閑話:諱 (2)
本編はなれまして閑話です。
ヘダーヤトはアセナの心情を察したのだろう。穏やかに微笑んで言葉を継いだ。
「おそらくは皇后となられるお方にはお伝えくださるでしょう。御名を告げられた方が今上をお支え下さるはずです」
それまで口を開かなかったカルロッテが、優雅な仕草で茶を飲む手を止め、老賢者に視線を渡す。
「あらヘダーヤト先生。それは陛下には皇后を立てられる御意志があるということかしら。やんごとなき身分で寵愛なさる方が幾人もいらっしゃるのに、もう四年も立てられておられないから、空位のままいかれるのかと思うておりました」
と軽やかにさして関心もなさ気に言った。
「カルロッテ様、今上はご即位なさった時からいつかはお立てになるお考えでいらっしゃいました。人を見、時が満ちるのを窺っておられるのです」
「そう。ということは身分も何もかも条件に合う方が叙されるということかしらね。陛下は皇后位を望むなとおっしゃったけれど、嗣子の存在は大きいでしょうし……」
現在、その条件に当てはまる皇妃はヤスミンしかいない。
後宮にはアスランの血を継ぐ子が三人いる。
第一位皇妃ヤスミンの産んだ皇子ファフリ。そして第二位皇妃シーラの双子の姫。
そしてまだ産まれていないが、第四位皇妃オミーシャの腹にもう一人。無事に産まれれば四人だ。
「オミーシャ殿のお腹の御子君がどちらかでまた変わってくるのね」
カルロッテは今後起こる後宮内の波乱を想像して息をついた。
当然のことだが後宮において男児を産んだ妃の地位はだれよりも高い。子が帝位を継げば国母となれる。権力と富を手にすることができるのだ。
産んだ子が姫であるとどうなるかというと、パシャでは皇帝の血を継いでいるとしても女子は帝位継承の権利を持たない。
が、後宮では皇帝の子を産んだ皇妃は子を産まない皇妃よりも格が上になる。皇帝の血を繋ぐことを目的としているこの場所では、子の無い妃よりも女子でも子を産んだ妃が優遇されることになる。
ゆえに子を孕むことすらないカルロッテは第三位という位地にありながら、実情では最下位の皇妃であった。
そのことを踏まえても四人の皇妃のうち唯一子を持たないカルロッテは端から対象外ということであろう。
「それは間違ごうておられますよ。カルロッテ妃様。男子をお産みになられたからといって皇后位が与えられるわけではありません。資質を充分に吟味して御決めになられます。この後宮の皇妃から選定されるのか、外からお連れになられるのか、それ以外なのか。陛下の御心次第でございますよ」
ヘダーヤトの言葉にカルロッテは初夜を思い出した。
端整な顔立ちと荒々しさを併せ持つ非常に魅力的なパシャの皇帝が、何と言い放ったのかを。
カルロッテはふとため息をつき、
「パシャの皇后となると外交も考慮しないとならないから人選がかなり難しいわね。ねぇ、アセナ?」
「え? はぁ……」
アセナは話を振られ動揺した。
正直なところ自分には関係のない話だ。まず自身の出自からして怪しい。平民、しかも辺境の少数民族の娘である。
皇帝の隣に立ち国政にまで関わることになる皇后位に、強い後見もなく教育も教養も無い自分が候補に上がる可能性はない。
無位のまま安穏に暮らすのが希望のアセナには一番かかわりたくない話だ。例え雑談の上でも。
「賢明な陛下でいらっしゃいますので、皇后に相応しい方をお選びになられると思います」
差し支えなく応じ茶を濁した。
「そうね。聡明な方ですものね」
――とても冷酷なお方だけど。
カルロッテは言葉を飲み込んだ。
夜な夜な我が身を抱きながら決して愛着をみせることは無い皇帝。行為に没頭するのみで愛情の欠片も感じない。
王族に育ったカルロッテだ。夢をみる年でもなく、王族の女の役割も承知している。アスランの態度、それが正解だとも分かっている。
(まぁ私も同じね)
カルロッテは自戒した。
カルロッテもアスランに気持ちはないのだ。お互いが冷めた心持で背負った祖国の義務のためだけに閨を共にするだけだ。
しかしなんと寒々しいことだろう。
(あの冷徹な皇帝が気持ちを揺らす女人があれば、それはそれで見物だわ)
「とりあえず、アセナが私の跡を継いでくれたら嬉しいのだけど」
アセナは茶碗を落としそうになった。
「ええ?? カルロッテ様、何を突然おっしゃいますか??」
「あなたが皇妃になればいいのよ。そうしたら私も安心して夜伽の辞退ができるわ。あなたは私の部屋子でだし、何より信頼してるもの」
「恐れ多い。私は無位のままで充分です。カルロッテ様にお仕えしている今のままで幸せです。皇妃など身に余ります」
「アセナのそういうところ好きだわ。でもこればっかりはあなたの思うようにいかないかな」
あなたには選択権はないのよ、とカルロッテは心の中で呟いた。
アスランと伽を共にするなかで、極稀にアスランが心の内を洩らすことがある。昨晩の伽時にカルロッテには微塵も関心を寄せないアスランが、なぜかアセナの名を口にした。
(アセナが心を揺さぶる女人になるのかもしれないわね)
カルロッテは風にゆれるスズランのような清楚な笑みを浮かべ、この不思議な瞳をした娘は何を持っているのかと思いをめぐらすのだった。
読んでいただきありがとうございます。
閑話の2話目になります。
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うれしいです。
次回もお会いできることを祈って。