表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/70

33話:うねり。

 この日、何度目かの歓声が上がった。

 英雄の凱旋に民衆は沸きに沸いていた。


 戦に勝つということは徴兵されていた夫が息子が帰ってくるということだ。今回の戦は被害が少なく短期間に終わった。民衆にとってこれほど喜ばしいこともないだろう。


 さらに貴族官僚にとってもこの凱旋は衝撃を与えた。

 皇帝アスラン・パッシャールが公的な場にそろいの衣装をまとった妃と連れ立って現れたのだ。

 即位後皇后を立てていなかった皇帝がついに皇后を立てると宣言したようなものだ。内廷・外廷の勢力の流れが一気に変わってしまう。


 さまざまな思惑が入り乱れる凱旋式である。


 渦中のアセナといえば、不躾な視線に晒されながら居心地の悪さに身を小さくしていた。

 群集の前に出ることなど今まで無かったことだ。

 前を向き微笑んでいればよい、とアスランは言ったがなかなかに難しい。

 とりあえず自然に見えるよう口角を緩め民衆に応える。


「皇帝陛下の横にいるのは皇后陛下か? 他の方も美しいが、比べ物にならん。あの瞳は琥珀のようじゃないか。不思議な瞳だ」

「言うほど綺麗じゃないじゃない。皇妃というからもっと手の届かない敵わないほどだとおもってたわ」


 などと口さがない声も聞こえる。


 アセナは内心穏やかではいられなかった。自分の容姿を忌憚なく評価されるなど今までなかったことだ。

 さらに……。


 幼馴染のサヤンがこの群集のどこかにいる。

 エリテルの近侍であるといっていた。そう遠くない場所にいるはずだ。


(皇妃となってしまった私をどう思うのだろう)


 ウダの郷にいたころの淡い恋心などもう消えてしまっていたが、何ともいえない複雑な想いは未だに心の底に渦巻いている。


「あっ」

 アセナは小さく声を上げた。


 他の兵とは異なる制服をまとった一団――上級士官団だろう――の中に、癖の強い黒髪に浅黒い肌の青年の姿があった。

 サヤンだ。

 山のような大男の隣に将校の制服をまとった幼馴染が静かに佇んでいる。


(サヤン。生きていた。良かった)


 アセナが眼差しを向けると、サヤンはかすかに頷いた。

 深い海のような碧眼の目じりがほんのわずか下がる。ウダにいた頃と同じ懐かしい微笑だった。


(サヤンの顔を見れるのもこれで最後かもしれない)


 軍人としていきていくサヤンと後宮の女主人としていきていくアセナ。生きる道が違いすぎる。貧しいが穏やかだったウダの郷が遠くなった気がし、凍えるほどの寂寥感に胸が痛い。


「アセナ、どうした?」


 アスランが硬直しただ一点を見つめるアセナを気遣うように優しく言葉をかけた。


「アスラン様が、いいえ陛下がどれだけ民と兵に慕われているのかを実感しておりました。パシャの民の力を感じます」

「この民の声は俺のためだけに上げられたのではないぞ。皇后となるアセナ、お前に対する期待もある。――いいか、アセナ。パシャの宝はこの民だ。覚えておくがいい」というとアスランは顔を寄せ、アセナの額に口付けを落とした。            


 わぁっと割れんばかりの大喝采がまきおこった。


 

 

 拍手喝采の中で上級士官でありエリテルの腹心コサルは苦笑した。


「おいおい、われらが皇帝陛下は御妃様に夢中じゃねぇか!」


 大男コサルの声に周囲の士官たちもどっと沸いた。

 エリテルの副官であった皇子時代のアスランを知る者も多くいる。コサルもその一人だ。

 情に厚い、けれども冷酷な面もあった先帝の第三皇子が女に現を抜かすなど考えられない。


「見ろよ、サヤン。こんな珍事ありえないだろ。アスラン皇子がでれでれだぜ?……それもだが、皇后陛下の瞳、黄金色なのか? 日の光を受けて輝いてるじゃねぇか。なんだあれ、見たこともない色だ」

「皇后陛下のあの瞳は帝室に伝わる“先祖がえり”でしょう。ウダでは『太陽の子(メフルダード)』と呼ばれる幸運と神の祝福の証です。ウダ族(じぶんたち)にとっては至宝といっていい存在です……その至宝が皇后になられるとは感慨深いものがありますね」

「詳しいな! ってまてまて。お前いまウダといったか? 皇后陛下とは知り合いなのか?」


 サヤンは冷静な顔でコサルを見る。


「……郷で一緒に育った幼馴染なんですよ。私がこの戦に出兵するまでは無位だったのですが、数ヶ月で陛下の寵を戴いたようですね。まさか皇后位を臨む位置にいるとまでは思いませんでしたが」

「あー……」


 コサルは頭をかいた。


(サヤンが会いたい女がいるといっていたのは、もしや皇后陛下だったということか。いやサヤンは幼馴染を探していたが。会いたい女は幼馴染だと思っていたが……あぁなんてこった)


 エリテルの下で従軍してパシャの各地をまわるなかで、この魅力的なウダの青年は行く先々で必ず娼館を巡っていた。

 サヤンは健康な若い男だ。木や石ではない。欲に溺れることもあるだろう。


 が、娼館から野営地に帰ってきても女の匂いのしないことが度々あった。


 安くない金を払って女を買い、抱かずにいることなんてありえない。ある時、訊いたことがある。

 大抵は無視されるが、その日は酔っていたのか気分が良かったのかサヤンはポツリポツリと語り始めた。


「人を探しているんです」


 自分は軍隊で金を貯め、ウダの郷で待つ幼馴染に求婚するつもりだったのだが、徴兵されている間に幼馴染は女衒に売られてしまっていた。

 女衒は娼館に女を卸す。パシャのどこかの娼館にいるのではと探しているのだ、と。


「戦果の下賜で望んでいたのは、その……」


 サヤンはコサルの言葉を遮った。


「可能性はほぼなかったのです。無位でいれば希望も……と勝手に夢想しただけですよ。『太陽の子(メフルダード)』である以上、アセナを陛下は手放しにはならないということは最初から明白でした」


 ときっぱりと感情のない声で言った。


「……いまさらどうしようもねぇけど、お前はいいのか?」

「アセナが幸せであれば私はいいのです。陛下からの寵愛がアセナにあるかぎり、私は陛下にお仕えします」


(未練たっぷりじゃねぇの)


 コサルはサヤンの冷静であろうという意地のなかに穏やかではない不穏な空気を感じ、凱旋のために丁寧に整えられたサヤンの癖の強い黒髪をガシガシとかき混ぜた。


 見苦しくない程度に押さえつけられていた癖毛が右に左に思うがままにうねる。


「ちょっと、コサルさん! どれだけ苦労して整えたと思ってるんですか!」


 抗議の声を無視しコサルはサヤンの首に太い腕を回すと、「事をおこすんじゃねぇぞ」とサヤンだけに聞こえるように耳打ちをした。

 ギラリと烈しいきらめきがサヤンの碧眼にうかび、すぐに消える。

 サヤンはしなやかな身のこなしでコサルを振り払い、手櫛で乱れた髪を整えた。


「コサル隊長。誰に言ってるんです?」


 コサルはニヤリと笑い、それからサヤンに話しかけることはしなかった。

読んでいただきありがとうございます。


大男のコサルはパシャ(というかエリテル将軍)に仕えています。

有能な軍人で、都に奥さんと子供四人を置いて赴任先でがんばっていますw

単身赴任ですねw


ブックマーク・PVありがとうございます。

とても励みにしています。

よろしければ次回も読みに来てくださいね。

またお会いできることを祈って。


こっそり追伸:ムーンライトの方に番外編的なのを近いうちに載せようかと思ってます。R18有りですw

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ