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29話:皇后宮の住人。

アセナ側のお話に戻ります。

 オビスから戻り、アセナが案内されたのは後宮の一角、ひときわ大きく優美な雰囲気の宮であった。


 皇帝の私室のある外廷の宮からは一番近い位置にある、つまりは後宮の最高位皇后の居宮「皇后宮(きさいのみや)」である。


「お待ちしておりました」


 白髪交じりの老女が静々とアセナの前に進み出た。

 ずらりと並んだ宦官や侍女たちがアセナの前で一斉にひざまずく。


皇后宮(きさいのみや)の新たな御主、麗しき妃様を御迎えし大変喜ばしく存じ上げます」


 使用人達の整然とした姿を目にし、アセナは突然理解した。


 アスランが療養から戻らない自分に苛立っていた意味を。

 長らく空家であったが改修の終わった皇后宮に皇后(とその候補)がいないというのは非常に都合が悪いということなのだろう。

 アスランが心から自分を慕うなんてことはありえない。

 薄ら寒いものを感じる。

 アセナは心のうちを悟られないように小さく息を吸った。


 優雅に微笑むと「皆の心遣いに感謝します」とだけ言葉を発し、アセナは皇后宮の主人として迎えられたののだった。


 アセナが皇后宮に入内したことは瞬く間に内外廷に広まった。

 この意味が分からない宮廷人はいない。


 入内から数日、アセナの周囲は俄然騒がしくなってはいたが、後宮のしかも独立した宮にいるアセナ自身までは届かなかった。

 むしろカルロッテは離宮に留まりアスランの意向で無位の妃もいないここは、皇后宮(きさいのみや)と称しながらも閑散とした静かな宮であった。


 皇后宮は皇后のための宮である。ゆえに室内も最高級の建具と家具がそろえられ、最高級の格式を誇っている。

 女性好みの繊細な細工窓の一つ一つにすら歴史とパシャの誇りが溢れ出てくるようで、質素に慣れてしまっている庶民出のアセナは正直落ち着かなかった。

 部屋の片隅に何気なく置いてある壷でさえも四百年前の逸品だと聞かされて、この宮に越してきて数日経っても寛ぐことすら出来ないでいた。


 そんなアセナと対を成すかのように侍従宦官のリボルは生気を増していた。


 太鼓腹を揺らしながら意気揚々と宮中を歩き回り、嬉々としてさらに新たな仕事に励む。

 次期宦官頭の地位を保証されてはいたが夢の実現まであと一歩。

 ここで有能だということを証明せねばならないのだ。直前頓挫という可能性が棄てきれないうちは。

 大幅に増員された侍女や宦官達への采配は腕の見せ所だとばかりに、リボルは細心の注意をこめながら取り仕切った。


 もちろん自分の運命を握るアセナの世話も欠かせない。宮殿入りしてからのアセナの気持ちの沈み様はリボルの気がかりにもなっていた。


「本日も今上がいらっしゃるそうですよ。御寵愛の深さに敬服いたします」

「リボル、嬉しそうで何よりね。あんたの思い通りになってうれしいでしょう?」とアセナは苛立ちを隠さずに言った。


「何てお言い方を……。アセナ様こそ何故そのようにご機嫌を悪くなさっておいでです? 陛下の御寵愛を一身にお受けになられ、皇后位までもお授けになられる。後宮の宮女としてこれ以上何を望むことがございましょう?」

「それが辛いというのに。分かってるでしょう?」


 リボルはいくつかの香水瓶をアセナの前に並べながら神妙な顔をした。


「……分からないはずありません。リボルはずっとアセナ様の側に仕えておりましたから。ですがこの事は決してリボルの前以外で御口に出されぬようになさいませ。アセナ様が思われるよりもずっと事は進んでおります。もう後戻りは出来ません」

「わかってる。ごめんね、リボル」

「構いませんよ。リボルに気を使われることは必要ございません。さぁ今上をお迎えする準備をいたしましょう。舶来のバラ水が手に入りましたよ。お使いになりますか?」

「うん。お願いしようかな。支度してくる」


 アセナは立ち上がり侍女を率いて湯殿へ向った。


 帰京したその夜から、毎晩のようにアスランはアセナの元に渡ってくるようになっていた。

 もちろんここは後宮。夜伽をすることもある。が、伽もなくただ話をするだけで終わる夜もあった。


 アスランは夜伽のあるなしに関わらず自室には戻らずそのままアセナの横で朝まで眠っていく。

 後宮では異例のことだった。

 夜伽が終わり次第、皇帝は時をおかず宮を出るのが後宮の不文律であるのだ。

 あえてそれを無視したアスランのこの行いは後宮の他の皇妃を少なからず動揺させ、アセナは“特別な妃”なのだとより強く印象付けることとなった。


 まもなくしてゆったりとした夜着に太刀を下げただけの格好でアスランはアセナの元に訪れた。

 太刀を椅子に立てかけ寝椅子ディヴァンに横臥すると、昼間の政務が激務であったのだろうかかすかに皺のよった眉間をさする。


「喜べ、アセナ。近々、エリテルが戻ってくるぞ」

「将軍が、でございますか。ご無事でよかった。お目見えすることできますか?」


 エリテル将軍はアセナ後見人であり形式上の養父である。武勲を挙げた父を娘が迎えることは自然の流れであろう。


 ――というのは表向きだ。


 あの深い海のような瞳の主にたまらなく会いたかった。

 シャヒーンの話によると士官の死者はいなかったらしい。ということは、エリテルの副官であるサヤンも同行しているはずだ。

 男女としての感情は既に無いが、同郷の幼馴染の行方はとても気になる。


「出来るではなく、せねばならん。英雄の凱旋は最大の祝賀だ。皇妃位以上は後宮を出て出迎えるのが慣わしだ」

「皇妃まで列席するなんて。盛大な行事なのですね」

「そうだ。英雄は国の宝だ。無論一兵卒にいたるまでな」


 アスランは身を起こし、宦官に小さな箱を持ってこさせアセナに渡した。


「今回の凱旋は特別だ。お前の披露にもなる」


 樫の木箱にビロードを張った箱の蓋をあけると、南洋で採れる大粒の真珠をふんだんに使った金の髪飾りとそれに合わせた腕輪が輝いている。


 真珠は稀にしか採れない超高級品である。

 さらに髪飾りと腕輪に使われた真珠は一粒一粒が大きく、途方もない価値の品だということは想像に難い。

 アセナはこわごわと手に取った。


「すごい……」


 アスランはアセナの髪にゆるゆると触れ、「皇后になる者として当然の装いだ。お前の黒い髪によく映える」と甘く囁く。


 アセナは気付いていた。アスランの蕩ける様なこの甘さの中に熱はないことを。

 アセナは髪を撫ぜるアスランの拳に手を沿え、そっと握り締めた。

 若草色の瞳がぐらりと揺れる。


「アスラン様、私に何をお望みですか? 私の役目は何でございましょう」

読んでいただきありがとうございます。


作中に出てきた真珠は、今では養殖が盛んになり身近な宝石?になりましたが、養殖技術が確立するまではダイアよりも貴重な存在であったようです。

自然の気まぐれで出来るものですもんね。

このお話ではまだ養殖技術が無い時代の設定です。


ブックマーク・PV感謝です。

へこたれそうな時も多く励まされます。

これからもよろしくお願いします!


不定期更新ですが週2で頑張って行きたいとおもいます。

次回もお会いできることを祈って。


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