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15話:ヤスミンは希求する。

今回はヤスミンのお話です。

7話でちらっと出てきた第一位皇妃さんです。

 乾燥した大地に冷たい雨が降り注いでいる。

 1週間ぶりの雨は寒さに凍えるパシャの大地を激しく叩く。


 第一位皇妃の宮の窓に庇から零れ落ちた雨のしずくが筋を立て流れ落ちていた。


 平素は物音一つしない第一位皇妃の宮に、小さな幼児の走り回る姿があった。

 乳母と宦官を振り回しながら子ねずみのようにあちらこちらと動き回っている。


「殿下、お待ちくださいな」


 宦官が息を切らせながら小さな体を追う。

 無尽蔵とも思える体力があの小さな体のどこからわいてくるのだろう。飽きもせず走り回り、お付きの者が全員息を切らせた頃にふいに足を止めた。


「かあさま」


 この宮の主人であり母親の第一位皇妃ヤスミン・デミレルの姿を見つけたようだ。

 幼児は母であるヤスミンに駆け寄り、母は微笑みながらわが子を抱きあげた。


「かわいいファフリ。今日も健やかでなによりじゃ」


 二歳になったばかりの皇子は小さな両腕を伸ばし、無邪気に母に頬ずりをする。


「なんと愛らしいことか」


 やわらかい前髪をヤスミンは愛おしそうに撫ぜた。黒い瞳と母譲りの黒髪の幼子にはどこか父親――この後宮の主の面影があった。

 どんなに乞っても来宮することはない唯一の夫の面差しだ。


「かあさま、あそぶ?」


 ファフリは最近言葉を覚え始めた。たどたどしく無邪気に語る様子は何とも言えずかわいらしい。


「とおさまは?」

「お前の父様はこの宮にはおられぬ。別の宮のおなごの元じゃ。母さまとファフリのところには参られぬ」


(父親の関心も愛情も知らぬ……なんと不憫な子であろう)

 ヤスミンは何も知らぬ幼い息子をそっとだきしめた。


 ヤスミンが後宮に入ったのは四年前。

 先帝の第三皇子アスラン・パッシャールの皇帝即位とほぼ同時期である。


 もともと代々パシャの宰相を輩出する名家の娘であったヤスミンは、アスランの次兄に嫁ぐ予定であった。

 だがアスラン主導の政変の末、先帝の次男は刑死。

 嫁ぎ先を無くしたヤスミンは、亡き父の強い勧めで新皇帝アスランの後宮に入内することになったのである。


 周辺諸国から献上された姫三人とパシャ第一の功臣であり名門家出身の娘であるヤスミンは、入内が決まった時点で皇妃の地位が保証されていた。


 元々帝室に嫁ぐように教育されていたヤスミンに後宮の生活は苦ではなかった。

 むしろ入宮すぐに専用の宮を与えられ丁寧に扱われるのは至上の喜びであった。後宮の人間全てにかしずかれると自分がこの扱いに相応しい人物であると思い知らせてくれる。

 自尊心を満たす最高の場所であった。


 後宮に入内してまもなく、宮女すべてを集めた皇帝との謁見式が行われた。


 初めてお目見えした皇帝アスラン。

 秀麗な容姿も、長身で屈強な体も声も。その心意気も。

 理想そのものであった。


(この方を夫にすることが出来るだなんて。私は何と幸せなのだろう)

 ヤスミンは一瞬にして虜になった。


 そして心待ちにしていた初めての渡りの日が来た。

 宦官に付き添われ宮を訪れたアスランを、ヤスミンはこれから起こるであろう事象に期待をもって迎え入れた。

 恭しく口上を述べ、立ち上がりながらその姿を確かめる。

 

 堂々とした体躯に夜着を身にまとった我が夫アスラン。

 凛々しい笑顔を浮かべながらも、


 ――黒い瞳は氷のように冷め切っていた。


 皇帝の初めて発した言葉をヤスミンは今でも覚えている。


「俺は皇帝としての義務でここに来ている」

「陛下、それは如何な……?」

「皇帝の義務の一つに次の代に血を繋ぐことがある。ここに通うのは帝室を繋ぐための子を得ること。それだけのためだということを忘れないでおいて欲しい」


 アスランは市場に並ぶ作物を見定めるかのように熱のない目線を送る。


「そして皇后位を決して欲しがらないように。例え貴女が子を成しそれが帝位を継ぐとしても皇后に就くことはない」


 後宮の女にとって最高位である皇后は誰もが夢見、目指すものである。権力と財力、そして国に対しての影響力。どんな術を使ってでも手に入れるべきものだ。それを否定するというのは、何を支えにして生きて行けばよいのだろう。


「ではせめて陛下をお慕いすることはお許しいただけますか?」

「それこそ無駄なことだ。俺は貴女に感情を抱くことはない」


 その宣言の通り、アスランはヤスミンに対しては何も感心がない様子だった。

 通い始めてもほんの少しの社交辞令を交わすほかは会話もなかった。伽の最中もそれは変わらず男女の間であるという睦言もなく、ただただ行為に没頭するのみであった。

 ヤスミンだけでなく、平行して通っていた他の妃に対してもそうであると聞いた。


 そして程なくしてヤスミンがファフリを身篭ると通ってくることも稀になった。皇子が生まれてからも数ヶ月に一度、嗣子である息子の顔をちらりと見、二・三言葉を交わしてはすぐに戻っていく。


(それなのに新しく皇妃を迎えるとは。口惜しい)


 聞けば自らが選定した平民の娘を新たに皇妃に迎えるという。

 それだけではない。わざわざ週に幾度かヘダーヤトの講義を口実に第三位の宮を訪れその娘と顔を合わすことすらあるという。


 帝位を継ぐ皇子を産んだ自分とは些細なことでさえ語り合うことすらないというのに。

 視線を合わすことすらないというのに。

 この国の最上位の貴族の自分が、なぜこのような惨めな仕打ちを受けねば成らないのか。自分は敬われる人間であり、皇帝の愛を受けるべき存在は自分であるはずだ。


 ヤスミンはギリギリと奥歯を鳴らした。


「ホルモズ、居るかえ?」

「はい。ここに」


 やせぎすの宦官がヤスミンの足元にひざまずいた。


「アセナ皇妃との面会を申し込んでおくれ。あとこれを……」


 ヤスミンは帳面に走り書きをし、ホルモズに渡した。文字を読んだホルモズの眉がかすかに震える。


「承りました。ヤスミン様、本当によろしゅうございますか?」

「……覚悟の上じゃ。そのとおりにいたせ」


 雨はさらに勢いを増し、宮の屋根をたたきつける音が第一位妃の宮に響きわたった。


読んでいただきありがとうございます!


後宮が好きで物語っていますが、後宮というのはイベントごとが少ないのに今更気づきました。

男性は一人しか居ない、閉ざされた空間ですもんね……。


PVやブクマほんとうにありがとうございます。

とても励みにしています。

皆様に多謝を。

次回もお会いできることをお祈りして。

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