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35話:失ったもの。

今回はちょっぴり長めです。

最後までお付き合いくださいませ。

 アスランはアセナを政争の駒にしている。


 これは軍部の、エリテル配下のごく一部では知られた事実である。

 アスランの皇后の後見をエリテル将軍が担う。それはすなわち何があってもエリテルはアスラン側の陣営でいるということだ。


 即位して四年。

 満を持し賢帝アスラン一世にあやかる『太陽の子(メフルダード)』を皇后に迎え、今上帝アスラン・パッシャールがパシャを大改革するという決意をしたのだろう。

 しかし英断は必ず政治的混乱と殺戮を生む。


(政争に巻き込まれて、アセナが無事でいられるわけがない。皇帝にとってアセナの命など軽いのだろうが、俺にとっては唯一の命だ)


 今後アセナがどうなるのだろうか。

 後宮という女の園で人を陥れのし上がっていくことが、ウダの郷でのんびりと育ったアセナに出来るというのか。


(アセナには無理だ。このままでは後宮で殺される)


 例え皇后位についたとしても、皇帝に愛でられようが、諸国の姫や腹に一物抱いた名門貴族の娘に虐げられる未来しかない。アセナにはウダの郷で土に生き兄弟達と笑いあうのが一番似合っている。


(俺がアセナを救う)

 そんな思いを抱いてサヤンは帝都に戻って来たのだ。


 だが……。

 後宮に忍び込むという禁を侵し、アセナを前にし腑に落ちた。

 皇帝はアセナの政治的価値のみならず、貴族や王族にはない善良な人格を愛でてるのではないか。


(つまりは皇帝は……)


 サヤンはアセナの手を取り、自らの頬に押し付けた。


「アセナ、いつか城下の商会で会った時に訊いたこと覚えてるか?」


 アセナは頷いた。


「もう一度訊く。いい? アセナ。ここにいたらお前は殺される。俺ならお前を逃がしてやれる。逃げる気はないか?」


 風が出てきた。サワサワとアーモンドの潅木が揺れる。


「ないよ。あの時から私はずいぶん変わったけれど、それでもこのことだけは変わる事は無いの。私は後宮ここで生きる。陛下の側にいるって決めたから」


 アセナは驚くほど滑らかに冷静に言い放った。

 例え女として愛されなくとも、皇妃として側に居ることはできる。アセナはもうあの乳香の香りに、アスランに捕らえられてしまった。心も、体も。全てを。


「後宮を出る時は堂々と正門から出るから。もう二度とそんなこと口に出してはだめ。反逆と思われるわ。サヤン、約束して」

「……わかった」


 凱旋式でのアセナと皇帝アスラン。

 この国の支配者を初めて見る兵や庶民も多かったはずだ。

 彼らは皆、この国を支配する若き皇帝の周囲を圧倒する存在感と、隣に楚々と佇む黄金の瞳の皇妃の姿に驚喜していた。


 サヤンは複雑な心境で大歓声に包まれる二人を眺めた。


 アセナのアスランに向けるまなざしが、サヤンに向けるものとは全く違っていたからだ。黄金に煌く穏やかな瞳の奥に、上手く取り繕ってはいたが甘く求める熱情が宿っていたのだ。


 サヤンは強烈な羨望に襲われ、そして腹の底が急激に冷えるのを感じた。

 アセナだけはそうはならない。違うだろうと思っていた。思い込んでいた。


 そう、アセナはアスランに恋をしている。深く惹かれているのだ。


(ありえない、ありえないだろう? アセナ。相手は皇帝だぞ)


 自分サヤンは子供のころからアセナが好きだった。

 何をするのも一緒だった。生まれた日さえいっしょだ。

 絶対に自分の方が、アスランよりもアセナを想っているというのに。

 

 すべての元凶は、あの大飢饉だ。


 ――あの飢饉さえなければ。


 アセナが郷から売られることもなかったのだ。

 今頃ウダの郷で平凡な農夫として所帯を持っていたのかもしれなかったのだ。

 

 しかし過去を嘆いてもどうしようもない。


(もう、すべてが遅い。俺は阿呆だ)


 機を逸してしまった。

 職務上痛感している。タイミングを逃せばもうどうにもならないことを。

 希望が叶えられないなら、次の最善を尽くすのみだ。


 春の芽吹きを告げる風が二人の間を通り抜ける。

 春の夜半はまだ寒さが残る。アセナは身を震わせると華やかな刺繍の刺された上着の前を合わせた。


「サヤンはこれからどうするの? 戦も終わったし、もう兵役も終わったのでしょ? ウダに帰る?」

「いや。俺はこのまま兵士としてエリテル将軍に仕えるつもりだよ。徴兵される前は鍬しかもてない農夫だと思ってたけど、意外と武器の扱いも向いているみたいでね。今じゃこの仕事が天職じゃないかと思うくらいだ。今回の戦で昇級もするだろうし……このまま頂点めざすのも悪くないかなって思ってる」


「そっか。……畑で格闘するサヤンしか知らなかったけど、武士もののふのサヤンも素敵だね。かっこいいもの」

「ほんとに?」

「うん、とってもね。サヤン、実はもてるんでしょ?」


 サヤンはちょっと考え、「うーん……まぁね?それなりに」と思い当たる節もあるのか言葉を濁した。


「やっぱり」


 しなやかな肢体に深い碧眼のサヤンは幼馴染の贔屓目を外してもなかなかに美丈夫だ。親切で粗暴なところも見せない紳士的な態度は、女性のみならず老若男女どの世代の受けも良いだろう。

 サヤンは眉を下げ頬を緩めた。


「まぁ仕事上必要なことでもあったからね。でも元々ウダにいるころから優しかったと思うけど?」

「そうだね。郷にいるころからサヤンは優しくて素敵な男の子だった」

「アセナ」


 改まってサヤンは真剣な顔をする。


「俺はアセナが一番大事だ。国よりも軍務よりも……生まれたときから一緒だったアセナだけがね。どこにいてもいつでもアセナの幸せだけを祈ってる。覚えておいて」


 アセナは瞬きもせずサヤンを凝視した。

 これが幼馴染として気の置けない友として会う最後の時だろう。次に会うときは、もう気軽に声をかけれる立場ではなくなるというのが直感で分かった。


「だからアセナ。死ぬなよ」

「陛下も同じ事おっしゃってた。天寿を全うするまで絶対生きるよ。……サヤン。貴方も同じだよ。かなり辛い仕事だけど、死なないで。それと陛下にも私と変わらない忠誠を誓って欲しい」


 ウダの郷で空腹に泣いた女の子はもういない。サヤンの想った小さな少女は消え去ったのだ。

 サヤンの眼前に立つのは、今上の寵愛を受ける皇妃であり次期皇后のアセナ・ウダ=バヤル・エリテル、その人である。


「畏まりました。皇后陛下がお望みであらば。命を賭してお仕えいたします」とふかぶかと頭を下げた。


「そろそろ人が来る。サヤン、もう戻って」

「アセナ、俺は……」


 突風が駆けた。

 最後の言葉は木々にざわめきに取り込まれ、アセナの元には届かなかった。

 思わず目を閉じた一瞬、新月の暗闇にサヤンは溶け込み風の中に消えた。後には何も残らなかった。残り香さえも。




 淡い月下に呆然と立ち尽くすアセナの元に、どこからか乳香の香りが届いた。

 甘い乳香のなかにかすかに混ざるざわりと心を沸き立たせる香り。それだけで誰が来たのか顔を見ずとも分かってしまう。

 アセナは口元を緩めた。


「アスラン様」


 背の高い宦官の持つランタンの淡い光が、アスランの酒でわずかに上気した顔を照らし出した。


「今誰かいたか?」

「いいえ、誰も。もう宴はよろしいのですか?」

「ああ。これ以上いる必要もない。あいつらは底なしだ。付き合うとこちらが潰されてしまう」


 アスランは上着を脱ぐとアセナの肩にかけ、「春先はまだ冷える。戻るぞ」と抱き寄せると上機嫌で庭園の外へ足を進めた。


読んでいただきありがとうございます!

今回、書いているととても長くなりました。

前回と半分にし、さらに幾分削ったのですが、まだまだ長い……。

再考しなくちゃですね。


皆様のおかげで、ブックマークがもうすぐ100に届きます!

目標にしていたので、とても嬉しいです。


本文も10万字になります。

積み重ねってすごいですね!

15万字くらいの完結をめざして頑張ります。


次回も読みに来てくださいね。

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