34話:新月は密かに囁く。
長くなりましたので二つに分けました。
分けたら若干短めに……!
凱旋の後、宵の帳が降りる頃に饗宴が開かれた。
パシャの宮城が広大だといってもさすがに全ての兵士を宮殿内でもてなすことは出来ない。
数千の兵士達は階級にごとに振り分けられ、駐屯地や宿舎において盛大なもてなしを受けることになっている。
香辛料をふんだんに使った肉料理や滋味ぶかいスープ、葡萄酒や蒸留酒がなみなみと注がれた杯にピスタチオの香ばしい焼き菓子。干した果実たち。
帝室の力を見せ付けるような馳走が並ぶ。
そのなかでも宮殿の最上級の間では皇帝と大臣そしてエリテルと武勲を挙げた選ばれし兵士のみが、特別に誂えられた宮廷料理を楽しむのである。
「……ってリボルが言ってたわね」
アセナは夜の闇に包まれた皇后宮の中庭を、灯りすらもたず一人そぞろ歩いていた。
あまり落ち込むこともないアセナだが、今晩は少しばかり気分が悪かった。
未来の皇后であるはずのアセナは当然自分も参加するものだと思っていたのだが、皇后・皇妃は凱旋式の参加までで、それ以降の同席はアスランや重臣たちに「慣例にない」とにべもなく断られたのだ。
ほとんど顔を合わすことのない養父とじっくり膝を付き合わせることができると喜んでいたのに、アセナの希望は叶えられることはなかった。
結局エリテルとは郭外から皇城までの道すがら他愛もないことをつらつらと語りあっただけである。
後宮に戻ってリボルに愚痴ったが、リボルに不特定多数の参加する宴席には参加しないというのが後宮のしきたりであると諭されてしまった。
理解はできるが、それでも残念でしかたがない。
(皇妃を守るためのしきたりなんだろうけど、少しぐらいの融通も利かせるべきだわ)
アセナは芽吹いてきたばかりの低木の若葉をちぎって、放り投げた。
若葉は風にもまれ暗がりの茂木の中へ吸い込まれていく。
皇后宮の中庭にあるここは、アセナが侍女も宦官もつけずに出歩くことが許された唯一の場所である。
歴代の皇后に愛された糸杉や春の盛りにむけて蕾を大きくふくらますバラやアーモンドの潅木は、薄暗い新月を過ぎたこの宵でもしっかりとその存在を感じさせる。
淡い月明かりの下、アセナは潅木の間を通り抜けた。
アーモンドの枝の影からするりと闇が動く。
「だれ?」
アセナは影に向い鋭く言葉を投げつけた。
「皇后位に就く者が供もつれず何をしているんだ? 危ないじゃないか」
返ってきたのは聞き覚えのある懐かしい声だった。
アセナはじっと目を凝らし、闇に混ざる黒い髪と浅黒い日に焼けた肌を認めた。
サヤンだ。
ウダ族の幼馴染のサヤンである。式典でみた将校の制服ではなく、落ち着いた色合いの袷姿だ。髪も肌も服さえも闇み溶け込み、まったく目立たない。
「サヤン!! こんなところで何してるの!!」
アセナは批難がましくとがめながらも、知らず知らずに微笑みがあふれ出る。
「アセナ」サヤンは足音を立てずにアセナに近づき口をふさぐと、「静かに。どうしても話がしたかったんだ」と密やかに言った。
「そのために禁を破って忍び込んできたの?」
皇后宮は後宮の中では皇帝の寝所に一番近い場所に在る。警備も堅く忍んで入れる場所ではないはずだ。
さらに皇后宮も他の皇妃宮とかわらず、中庭を中心にしてそれを囲むように回廊と居室がならんだロの字型の構造である。
この中庭にある庭園は決して進入しやすいわけではない。
それなのに易々と涼しい顔をしてサヤンは現れたのだ。サヤンの技量が並外れているということか。
「まぁ今日は警備が薄くなるとは思ってたからね。いい機会かなって。だけど想像以上に穴だらけだ。ザルすぎる。これ改善しとかないとダメだね」
「そうね。不届き者が現れるのはよくないよね。……ねぇ、サヤン。後宮に潜入することは大罪だよ」
「見つからなければ罪にはならない。そうだろ?」
「まぁ間違ってないけど……」
アセナは幼馴染の昔と変わらない口調にいつのまにか苛立ちが胡散していることに気付いた。この幼馴染には鎮静させる効果でもあるのだろうか。
「サヤンの働きで今回の戦に勝利することが出来たと聞いたよ。陛下もお喜びだったわ」
「陛下が……? 恐れ多い。だけど俺は褒められるようなことはしてはいない」
「そうなの?」
「俺の仕事はね、アセナ。戦場で首級をあげることではないんだ。表に出ることのない穢れた仕事だよ」
今回の戦で与えられた指令は工作員として民衆にもぐりこみ、暴動を扇動することだった。
戦場で華々しく敵を散らしたわけではない。
サヤンに求められたのは密やかに謀略をめぐらし達成することだ。
甘言と金、脅迫、必要とあらばどんな手でも使う。邪魔なものは躊躇うことなく排除した。人も同じく。戦の勝利という目的のためにどれだけの命を密やかに誅してきたか。
ウダの民が神から与えられた優れた耳と目を人を騙し煽るために使ったのだ。誇り高いウダの郷の長老はなんというだろう。
(俺の掌は民の血にまみれている。ウダの郷で痩せた畑を耕し地に這いつくばって生きていた農夫とはかけ離れた場所にいる)
だがサヤンは体の奥底からわいて来る甘美でどす黒い感情を排除できずにいた。
人を騙し、暗殺する。この役目を恥と思いながらも嬉々としてこなす自分もいるのだ。
(アセナはこんな俺をどう思うのか……)
静かにサヤンの告解を聴き遂げると、アセナはサヤンの顔を両手で挟みこんだ。
「でも、貴方のおかげでパシャの民に犠牲を出すことはなかった。誇っていいことだと思うけど?」
アセナの春のような明るい碧眼は真摯で清清しいほどの鮮烈さを放つ。
「サヤンが幼馴染っていうのはとっても鼻が高いわ。堂々と胸を張っていいとおもう。誰からなんと言われようが、私にとってもパシャにとってもサヤンは英雄だよ」
頬から伝わるアセナの暖かさに、サヤンは確信した。アスランがアセナを皇后に選んだ真の意味を。
読んでいただきありがとうございます。
警備のあつい後宮にサヤンどうやって入ったんでしょう。
ウダの民は恵まれた身体能力がありますが、侍女あたりを口説き落としたりしたんでしょうか。
なんて考えたりしています。
ブックマーク・PVありがとうございます。
とても励みにしています。がんばります。
不定期更新ですが、次回もぜひ読みに来てくださいね!