20話:貴方の御心のままに。
アセナは望んで皇妃になるわけではない。
処々の事情が重なって就くことになってしまった、というのが正しい。もとより宮女になったのも自分の意思ではないのだ。
だが、自らの進退を後宮の主であるアスランでもなくヤスミンから脅されて諾と言わされるのは道理に合わない。
有り体に言えば癪に障る。
皇妃になる宣言もつまるところ、アセナ自身の意地から出たものだった。
「よく言った。アセナ」
面白い見世物を見た子供のように愉しげに笑いながら、アスランが割ってはいった。
アセナは腹立ちを隠さずアスランを睨みつける。
(この方絶対楽しんでた。なんて悪趣味なの)
広い部屋ではあるが同じ部屋に居れば、先ほどのやり取りも充分聞こえていただろう。
離れたところで止めることもなく女の諍いを眺めていたのだ。
この後宮の主はつかつかと歩み寄り口角を軽く上げるとアセナの頭を雑に撫でた。
「見事だったぞ」
「は!?」
アセナはアスランを見返す。さも愉快そうに声を上げて笑い、アスランはアセナの隣に腰掛けた。
「ヤスミン、皇妃の進退を決めることができるのは俺のみだ。お前はその立場にない」
戸惑うヤスミンの視線を真正面から受け止めきっぱりと言った。
「ですが陛下っ!! このようなことは理にかないませぬ」
ヤスミンは声を上げる。
「ヤスミン。分からぬか。俺が決めた事だ」
とアスランはゆっくりと息を吐いた。
「どこの家門の出であろうと、例え隣国の王族出身であってもこの後宮に於いては一皇妃であることは変わらぬ。ヤスミンよ。序列が第一位であるとしてもアセナや他の皇妃と同じ位地にあることを覚えておくがいい」
アスランは右手を上げてリボルを呼び、クルテガから献上された茶を新たに淹れさせると、如何にも優雅な仕草で薬湯の香りがする茶をためらいも無く飲み干した。
「クルテガは帝室直轄の皇領だ。その意味を分かっておろうな? 今後は我が領民とアセナに対する屈辱は許さぬ」
お前が筆頭臣下の娘だとしても、と情の欠片も感じさせないわずかな怒気を含んだ声色でアスランは言い放った。
皇帝の言葉にヤスミンは目を見開き、ただ畏まりましたと応えるのが精一杯であった。
かすかに震える指で裳裾を握り締める。
ヤスミンは自身が足元から崩れていくかのような感覚に襲われていた。
現状四人いる皇妃のなかでも一番上の第一位の位を冠し、皇妃の筆頭であるということを誇りにしてきた。それだけを支えにしてきたのだ。
――すべてを拒否され否定された。夫によって。
けれど。
ここで倒れるわけにもいかない。まだ希望がある。たった一つの希望が。
ヤスミンはうつむいていた顔をあげた。
「陛下、一つお願いがございます」
元々透き通るように白い肌をさらに白くし、しかし黒い瞳には細く鋭い光を宿っている。
「陛下は今までの四人の皇妃、どなたにもご執着なさらなかった。けれどもアセナ妃には、私も含め他の姫君方ですら及ばないご配慮をなさっていらっしゃる。私どもには何も望むなとおっしゃりながら、アセナ妃にだけは惜しまず与えておられる」
ヤスミンはアスランの瞳を見据えた。
「陛下には御子がいらっしゃいます。特に皇子でいらっしゃるファフリ殿下には、アセナ妃と同等には御寵愛を注いでいただきたいのです。殿下はいずれこの国の皇太子に成りえる方でございます」
「ファフリは俺の子というだけに過ぎぬ。皇位を継ぐのは未だ決まってはいない。候補の一人ではあるがな。愛でる必要がどこにあるのか理解できん」
絶望を与えるには充分な言葉である。
ヤスミンはその冷酷さに落胆した様子もなく淡々としていた。ある程度の予想はしていたのだろう。
現在唯一の皇位後継者である我が子ですらアスランを揺るがすことすら出来なかった。
事実、後宮を持ち子を多く成す帝室では御子は後継であると同時に政争の材でしかない。
アスラン自身も第三皇子であり、何ら先帝からの愛情も加護も受けずに生きてきた。帝位からも遠かったが多くの犠牲と争いを経て自らの力でのし上がった。
帝室において幼子とはその程度の存在なのだ。
「もしもファフリにその器があるのなら、その才覚で奪い取ればいい」
「左様でございますか」
ヤスミンは何かを決意したかのように立ち上がり、
「御心よう肝に銘じておきまする。世界を治める者。偉大なる皇帝陛下」
典礼どおりの美しい所作でアスランに退室の挨拶をすると、衣擦れの音をさせながら一度も振り返りもせずに部屋を出た。
典雅の塊といってもいい後ろ姿を見送りながら、アセナは先ほどまでのやり取りを反芻していた。
アセナは今日のヤスミンを垣間見、アスランとのやり取りを耳にし、確信した。
ヤスミンは自分に何一つ感情を持たない男を想っている。心の底から愛している。子を生んだとしても一度も顧みてくれない人を。
四人いる皇妃、他の皇妃は他国の王族出身の姫。この国の筆頭臣下であり帝室に次ぐ格式の高い家門出身であったとしても、端から適うはずもない。
生んだ子が皇子でありようやく同じ地位まで上れたのだ。
それなのに、パシャ出身の辺境の民がさらっと皇妃になり、しかも夫の関心を一身に受けている。“先祖がえり”というだけで。
名門出身のヤスミンは幼い頃から帝室に嫁ぎ寵愛を得る為の教育と義務を負って生きてきたはずだ。
血もにじむ努力が見目が珍しいだけの女にさらっと浚われる。
命を賭して生んだ子も愛でられない。
どれだけ口惜しいことか。
(ヤスミン様の気持ちも分かるだけに……)
アセナは胸の奥が軋んだ。
隣で悠々と寛ぐアスランを恨みがましく見る。
「アスラン様はひどい御方です」
「そうか?」
「えぇ」
皇帝としては正しい。
後宮を営む上ではアスランの姿勢は正しい。
後宮は内廷といわれるだけあり、政治に対して強い影響力をもつ皇妃の後見たちの代理政治競闘の場だ。
この国を治める皇帝にとって、子を成すことは何よりも優先されるが、後宮においてどの勢力からも中立的立場でいるのは必須だ。
(だけど、男女の仲だし……。好きになってしまったら辛いだけ)
アセナは自嘲した。
アスランは魅力的な異性だ。特にこの閉ざされた後宮においては、宮女にとってはすがるべき唯一の存在だ。
そして間違いなく、アセナはアスランに惹かれていた。
乳香の香りと低く重い声はアセナの心を浮き立たせる。
「アスラン様は本当にひどい御方です」
「くどい。二度も言うな」
アスランは苦笑しサンザシの干し果を口に放り込んだ。
大晦日の更新です!
年末年始なかなか忙しく、PCの前に立つ時間すらなく、今日ようやく更新できました。
2019年最後の日に更新できたので、ちょっと嬉しいですw
PV、ブックマークありがとうございます。
本当に皆様のおかげで、ここまでたどり着けました。
来年もよろしくお願いいたします!!
お話はもう少し恋愛よりにしていきたいなと思ってます。
三が日の間に更新がんばります!
是非またお会いできることを祈って。




