31話:英雄の凱旋。
今回は少し長めです。
アセナはヤスミンの顔を思い浮かべ、
「デミレル家はヤスミン様のご実家ですよね。賢帝アスラン一世の頃からの忠臣ではないですか。先代の御当主も宰相職に就き、大変貢献なさった方だと聞いています。それを討つとおっしゃるのですか?」
と空になった杯に葡萄酒を注ぎながら言った。
「そうだ。デミレルの先代は素晴らしい男だったが、跡を継いだ息子は何一つ父親から受け継がなかった」
アスランの基準だとデミレル家現当主は無能で害悪である、ということらしい。
「例えどんなに立派な木であったとしても、立ち腐れていては切り倒すしかない。それは家門も同じだ。初代は怪傑であっても子孫が優秀であるかというと、そうではないことの方が多い」
「けれどもデミレル一族は名門中の名門。代々国に尽くして来た家臣を廃すれば、反発も大きいのではありませんか?」
この大陸の小さな国であったパシャを大国にまで創り上げた建国の英雄・賢帝アスラン一世の忠臣を祖に持つデミレル家。
三百年間、国の中核を担いパシャの領土拡大とともに巨大な権力と莫大な財力備えた一族に成長した。
パシャの財政界の実力者である。
「だからこそ今討つ。歴史の長さゆえの驕りと高ぶりで肥え太った一族などパシャの毒でしかない。ラーミンは家門の威光を傘に多くの不正を働いている。……その為に多くの民が死んだ。このままだと災禍は続くばかりだ。放ってはおけん。絶対に絶たねばならない」
アスランはアセナの手の酒器を取り上げ自らの杯とともに卓へ置くと、ぐっと顔を寄せた。
いつの間にか黒曜石のような瞳に強い肉欲が揺れている。
「アセナ、名実ともに後宮の女主人になれ」
「アスラン様??」
「俺の寵と権力をかねそろえた皇后にな。内廷の支配者になるんだ」
(と、アスラン様はおっしゃったけど)
アセナは雲ひとつない空を見上げながら、器用に愛馬マラケフの手綱を取る。
(他の妃の説得だなんて私には無理じゃない?)
後宮に多く居る妃達は同僚であり皇帝の寵を競うライバルでもある。
皇后位に就くと決まった今、妃の大部分を占める無位の妃を説得することは恐らく容易いだろう。
彼女達は後宮で生きていくために、権力の動きに敏感だ。何もせずとも向こうの方からこちらへ寄って来るはずだ。
問題は皇妃達のほうである。
今上であるアスランは幸運なことに先帝の悪癖を継がず、だれかれと手を付けることはなかった。
閨の相手を勤めた妃は皇妃位についている五人のみだ。
アセナ以外の皇妃は他国の姫と名門門閥の娘であり、庶民、しかも虐げられた民の出の自分とはかけ離れた出自だ。
カルロッテは無条件でこちらに付いてくれるだろうが、アスランとの間に御子まで成した誇り高い皇妃はどう攻略したらいいのだろう。
貴族や王族と接した経験の少ないアセナには、解決の糸口すらみえなかった。
「アセナ様。そろそろ移動いたしましょう。陛下がお待ちでございます」
アセナは高くも低くもない男とも女ともとれる独特な声に我に返った。
聞きなれた声の主は侍従宦官のリボルである。気付かないうちにマラケフの横で待機していたようだ。
いつもの動きやすい服ではなく装飾のほどこされた正装のリボルは、晴れ晴れとした表情をしている。
(リボルにとってはハレの日というわけね)
アセナは頷き、「そうね、お待たせしてはだめね。行きましょう」と馬首を城門へ向けた。
そう、今日は大切な日だ。
戦場から勇者達が帰還する。
都イシンをエリテル将軍とそれに従う数千の兵卒が凱旋するのである。
英雄の凱旋は国の重要な慶事である。
アセナにとって特別な意味を持つ日でもあった。
――養い親であるエリテルとウダの幼馴染サヤンが戻ってくる。
あの懐かしい『ウダの碧玉』の瞳と癖の強い黒髪の青年に会えるのだ。
そう思うと心が躍った。
知らず知らすのうちに表情にも出ていたらしい。
城門で騎乗したままアセナを待っていたアスランが「そんなに嬉しいのか?」と馬首を並べながら呆れたように訊いた。
「はい。将軍にお会いできることも、後宮の外に出ることが出来ることも嬉しいです」
アセナは瞳を煌かせ微笑んだ。
アスランは眩しげに目を細める。
高く結い上げた黒髪に金と真珠の髪飾りを飾り、豪華な刺繍の刺された紫の衣装を身にまとった今日のアセナの姿は一部の隙もなく、美しいとしか言いようがない。
さらに日の光をあびて黄金に輝く瞳で真っ直ぐに前を見据える様は、栗毛の駿馬とあいまっておごそかでどこか神秘的ですらあった。
「麗しい新皇后は俺だけでなく民をも魅了するだろうな」
「皇后? ……皇后!! あぁそうでした」
「忘れていたのか? 呆れたやつめ」
今日はアセナが新たなパシャ皇后としての民への披露も兼ねている。ここ数日の胃の痛みの原因であるというのに、サヤンに会える嬉しさで一瞬忘却していたようだ。
とたんにアセナの表情が曇り、
「私、おかしいところはありませんか?」
「おかしいところなど、どこにもない。すべてが俺の隣に立つに相応しい。自信を持てばいい」
「そうおっしゃられても……」
アセナは口ごもった。
隣に並ぶアスランの威厳の在る皇帝然とした姿に圧倒されていた。
アセナは後宮という私的な場所にいるアスランしか知らない。昼間の政務から開放されたすこし砕けたところがあるアスランだ。
初めて目にする外廷での姿は想像以上であった。
(やはりこの方は“皇帝”なのね)
皇帝アスラン・パッシャール。
類稀な偉丈夫にして、この国の支配者。皇帝にしか許されない濃い紫の衣装はアスランをより際立たせ、威圧感すら与える。
(なんて高貴な方なんだろう)
その身からあふれ出る威光に自分の夫は皇帝なのだと改めて痛感させられる。
(怖い。私はどうなるんだろう。この方の道具であることを了承はしたけれど……)
アセナはまじまじとアスランを見つめた。
(アスラン様は私のことを駒としか思っていらっしゃらない。でも私、それでもアスラン様のことを……)
愛おしく想っている。
上手にしまっておかなければ。ヤスミンのように嫉妬に狂う姿など見せたくもない。
いや、見せただけで終わってしまう。
政敵に悟られでもしたら、どのように利用されるかもわからない。
「なんだ? 見惚れたか?」
アセナからの強い視線に居心地が悪いのか、アスランは苦笑した。
「あのアスラン様。もしも全てが上手くいきましたら、褒美をいただきたいのです」
「珍しいな、お前が欲しがるとは。あぁいいぞ。領土でも金でも、何でもやろう。何が欲しい?」
アセナは少し間をおいて、ゆっくりと決意をこめて言った。
「アスラン様の真名を教えていただきたいのです」
パシャの風習で真の名は伏せられ秘匿される。
古来の習慣で呪術的な意味が深い。迷信に過ぎないとは現代では認識されているが、それでも表立って口に出されることはない。
大切な絆がある者にだけ伝えられる神聖なものなのだ。
「お前が望むなら教えよう。容易いことだ」
アスランは眼を軽く見開き口元に笑みをうかべると、意外なほどあっさりと承諾した。
「さぁ将軍の帰還だ。歓待しよう」
と砂埃の上がる街道を指差した。
読んていただきありがとうございます!
今回、書いていたら長くなってしまいました。
アセナはヤスミンをどう処するんでしょうか。
ヤスミンの方が断然強そうです。
ブックマークやpv嬉しいです。
夢の100ブクマ目指して頑張ります。
よろしければ次回も読みに来てくださいね!