25話:吉報。
ちょっと長めになりました。
贈られた馬はアスランが褒めるだけあり、素晴らしい馬であった。
馬丁が曳いてきた美しい鹿毛の若馬は、さすがこの国の頂点に立つ者が所有していただけあり、一瞥しただけでも一流のなかでもさらに優れているというのが分かる。
「なんて美しいの」
アセナは感嘆の声をもらした。
鹿毛の牝馬は丁寧に梳かれた艶の良い毛並みを揺らし、新しい主人アセナを静かに見つめた。
この人間は自分の背に乗せる価値があるのか?と試すようにこちらを伺う。
しばらくすると小さくいななくいた。馬は首を下げ、差し出されたアセナの手のひらに頬を寄せる。
「とても賢いのね。お前のような馬は初めてよ。名前は何というのかしら?」
アセナは黒いたてがみに指を絡ませた。馬丁は手綱をアセナに手渡しながら応える。
「マラケフと申します。皇妃殿下」
「……そう、女王。お前の為にあるような名前ね。これほど優れた馬はそうはいないでしょうね」
「皇帝陛下は多くの馬をお持ちですが、マラケフはその中でも一・二位を争うほどの秀馬です」
「さぁマラケフ。お前の背に乗せてちょうだい」
アセナは鐙に足をかけるとひらりと鞍にまたがった。
そのまま馬場を歩み始め始めの一周はゆっくりと、次の周回からは次第に速度を上げ全力で駆ける。
何年も供にしたかのようななだらかで巧みな手綱捌きとそれを許す馬は、人馬一体化したかのように自然で美しい。
馬場に居合わせた皆が見惚れた。
黒いたてがみをなびかせ疾走する駿馬とそれを操る太陽の光を取り入れた黄金の瞳のアセナ。得もいえぬ神々しさすらある。
思う存分馬との時間を楽しんだ後、アセナは軽やかに下馬し、ひとしきりマラケフを労うと馬丁に礼を言いながら手綱を渡した。
侍従宦官のリボルが手ぬぐいを手に駆け寄る。
「お見事でございました。あれほど馬を乗りこなされる宮女はアセナ様以外いらっしゃらないでしょう」
「褒めても何も出ないわよ、リボル。でもありがとう」
アセナは手ぬぐいを受け取り顔をぬぐいながら、「マラケフが良すぎるのよ。私にはもったいないくらいの名馬だわ」馬丁に差し出された飼葉を食むマラケフを眺めた。
「確かに駿馬でございますね。世の武人ならば金をいくら積んでも欲しがるでしょう」
(これほどの名馬を陛下はアセナ様のためであるならば、やすやすとお渡しになられる)
他の皇妃にはない厚遇、この名馬の下賜に許される事の無い離宮での避寒。アセナがどう思おうが、アスランはアセナを溺愛している。このことはすぐに国中に広がるだろう。
アセナは多くの敵を抱えることになった。リボルは腹をくくった。
「アセナ様、火急にお伝えしたいことがございます」
リボルは声を潜め、胸元から丁寧に折りたたまれた紙束を取り出した。
「先ほど都より便りが届きまして、それによりますと先日第四位皇妃オミーシャ様がご出産なさいました。母子ともにご健康であらせられます」
オミーシャは東隣の国ヘマントの姫である。
アセナやカルロッテよりも五つ六つ年上の豊満でおおらかな女性だ。
カルロッテに寵が移るまではアスランがしばらく通っていたのだが、オミーシャが子を身篭ったと分かったとたんに他の妃と同様に足が遠のきほぼ放置に近い扱いを受けていた。
ヘマントの姫として国の名代として生きるべき教育を受けたオミーシャは、どんな理不尽な扱いを受けてもヤスミンのように恨み言を一言も洩らさず、第四位の宮で淡々と過ごしている。
王族という者はオミーシャもカルロッテも恐ろしく肝の据わった人種であるようだ。
「おめでたいわ」
アセナはヘマント人気質の陽気な性格で浅黒い肌と黒い髪の彫りの深い顔を思い出した。卑しい身分のアセナにも寛大に接してくれた後宮では数少ない存在である。
「お祝いを贈らなきゃ。御子様は皇子? 姫君様?」
「皇子様でございます」
「男の子……。アスラン様にとって二人目の皇子となるのね。オミーシャ様、とても綺麗な方だから成長なさったらきっと美しい皇子になられるでしょうね」
アセナは乗馬で乱れた髪を自ら結いなおしながら、「……これでまた後宮が荒れそうね」と低い声で言った。
「アセナ様のお察しの通りでございますよ。帝室の繁栄の源である慶事であるというのに、後宮内はかなり色めきだっているようです。オミーシャ妃様の御子様もまだお生まれになって間もないというのに嘆かわしいことです」
リボルは便りを懐に納めながら、皇妃様方だけでなく宦官や女官もかなり殺伐とした雰囲気であるらしいですとワザとらしく大げさな身振りをする。
原因は第一位皇妃ヤスミンであろう。
地位とアスランに並々ならぬ執着を持つヤスミンのことだ。まだ渡りもなく皇妃内定というだけであれだけの圧をかけてきた第一位皇妃が何もせずにいるはずはない。
どんな手を使ってでも、自らの子ファフリを擁立してくるはずだ。生まれたばかりの皇子が目障りでしょうがないだろう。
「どのような境遇で生まれたとしても命は尊い。お生まれになられた皇子様に神のご加護がありますように。どうか健やかにお育ちになりますように」
「きっと陛下がお守りくださるはずです」
リボルがアセナの胸中を察したかのように言った。
「そうしてくださると嬉しいのだけども」
アセナは心の底から願う。
だが。
アスランは子に価値を置いていない。アセナを政争の駒とするように、子にも同じ扱いをするはずだ。アスランにとって他人は例え自らの血を継ぐ子であっても道具にすぎないのだろう。
分かっていてもアセナはナイフで刺されたかのように心が痛かった。
オミーシャやヤスミンは未来の自分だ。
アスランから愛されることも無く、いつか子ができたとしても夫からは慈しまれる事もないまま育てなければならないのだろうか。
「アセナ様は他の皇妃様とは違いますよ。リボルの勘でございますが、陛下はアセナ様を手元から放すおつもりはないと思われますよ。ですので、ご安心ください。リボルも宦官頭としてお支えもうしあげますし。とにかくアセナ様は夜伽を励み、がんがん御子をお産みなさることが肝要です」
「ん?? 今なんて?」
思わず声を荒げ、アセナはリボルを睨んだ。リボルはしれっと何事も無かったかのように続ける。
「それともう一つ、こちらも慶事です。ヴィレッドブレードとの戦も終局が近いそうです」
「膠着してたんじゃないの?」
「ええ。この戦と平行してヴィレッドブレードの東部で平民が暴動を起こしたようで、そちらにも兵を割かねばならないほどの大禍となってしまった模様です。王家に不満を募らせた下級貴族までも便乗し暴徒化しているそうですよ。ここ数年、ヴィレッドブレードは不作続きですし……もう他国と戦をしている場合ではなくなったのでしょう。潮時でございましょうね」
「そう。でもよかった。戦が終わるのはめでたいわ。カルロッテ様にとってはお辛い結末だけど、パシャに被害が少ないうちに終われるのは幸いね」
「春先には北国に派兵された兵はすべて復員することでしょう。都も賑やかになりましょう。アセナ様の養父君様もお戻りになられますね」
皇妃に立つ為に、アスランが後見に宛がえたエリテル将軍。わずか一度しか会ったことはないがアセナの養父はこの国の英雄であり今回の戦の最大の功労者だ。
そして……。
(サヤンが帰ってくる)
読んでいただきありがとうございます。
25話目の更新です。
宦官のリボルが結構気に入っています。
20年宦官をしている大ベテランです。
今まで何人か宮女の担当をしていますが、ぱっとせず、ようやくめぐってきたのがアセナでした。
出世欲の塊のような人ですので、このチャンスを掴もうと必死ですw
ブックマークPVとても励みにしています。
いつもありがとうございます。
次回もお会いできることを祈って。




