21話:勅書。
ヤスミンとの面談後、アセナに対する風当たりがさらにきつくなった。
突風の発出源は第一位皇妃陣からである。
ヤスミンとはあの後、直接に顔を合わせることはない。
が、ヤスミンの意を汲んだ配下の無位や宦官たちが、まぁよくも考えられるなと感心したくなるほどの暴言をアセナとアセナに仕える者達に投げつけてきていた。
グチリグチリとした陰湿な言い方に「嫌味にもそんな言い方があるんだ!」と学のないアセナはひたすらその語彙力に感嘆したが、アセナの周囲は日に日に消沈していた。
ただ明らかな敵意を寄せてくるのはヤスミンだけで、現状四人いる皇妃のうち、三位のカルロッテは別にして、二位と四位の妃は静観している。そちらからの圧が何も無いのがせめてもの救いだ。
アセナ専属の侍従宦官であるリボルも宦官詰め所で色々あったようで、今朝は珍しく憔悴していた。
「リボル、なんか疲れてない? 大丈夫なの?」
「お気遣いいただきありがとうございます。ヤスミン第一位皇妃様のお力、すさまじいものですねぇ。詰め所で針のむしろでございました。けれど、宦官生活二十年。宦官頭になるまではリボルこの程度では負けません!」
「わぁさすがねぇ」
ぶれない出世欲には妨害も無効らしい。
(でもちょっとやりすぎよね)
アセナはここ数日の嫌がらせの数々を思い出し陰鬱な気分に陥った。
今朝もアセナの部屋の外に死んだネズミの死骸がおかれ、昨日は残飯が撒かれていた。その前の日は……。
ウダの田舎育ちのアセナには動物の死骸や残飯如きで音を上げることはない。家畜を捌いていたアセナにとっては動物の死骸などたいしたことではないのだ。
問題は召使達である。
特にアセナが皇妃に内定したことにより付けられた侍女達が滅入っていた。都会育ちの良い家のお嬢さんにはありえないことらしい。
真っ青な顔をして震える侍女を放っておく訳にもいかない。
(このままじゃ侍女が皆辞めてしまう。ヤスミン様に言ったところで止まるものでもないし。せめてどこかに連れて行けたらいいんだけど)
アセナは窓際の壁に沿うように置かれた寝椅子にもたれかかりながら、ぼんやりと外を眺めた。
幾何学模様の飾り窓ごしに雲ひとつ無い青空が広がる。
(窓一枚隔てた場所にも自由に行けないなんて)
後宮の皇妃に望まれ、ここで生きていくと自分で決めた。もうどうにもならないが、時には飛び出したくもなる。
「息抜きでどこか行けないかな」
アセナは窓枠に頬杖をつき呟いた。
「左様でございますねぇ。簡単ではないですが、アセナ様は陛下の寵愛も戴いておりますし、カルロッテ様のご療養も兼ねてですとお許しも出るやも知れません。早速、外廷に申請をいたしておきましょう」
その日の午前中に申請を出し、なんと夕刻には外廷から伝令が勅書を携えて到着した。
通常では数日かかる案件のはずだが、異例の速さである。
おそらく……いや確実にアスランの配慮があったのだろう。
「これは驚きましたねぇ」
リボルはアセナの許しを得て、勅書を読みながら声を呑んだ。
カルロッテとアセナ、二人の皇妃の療養の為の転地を許可する旨が記されている。
王城外の外出には厳しい規制がかかる皇妃の外出があっさり許されるとは……。
否。
アセナだからこそ許されたのだ。
リボルは自らの主に対する皇帝のただならぬ執心に背筋が凍った。
リボルは平静を装い「陛下に感謝申し上げなければなりませんね。ご覧になられますか?」と言いながらアセナに外廷から届けられた勅書を渡した。
アセナは受け取りゆっくりと黙読する。
「本当にありがたいことね。簡単に許される事ではないでしょうに」
勅書には帝室の紋がエンボス加工された皇帝専用の紙に祐筆が書いたであろう文章が並び、文章の最後にアスランの直筆の署名が入っていた。
多少の癖があるが全体のバランスが整い読みやすい字だ。
「これが陛下の字? 美しい字ね」
「陛下は武術を得意とされておられますが、ヘダーヤト様に幼少の頃から師事されておられますから、絵画や書もかなりの腕前でいらっしゃいますよ」
アセナは書面のサインを指でなぞった。
初めて見るアスランの字は文字の終点をすこしばかり右に流す独特の癖がある。
どこかで見覚えのあるような、懐かしい字だ。
アセナは指を止める。
(似てる。ダイヴァの字に)
九歳だったあの時、アセナの秘密の園で出会った貴人。
何百回と練習し辛い日々の慰めにしたあのお手本。
見間違うはずがない。
(でもそんなことは無い。先帝の皇子がウダの郷に現れることなどありえないもの)
勅書を手にピクリとも動かないアセナを見て、リボルが心配顔で覗き込んだ。
「アセナ様、如何なされました?」
「あ、なんでもない。療養先はどこになるの? ここには書いていないけど」
「別紙に記載がありました。さすがに遠方は許されませんでした。オビスの離宮を提供していただけるらしいです」
「オビス?」
「都より南へ馬車で三時間の所にある帝室直轄の荘園です。風光明媚な長閑な場所でございますよ。ここよりも暖かいのでカルロッテ様の療養にももってこいでございますね。馬場もありますので、アセナ様のお好きな乗馬もお楽しみになられますよ」
「乗馬ができるの! すごく嬉しい。楽しみね」
アセナは不確かなことは一旦胸に収め、目の前の喜びに浸る事に決めた。
後宮の外に出るのはあのエリテル将軍と会った日以来だ。
自分だけでなくカルロッテと侍女達が少しでも心静かに過ごせると想像するだけでも、飛び上がりたくなるほど嬉しかった。
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