上であったアセナにとって食事はとても大切なものだ。
(無位の頃から残すことなど一度もなかったというのに)
リボルはほんのわずかな違和感をも見逃さないようにアセナを凝視した。
三食いずれも食が細くなっていたが、特に朝はほとんど口にすることも出来ず辛そうにしている。
前々から慣れない境遇で胃をいためることが多かったアセナだ。
立て続けに行われる国事行為に政敵との面会。庶民出のアセナには心身ともに過大な負担になっているのがリボルには痛いほど分かった。
(お昼のご公務に陛下の閨のお相手まで一人でこなすのは酷なことだ。陛下の御寵愛が深いのはめでたいことだが、限度というものがある)
アスランの女性に対する肉欲は強いというのが、後宮に務める宦官の認識である。
病弱なカルロッテがより持病を悪化させたのも過度な閨のせいではないかと、宦官の中でこともしやかに囁かれているのだ。
ここまで慈しんできたアセナが欲に潰れてしまうのは、不幸でしかない。
「ご調子がよろしくないようでしたら、医者を呼びましょう。アセナ様が倒れられては、リボルの査定が下がってしまいます」
「ふふふ、皇后の体調管理が出来ないと宦官頭にはなれないものね。でも今日はいいかな。お二方が来られるまで少しでも休みたい。胃薬だけ煎じてくれる?」
「畏まりました」
寝椅子に横になったアセナが寝息をたてるまで見守り、リボルは音も立てずに寝室を出た。
皇后宮の回廊を太鼓腹を揺らしながら小走りで移動する。
皇妃二人の訪問まであと2時間ほど。
予定にない面会だ。格式にそったのでなくてもよいだろう。茶と茶菓子の用意で充分だ。日差しも暖かいので中庭の東屋に集っていただこう。
あとは何とかアセナが寝台から起き上がってくれたらいい。体調が回復してくれたら……。
リボルは侍女部屋の前でふと足を止めた。
(いやまて。これは吉兆かもしれん。何故忘れていたのだ。これほど重要なことを)
「セダ。セダはおらんか」
リボルは侍女部屋の戸を勢い良くあけ、朝食をとっていたアセナ付きの侍女を呼び寄せた。リボルはセダに顔を寄せ声を潜めて訊いた。
「アセナ様の月経は順調にいっておるか?」
「アセナ様の……」
侍女は少し考え込み、
「そういえば今月はまだでございますね。予定日よりもう三週間おくれていらっしゃいます」
低い声で応える。
「よいな、セダ。このことは他言無用だ」
侍女もリボルの言わんとしようとすることを察し、緊張した面持で頷いた。
リボルは太鼓腹をさする。
(確実だ。アセナ様は懐妊なさった)
後宮に嵐が来る。
リボルは身震いした。
読んでいただきありがとうございます!
今回も長くなりました。
三千字です……。
二千字くらいが理想だなぁと思っているのにこんなことに!
次回はもう少し短めにいきます。
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次回お会いできることを祈って。